4.3 レクチャー

 檜佐はモニター用のパソコンを引っ張ってきて私の前で開いた。

 個人設定というのはいわゆるプログラミングだ。ソーカー一人一人が自分に合った設定を組み上げる。例えば機体が感じ取る音を投影器を通じてそのまま音として受け取ることもできるし、あるいは視界にオーバーレイして波紋なり色なりで見ることもできる。もちろんその程度ならエンジニアが書き上げた既成のプログラムが全ての機体にインストールされている。プリセットから選択できるということだ。ソーカーが自分で何かしらプログラミングを行う必要はない。しかしそうした音の感じ方のプログラムも元々は一人のソーカーが自分のために組んだものなのだ。プログラム言語は使わなければならないけれど、私たちはそれをとても感覚的に扱う。感覚的に言語を扱うためのプログラムが介在している、と言ってもいい。それもまた一人のソーカーが編み出したものだ。窩を持たないエンジニアが私たちのためのプログラムを考案することは非常に困難だろう。

「それを自分で構成するってよくわからないよ」少女は言った。「そこからしてうまく理解できないんだ。タリスに任せていちゃいけないの? FCS(火器管制装置)を起動してって言ったら、はいそうですかってその通りにしてくれればいいだけなのに」

 それもいいのかもしれない。どういうものが欲しいのかきちんと伝えることさえできればタリスは彼女に合ったプログラムを組み上げるだろう。タリスにはそれだけの蓄積がある。

 練習機の電子系はかなり込み合っていた。しかも多くの機能に制限がかかっていた。このレベルの構造になると生徒たちには感じられないだろうけど、私には窮屈だった。私はそれらを取り払ってしまうこともできる。 

 なぜ私が実演に適さないか。私がほとんどプログラミングをしないからだ。機体が受け取った通りの情報というものを重んじている。機体コンピュータに処理を任せるより、生の情報を受け取れるように肉体側を鍛える方が性に合っている。

 今回の課題は既成のソフトウェアの支援なしに機体を起動することだった。機体コンピュータがフェイルした場合を想定している。なんだ、いつもやっていることじゃないか。

 私は機体のエンジンをかけてしばらくアイドルの回転数に保つ。落ち着いたところで油圧ポンプのクラッチを噛ませて回転を上げる。制御弁を少しずつ開いて各部の関節に機体が動かないぎりぎりまで圧をかけて機動に備える。各種センサーも作動。普段より少し機体の構造を意識した。

 床付きの換気扇がエンジンの排煙を検知して唸りを上げて回り始める。マフラーの吐き出す煙が金網の下に吸い込まれていく。

「いつ操作してたの?」少女は私が何の集中もなしに操作していたことに驚いていた。

 パソコンのディスプレイ上では何の準備段階も踏まずにいきなり起動をやったように見えたようだ。私の生身の視点だと画面の裏側になっている蓋しか見えないけど、そこに何が映っているのかは機体コンピュータを通じて知ることができた。

「もう少し丁寧にやってあげなよ」檜佐は苦笑した。

「そう言われてもな。だって、ある意味では私はこういうやり方しかできないんだ」

 少女はそれを聞いて無表情に軽く両手を上げた。意味不明、と言ったふう。

「つまり……、これは今私の体だ。体の一部。決して生身の動きを映しているわけじゃない」私はそう言ってカニの足みたいに右手の指を順番に動かした。機体の腕は動かさない。「でも動かし方はそんなに違わない。生身の指を動かす時、指を動かそうと思うだろ。ここの筋肉を縮めればこの指が、なんていちいち考えない」

「そこに体がある?」と少女。

「できる人って説明は下手なのよ。どうすればできるようになるかなんて考えなくてもいいんだから」と檜佐。

「わかった」私はエンジンと油圧ポンプを回したままにしてプラグを抜く。「このままの状態で潜ってみな」

 少女は席を代わってシートに上体を倒して栓を挿す。目を閉じて難しい顔をする。

「エンジンが回っている」私は引き続き少女に想像を促す。

「うん」と少女。

「それは自分の体の中で起こっていることだ」

「うん」

「止めてみな」

 エンジンが停止する。油圧がなくなってまた少し機体が揺れる。

「再始動」と私は指示する。

「あれ……」少女は額に皺を寄せた。

「見つからない?」

「うん」

 お手上げだ。

 檜佐が溜息をついた。「やっぱり私がやるよ。いいリハビリになるって」

「リハビリって、何かあったの?」少女が訊いた。プラグを抜いて立ち上がり、檜佐からパソコンを受け取る。その側面に刺さっているケーブルの束を鞭のように一度うねらせる。ケーブルは蛇のようにくるりと輪を描いて彼女の足元に落ちる。タラップの上が狭いので適当に垂らしておくと足の踏み場がない。

