7.狙われた血
1
夜、チサはいつもよりも早く布団に入った。
体調がすぐれなかったこともあったが、それ以上にめまぐるしかった一日に疲れていた。そんな一日を振り返える前にすぐに深い眠りについてしまった。
そして、夢を見た。
まるで、自分を俯瞰するように、横たわっている自分を見ていた。
そこに黒いローブを羽織ったマヤトが現れた。その手には、注射器が握られていた。マヤトがチサの袖を引きあげると、ゆっくりと針をチサの腕に近づけていく。
横たわっているチサは、意識を失っているのかまったくそのことに気づいていない。
針先がチサの腕に刺さる。
チクっと一点の痛みが、じわじわと広がって行く。
その痛みは、その光景を俯瞰して見ているチサの腕にあった。とっさに自分の腕を見ると、タラタラと血が流れ出ている。
眠っているチサがそれで目を覚ますことはなく、注射器には血がたまっていく。
――マヤト君、どうして。私、目を覚まして!
二人に叫んだチサの声は、空間に反響して消えて行く。二人には届かず、何の反応もない。
近づこうと思っても、目の前に透明な壁があるかのようにそれ以上二人には近づけない。
腕から流れ出た血に比例して、注射器は真っ赤な液体で満たされていた。
マヤトは、無表情のまま注射器を抜いて針にケースをつけた。懐にしまうと、眠ったままのチサをしばしの間見つめて、その場から離れていなくなってしまった。
――マヤト君。
また、腕に直線的な痛みが走った。
チサは、それで目が覚めた。見知らぬ天井に淡いオレンジ色の光が揺らめいている。すぐに、自分の部屋の天井でないことに気がついた。
まだ夢を見ているのかと思ったが、はっきりと腕の痛みが感じられる。夢で見たように注射器で刺されたような痛みが腕に残っている。
体を起こそうしたがまったく体が動かない。
まるで、今しがたまで俯瞰していた自分と入れ替わってしまったようだった。
コトン、となにかが置かれる音がした。
幸い目だけ動かすことができたチサは、音の方へ目を動かした。
部屋の壁に灯された火が、こちらに背を向ける黒いローブをまとった人物を浮かびあがらせていた。
――マ、マヤト君?
しかし、声は出ず、口が動かなかった。
体を紐かなにかで縛りつけられいるわけでもなく、口も覆われてもいない。
焦りで鼓動が早くなり、煙が頭の中に立ちこめるようにどんどん不安になっていく。
黒いローブの人物が振り返った。
チサは、すぐにその顔を確認した。できれば、知らない誰かよりマヤトであればと願った。
フードから見えた顔は闇のごとく影になっていて、そこに二つ赤い目の光が浮かんでいた。
マヤトでなかったその人物の手には、空の注射器が握られていた。その注射器がまたチサの腕に刺さる。血が抜かれていく。
台の上には、何本もの注射器が並べられて、すでに赤い色で満たされていた。
――もうどのくらい私の血が……。
チサは、赤い目に視線を移すと、目が合った。
「目が覚めていたのか」
その声は、しわがれていて男とも女ともわからない。
「痛みで覚醒してしまったようだな。あと二本はいただきたいから静かにしていてくれ」
そうは言われても、声も動くこともできないので、何もできないチサだった。しかし、自分が動けない理由がわかりはじめた。
――静止魔法をかけられている。
眠っている間に静止魔法をかけられたのだろうとチサは推測した。単純に魔力で動きを抑えこむ魔法だ。普通、人に使用することは禁止されている。
小さい頃、いたずらで友達の足の動きを止めたりしたことはあったが、人一人の動きを止めることは恐ろしくてできなかった。もちろん、禁止されているので、静止魔法をかける人もいなかった。
ただ、静止魔法をかけられた時の特徴は、唯一目だけ動かせると決まっている。体内の動きまでは静止魔法で止めることはできない。
チサは本を読んで、この作用のことは知っていた。そして、静止魔法から抜け出す方法も。
ただ、試したことは一度もない。上手くいくかもわからなかった。
あれこれ考えているうちに、真っ赤にたまった注射器が引き抜かれた。ローブの人物は、また空の注射器を取りに台のところへ行き、背を向けた。
今だと、チサは魔力を集中させた。
しかし、いつものように上手く魔力を引き出すことができない。全身から集まってくる魔力が普段以上に遅く、解き放つにはまだ時間がかかってしまっていた。
