9.海底への門


 図書室を後にしたチサは、はやる気持ちを抑えこむように降下路を降りていく。


 もう架空の存在かのように思えていた魔法の絨毯がもしかしたら発見でき、実際に自分の目で見ることができるのは、一生に一度あるかわからない。それに、海底洞窟と聞いていったいどんな場所なのか、さっきから想像が止まらなかった。


 そして、またマヤトと再会することができるかもしれない。再会できなくとも、マヤトが赤い目の人物を追いかけているなら、マヤトにつながる手がかりが見つかるかもしれないとチサは考えていた。


 スッと自分の横を生徒が上がっていくのが見えた。


 チサは、それに違和感を覚えた。


 耳元の風鳴りがいつもより大きく聞こえたチサは、我に返った。一定速度を保って降下していかなければならない降下路を速度オーバーで降下し、先に降りていた生徒を追い抜いてしまったのだ。


 チサは、まずいまずいと思いながら、速度を落として、一定のスピードで降りていく。


 中庭に出る階を通過し、その一階下の廊下にチサは入った。


 生徒たちが行き交い、楽しそうな声が廊下に響き渡っている。


 そこは、部活や同好会の部屋に割り当てられている階で、生徒たちが出入りし、廊下の休憩スペースでは談笑する者もいた。


 魔歴研の活動場所は、図書室に割り当てられているので、別に部屋をもらうことはできていない。ほとんどこの階に来ることがなかったチサは、新鮮な雰囲気に感じられたが、慣れない場所に少し緊張感もあった。


 早くヨーコの部室に辿り着こうと足早になった。


 魔武威まぶいを極める部のプレートを確認して、ドアをノックした。


 中から声がして、ドアが開くと、ヨーコの顔が現れた。


「チサ。もういいの?」


 ヨーコが聞いてきた。


「え、うん。ヨーコは?」


 チサは部室をちらっと覗くと誰もいなかった。


「みんなは、外で稽古中だよ。私は、チサを待っていたら」


「出なくてもよかったの?」


「もうチサは、そういうこと言わないの」


 両肩をつかまれて、ヨーコにそのまま数歩後ろへ押された。


 ヨーコは入り口脇に置いてあった荷物を手に取り、ドアを閉めた。そして、ドアに手をかざすと、黄緑色の光がヨーコの手から放たれる。その光にドア全体が脈打つように同じ色の光を放った。


 ドアが施錠されたのだ。


「それじゃ、帰ろうか」


 上昇路で一旦中庭に上がった。中庭から上空を見上げると、魔武威を極める部が戦闘稽古をしているのが見えた。ヨーコもそれを見ていた。その目が、自分も体を動かしたいと言っているように思えた。


 中庭から宙に浮き、学校を後にした。


「チサは、週末どうしてるの?」


 エアリスローザから離れたところで、ヨーコが聞いてきた。


「へっ、週末? と、特には……どうして?」


 チサは背筋が伸びて、変な声を上げた。


「もし、どこかに外出するならと思って……」


 ――もし、私が一人で出かけるなら、ついて来るということなのだろう。


 チサは正面を見ていたが、どこにも焦点が合っていなった。図書室でマリッサと話したことをヨーコに伝えるべきかどうか思い悩んでいた。何も言わないまま家を空けるとなれば、ヨーコもまた心配するだろう。もし、伝えたら――。


「大人がついているなら、いいとは思うよ」


 チサが海底洞窟へ行く話を伝えたら、ヨーコの反応は悪くなかった。チサは、ひとまずホッとした。


「危険のない探検ではなさそうだけど、魔歴研の活動趣旨から離れてるわけでもないから」


 ヨーコがつけ加えた。


 チサは、そうとらえてもらってかなり好都合だった。むしろ、そういう言い訳ができるのかと思えたからだ。その言い訳相手は、親だ。


「ただ……」


 ヨーコは眉間にしわを寄せた。


「……ただ?」


 チサは問い直した。


「加持君を探しに行くっていうのが、ちょっとね」


 ヨーコはサトシほどあからさまではないが、マヤトの能力や考え方に批判的だった。


「探しに行くっていっても、主の目的は魔法の絨毯で、マヤト君の行方はその次というか、もしかしたらくらいの感じで……」


 チサは、どちらも簡単に叶うことではないと思っていた。でも、できれば、どちらかだけでも目にすることができたらと微かな望みを持っていた。マヤトがいなくなり、魔法の絨毯の話を聞いて、じっとしていられないというのが正直なところだった。