「この間の戦闘でちょっとした怪我をしてさ。神経系のね。経過観察中なの」檜佐は言った。

「ふうん」と少女。

「私もこれあんまり得意じゃないんだ」檜佐。二人は話を続ける。

「そうは思えないけど」

「色々サポートがないと動かせないタイプなの。碧と逆のことを言うけど、あなたの場合、むしろ筋肉を意識した方がいいんじゃないかな」

「生身の?」

「ううん。機体の。レトリックね。つまり、どういう仕組みで機体が動くのかを意識して。投影器はパソコンのキーボードのように思えばいい。機体は道具だ」

 檜佐はシートに座って投影器のダイヤルを確認する。プラグを差し込む。手を組んで目を瞑る。パソコンに檜佐の心拍数と体温が表示される。CPUの使用率が上がり、プロセス欄の流れが速くなる。エクスプローラの模式図が檜佐の操作を可視化している。檜佐は目を瞑って手を固く組んでいる。いつもこんな調子なのだろうか。普段操縦室の中を覗き見ることもないからわからないけど、おそらく普段よりも緊張していた。体に力が入っている。そこまで必死にならなければ潜れない檜佐ではない。そんなレベルで中隊のソーカーは務まらない。少女を安心させるための演技という可能性もなくはないけれど、たぶん違う。自分を試していると考えるのが妥当なのだろう。教育隊の設備ならセーフティは万全だし、今日は私もついている。教育隊の設備だけならこの一週間使えたわけだが、それにしてはあの事故以来初めて潜ったのでなければ今の緊張はおかしい。そう、私だ。私がいるから今潜るのだ。

「他人の肢闘ってなんだか新鮮」と檜佐。「なにもないのね」

 パソコンの画面に新しいウィンドウで投影器のコマンドメニューが現れる。動力系の制御コンソールを選択。燃料流量のオートコントロールを確認して点火。やっていることは私と同じだ。でもパソコンのバイオス画面を十字キーとエンターキーだけで操作するような具合に可視化されている。ある意味それもまた檜佐の表現だ。実際には檜佐自身がモニタと同じ映像を頼りに機体を操作しているわけではない。それはイメージに過ぎない。画面を見ている人間にもわかるように檜佐がそのイメージをこちらに示しているのだ。機体の状態を示す元々のモニタは別のウィンドウに表示されている。少女は食い入るようにして二つのウィンドウを見比べていた。

 結局檜佐は五分ほどかけて腕やカメラを動かすところまでやってみせた。そのあとで少女が交代してそれなりに進歩が見えるところまで到達した。

 檜佐はパソコンを私に持たせて、腕を組んで手摺に腰を預けてその様子を見守っていた。いささか疲れているように見えた。だから私は少女やパソコンの画面よりも視界の端で檜佐の様子を気にしていた。ふとした瞬間に気を失ってそのままぶっ倒れてしまうような気がしたからだ。

 そのうち予鈴が鳴って次の授業の生徒たちがぼつぼつと入ってきた。コンピュータをシャットダウンしてタラップを降りる。

「じゃあ、頑張りなよ」

「うん」

 モニタ用のパソコンを監視員のデスクに返却して、そこで少女と別れる。建屋を出る。

「新しい肢闘に乗る時と全然おんなじ感じだったな。もうちょっとてこずるかと思ったんだけど、逆にそれが違和感というか」私が訊く前に檜佐は言った。「だってなんともないなんておかしいじゃない?」

「なんともなくない感じがするわけだ」

「うん。すごく微妙になんだけど、このまま潜っていてはいけない、それは危険なことなんだって気がするの。撃たれるとか、フラクタルとか、そういうのじゃなくて」檜佐は立ち止まる。「ねえ、碧、私のカーベラに潜ってみてくれないかな」

「え?」

「私は大丈夫だよ。このままでも潜れる。でも放っておいたら取り返しのつかなくなるようなものがあの中にまだ残っているような気がするの。そう、私が潜らなくても機体がある程度自立性を保てるようなプログラムを考えていたのね。それは本当。でも見ようによってはそれは……」

「なに?」

「どうかな。まだわからないよね。ねえ、頼んでもいいかな。私は少し休憩させてもらうよ」

「医務室?」

「うん」

 医務室は九木崎の母屋の三階にある。とはいえ地面の傾斜に沿って階段状に建てられているので三階の裏手にも通用口があった。そこから母屋に入って檜佐と別れ、階段で二階へ降りて渡り廊下から工場に入った。

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