第38話 肉体
「それにしても、嘆かわしいですねえ。アナタのような人間が我々騎士団に入ろうなどと」
ワイト教官は手の中でランスをくるくると回しながらそう言った。
リックは眉をひそめて聞き返す。
「ん? 俺が騎士を目指して何か悪いのか」
「はははは、自覚がないのですかぁ!?」
そう言うとワイトはおもむろに自らの上着を脱ぎだした。
「これを見なさい!!」
上着の下から現れた上半身を見て、見物人の生徒たちからざわめきが起こる。
「我々騎士は王国における警察警備を司るもの。暴漢の鎮圧や軍事行為、常日頃から現場での実戦に備え自らを高めておくことが必須なのです」
手足が長いためやや細身に見えたワイトだったが、その肉体は十分に鍛え上げられていた。
まあ、実のところ。ワイトは『伝統派』の人間であり、今まで一度も現場に出たことなどないしこれから出る気も毛頭無い。肉体を鍛えているのは騎士団の任務のためなどでは決してなく、生徒たちを実戦訓練で痛めつけて楽しむためである。だが、そんなことは棚の最上段に放り投げて話を続ける。
「それを魔力も鍛えられない32歳から入団して、剣のセンスも壊滅的ときている。見苦しいんですよねえ、アナタのような身の程をわきまえてない無謀な人間は」
「ふーん。あー、この服ヒラヒラして邪魔だな。よいしょっと」
リックは先ほどワイトのランスで破られた上着を脱ぎ始める。
「アナタの前に戦った生徒も同じです、ひ弱な自分でもここに来れば変われるとでも思ってるんで」
そして、今度はリックの上半身が露わになる。
「……ジーザス」
それを見たワイト主任教官は、目を見開いて口をあんぐりと開けてしまう。
一見、やや鍛えられていそうではあるが、中肉中背の範疇に見えたリックの体。しかし、上着の下から現れたその肉体は尋常なものではなかった。決して大きな筋肉がついているわけではない。だが、その質が異常であることは誰が見ても明らかだった。
まるで鋼鉄の繊維を極限まで綿密に束ねたかのような筋肉が、上半身の前面背面側面を問わず完璧なバランスで敷き詰められているのである。
観客は先ほどのワイトの肉体を見たときとは正反対で、完全に静まりかえっていた。人間は理解の範疇を越えたモノを目にしたとき、沈黙してしまうものである。
いったい、何をどう鍛えたらそんな体になるというのか……
誰一人としてその疑問に対して、答えを想像できる者は存在しなかった。
「……お、おお、おおお」
「さあ、続きを始めよう。ワイト主任教官」
リックが両手をポキポキとならしながらワイトに向かって歩いていく。
「お、おわああああああああああああああああああああああああ!!」
ワイトは悲鳴のような叫び声を上げながら、リックにランスを向けて突進する。
強化魔法の『瞬脚』を発動。先ほどまでとは比べものにならない速度で走り、勢いそのままリックの左胸に先端を突き立てる。
もはや、相手の生死など気にしている余裕は無かった。一心不乱の全力の刺突である。
リックは回避も防御もしようとぜずその一撃を受けた。
次の瞬間。
ガシッイィィィィィィィィィィ!
っという金属同士がぶつかったかのような音が響いた。
「なん……だと……!?」
ワイトは目の前の光景が信じられないというように、目をパチパチとさせる。
ランスは確かにリックの左胸を捉えていた。
しかし、リックの皮膚から先に全くランスの先端が進まないのである。生身の人間の体にもかかわらず、まるで鋼鉄の固まりにランスを突き立てたかのように、どうにもならない手応えが手に跳ね返ってきたのだ。
いや、鋼鉄どころではない。今ワイトが使っているのは、鉄の盾を容易く貫くミスリル製のランスである。それが全く歯が立たないのだ。
その堅牢さは、もはや世界最強の金属『オリハルコン』のごとく。
「どうなって……どうなっているのですか、アナタの体はあああああああああああああああ!」
「俺は武器を扱うセンスがどうしようもなく無かったからなあ。だから、死ぬほど肉体を鍛えた。生半可な武器よりも遥かに強靱にな」
リックが胸に突き立てられたランスを片手で掴む。
そして。
「くっ、そ、そんな」
軽々とランスを持っているワイトごと持ち上げた。ワイトは全身にありったけの力を込めて耐えようとしたが、まるで問題にならない。
「よっこいしょ」
そのまま、ランスごとワイトを放り投げる。
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
まるで、クロスボウから放たれた矢のような速度で、ほぼ地面と平行に空中を滑空するワイト。
ゴシャアアアアアア!!