――静止魔法下だと上手く魔力を発動に導けないのか。
赤い目がチサに向き直した。その手には、また空の注射器が。
痛みを感じる腕にまた針先が向かってきた。
針先が肌に触れようとした時、チサは体の感覚を取り戻した。
急に動くようになった体を回転させると、寝台から落ちてしまった。
悲鳴の一つでも上げたいところだったが、すぐに体を起こす。赤い目と目が合った。
「静止魔法を解くとは……」
驚いているのか、ローブ姿の人物は動きを見せない。
チサは、相手を刺激させないようにゆっくりと立ち上がる。
とても体が軽く感じたが、ふわふわしている今までにない感覚だった。
「いったい、私の血をどうするつもり?」
「もう一本取るから大人しくして」
寝台を回りこむようにチサの方に、長いローブをゆらゆらと揺らしながら移動してくる。まるで足がないかのように。
チサは逃げようとするが、上手く足に力が入らず、一歩踏み出しただけでガクンとその場に膝から崩れ落ちた。
グッと腕で体を支えた。自分が寝間着姿で、裸足なのがわかった。
背後に近づいてくる気配を感じ、目をやる。
「血が少なくなってるから、あんまり動くと倒れるから、大人しくして」
チサは、その一言で魔力の発動が遅い理由がわかった。単純に血の量が少ないからだと。
そして、血が少なくなったことで、さらなる不安が頭によぎる。それでも、チサは必死に立ちあがり、寝台に回りこんで赤い目の人物と距離をとる。
「君の血は、いや、君の中にある魔法が世界を救うのに必要なんだ。だから、さぁ」
注射器の針をチサに向ける。
チサは、自分の中にある魔法が特殊なのはわかっている。だが、世界を救うと言われてもそんなたいそうなものなのかは自分でもわからない。顔も正体もわからない人物から言われて納得することもできない。
ここから逃げなきゃと思ったチサは出口を探した。出口は、部屋の隅にある。扉はないので、駆け抜ければなんとかなりそうだった。
そして視界の隅にあるものが映った。
並べられた注射器と一緒に、途中まで広げられた巻き物が置いてあった。
チサは、一歩二歩と寝台から下がり、注射器が並べられている台に近づく。抜かれた血の入った注射器は抱えれば、全部持つことも可能だったが、持ちながら逃げる自信はなかった。
持ち帰ったところで体内に戻すことができるのかどうかわからない。
浮遊魔法で引き連れて持ち去る案も考えてみたが、血の量からして魔法を発動させること自体が不安定で、いつまで保てるかわからない。
かと言って、ここに置いて逃げてしまって、使用されてしまうならと、チサは注射器を浮遊させ、赤い目の人物に投げつける。
だが、スッと手を向けられると、空中で注射器たちは静止してしまう。
――サトシのように上手くはいかないよね。
チサは、ここで注射器を破裂させたかったが、それはできないと諦めた。
「自分の大事な血は大切にしてもらわないと」
チサは、巻物を手につかんで、いっきに部屋から駆け出した。
2
暗い部屋が続いていた。
すぐに、とがったものを踏んで足の裏に痛みを感じた。裸足であることすら忘れていたが、軽く自分に浮遊魔法をかけた。しかし、上手く自分の体が浮かばない。
やはり血を抜かれすぎているため、魔力が集まりにくくなっている。
それに少ししか動いてないのに、チサの息は上がり、しだいに体が重くなる。
「動くと体にさわるよ」
暗闇に浮かぶ二つの赤い目がゆっくり追いかけてくる。チサが速く逃げることができないとわかってあえてゆっくり歩いてきていた。
チサは、息切れる体で壁を頼りに前に進んでいく。
――いったいここはどこなの。外へ出るにはどうしたら。
血まなこになって進める道をとにかく精一杯進む。足の裏の痛みより、激しく呼吸をするたびに喉から肺まで痛く感じる。
そして、ガラス張りの長い廊下に出た。ガラス窓の外は、月明かりに照らされて木々に囲まれている。また、廊下にも扉がいくつも並んでいて、使われていない病院のようなところだとわかった。
チサは遠くでなにかが光ったのを見た。かすかだが声も聞こえた。それは追いかけてくる者とは別の声だった。
そして、廊下の先に揺らめく光が突如現れた。
数人の人影も見える。
――赤い目の仲間?
