3.2 暴力に勝るもの・戦闘報告
「あのあとは戦闘はあったの?」工場に向かって歩きながら檜佐が訊いた。
「いや」
「じゃあ遅かったね。私が後送されてから六日でしょ。海が荒れてたの?」
私は船の揺れを思い出して少し気持ち悪くなった。背の高い自動車運搬船はどうしてもトップヘビーになる。転覆を避けるためにスタビライザーが必要で、その舵の動きでローリングを打ち消す時に独特のモーメントが生じる。私はどうもそれが苦手だった。単に波に揺られているのとは少し違うのだ。
「積み込み屋が戦車を先に積みたがってさ」私は説明した。
「特科が先じゃだめなの?」
「上が重くなるのをすごく嫌がるんだよ。まるで一族の敵みたいにさ」
一方で軍は何か起きた時のために頑丈な戦車をあとに残しておきたい。そこで意見がぶつかる。
「港だってそこそこ後方なんじゃないの?」
「まあね。でもだからって絶対じゃない」
林の中にムクドリの群れがいる。いやツグミかもしれない。よくわからない。雪と落葉の混ざった地面を跳ねながら木の実でも探しているらしい。途中で九木崎のバンが二台、私たちを追い越して行った。先に来た方が窓を開けて乗って行けと言ってくれたけど、歩きたいからと言って断った。乗りたかったら倉庫の前で待っていたはずだ。だいたい車を出すような距離でもない。彼らは工具が重たいから車で運んでいるわけで。
「トリナナの方も結構やられてたよね」檜佐にしては力んだ口調だった。
私は胸ポケットから八折りにしたリストを出して、端がちょっと折れていたがそのまま渡した。檜佐の顔に目を向けそうになったがやめておいた。
檜佐は私の肘に手をかけて歩きながらそれに目を通した。
そいつはぐったりと伸びて酷い目眩でも起こしたような蕩けた目でこっちを見上げた。口からじわじわと出血していた。舌が切れた感じではなかった。
「お前には関係ないだろ」ほとんど全部ハ行の発音で相手は言った。
「いや、私にも聞こえた」そして腰を折って顔を近づけた。「すごく嫌な気分になったんだ。今だけじゃない。これから何年経ったって、思い出して同じような気分になる」
今になって思い返せば私はそんなことを言うべきではなかったのだ。暴力だけに留めておくべきだった。それが筋というものだ。言葉も拳ほどに相手を傷つける。私の論理を通すならその方がずっと説得力があったはずだ。
柘井は廊下のどん詰まりで私を見ていた。加勢も制止もしななかった。私が目を向けると飛び上がるみたいに竦んだ。
結局私が蹴った方は柘井よりもずっと早く死んだ。その一件から一年と経っていなかったはずだ。肢機のテストの最中に脳出血を起こして、それからほとんど意識を取り戻さなかった。目の前で見ていたわけじゃない。あえて知ろうとしたわけでもない。ではなぜ知っているのか。後になって檜佐に教えられたからだ。よっぽど彼女の方が私の蹴った相手のことを憶えていたわけだ。
「そんなこと、別に、いいのに」その時私は言った。そう、知ったからといって何かすべきことがあるわけでもない。無意味だ。私はその気持ちの十分の一くらいを言葉にしたつもりだった。でも檜佐は首を傾げてちょっと嫌そうな顔をした。
「あまり度が過ぎると味方に背中を預けられなくなっちゃうぞ」
「いいよ、それでも」私は答えた。
私はきっと暴力の価値を低く見すぎるのだろう。「尊い人命」とか、「手だけは上げるな」とか、そんな言葉を耳にする度にそう感じる。でも暴力より疎むべき凶器はまだたくさんあると私は思っているし、それは私にとって既に疑いようのない合理的な価値観だった。私自身がもっと感傷的であるべきだなんて、そんなことは思わない。檜佐もそれはわかっている。わかっているけど、それが彼女の価値観なのだ。私とは違う。
檜佐がリストを畳む。私はそれを受け取って元通り胸ポケットに戻す。
「檜佐が生きててよかったよ」私は言った。
「何?」檜佐はちょっと怪訝な顔をした。
「檜佐には死んでほしくない」
私の班の二人はまだ牽引車の横にいた。ロープは外れたようで、漆原がその端を手に巻いてはやぶさやら縄跳びの高度な技を栃木に見せていた。トラロープより太くて重い舫のような紐で、ある程度慣性がかかるので跳び縄の代用品としてはなかなか上等らしい。何しろ小隊の中で一番やる気のないコンビなのだ。他の班だと整備やなんかで操縦手以外が機体に乗って動かすことがあるけど、私は自分の機体に他人が乗るのを嫌っている。この二人なら肢闘に乗れなくて拗ねることもない。だから私と組んでいる。