 チサの家に到着して、ヨーコが去り際にまた両肩をつかんで、目を覗きこまれたチサ。


「ちゃんと両親に伝えてから行くんだからね。いいね」


「う、うん。わかってる」


 チサは、しっかりヨーコを見つめ返しているつもりだったが、眼球は細かく左右に揺れていた。


 両親は、チサが魔歴研に所属していることを知っている。ヨーコの口から生まれたチサにとっての魔法の言葉で、今夜から出かけることを相談した。


 ヨーコもチサの理解者であり、両親はなおのこと。チサは、きっとヨーコと同じような返事がもらえると思っていた。


 しかし、全く真逆の返答で、出かけることを許してはくれなかった。


 それは、何度頼みこんでも変わらず、今日までは無事だったかもしれないが、明日はわからない、休日を狙っているかもしれないと、とにかく確実性のない不安をあおるような言葉で、ことごとくチサの意見はかき消されてしまった。


 そして、チサは普段と変わらない夜を過ごすように心がけた。


 出かけることを諦めたかのように、少し元気がない自分をチサは振る舞った。


 みんなが寝静まってから、チサは足音を立てないように浮遊し、出かける準備をした。エアリスローザの制服を着て、ローブを手に取った。エアリスローザ指定のローブではない。自分の意思で出かける気持ちもあり、白鹿家の白いローブに袖を通した。


 日が暮れないうちに戻ると、置き手紙を書き、机の上に置いた。これでは、チサ以外の者が書いたかもしれない、また誘拐されただのと思われても嫌だったので、その手紙に自分の魔法紋を添えた。


 手紙の隅に、鹿の角を描く白い光が発光し、部屋全体が薄っすら明るくなる。


 魔法紋は、魔法を発動させた人物特有の紋章。家系の紋章を使用することがほとんどである。また人それぞれ少しずつ形を変えて使用するので、人物特定の証明になっている。


 チサは、音を立てないように部屋の窓から外へ出た。


 静まった外の空気は、ひんやりとしていた。


 そして、ゆっくりと家から離れようと、宙に上がって行く。


「チサ、どこ行くの?」


 チサは、声をかけられた。





 心臓に声が刺さったかのように、鼓動が跳ね上がり、全身の皮膚がキュッと引き締まったようだった。


 チサは、声の方にゆっくり顔を向けると、がっしりと胸の前で腕を組んで宙に不動立つヨーコがこちらを見ていた。


「ヨーコ! どうして――」


 チサは、慌てて口を覆って声を押さえこんだ。


「きっとチサのことだから、行くだろうと思ったから。ちゃんと親に言ったの?」


 スルスルと近寄って来たヨーコのローブは、エアリスローザのものではなく、喜瀬家のものだった。紺色のローブを着たヨーコを初めて見た。


 学校では普段見ることのない家のローブを着ている姿を見ると、誰もが大人っぽく見えた。


「言ったよ。でも、ダメって言われた」


「え、どうして。ちょっと、チサ?」


 チサは連れ戻されては困るので、少しでも家から離れようと高度を上げていく。そして、せっせとマリッサとの集合場所へと向かうことにした。


「私も帰る時に、あんなこと言っちゃったから、最後まで責任持たないと思って」


「いやいや、そんな責任私だってヨーコに負わせたくないよ。持たなくていいし。置き手紙してきたから、前の時にみたいに大騒ぎにはならないよ、たぶん。ここから私ひとりで行くから、ヨーコはおうちに帰ってくれていいから」


「それこそ、無責任ってものでしょ。最後までチサを守るから」


 チサは、もう苦笑するしかなかった。


 ヨーコも最初から帰るつもりなどなかったんだなと、チサは思った。


 マリッサとの集合場所は、エアリスローザの屋上の上空だった。


 都心は、夜中でも明るく、数は少ないが人の行き来があることに二人は驚いた。こんな夜遅くに学校に来たこともないし、夜の都心に来ることがこれが初めてだったからだ。


 屋上に到着した二人は、そこから上昇していく。だんだんと光が薄れて闇の濃さが増す中に黒いローブ姿のマリッサがいた。


 スーツ姿のマリッサしか見たことのなかったチサは、ローブをまとうそのマリッサが格好良く見えた。チサは、黒色のローブへの憧れもあったが、赤い目の人物とは似て非なるものだ。