チサは身を隠そうと人影とは逆の方向に体の向きを変えて進もうとした時だった。ガクンと膝から力が抜けて、その場に倒れしまった。
握っていた巻物も手元から離れて、舞いあがった埃の中を前方へ巻物が転がって伸びていった。
どんなに息を吸って吐いても苦しさが解消されず、逃げなければならないという焦りがさらに鼓動を速くする。
巻物に手を伸ばそうとするが、全く腕が伸びようとしない。
床に溜まった埃が口に入り、チサは咳きこんだ。
「誰かいるぞ」
それは男の声だった。
チサは息を止め、何度も口の中でむせ返る。立ちあがろうとしたが、もう体に力が入らなかった。
周囲が明るくなるにつれて、足音も大きくなる。
チサが見つめる床に、ふわりと誰かが着地した。どこかで見たことのあるローブだった。
「チサ、大丈夫か?」
チサはその男に抱き起こされた。見上げると光の玉が頭上に浮かび、影を落としたサトシの顔が見えた。
「ゴホッゴホッ、サトシ、どうしてここに……」
自分がどこにいるのかもわからず、さらにどうしてサトシがここにいるのかまったく見当もつかない。
「チサっ」
「白鹿」
「白鹿さん」
次々と名前を呼ばれたチサは、駆け寄ってきた三人に視線を移した。
ヨーコに、マヤト、そして朝霧が、チサの目が動いていることに険しい表情が和らいだ。
サトシに限らず、三人もローブをまとっていた。学校外での活動では、学校指定のものか各家々のローブをまとう必要があった。
「どうして……」
「良かった。少し衰弱しているみたいね。すぐにここから出ましょう」
朝霧が駆け寄ってきて、チサの首や腕を触診した。
サトシがチサの膝裏に腕を通して抱きかかえた。
「あ……巻物……」
チサは、か細い声で、暗がりに転がった巻物に手を伸ばそうとした。
「ん、あ、ヨーコ。そこに巻物がある」
チサに気づいたサトシが言った。
すぐにヨーコがサトシの向けた視線の先に歩き出す。
しかし、ピタリとヨーコは歩行中のまま、体の動きが止まってしまった。ヨーコの顔は強張ったままだ。
ヨーコの目の前には、二つの赤い光が浮かび上がっていた。
「大事な巻物を投げ捨てるなんてよくない」
しわがれた声が静かに聞こえた。
サトシたちは、声の方を見ると体が固まってしまった。チサにかかっていた静止魔法がかけられた訳ではない。
音もなく姿を現した赤い光を放つ黒いローブの人物に気づかなかったことに恐ろしさを感じていた。
「第二塔から巻物を持ち去った――」
マヤトが低い声で言った。
「あぁ、また君たちか。よくここまで来れたな」
赤い目の人物は、注射器を宙に浮かばせる。その針先は、チサに向く。
「最後の一本だ」
赤目の人物が、手をスナップさせると注射器がチサに向かって猛スピードで発射される。
サトシは、抱きかかえたチサをかばうように背を向けた。
同時に、朝霧が赤い目の人物との間に光のカーテンを張った。
注射器は光の膜に刺さって動きが止まる。
赤い目の人物は、窓側に腕を伸ばした。そして腕を振り払うと、廊下の窓が次々と割れていき、嵐のごとく飛び散った。
朝霧の防壁魔法に包まれて怪我をすることはなかったが、砕け散ったガラスが散乱する廊下に赤い目の人物だけ、姿も形もなかった。
「どこに行ったの?」
ヨーコが辺りを見回し、探しに行こうとする。
「俺が確認する」
マヤトが胸の前で両手を組み、解析魔法を発動しようとした。
「もうここまでにしましょう。白鹿さんの救出が第一。さぁ、ここを出ましょう」
朝霧の指示に誰も反論することはなかった。
