4 忠臣コナン・ペローの独白 前編


 コナン・ペローにとって、アルヴィン・アトラス皇子について知ることは少ない。


 ペロー家は、先々代皇帝のジーン・アトラスによって、フェルヴィン皇国初の外交官に任命された家だった。

 才能を見い出されたのは、まだ若きころのコナンの父、トーマである。

 ジーンは戴冠してすぐ、十二歳から二十歳までの若い貴族男性を集め、『上層』についての教育を始めた。メンバーには、のちの皇帝であるレイバーン皇太子もいた。

 ジーンはときには自ら教鞭をとり、自身も情報取集を欠かさず、この多重海層世界を支配する価値観と利権と流行について、知識を叩き込んだ。

 ジーン皇帝側近による『教師のようだった』という印象は、このときについたものだ。

 厳格なジーン帝による革命とは、こうしたものだった。

 若者たちの中から、外交官として適性があると選び取られたうちの一人が、のちの副長官トーマ・ペローである。


 レイバーンとトーマは、同い年ということもあって、王と臣の枠を超えた親しい友人関係であった。

 かたや皇帝、かたや長官補佐という地位になってもそれは変わらなかった。

 トーマには十三人の子がおり、コナンは八番目の子供にあたる。

 結婚の遅かったレイバーンと違い、トーマは十九で結婚し、二十一のときには父になっていた。

 コナンの他の兄弟はすべて女児であり、長女とは親子ほども年が離れているが、肉体の衰えが遅いフェルヴィン人においては、そう珍しいことでもない。現に、十三人すべてが同じ母から生まれた子供である。


 家族仲は良好だった。とくにトーマとその妻は、国外を飛び回っては皇帝に代わってパーティーにおもむく業務に勤しんだ。ときに上の子供たちも連れていき、海外旅行に慣れさせることも忘れなかった。

 結果として、トーマ家は、役人を五人も排出する家となったのだ。


 そんなペロー家に養子を取る話が出たのは、コナンが十二歳のときである。

 その養子は驚くことに、レイバーン皇帝の第四子、当時十一歳のヒューゴ皇子だった。


「乳母が御子の養育を引き受けるようなものだよ」

 と、トーマは当主らしい立派な書斎机で、外国の薫りがする煙草に火をつけながら言った。

「兄弟になってもいい。友でもいい。臣下でも。好きな関係を築きなさい。陛下もそれを望んでおられる」


 しかしペロー家の屋敷にやってきたヒューゴは、そんな関係を望んでいないように、コナンには見えた。

 屋敷に来たヒューゴは、最初の挨拶こそ丁寧であったが、人が変わったようにふさぎこんでいたからだ。


 額が出るほど短く切られた暗い赤毛に縁どられた、そばかすのある端正な顔立ちをしたヒューゴが、ニコリともせずにジッとしていると、そこだけ冷たい風が吹くようだった。


 あとあと彼が語ったことによれば、「あまりに突然家を出されたので、父に捨てられたのだと思っていた」————のだという。


 そんなふさぎこんだ新しい息子のために、トーマは、図書室の鍵を握らせたコナンを送り込んだ。

 コナンもヒューゴも、とつぜんできた他人の兄弟に困惑しているところが共通していた。

 慎重に図書館へと誘ったコナンと同じくらいに、ヒューゴも、新しい家族に気を使っていたように思う。コナンは、そうした空気に敏感な子供だったので、すんなりと了承したヒューゴにほっとした。


 彼はひとたび本を開けは、傷ついた獣が薬草を食むように読書に没頭した。

 ページをめくっている間は、同じ空間にいても会話はしなくてもいいということでもある。


 外国を飛び回るトーマが、各地から収集してきたものも詰め込まれた図書館には、さまざまな刺激がある。

 馴染みのない外国の物語。派手な羽毛を持つ鳥の剥製と、博物誌。

 楽器や譜面、蓄音機などの機器も、そのひとつだ。


 ヒューゴは、もともと外向的な性格だと言われていたが、内にこもって考え込むことにも、じゅうぶんな適性があったのだと、コナンはすぐに見抜いた。

 もしかしたらトーマは、そんなことはとっくに知っていて、コナンを使って誘導したのかもしれない。

 静かな時間が長引くほど、ヒューゴはそれらを紐解くことにのめりこんでいった。

 わからないことは、多くがヒューゴの中にいる『語り部』が教えてくれた。

 トゥルーズという語り部は、頼りなさそうな少年の姿をしているが、語り部としてあらゆる言葉を操ることができ、そして彼個人の趣味として、音楽や美術の知識と技術があった。