「こんばんは、マリッサさん」


「こんばんは、チサさん。そちらはお友達?」


 チサはクラスメイトで、魔武威を学んでいるヨーコを紹介した。ヨーコがチサの身を案じ着いてきたことを説明すると、マリッサは嫌な顔することなく一緒に行くことを快諾してくれた。


 すぐに出発した。


 夜中に出発することになったのは、太陽が昇る前に入り口に到着する必要があるということだった。


 なぜ、朝日が昇る前であるのかは、着いてのお楽しみにしててと、マリッサにはぐらかされてしまった。また、一緒に魔法の絨毯を捜索する花の絨毯組合のメンバーは、すでに出発してまったことを聞かされた。マリッサの返答が遅かったこともあり、海底洞窟内で合流すると指示を受けたようだった。


 一抹の不安を覚えたが、こういったイレギュラーは探索にはつきものだろうとチサは思った。


 薄っすらと空が明るくなりはじめた頃、三人は地上に降り立った。


 目の前は、トウキョウ湾が広がる。まだ暗い海面は、静かだった。


 海に沿って防波堤が伸びている。防波堤の上で、マリッサは海を見つめたまま動かない。


 日が昇り、海の中が明るくなったら、海中を潜り進むのだろうかとチサは考えた。それは無謀だと、海の中を潜ったことのないチサは、何もわからない状態が恐かった。


 次第に太陽の頭が顔を出すと、辺りにいた闇が退いていく。


「こっちに来て。ほんのひと時しか見えないから」


 マリッサに呼ばれて、その真意がわからないまますぐにそばによる。


 そして、マリッサが斜め上を指差すその先に視線を移す。だが、マリッサの指先は、まるで円を描くように動き続ける。


 チサとヨーコは、必死に目で追った。


 そこには、靄とは違う光りがわずかに集まるところがあった。


 しかし、そこは絶えずゆっくり位置を変えて止まることはない。


「マリッサさん、あれは?」


「入り口よ。さぁ」


 と、チサとヨーコはマリッサに急に手を握られて引っ張られた。堤防を蹴って、宙に飛び出した。


「観察している暇はないのよ。朝日を浴びる少しの時間だけしか見えないから」


 耳元の豪快な風切り音とともにマリッサの口早な説明が聞こえた。


 二人は、なんの心構えもできぬまま、マリッサに手を引かれてかすかなその光の中へと入って行った。


 てっきり真っ暗な洞窟に入りこむのかと思って、恐る恐る目を開けると、目の前には見上げるほどの大きな岩があった。その周囲は、森のように草木が生い茂っていて海の中とは思えなかった。


