4 憤怒

 アルヴィンがかろうじて誇れる自分の長所に、『血統』と『美貌』と『他人の感情に敏い』ということがある。

 一つめの血統由来の美貌は、語り部と王位継承権とともに先日失った。

 『他人の感情に敏い』ことは、いまは傍にいない語り部ミケが熱く説(と)いた長所で、(ものは言いようだな)と思ったものだった。


 その観察眼から見ると、記憶よりもずいぶんと痩せた家臣だった男からは、みじめな感情が伝わってくる。

 『落胆』『悲嘆』『後悔』『怒り』。

 それらで昏く濁った眼差しに、アルヴィンが抱いたのは――――心の薄皮の下で蠢くような同族嫌悪だった。

 そして気付いた。この国に来た一週間と少しで、自分の心は、ひとときの救いを得ていたのだと。


 ここしばらく、アルヴィンは皇子ではなかった。

 同行者であるヴァイオレットは、令嬢にあるまじき粗野な娘だが、同時に尊敬と憧憬が生まれている。

 危なっかしくて癖はあるし、間違いなく変人のたぐいだが、このように行動力と前向きさを兼ね備えた人物はそういない。

 すべての人がそうであるように、彼女も長所と短所を兼ね備え、アルヴィンにとって、その長所は短所を補ってもなお長かった。

 アルヴィンに限らず、アトラス王家五兄弟は軒並み姉を敬愛しているが、やはり血縁か、根にあるものに少し似た要素を感じていることも、認めざるを得ない。(姉の短所も、やや無鉄砲なところだ)

 振り回されっぱなしの旅路だったが、思えばアルヴィンも後ろ向きになる暇もなく、全身全霊で彼女の無鉄砲に齧りついた。その結果に築かれた信頼だった。


 男は――――コナン・ペローは、そんなふうにいっとき皇子の役を忘れたアルヴィンに、使命を告げる警鐘となった。

 この男が、自分の役割に苦しんでいることは、すぐに理解できた。

 事の顛末はアルヴィンも知っている。姉がこの隣国に逃げ込んで、どうしたのかも。


 従順に目の前の悲劇に振り回された結果、アルヴィンもこの男も、ここにいるのだ。


 しかしアルヴィンがこの男と違うのは、アルヴィンの行動の原動力は、義務感よりも怒りが勝っているという点である。

 ミケを喪い、別れと再会の約束を交わしたあの日から、アルヴィンは怒っていた。

 ミケを喪うはめになったすべての事象に。もちろん、この男の弱さにも、この男がそうせざるを得なかった状況に。

 嫌悪と共感が呼び水となって……


 ――――怒りそれを思い出したのだ。



 アルヴィンの胸から噴き出た焔(ほのお)が卓と椅子を炙る。

 のたうつ真っ赤な火花が飛び、ヴァイオレットがのけぞって、椅子ごと後ろに倒れた。

 まだ真新しい外套が焼け落ちて、城下を焼いた灼銅(しゃくどう)の魔人が顔を出す。

 まばゆくも、魂すら焼く神の炎由来の熱に触れ、男の瞳が期待に輝いたのを見て、アルヴィンの胸はスーッと冷たくなった。

 目蓋があれば、きつく目をつむり、喉があれば、ため息と深呼吸ができただろう。

 そのどれもを失ったアルヴィンは、静かに離席し、ステラに調度品の損害について謝罪して、ヴァイオレットにも謝罪した。

 火影が消えると、アルヴィンの姿は、手足と胸の炎だけの姿になる。そのまま手を伸ばし、尻もちをついたコナンに差し伸べた。

 肘にも届かないブツ切れの右手を取り、コナンは呆然自失のまま立ち上がる。


 その魂が抜けたようすに、僕を見ろと言いたかった。この有様を見ろと。


 いまやアルヴィンの武器となったこの炎は、その身に宿る『怒り』が種火(もと)となっている。それが故郷を焼きかける火球になったのは、記憶に新しい。


 この男も、同じ炎を胸に持つべきなのだと、アルヴィンは思った。

 同じ故郷を持つ自分が、この男に求めるのはそれだけだとも。


 場所と時間を移そうと提案したステラに、アルヴィンは首を横に振った。

 ここで、この男に思い知らせなくてはいけない。

 この怒りは、お前も持つべきものなのだと。

 腑抜(ふぬ)けている暇は、生き残ったフェルヴィン人にはない。

 そびえる現実の壁が幾度もあらわれることがことが予想できようと、アルヴィンは決意を燃やさなければならない。



 ――――失ったなら、取り戻すのだと。

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