3.4 宅配便

 寮父の石黒は他には何も考えられないくらい黒のタートルネックが似合うおやじだ。つまり、おやじにして他の服装は考えられないし、黒のタートルネックにしておやじ以上に似合う人間を想像できないのだ。ちょっとでも頭が大きかったり、肩が丸かったり、胸筋や腹が出ていたりすると似合わないはずなのだけど、そういうところが全くなかった。

 石黒のおやじは無口で我々にもあまり干渉しない。私が見る時は大抵居間の広いテーブルで鉛筆を回しながらパズルをするか、外で庭木の手入れをしている。まあどこまでが庭でどこからが林なのかわかったものではないけど。あと、一息入れる時には茶碗でコーヒーを飲む。器の趣味があるらしい。黒いのもあるし、白いのもある。いびつなのもあるし、丸いのもある。種類が結構多い。ほとんど毎回違うのを使っている。お気に入りがないのかもしれないし、全部が気に入っているのかもしれない。とはいえ、おやじは割れたり欠けたりした皿を瞬間接着剤やパテで直して第一線に戻してしまうので、我々も扱いに関してはあまり萎縮していなかった。つまり、好んで触るわけでもないけど、皿洗いを嫌がるほどでもなかった。

 食卓に石黒と他七人が揃う。寮一棟に相部屋が八つあって小隊のだいたい半分が収まる計算だ。むろん小隊の全員が寮に入っているわけでもない。大隊の隊舎に残っているのもいるし、外部に自分の部屋や家を持っているのもいる。

 メインは酢豚だった。付け合わせの春雨が敷いてあって、レンコンやニンジンは別に炒め物になっていた。肉だけだ。パイナップルもついていない。石黒のおやじはパイナップルが入っている酢豚もパイナップルが入っていない酢豚も同じくらい作る。どういう判断で分けているのか訊いたことはないけど、どちらかというとパイナップル抜きの酢豚の時の方が肉質がいい気がした。形と大きさがしっかりしているし、食感も柔らかかった。たぶん肉によって使い分けているのであって、パイナップルの缶詰のストックの問題ではない。

 あとは炒め物とごはんがあり、汁物はなかった。料理屋ではないのだ。

 石黒のおやじもれっきとした九木崎の社員であり、ある程度の情報管理教育はクリアしているので仕事で持ってきた情報を食卓で話しても問題ない。食卓はアメリカの肢闘の話でひとしきり盛り上がって、食べ終わったやつから皿を流しに置いてリビングのソファに座ったり部屋に戻ったりしていく。

 私は食後に部屋からコップを持ってきてインスタントコーヒーを淹れ、それを飲み切るまでの間テーブルの横でテレビを立ち見していた。

 全員が席を立ったところで石黒のおやじが大皿を下げながらテーブルに濡れ布巾を置いた。私はその布巾を畳んでテーブルを端から端まで拭いた。

「ああ、柏木か」石黒のおやじはキッチンのカウンターから出てきたところで私を見て言った。

「なに?」

「いや、そういえば荷物が届いてたと思って」

「私宛てに?」

「うん。ちょっと前だから忘れるところだった」

 ダンボールはパントリーに置いてあった。電子レンジくらいの大きさだ。明かりをつけて中を覗く。封は切ってあった。

「果物とか書いてあるから、腐るとまずいだろう、開けさせてもらったけど」

 残っている中身は有象無象の健康食品だ。有機栽培のスムージーとか、大豆製のミートパテとか、そういったレトルトの類だ。

 一応確認のために伝票を見る。案の定母親の名前だった。送り先は九木崎の千歳の住所と私のもとの下の名前だけが書いてあった。毎度毎度、よくこれで届くものだ。

「やだな」私は呟いた。「受け取りたくない」

「そうか。ここまできたら送り返すしかないな」

 石黒のおやじが突き返してくれればいいんだけど、受け取り拒否ってのは本人じゃないとだめなのだ。いつ届くかもわからないものを私が待ち構えておかなければならない。石黒宛にしてくれればいいわけだけど、そんなことをしたら送ってくれと言っているみたいなものだ。本末転倒ってやつ。