 しかし、上を見上げると、確かにここが海の中だとわかる。


 天井がドーム状になっていて、この一帯だけ空気の玉で包みこまれてる。海面がキラキラと光っているのだろうか、遠くで小さな光が見える。


「さて、困ったわね」


 マリッサは、岩を見上げて言った。


 洞窟というのに、小さな穴すら見当たらない。


 だが、岩には、両開きの扉があるかのように線が描かれていた。


「見るからに、仕掛けのある入り口ですね」


 チサは、岩を上から下までまんべんなく観察しながら言った。


「私、こんな扉があるとは聞いていなかったのよね」


 マリッサをはじめ、チサたちはただ岩の前に立ち尽くすほかなかった。


 その時、茂みの葉がガサガサっと鳴った。


 その方向を見ると、陰からローブを頭からかぶった人物がつんのめったように姿を現した。そのローブは見たことのあるローブだった。


「あっ!」


 チサが声をあげた。


「あ、いや」


 と、また茂みに戻ろうとするところをすかさずヨーコが捕まえた。そして、フードを引っ張り取る。


 その人物は、顔を伏せてこちらを見ないようにしているサトシだった。


「サトシ、どうしてここにいるの?」


 チサだけでなく、ヨーコもマリッサも同じように思っていた。


 しかし、サトシは目を合わそうともしない。


「いつ、ここに? もしかして、ずっと私たちの後をつけていたの?」


 今度はヨーコが、サトシのフードをつかんでまま聞く。


「ずっとじゃない」


 しぶしぶサトシが答える。


「ずっと? でも、つけていたことは認めるのね」


「最初は、チサをな」


 サトシは、二度三度うなずいた。


 それを聞いたチサは、やっと背中に突き刺さるような視線が誰だったのかがわかった。それはサトシの視線だったのだと。


「なんでわざわざそんなことを。私、怖かったんだから」


「おどかすつもりはなかった。ただ、チサの周りに怪しい気配を感じていたからな」


「そ、そう」


 その気配というのは、警護の人のことだとチサは思った。サトシには、そのことを伝えていないというのに、その察する力に恐れいる。


「それで、チサをつけていたわけでもないのに、どうしてここにいるの?」


 またヨーコが低い声で聞いた。


 首根っこを押さえられたサトシがまるでイタズラをした子供のようだ。


「俺はマヤトを追ってここに来た」


「えっ、マヤト君を?」


 チサが目を見開いて声を上げる。


「どうやって後を追ったの?」


 ヨーコもたたみかけるように質問する。


 サトシはチラチラっと、チサとヨーコの目を見て、一つため息をついた。


「アイツ風に言えば、トラッキング魔法をマヤトにつけておいた」


「いつの間に……」


 ヨーコは眉をひそめた。


「チサを救出した夜、山の上にいた時だよ。マヤトにつかみかかった時にアイツのローブにトラッキングの魔法をつけておいた」


「サトシもトラッキング魔法使えたの?」


「トラッキングと言えるほどのものじゃない。俺なりに編み出した魔法だよ。いつ俺のトラッキングに気づいたのかわからないけど、アイツ、岩の中に入る前に、ローブを引きちぎっていきやがった」


 サトシは、その辺にあると、岩の隅の草陰を指差した。


 チサがそこを覗きこむと、破れた布を見つけた。手にとると、小さな光を放つ魔法の玉が引っ付いていた。


「サトシ、ここでマヤト君のことを見ていたの?」


 チサが問いかけた。


「あぁ」


「だったら、なんで止めてくれなかったのよ」


 チサはサトシにつめ寄った。


「できるかよ、そんなこと」


「どうして」


「決まってるだろ。エアリスローザから去るようにあんなこと言っちゃったからな。顔合わせづらいだろ」


 サトシは、真顔で答えた。


「……それでなんでわざわざ追跡しようと思ってるのか、わからない」


 チサは、呆気にとられて間を空けてから言った。


「あの時のアイツの反応に引っかかって、必ずあの赤い目の人物を追うだろうと思って」


「なおのこと、ここで止めるか、協力するべきでしょ」


 ヨーコも呆れたように、サトシのローブから手を放した。


「だから、言ってしまった手前会いづらいというか……」


 サトシの声が尻すぼみする。


「赤い目の人物をマヤト君は追っていたの?」


 チサが聞く。


「赤い目のやつかはわからないけど、誰かを追っていたのは確かだよ。それを追っていたマヤトを俺は追ってここにやって来たから」


 チサは、マリッサと目を合わせた。


「加持君が追っていたのは、花の絨毯組合かしらね」


 マリッサが一度うなずいた。


「花の絨毯組合の中に、赤い目の人物がいるってこと?」


「どうかしらね。私の印象だとそういう人はいそうにないけど」


 マリッサが視線を上にあげて答えた。


「サトシはいつからここにいたの?」


「もう半日くらい前。日が沈む寸前だったからかな」


 サトシは懐から懐中時計を取り出して時間を確認して答えた。


「あのかすかな光は、朝だけじゃないんですね?」


 と、ヨーコがマリッサとチサを見て聞いた。


「私は、日の出に、としか聞いてなくて。他に情報を伝えられていないのよ。誘われた身だから詳しいことはそんなに……」


「そう、ですよね」


 つまり、この海底につながる光の入り口は、日の出と日の入りの二回だけ確認することができるのかと、チサは思った。


「それはそうと、加持君がここにいないということは、この岩の中へ入ることができたってことでいいのかしら?」


 マリッサがサトシに聞いた。


「はい、この目でしっかり確認しました」


 ――どうして、捕まえておいてくれないの?