3
山奥にあった使われていない研究所から出たマヤトたちは、そこから離れた見晴らしのいい山頂に移動した。すぐにチサは横にされた。
月明かりが辺りを照らして、改めて光を作る必要はないほどだった。
朝霧がチサの治療をしている間、マヤトとサトシ、ヨーコは三方に立ち、周囲の警戒にあたった。
幸いチサの外傷は、複数の注射の跡と足裏の切り傷だけだった。朝霧の
「朝霧先生、みんな、ありがとう」
朝霧のローブを着たチサが言った。時々強く風が吹き、髪をなびかせる。
「なんてお礼を言えばいいか……でも、どうして私がここにいるってわかったの?」
しかし、チサ以外、みんなの表情がすぐれない。それは、月の光のせいではなかった。
「それは、加持君のおかげかな」
ぽそっと朝霧が言った。
「俺は別に。朝霧先生やサトシがいなければここまで来れなかったし、まず喜瀬さんに声をかけてもらわなければ、知るよしもなかった」
マヤトも静かに言った。サトシは表情を変えず、その場を冷静に見つめていた。
「ヨーコもありがとう。でも、どうしてヨーコまで」
「チサが学校に来なかったから、心配になったの」
「私、気づいたらあそこに……」
「そう。誘拐されたってことも覚えていないの?」
「えっ、誘拐?」
よくよく考えてみればそうなってもおかしくない状況だったのかとチサは思った。
あの晩、チサが眠りについて深夜から朝までの間にチサは誘拐されたのだった。朝、起きてこないチサの部屋を見に行った家族が、チサが部屋にいないことを初めて知った。学校の荷物や制服、所持品はそのまま部屋に残れていて、チサの体だけ消えてしまっていたのだった。
学校には状況を説明していたようだが、同じクラスのヨーコは体調不良による欠席と聞かされていた。ヨーコは、チサが前日保健室で休養していたので、体調が悪化したのかと思っていたそうだ。それで、ヨーコは放課後、チサのお見舞いに家をたずねたことで、家族から誘拐されたことを知った。
学校側は騒ぎにならないよう伏せていたのだと思い、ヨーコはチサから話を聞いていた魔歴研のメンバーのマヤトにこのことを伝えた。なにも知らないマヤトは、誰も来ない図書室で本を読んでいた。話を聞かされても、大きな動揺もしなかったことにヨーコは、不思議に思っていた。
すぐにマヤトは、ヨーコに探す手伝いをお願いし、ヨーコもそれを承諾する。断る理由はない。そして、サトシにも応援を要請したが、最初断られた。ただ、ある交換条件を約束にサトシも加わった。
マヤトは、チサがいなくなった推論を一つたて、朝霧の元を訪れた。朝霧の元からある書類がなくなっていないか確認をさせると、やはりいくつかの書類がなくなっていることが判明した。これらのことから、マヤトはエアリスローザ内で起きた盗難事件や停電、巻物が盗まれる一連の事件は、全て黒いローブの人物が企てたと考えた。そして、チサが誘拐されたことも、一連の事件に関わることだと結論づけていた。
「数々の盗難事件は、魔法拡張の診断結果が書かれた書類を盗み出す陽動。停電を起こして人の目がつかないように巻物を奪った。診断書類から特殊な魔法を持つチサを見つけ、今回誘拐した。あの赤い目の人物がおそらく首謀者だ。リンゴもおそらく首謀者に関係あるものだろう」
マヤトは、いつものように淡々と答えた。
「そうだったんだ」
チサは軽く答えた。
「チサ、もっと重大に受け止めないと。チサの血、魔法が狙われているんだよ」
ヨーコがつめ寄った。