と、闘技場を囲う壁に激突して体をめり込ませる。
「がはあっ!!」
あまりの衝撃に、吐血しながら地面に倒れ伏すワイト。
「はあ、はあ、ありえません、こんなことは、ありえてはならないのです……」
リックはワイトにゆっくりと歩み寄りながら言う。
「そういえば、さっきアンタは『身の程をわきまえろ』とか言ってたが、俺は全くそうは思わないぞ。別に何歳から何始めたっていいと思うし、どんなやつが何目指したっていいと思ってる。無謀でも無茶でも見苦しくてもいいと思う」
「くそがあ!! 西方の疾風、草原の獅子を穿て、第三界綴魔法『エアロ・ブラスト』!!」
ワイトの左手から圧縮された空気が砲弾のように猛スピードで放たれる。
リックは無造作に空気の砲弾に手をかざして呟く。
「魔力相殺」
パシュンとあっけない音とともに、その魔法が打ち消された。
「……」
ワイトはもはや絶句するしかなかった。
「この肉体も、この魔力操作技術も、俺が『身の程知らず』だったから身につけることができたものだ。アンタは仮にも人を育てるのが仕事だろう。だったら、アンタが諦めるのはダメだろ、アンタが諦めさせるようなこと言ったらダメだろう。俺はな、他人の可能性を勝手に決めつけるやつは結構嫌いなんだよ」
「黙れ、黙れ、だまれええええええええええええええええええええ!!」
ワイトはもはや子供の癇癪のような叫びを上げながら、リックに向かってランスを振りかぶる。
しかし、あまりに大振りすぎである。
リックは一瞬にしてワイトの懐に飛び込むと、(かなり軽ーーーく)その体を蹴り上げる。
メキィ!!
という生々しい音と共に、ワイトの体が高く宙を舞う。
□□□
「うおおっ!?」
レオ分隊長が驚きの声を上げる。
闘技場を見ていた窓からバリイイイイン!! とガラスが砕ける音と共に人が飛び込んできた。
ワイト主任教官である。手に持ったランスはへし折れ、白目を剥いて股間を小水で濡らしたまま気を失っているというあまりにも哀れな姿であった。
当然、戦闘続行は不可能な状態である。
「……」
「……」
レオと胴元の職員は目の前で起きていることを現実と認識しきれずに、黙ったまま固まってしまった。
だが、やがて、レオ分隊長は現実が認識と一致したらしくぼそりと呟いた。
「あれ? ってことは生徒の勝ちだよな?」
「あっ……」
胴元の額に冷たい汗が流れる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
レオ分隊長の歓喜の雄叫びが響きわたった。
ちなみに、この賭けにおける倍率は『賭けた時点でのオッズ』で計算される。
レオ分隊長は今月分の給料全額を賭け、賭けたときの倍率は約7倍であったため、ほとんど半年分の稼ぎを一瞬にして手に入れたことになる。
心底嫌々といった様子でレオ分隊長に、配当金を手渡す胴元の職員。
「かああああああああああ、これだから大穴ねらいはやめらんねえんだよなあああ!」
レオ分隊長はパンパンに膨れ上がった給料袋に頬ずりしながらそんなことを言う。
「では、私の分もいただきましょう」
そう言ったのはジュリアだった。
さらに激しく顔をひきつらせる胴元の職員。
ジュリアは先に給料全額をリックに賭けたため、レオよりもオッズが高い状態で賭けていた。倍率は約10倍。しかも医者であるため、レオ分隊長よりも給料が多い。よって、皮の袋二つからあふれんばかりの配当金が手渡された。
「ふふふ、これは持つのが大変ですね」
嬉しそうに頬を緩めるジュリアとは対照的に、胴元の職員は虚ろな目をしてボソボソと呟く。
「……これは、悪い夢だ……そうに違いない……」
「はははは、気の毒だね」
シルヴィスターは笑顔で頷くと。テーブルの上に担保として置かれていた宝剣を手にとって。
「じゃあ、僕の分の配当金を貰おうかな」
真夏の草原を駆けるそよ風が裸足で逃げ出すほどの爽やかさでそう言った。
「…………」
胴元の職員の全身が、氷点下30度の中で猛吹雪に吹かれたかのように凍り付く。
シルヴィスターが賭けたときの倍率は100倍、しかも全財産を賭けていた。到底、胴元の職員の手持ちでまかなえる額ではない。
「……ご、ご勘弁を」
「うん、うん、僕も鬼じゃないさ」
シルヴィスターは、胴元の職員の肩をポンポンと叩く
「まあ、これに懲りたら学校内でこんな商売をするのはやめるんだね」
シルヴィスターは優しい声で胴元の職員にそう言った。
「……ええ、そうですね。はい、金輪際足を洗います」
「うん、うん、じゃあ……毎月の200回払いで許してあげるよ」
胴元の職員もワイトと同じく、白目を剥いてその場に倒れた。
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