3 マルティナのお菓子屋さん


「空色と白の組み合わせって、あたし好きよ」

 ひとそろい買った青いコットンドレスは、夏用のデザインのように見えたが、「裏地がしっかりしているからいい」らしい。もう季節が終わってしまっているので、ずいぶん安く手に入れることができ、そのぶんを他にまわすことができた。


 手袋は、アルヴィン用に薄手で手首がなるべく長いものを探した。黒い鹿革に刺繍で縁取りのついたいいものが見つかり、筆記用具も、てごろな鉛筆と雑紙を手に入れたので、束ねてポケットに持つことにした。

 荷物が増えたので、鞄もひとつ追加で買った。余ったところには、ビスケットやジャーキーといった日持ちのする食料を詰め込む。荷物は『話し合い』の結果、アルヴィンが持つことになった。


 買い物をすませると、すっかり昼が近い。

 ハイドタウンは朝が嘘のような賑わいを見せている。

 肉汁が弾けるほど熱い腸詰肉を買ったヴァイオレットは、駅前の広場の噴水に腰掛けて軽い昼食とした。


 アルヴィンは、さっそく買ったばかりの紙に鉛筆をはしらせる。

『そういえば、確かめたいことは解決したの? 』

「したわ。どうやらハイドタウンに、あたしの手配書は回ってないみたい。マリサ領って王都からの情報には早いんだけど、王都以外からの情報は滞りがちなんですって。以前そう聞いたのを思い出したのよ」

『どうやって確かめたの? 』

「関所の人たちの反応見たら、だいたい分かるわよ。あの人たち何にも知らされてない。あたしを見てウワッて顔はしたけど、旅券を出したらすんなり通してくれたわ」

「やあお嬢さん、お食事中に失礼」


 とつぜん話しかけてきたのは、朝の駅員だった。アルヴィンは慌てて帽子を下げる。

 腹の出た駅員は、白髪の蓬髪と髭に埋もれて表情が分かりにくい。眉の影で細くなった青い目は、睨んでいるようにも、微笑んでいるようにも見えた。


「……弟さんかい? 」

「いいえ、兄よ。双子なの。見ての通り、あまり体が良くなくて」

「おや、それじゃあこの寒空の下は堪えるだろう。休憩するのに良いいい店を紹介するが」

「ありがとうございます。……でもあたしたち、もうすぐこの街を出てしまうの」

「おや、それは残念だ。では、次の機会に寄ってあげなさい」

 革手袋に包まれた太い指が、二つ折りにした端紙を差し出す。

「お菓子屋さんだよ。温かいプティングがうまい。列車の中で食べるといい」

「ありがとうございます。……行きましょ」

 ヴァイオレットはアルヴィンの袖を掴むと、早足で噴水から離れ、わざと人ごみに紛れるように進んだ。


「……おかしいわ、あの人。あたし、まだ切符も買ってないのに、なんで列車で食べなさいなんて……。え、ちょっと待って! 」

 買い出しをする主婦の群れの流れに乗っていたアルヴィンは、ヴァイオレットに引っ張られて直角に歩みを変えることになった。

 壁際で額をつきあわせ、ヴァイオレットが二つ折りにされた端紙を開く。二枚の厚紙が挟まれていた。


「これ、切符よ! しかも王都行き! 」

『なんであの人が? 』

「店の名前が書いてある。『マルティナのお菓子屋さん』」

『行くの? 』

「行ったほうがいい気がする。だってマルティナよ? 」

『どうしてマルティナだと良いの? 』

「マルスの加護ある名前だからよ。戦いの神様に縁ある名前なのよ。縁起がいいじゃない? 」



 ✡



 魔女の理屈は独特だ。

 アルヴィンは内心、止めるべきか迷っていた。

 切符を渡してきた駅員は怪しかったし、その駅員が行けと言ったお菓子屋さんなど、もっと怪しい。罠かもしれない。

 けれど、ヴァイオレットの言い分はこうだ。

「でもあたしたちを捕まえたいんなら、物陰に引っ張り込むなり、宿を特定して乗り込むなりしたほうが効率がいいじゃない? こんな、あたしたちに判断を任せるようなやり方、しないと思うのよ。あっちはたぶん、あたしたちに来て欲しいけど、ぜったい来てほしいわけじゃないのよ。試されてるみたいな感じがするわ。確かめてみるだけでも、ありじゃないかな。どう思う? 」


(思ってたより筋が通った言い分だ)

 アルヴィンに喉があったなら、ウーンと唸っていただろう。


 ヴァイオレットの難あるところは、こうした『理屈』より先に、『勘』を根拠に出すところだ。というよりも、勘で『良し/悪し』を判断してから、根拠ある理屈を後付けしている感じがする。『どう? この理屈なら納得でしょう? 』という賢(さか)しさだ。

 だからアルヴィンは、ヴァイオレットの理屈に納得しきれない。

(……何かあったら、僕がなんとかしなきゃ)


 『マルティナのお菓子屋さん』は、喫茶も兼ねたこぢんまりとした店だった。

 両隣の店の隙間に、かろうじて詰め込まれた細長い形の店で、栗色の扉を開けると、ショウケースとカウンター席が奥深くまでまっすぐ伸びている。

 鈴蘭型の照明が、あまり明るくないオレンジ色の光で、飴色の店内を照らしていた。


「いらっしゃいませ。何になさいますか? 」

 青と白の縞模様のエプロンをかけた店員が、愛想よく言った。

「……あの、持ち帰りで、プティングをひとつ」

「かしこまりました。カウンターにお掛けになってお待ちください」


 カウンター席には先客がいた。

 この国ではまだ珍しい珈琲を飲んでいる。

 アルヴィンは一目で、呼び出したのはこの人だとわかった。


 高いヒール、目にも鮮やかな緑色の、体にぴっちりしたドレスとジャケット。後頭部は下半分を剃り上げ、黄金の巨大なピアスが揺れる耳のあたりでまっすぐに揃えられている。昆虫の目のような、顔半分もある巨大な色眼鏡をかけていた。


「おやおや奇遇だねぇ。メッセージは受け取ったかい? パピーちゃん」


 アルヴィンがヴァイオレットの背中をつつく。ヴァイオレットは小さく首を横に振った。知らない人らしい。


「……まっ、分かんないのも無理ないか。アンタのお父さんとお母さんにはけっこう世話したもんだけどさ、アンタとは、こーんなチビのころからそれっきりだもんね」


 立ち上がると、女はそうとうに背が高かった。レースの手袋に包まれた手が差し出される。


「あたしゃステラ・アイリス。ラジオのレディ・エコー・ステラと言ったら、お姫様には分かるかな? 」



 名乗りを聞いたヴァイオレットの口が、O(オー)の形になる。


「ステラおばさん!? 」


 色眼鏡を傾けて見えた瞳は、綺麗な空色をしていた。

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