 チサは、声には出さなかったが、ちらっとサトシを見て心の中で訴えた。


「それなら、開けるところも見ていたのよね?」


「それもばっちり見てました。マヤトを真似て俺も開けてみようしたけど、俺は開けられなかった」


 チサは、一瞬、絶望感を味わったように思えた。





「えっ、どうして、マヤト君には開けられて、サトシには開けられないわけ?」


 チサが聞いた。


 サトシは両開きの扉の右側に立って上を見上げた。何もなかった扉の内側の右上に紋様が浮かびあがった。


 それは、雷のように見えた。


 サトシはじっとそれを見つめる。


 そして、サトシはその紋様に向かって手をかざし、雷の魔法を発動させた。サトシの手の平から細いいかづちが伸び、紋様と繋がった。


 するとその隣に、また別の紋様、雨が降っている様子の紋様が浮かびあがった。


 サトシは、雷の魔法を発動させたまま、水を発生させる魔法を発動させ、紋様に水を放つ。


 さらに、紋様が浮かびあがった。


「これ、いつまで続くの?」


 ヨーコが問いかけた。


「片方の扉で六個の紋様が出る。それが両扉で十二。最終的に、十二の魔法を発動させる必要がある」


 新しく現れた紋様にサトシが魔法をかけないままでいると、紋様は消えてしまい、今まで繋がっていた二つの魔法は断ち切られてしまった。


「次に現れる紋様は、決まっていないから、発動できる魔法の種類はいくつも必要になる。それだけでなく、同時発動、長時間維持することができなければ、この扉は開かない」


 サトシは振り返ってから言った。


「マヤト君は、これを一人でやったの?」


 チサが聞いた。


 サトシは声を出さずに、一度だけうなずいて見せた。


 このサトシが開けることができず、どうして一つの魔法しか使えないマヤトが開けられたのだろうか。


 いや、答えは一つしかない。誰も口にはしないがわかっていた。


 サトシからは、驚きと悔しさが感じられた。しかし、チサはそれに悲しさも感じていた。マヤトが一人で先に進んでしまうことだけではない。自分がなにもしてあげられないことの悲しさがチサの中で入り乱れていた。


「でも、ここには四人いるのだし、単純に一人三つずつ魔法を発動できれば、開けられるわね」


 マリッサのその一言で、やる気にはなったが、そう簡単ではなかった。


 四人が岩の前に横並びになった。


 扉の右上に、最初の紋様、炎が浮かび上がった。


 すかさずサトシが声をかけて一つ目の紋様の炎を発動させる。


 次に、水の紋様にヨーコが魔法を発動させる。


 三つの雷に、サトシ。


 四つ目の風に、マリッサ。


 五つ目の紋様が浮かび上がる。


 球体の光の中で、十字の光がクルクルと回っていた。


 その紋様がなんの魔法を示しているのか誰もわからなかった。考えている間に、その紋様は消えてしまい、今まで繋いできた魔法も消えてしまった。


「時々、わからない紋様が出てくるんだ」


 サトシが困ったように言う。


 ただ魔法が巧みに使えるだけではこの扉を開けることはできないと、チサは改めて現実を突きつけられた。


 マヤトがこの扉を開けられたのは、過去に魔法解析をして多くの魔法を身につけたからと言うことだけではない。あらゆることを見抜く観察眼と知識、思考が備えられていたからだと、チサは思った。


 目の前にある大きな岩の厚さがどのくらいかはわからない。


 まるでそれは、マヤトとチサの間にできた壁のようだった。


 二回目にすぐに挑戦する。


 この時は、三つ目の紋様で召喚魔法の大蛇の紋様が浮かび上がり、誰も召喚魔法を使えるものはいなかった。


 三回目に挑んだ。


 最初の扉の紋様六つを埋め、隣の扉七つ目にまた球体の中に十字の光がある紋様が出現した。なんでもいいから試してみろと言うサトシの言葉に乗せられ、チサはヒールを放った。