「う、うん。でも、私にはあまり実感ない。あの赤い目も言っていたけど、私の魔法で世界を救うって言われても……」
「世界を? そんな魔法……あなたもそれが目的だったの?」
ヨーコはチサではない人物に勢いよくつめ寄った。
チサがヨーコの先を見ると、マヤトがいた。
「やっぱり……」
チサの口からこぼれた。
「え、チサもわかってて彼と一緒にいたの?」
「完全にわかってたわけじゃないけど、もしかしたらって。マヤト君は私の魔法のこと、もう知っているんでしょ」
「最初に会った日に、薄々だが気づいた。そして
マヤトは、尾根に続く道を歩き出そうとした。
「えっ、マヤト君。待って。どういうこと」
「チサを一緒に探す条件として、チサを助け出したら私たちの前から姿を消す」
ヨーコが言った。
「どうして、そんな条件を」
「私じゃない。サトシよ」
サトシは、マヤトからチサの捜索を手伝う条件に、エアリスローザから去り、二度と姿を見せないように約束させた。マヤトは、自分一人では助けに行くには能力不足であった。もし、魔物や正体不明の黒いローブの人物と相対することになれば、なおさら。それで、相談されたサトシの交換条件をマヤトは飲んだ。
「こいつは、人の血から魔法を盗んできたやつだ。エアリスローザで純粋に賢者を目指す者たちにとって許せない」
普段、怒りを見せないサトシの口から出た言葉だとは、チサには思えなかった。
「でも、マヤト君はそうしないと魔法が使えなかったわけだし、私の血が必要だったのもなにか訳があって」
「話せよ」
そうサトシに言われて、マヤトは一度息を吸って吐いた。雲が月を隠して辺りが薄暗くなった。
「俺には、両親がいない。妹もいたが、同時に家族三人が死んだ」
マヤトの一言目で、チサは雷を打たれたような衝撃を受けた。マヤトの家に行った際も出迎えてくれたのはてっきり両親だと思いこんでいた。
「父さんは、特殊魔法警察で働いていた。そこである魔法犯罪者を追っていたそうだ。時には、戦闘になることもあったらしい。八才の俺は、幼いながらも父さんに闇が溜まっているのが見えていた。父さんもそれに気づいていたとは思う。それからすぐに犯罪者による罠が父さんを襲い、魔法をたくさん使うハメになった。
そして、父さんにたまっていた闇は溢れ出し、俺が家にいない時にその闇が暴発した。魔物にはならなかったが、闇は母さんと妹をも道連れにした。
どれもあとあと聞かされた話。その犯罪者は、その闇を利用することを企んでいたらしい」
「それで、どうしてチサの魔法が必要になるんだ。その犯罪者を殺すための魔法なのか?」
サトシが言った。
「家族を殺したも同然の犯罪者を見つけて、殺したいと思った。だから、解析魔法を使いこなして犯罪者を見つけようともした。殺せる魔法も手に入れようと必死になった。だけど、警察からの依頼される解析をしていて思った。復讐をしたところで、俺は幸せにはなれないと。
本当の幸せを手に入れるには、失われた家族、父さん、母さん、妹が必要だと気づいた」
「それで、私の血を」
チサは一人小さくうなずいた。
「チサ、あなたの魔法って?」
「喜瀬さん」
ヨーコの質問をやめさせようと、朝霧が首を振る。
「聖魔法」
チサの言葉を聞いて、朝霧は空を見上げた。
サトシとヨーコは、呆気にとられていた。その言葉の意味が理解できていないかのように。
誰もが使える魔法ではないことくらいわかっていた。賢者になり得たとしても使える魔法ではない。その存在すら確認されていないとされている魔法の一つ。