「おやじにあげるよ」

「とりあえず部屋に持ってってくれ」石黒のおやじはにべもなく言った。

 私はコーヒーを飲み干してから、仕方なくダンボールを抱えて部屋に戻った。テーブルの上に置く。

「あ、お母さんから?」檜佐が訊いた。ベッドで本を読んでいたが寄ってきた。

 私は頷く。ベッドに横になる。だいたいこうして半年に一度くらいは送られてくるのだ。それはつまり年に二日は確実に憂鬱な日になるということを意味している。せっかく檜佐の心配が頭から消え去っていい気分だったのに。

「果物だって」檜佐は伝票を見て言った。「いいお母さんだね」

「果物、おやじが出してくれたってさ」

「貰ってこようよ」

「やだよ」

 こういう時私に頼んでも無駄だということを檜佐はわかっているので黙って自分で取りに行く。りんご、ぶどう、もも。彼女は両手に持ってきてテーブルに並べた。ももを手にして鼻を近づける。

「いい匂いだよ」

「送り返そう」と私。

「結構熟れ熟れなんだけどな。食べなきゃかわいそうだよ。お母さんじゃなくて、この果物たちが」

 檜佐はキチネットの扉からペティナイフと俎板を出して勝手に一通りむき始めた。ももをひとかけフォークに刺してきて横になっている私の唇に当てた。汁が垂れてくる。私は仕方なく口に入れる。柔らかくて甘いももだった。これでは私の方が看病されているみたいだ。飲み込む時に汁が鼻の方へ行きそうだったので起き上がった。

「あとを送り返すにしたって、これじゃあ箱が大きすぎるよ」檜佐は続けた。

 確かにレトルトだけだと箱の容量の三分の一くらいだった。私は玄関前の押し入れへ行って、畳んであるダンボールにちょうどいいのがないか探した。十枚くらい引っ張り出してちょうどいい大きさのをガムテープと一緒に持って戻る。

 私が部屋に入ると檜佐は封筒を差し出した。果物はもうすっかり皿の上に綺麗に並べられていた。

「手紙」と彼女は言う。

 私は体の後ろに手を回して受け取らなかった。

「そうね。碧には詰め替えがある。手紙は私が読もう」

 私が床でダンボールを組み立ててレトルトを移し替えている間に檜佐は私の母親が書いた手紙をテーブルに腰掛けて音読した。便箋二枚くらいの長さだった。あまり真剣に聞くつもりもなかったけど、白山に登ったこと、稜線は風が激しかったけど頂上は晴れていていい眺めだったこと、そんなところだ。ことある度に山に登ってるんだ。そんな趣味があるなんて昔は全然気付かなかった。あるいは私がいなくなってから登山を始めたのかもしれない。

「なんで宗教臭い山ばっかり登るんだ。いい加減離れろよな」私はぶつぶつ言った。

「写真も付いてるよ。本人は写ってないけど」と檜佐。

 私はそろそろと顔を上げた。雲海に撮影者のシルエットが映っている写真だった。

 檜佐は私が写真を見たのを確認して便箋と一緒に封筒に仕舞う。

「さあ、手紙はどうする?」彼女は訊いた。

「私はいらない」ちょっと迷ってから私は言った。「捨てよう」とか「送り返そう」ではあまりに薄情な気がした。その薄情さは檜佐を失望させる気がした。

 檜佐は自分の机の前まで歩いていって、マジシャンのアシスタントのような手つきで本立てから抜き取ったファスナー付きファイルにその封筒を仕舞った。そこは檜佐自身の母親から届いた手紙を仕舞っておくための場所でもあった。一度そこに入ってしまったものは私には手が出せない。

 私の場合と違って、檜佐の親子文通は正式なものだった。檜佐も返事を書くし、相手からの手紙はきちんと「檜佐エリカ」宛てに届く。住所もしっかりしている。檜佐は自分の母親を愛しているのだ。私とは違う。

 私はダンボールの最後の隙間埋めにできるだけくだらない内容の新聞広告を選んでくしゃくしゃに丸めて突っ込んだ。

「お礼は書かないの?」檜佐はお決まりのように訊いた。

「私は生きてる。あんたなんか必要ないくらい楽しく生きてる。そういうメッセージさ」私もお決まりのように返した。そしてダンボールの蓋をガムテープで閉じた。九木崎の集荷に出すのは明日でいいだろう。

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