 呆気なく八つ目の紋様が隣に現れた。


 チサは安堵するが、次の紋様は、流れ星だった。


 ――そんな魔法、一般社会で必要とされないのに誰も拡張するはずがない。


 チサは、今回も失敗だと思った。


「はいっ」


 と、ヨーコが声を上げた。まだ使用していない左手を扉に向けた。ヨーコの手の平から真っ赤に燃えた小さな岩石が猛スピードで紋様に向かって放たれた。


 しかし、浮かび上がった紋様と突き抜け、扉の岩にめりこんでしまった。


「あっ」


 と、言うヨーコの声と同時に、八つの魔法は断ち切れてしまった。


 よくよく考えてみれば、ヨーコの魔法拡張数はサトシよりも多かった。一つ一つの魔法レベルはサトシよりも低いけれど、バリエーションならここにいる中で一番だった。


 希望が見え、挑戦を繰り返した。


 何度もヨーコが多彩に繰り出す魔法で紋様を繋いでいく。


 そして、十二回目にして、十二番目の紋様が浮かびあがった。


 それは、今まで三度出現して、三回ともヨーコが失敗した流れ星。


 紋様が消えてしまうまで五秒ほどしかない。ヨーコは、狙いを定めると同時にさらに集中力を高める。ただ、現時点ですでに五つの魔法を発動している。同時発動を維持し続けた上で、方向と推進力の制御が重要な流星魔法。


 全員が成功することを祈る。


 そして、ヨーコは流星を発動させた。


 今までとは違って、全員の祈りを乗せた燃え上がる小さな星が、ゆっくりと最後の紋様に向かって行った。


 紋様が消えるか消えないか、ほぼ同時にその流星が紋様と重なった。


 一瞬、時が止まったかのように静寂がおとずれる。


 すると、十二の魔法が岩に描かれた扉の中を四方八方に拡散していった。


 そして、中央から扉が奥へとゆっくりと音をたてて開いていく。


「さぁ、行きましょう」


 マリッサが呆然とするチサたちに声をかけ、一様に扉の中へと進んでいった。


 全員が中へ入ると、扉は自然と閉まっていく。


 辺りには、光がなく真っ暗になってしまった。


 すぐに光の玉が一つ頭上に現れた。サトシが魔法を発動させた。


 その光で辺りが明るくなったが、想像していた洞窟とは違っていた。


「ここ、本当に洞窟?」


 チサの声が辺りに反響した。


 そこは岩をくり抜いたようなところではなく、人によって作られた構造物のトンネルがずっと先まで続いていた。しかも、とても広い造りのトンネルだった。


 それぞれが方々を見ていて、声も出なかった。


「先に進もう」


 サトシが言って、大きな一本道を歩き出した。サトシの放つ光だけでは、どのくらい先までトンネルが続いているのかは確認できない。ずっと先は闇だった。


 進んで行くと、左右の壁に穴が空いていて、道が現れた。しかし、その道はチサたちが歩いてきた道に比べると狭く、人二人が並んで歩くくらいの幅しかない。


 そこから先、等間隔で左右に伸びる道が続いている。その先になにがあるのかもわからず不気味だった。


「闇雲に細い道に入らないほうが良さそうね」


 マリッサが言った。


 誰もがそれに同意する。


 まずは、広い道をただまっすぐに進んで行くことになった。


 いったい誰がなんのために、こんなトンネルを作ったのだろうかと、チサは想像を巡らせていた。もちろん、結論は出ない。


 四人は、左右に口を開けた道を気にせずに、まっすぐ進んで行く。なんの変化もないトンネルは、四人の足音をただ反響させているだけだった。


 しばらく歩き続けていると、どこから声が聞こえてきた。


 全員がそれを認識していたので間違いなかった。


 きっと、先に行った花の絨毯組合の人たち。もしくは、マヤトかと、チサは胸を高鳴らせた。


 トンネルが終わると広い空間に出た。


 そここそ、洞窟というべき、地中をくり抜いた空間だった。そして、地中に誰がその存在を知っていただろうか。


 壁の中に埋めこまれている形で、見上げるほどの巨大な白い神殿が建てられていた。


 そして、神殿の前で、マヤトが男に胸ぐらをつかまれているのが、チサの目に入ってきた。

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