檜佐が手を振ると先に栃木が首を伸ばして顔を確かめた。それから漆原も手を止めて二人で檜佐を出迎えた。栃木の方が幾分触れ合いに抵抗を持たない性格で、檜佐に正面からハグ抱きついた。漆原も肩や手を握った。どちらにしてもそうして檜佐の存在を確かめているのだ。触れられるものは存在している。そう信じているようだった。
工場では早々に整備が始まっていた。
九木崎のメカニックは実質中隊の第二整備小隊である。樹液を見つけたクワガタのように檜佐機のコクピット周りに集まって配線の修復に取り掛かる。
「
「ないです。流れで解散って」
「三人、ちょっと上に」
この時は檜佐ももう私の横にいた。「はーい」と口を開けて叫ぶ。確かに機械の騒音でかなり煩いのだけど、相手に聞こえるように、というよりも大声を出すのが気持ちいいみたいな感じだった。
私も左手を上げて応える。返事だけなら大声を出すよりいい。
我々は蹴込みの浅い階段を上がる。工場からすればキャットウォークなのだけど、本部の二階と続きになっているし造りも頑丈なのでどちらかというと吹き抜けに面した廊下の風情だった。スポットに面した部分だけ擁壁が途切れて整備用の横向き階段がくっついている。二段ほど下りたところが檜佐機の腰の高さだ。檜佐と松浦が機体の尾部に乗り移り、私は擁壁の手前に残る。檜佐機は操縦席のモジュールが基部から取り払われて機体側の中身がカニの甲羅を開けたみたいに露出していた。
ただ腰から下は無傷だ。アクセスパネルにケーブルが一本刺さっていた。そのもう一端が女史のラップトップPCに繋いである。それで機体コンピュータをモニタしていた。私が前にやったのと同じことをパソコンを媒介にしてやっている。外部電源で再起動。警告をリセット。
「戦闘行動に関する機能は全て正常に終了しています」とタリス。ラップトップのスピーカーからびりびりした音で言う。
タリスは九木崎の総合管理サーバーの愛称で、音声コミュニケーションソフトウェアを使って方々の端末越しに人と会話している
私は檜佐機の尾部の下を覗き込んだ。工場の床のスポットから電源ケーブルとは別に通信用のケーブルが伸ばしてある。タリスは機体の情報は床のスポット経由で見ているのだ。パソコンの無線経由だとたぶんこんなに早く情報を取得できない。ただ私はこの時ちょっと嫌な予感を覚えた。スポットの通信ケーブルはまだ差さない方がよかったんじゃないだろうか。明確な理由はない。ただの勘だ。でもどちらにせよ今さら言ったところで遅い。
「別の誰かがあとで操作したのか?」女史がタリスに訊いた。
「いいえ。そういったログは残っていません」
「じゃあエリカがそういったコードを組んでいたのかな」
操縦席モジュールの接続口に投影器の端子が見える。女史が試しにケーブルを挿してみるとかなりぐらぐらしていた。モジュールが外れた衝撃で口が歪んだのだ。
「ここか」
胴体の分厚い背板を取り外す。中の電子部品が直接見えるようになった。
女史は被弾した時の状況を檜佐からはかなり詳しく聞いていたらしい。それが私と松浦からはどう見えたか、檜佐が言っていることは正しいのかが知りたかったようだ。私に比べると松浦の話は精密で長かった。女史は聞きながら時々手を止めた。
敵戦車中隊規模の待ち伏せ攻撃に遭って、我々は肢闘中隊を前面に上空の軽攻撃機小隊の支援を受けつつこれに応戦、砲兵隊も水平射撃でこれを支援した。結局敵戦車一両を撃破、一両を行動不能にしたが、我々は死傷者二十名、肢闘三機大破、二機中破、トリナナ五機大破、牽引車二両大破の損害を出した。前線をすり抜けた敵に後方を攪乱され、味方の前線部隊とも距離が離れすぎて連携が取れなかったところに敗因がある。
「結局、肢闘の機動運用を試すためって今までより砲兵陣地を後方に敷いたのが原因じゃないかな。元も子もない」と松浦。中隊の中ではそんなことは言わない。工場が九木崎のテリトリーだから愚痴を言えるのだ。
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