 トゥルーズの前の主人は、無能王オーガスタスであると、ヒューゴはこっそりと教えてくれた。


 公務を姉に押し付けて引きこもっていたオーガスタス帝は、亡くなってからずいぶん経った今となっては、音楽、とりわけ作曲においての天才だったといわれている。

 しかし対人恐怖症の気があったオーガスタスが、まともに教師から授業を受けられるだろうか? 答えは『否』だ。

 『主人の運命を変えない範疇で』『主人が望むなら』『できることをする』というのが、語り部の持つ特性である。

 楽器を用意したのは従者たちだが、オーガスタスに乞われて、さまざまな楽器をかき鳴らしたのは、この語り部トゥルーズだった。


 コナンははからずも、最高の教師からの個人授業に同席することとなった。

 ヒューゴはめきめきと腕を上げ、トーマの耳にその才能のしらべが届くのも、そう時間はかからなかった。



 アトラス王家の、皇太子グウィンをはじめとする五人の子供たちは、全員上層への留学を経験しているが、その先駆けとなったのは、このヒューゴ皇子である。


 ともに十三歳になる年のことである。コナンはヒューゴとともに、第三海層ケセドにある音楽学校へ、三か月間の留学に行くことになった。

 留学は、二人にとって、楽しい事しかない三か月間だった。

 ホームシックだと思われたヒューゴの『ふさぎ込み』が、実のところは父親への不信から来るものだったということも、その三か月の中、古臭い寄宿舎の、真新しいベッドの上で肩を並べ、ときに涙を交えながら、コナンにだけ明かされたことだった。

 それぞれの兄弟の、いい所と悪い所を話し合い、ちょっとした喧嘩も経験したりもしたし、初恋についての秘密も共有した。

 帰ってくると、ヒューゴは別人のように、かつての明るさを取り戻していた。

 二人が、父親たち以上の親友になっていたことは、あきらかなことだった。


 ヒューゴの初恋の人物は、ペロー家の近所に住む、四番目から六番目の姉の友人にあたる令嬢だった。

 彼女の家は、無能王の時代に、賄賂に応じなかったためいわれなき罪で貴族位を剥奪されていたが、ジーン皇帝に認められて恩赦を受け取り戻したので、『潔白のオーウェン家』と呼ばれている。


 コナンをはじめ、ペロー家の子供たちにとっては、幼馴染といっていい。

 フェルヴィン人女性にしては、180㎝そこそこと小柄だったので、コナンはダンスの相手役として指導を受けたこともあった。きっとヒューゴは羨ましすぎて眠れなくなるので、そのことはけっして教えてやらなかったが。


 コナンとヒューゴよりちょうど十歳年上の彼女は、貴族の令嬢としては、やや嫁ぎ遅れである。

 ペロー家と違って、オーウェン家には彼女しか娘がいなかったので、当主が嫁に出し渋っていたのだ、というのが、よく聞く話だった。

 留学から帰って来た二人は、ともに身長だけは大人といえるほどにまでなっていた。

 そんな二人を待っていたのは、時節にそぐわぬ王家主催の昼食会の知らせと、彼女……ローラ・オーウェンの婚約だった。

 相手は、フェルヴィン皇帝レイバーン・アトラス。

 前妻を亡くして十年。皇太子と三つしか変わらない花嫁だ。


 結婚式は、初婚の新妻の存在を汲んで、華やかなものだった。

 隣国から魔法使いも招き、そびえる高い聖堂の天井から、白い光の花びらが舞った。

 その下で、バラ色の頬をした花嫁と、青ざめた初老の花婿の対比は、たしかに、少し不吉なミスマッチさがあった。

 そして。親族として、久々に姉ヴェロニカの隣に立つヒューゴの顔色も、同じくらいに悪かったことを、よく覚えている。結婚式の夜に、二人ではじめて夜通し呑んだことも。


 そのときはまだよかった。初恋がちょっと苦い形で終わっただけだ。


 ヒューゴが父親への感情を決定的に『こじらせた』のは、ローラが婚儀の八カ月後にアルヴィン皇子を産み、さらにそれから一年と経たず亡くなったからだ。

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