第106話 こんにちは。こんなところで何ですが、マトリです。



 タウロス山の火口からは、絶え間なく溶岩があふれだしていた。火口から押し出されたマグマは、いく筋にも枝分かれしながら荒涼とした黒い山肌を下る。


 溶岩は空気に晒されると冷えて固まり、表面に赤黒い膜を作った。しかし赤黒い表皮はすぐにひび割れ、中から赤く発光した高温の溶岩が溢れ出してくる。それを繰り返しながら溶岩流は着実に山を下って来る。


 しかも、ここの溶岩は粘土が低いらしく、あまりドロドロした感じではない。どちらかというとさらさらしていて思いのほか流れが早かった。


 その溶岩流の傍に三人の男がいた。それぞれが金属棒や虫取り網のようなものを手にして、じっと溶岩の流れに目を凝らしている。そのうち一番ガタイがいい男の背には、大きな壺が背負子で背負われていた。


 すぐ間近を溶岩が流れている。少しでも足を踏み外せば軽い火傷では済まないだろう。

 溶岩から発せられる熱と緊張で汗が全身から噴き出し、男たちの額を流れ落ちる。目に入るとしみるそれを袖で乱暴にふきとるが、汗は止まらない。


 しかし彼らはそこを離れるわけにはいかなかった。

 信用できる筋から仕入れた情報によると、サラマンダーは溶岩流の先端にいることが多いという話である。そのために彼らは溶岩流の先端付近をくまなく探していた。


 そのとき。男の一人が、鋭い声で叫んだ。


「親分! いま、ちらっと尻尾が見えやしたぜ!」


 三人の背後、溶岩流から少し離れたところにもう一人、猫背の男がいた。親分と呼ばれたその男は、すぐに三人へ指示を出す。


「まだ近くに居るはずだ。焦らず、狙え。一瞬の隙をつくんだ。くれぐれも溶岩の中に落ちるなよ」


 指示を受けて、網や棒を持った三人は尻尾が見えたあたりに集まり、じっと溶岩を見つめる。親分も三人の背後まで寄ると、赤い流れを睨んだ。

 その赤い溶岩の川の中、一瞬魚が跳ねるようにトカゲの尻尾らしきモノが見えた。


「いまだっ」


 親分の声に合せて、三人の男たちは一斉にその場所へ棒や網を突っ込んでまさぐった。

 しかし期待を込めて引きあげた網の先には、残念ながら何も入ってはいなかった。


「くそっ。また逃げられたか」


 忌々しげに親分は言い捨てる。

 そして、熱さに耐えきれなくなり、一旦溶岩から離れようと後ずさった。しかし、一歩さがっただけでドンと背中が何かにぶつかった。


 この付近にぶつかるようなものなどなかったはずだが、と不思議に思って振り向こうとしたが首が動かない。


「ひえっえっ、な、なんだ!?」


 首に太い腕が回され、両手も抱き込まれるように抑えつけられていた。


「抵抗しないでください」


 低い声が耳元で囁く。辛うじて動く目をそちらにやると、自分の顔のすぐ横に真っ黒い獣の口が見えた。そこから鋭い犬歯が覗いている。


「暴れる素振りを見せれば、その前に首をへし折りますよ」

「ひえっ」


 溶岩に気を取られていて、周りへの警戒がすっかり疎かになっていた。

 島民も避難している今。まさか、こんな場所に自分たち以外の誰かがいるなんて想定すらしていなかったのだから、親分は心底驚き動揺していた。


「おっと。お前らも動くなよ。どうなってもしらないよ?」


 少し離れたところから別の声が聞こえる。敵は一人ではなかったようだ。目の前にいる三人の部下たちは、声のした方を向いて大人しく両手をあげ、溶岩流の脇へと誘導されている。


 親分も身体を拘束されたまま抱き上げられて、無理矢理そちらへ連れて行かれた。身体の向きを変えさせられて、ようやく部下たちが無抵抗に手をあげた理由が理解できた。こちらに大きな銃口が向けられていたのだ。