もし、聖魔法が使えると知れれば、チサが拐われたようにその血を狙ってくるやつらが必ずいる。だから、仮に魔法を使用できたとしても、隠していることがほとんどだ。
「俺は、その中でも蘇生魔法を手に入れたかった」
それを聞いたサトシが、マヤトの襟首を両手でつかみ上げた。
「それで、殺された家族を生きかえらそうとしているのか!」
「サ、サトシ……」
チサは、サトシが人に食ってかかるのを初めて見た。ヨーコや朝霧もサトシの性格を知っていたので、それは当然の驚きだった。
「私の血を手に入れて解析したマヤト君だったら、もう魔法を使うことだってできてるでしょ」
魔物との戦闘の際に魔物から放たれた針がチサの腕に刺さり、それを引き抜いたのはマヤト。その針についたチサの血を手に入れたと、サトシは見抜いていた。そのことをチサにも伝えられていたが、信じたくはなかった。
「あ、それじゃ」
サトシはチサの発言の意図に気づいて、マヤトの胸ぐらから手を離した。
雲に隠れていた月が、また辺りを照らしだした。
マヤトの表情が優しく映って見えた。
「魔物の針についたあのちょっとの量では、すべてを解析することはできなかった。でも、白鹿の血を知っていたおかげで、拐われた場所を探し出すこともできた。だから、もうこれ以上は関わらない」
「待ってよ。もっと私の血があったら、魔法は発動させることができるの?」
「おい、チサ、なにを言い出すんだよ」
サトシが間に割って入る。
すると、マヤトは静かに首を左右に振った。
「すべてを解析したところで発動させるには、圧倒的に俺の魔力が足りないこともわかった。自分の命を差し出しても足りない。闇に飲まれて命を落とすだけだ」
「私にそんな魔力があるとは」
「今、その魔力はなくても発動できる要素は備えられている。発動するかは、また別のことだ」
「でも、赤い目の人に、たくさん血を抜かれてる。それが悪いことに使われたら……」
チサの言葉を聞いたマヤトは、一瞬目を細めた。
「あいつは最後の一本と言っていた。おそらくチサの血は足りてないはずだ。それにどれだけ魔力を持っているのかわからないが、他人がそう簡単に使える魔法じゃない」
「そ、そうなのかな」
チサは半信半疑だった。
「どのみち血を狙うやつらから身を隠した方がいい。俺も人の血から魔法を盗んで来た汚れ者だ。サトシたちのような本気で賢者を目指すようなところに俺はいてはならない。だから、俺は」
そして、マヤトは背を向けた。
「マヤト、いつか殺されるぞ」
サトシの言葉にマヤトがまた振り返る。
「それでも構わない。サトシ、ここまでありがとう。そして、ご忠告も。俺は俺なりのやり方で行くさ」
マヤトは、襟元を正してローブのフードをかぶり、下りの道を進み出した。
「待って、マヤト君。私は、いなくなってほしいと思ってない」
チサもマヤトを追いかけようしたが、サトシに体を押さえつけられた。
「サトシ、どうして。私は、血を解析されていなかったら、私はいま頃、どうなってたか」
チサは小さくなっていくマヤトの背中めがけて手を伸ばすが、手も声も届かない。
「これは、チサを助ける条件だ」
「そんなの、私は認めてないから。私、助けてなんて頼んでないんだからぁー」
チサは叫んだ。
澄んだ夜空に響いた声は、強い風に飲みこまれて消えた。
「だから……」
マヤトの姿が見えなくなった途端、白んだ空の向こうに太陽が昇りはじめた。
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