 何が起こったのか、なぜここに自分たち以外の人間がいるのか。さっぱりわからなかったが、どうやら自分たちのサラマンダー密猟作戦は失敗したということだけは理解できた。


 ただ、一つわからないことがある。

 なぜ、銃口を向けるあの男は、頭に子豚を乗っけているんだろう。頭がおかしいんだろうか。






 タケトは密猟者たちに銃口を向けたまま無表情に言った。


「こんにちは。こんなところで何ですが、魔獣密猟取締官です」


 そう口にすると、サッと男たちの顔が強ばるのが見て取れた。


「マトリ……」


 密猟者の一人が網を持ったまま、ポカンとした顔でそう呟いた。こんなところにマトリが来るなんて想定外すぎて頭がついていかないようだ。


 密猟者は全部で四人。部下らしき三人が網や棒を手にし、その後ろにいたヤツがボスらしい。そいつもいまは、獣化したカロンにがっちりと首と腕を押えられて身動きできないでいる。


 部下の一人が背負子しょいこで固定した大きな黒い壺を背負っていたが、蓋は開いたままだ。あれにサラマンダーを入れて運ぶつもりだったのだろうか。念のためにカロンに覗いてもらったが、今はまだ一匹も入っていなかった。


「一応確認しておくけど、あんたらサラマンダーを捕まえにきた密猟者だよね? ああ、否認してもいいけど、この時期この場所にその道具もってそういうことしてるって時点で、状況証拠は揃ってるから現行犯で捕まえさせてもらうけど」


 そして、銃口はそのままに、ニコッと男たちに笑いかける。


「ただし。いまは非常事態だし、見たところまだ未遂みたいだから、俺たちの手伝いをしてくれるなら見逃してやってもいいんだけど。どうする?」


 密猟者たちは困惑した様子で顔を見合わせていたが、ハナから他の選択肢などない。カロンに抱きかかえられていたボスが頷くのに合せて、他の三人もコクコクと頭を縦に振った。


「よし。じゃあ、そういうことで」


 そこに何度目かの大きな揺れが足下を揺らした。トン吉が頭にしがみつく力がぎゅっと強くなる。

 立っていられないほどの揺れで、タケトは体勢を崩しそうになるのを必死にこらえて踏ん張った。


 地震がおさまってくるとともに、今度は別の異変が起こる。

 溶岩流の先端部分に、ぼこぼこと大きな泡のようなものがいくつも生まれていた。


(なんだ、あれ)


 と思ったのも束の間、その泡を突き破って中から何かが飛びだした。

 マグマと同じように赤く発光し、尻尾が焔のように燃えている、体長三十センチほどのトカゲだった。


「サラマンダーだ!」


 密猟者の一人が叫ぶ。


「これが、サラマンダー……」


 溶岩流のあちこちから飛びだしたサラマンダー。数は、全部で二十あまり。それらが、一斉に溶岩流の上をザザザッと走り、さらに地表に降りると山肌をいっきに駆け下りだした。タケトの足下にも、ちょこちょこと小さなサラマンダーが駆け抜けて行く。


「な、なんだ、これ……」


 それを目で追って山の下の方に目を移したとき、頭にしがみついていたトン吉が呻いた。


「ご主人、まずいであります……山の、上……」


 言われて弾かれたように山頂に目を向けると、山頂の一部が大きく崩れ落ちるところだった。天に昇る噴煙の足元。崩れた山頂部が新たな粉塵をまき上がらせ、不気味な灰色の膨らみを作っていた。


 それはもこもこと増殖する泡のようにあっという間に大きくなって、こちらに向かって迫ってくる。


「……やばい、これ……火砕流だ……」


 唖然と、そう言うのが精一杯だった。


 昔、ニュースの記録映像でみたやつと同じだ。かつて、日本でも大量の死者を出した火砕流。

 人が生息できる熱さを遥かに超えた高温の粉塵と灰と火山ガスの塊が、いっきに山肌を滑り落ちてくる。溶岩流の速度など比ではなかった。


 高速で迫ってくるそれから逃げ出す手段など、タケトたちにはない。




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