第63話 女神の使い


 朝日の中に突如あらわれた巨大な猫。

 その黄金の瞳に豊かな毛並みをした姿にタケトは目を奪われた。


「……お前が。ケニスが言ってた、フォレスト・キャット、か?」


 こんな巨大な猫が普通の猫のはずはない。魔獣の一種であることは間違いなかった。その巨大な猫は優雅に太い尻尾をフサフサと揺らすと、もう一度。




 ニャーーーー




 と、まるでタケトの言葉を肯定するかのように一声鳴き、前脚を揃えてお座りした。

 警戒心が強くて人前ひとまえに滅多に現れない魔獣が、なぜ自ら現れたのだろう。あのツタの匂いに誘われて出てきたのか? それともタケトの呟きを聞いたから? 理由はわからなかった。


 しかしいま目の前に現れたということは、もしかして助けてくれるつもりなんだろうか。

 一縷いちるの望みをかけて、タケトはカバンの中から薬の小瓶を取り出すと掲げて見せた。


「フォレスト・キャット! ケニスが大変なんだ。この薬を早くあの子に届けないと、死んでしまうかもしれない。それに、女神教会のやつらの動きも心配で、一刻も早くケニスの村に戻りたいんだ。頼むから、俺を村まで乗せていってくれないか」


 この魔獣が人間の言葉を理解しているのかどうかはわからない。それでも、タケトは静謐な朝の空気を吸い込むと、聞き取りやすいようにゆっくりと、一つ一つの言葉を区切りながら言った。


 フォレスト・キャットは金色の瞳でジッとこちらを見ている。ピンと立った耳をこっちに向けているのでタケトの言葉を聞いてはいるようだった。しかし、言い終えてもまだ、巨大な猫はただ見ているだけ。両者ともしばらく動かなかった。


(……やっぱ、ダメか)


 諦めてタケトが歩き出そうとしたとき、フォレスト・キャットがおもむろに立ちあがる。そして、ゆっくりとした動作でタケトの後ろに回ると、その襟首を口で咥えて持ち上げた。


「わ、わわ……っ!!!」


 タケトは自分の体重で首が絞まってしまった。苦しさにじたばたともがくとフォレスト・キャットが口を離し、タケトは地面に落ちる。


「ゲホッ、ゲホッ……ち、違っ……そうじゃな……」


 地面に四つん這いになったまま思いっきり咳き込んだ。

 どうやらフォレスト・キャットは子猫を咥えて運ぶ時のように、タケトを運ぼうとしたらしい。あいにくタケトの身体構造は猫とは違うので、襟首をつかんで持ち上げられると完全に首つり状態になってしまう。

 垂れた唾液を腕で拭いながら、涙の滲む目でフォレスト・キャットを見上げた。


「違うんだ。そうじゃなくて、えっと……ここ。背中に乗せて走ってくれたらいいな、と」


 四つん這いのまま「ここ、ここに乗せて」と自分の背中を指して言うタケトの言葉を、今度は理解してくれたのかフォレスト・キャットは前脚を伸ばして伏せの姿勢をとってくれた。

 タケトはすぐに起き上がると、ウルにするときと同じように前脚を足場にしてフォレスト・キャットの背中によじ登る。


「さんきゅ。助かる」


 フォレスト・キャットの背中はウルよりも細くしなやかで、長くフサフサな毛で覆われていた。タケトがしっかり肩の部分に跨ると、フォレスト・キャットはゆっくりと立ち上がる。


「行こう。ケニスのとこに」


 タケトの言葉とともに、フォレスト・キャットは村へ向けて走り出した。






 徐々に日が昇りはじめて朝霧に霞む村道。そこをフォレスト・キャットは村に向かってひた走る。

 タケトはなんとかその首の辺りにしがみついていた。ウルの力強い走りとは違う、しなやかなバネのある足運び。おそらく持久力はウルほどではないだろう。


(それでも、もう村までそんなに遠くないはず。少しでも近くまで連れて行ってもらえれば)


 そう思っていたタケトだったが、ことはそう簡単にはいかなかった。

 ふいに、フォレスト・キャットが高くジャンプする。何かを飛び越えたようだ。


(え?)


 岩でも飛び越えたのかと思ったが、そうではなかった。矢のようなものが横から飛んできたようにも見えた。

 そしてタケトの耳にも聞こえる。ひづめの音だ。


(なんだ? 馬? 併走してるのか?)


 タケトはフォレスト・キャットの毛にしっかり掴まったまま、上半身を少し起こして辺りをぐるっと見回してみる。


(どこだ……)


 フォレスト・キャット自身が走る音はほとんど聞こえない。蹄の音の元を探す。

 響いている? いや、ちがう。左右、どちらからも聞こえてくる。

 森の中に目を凝らすと、木々の間からチラチラと影が見えた。明らかに、こちらと同じ方向に疾駆している。


「なんだよ、お前ら!!!」


 言いながら、気付いた。ヤツらは密猟者だ。フォレスト・キャットを捕まえに来たんだ。

 でも、なぜフォレスト・キャットは姿を消さない? タケトのところに現れる前のように、姿を消せば容易に逃げられるだろうに。


(……って、そうか。俺が乗っているから)


 おそらく、タケトが接していることで姿を消すことができないのだろうと気づく。


「もういいよ! 俺を降ろしていいから!」


 しかし、フォレスト・キャットは足を止めない。そうこうしている間にも両側を併走している馬から矢が飛んできて、タケトやフォレスト・キャットのすれすれを掠めた。

 こうなったらあいつらを蹴散らすか、まくかするしかない。

 タケトは腰のホルスターから精霊銃を抜く。


「フォレスト・キャット! あいつらが少しでも遠のいたら、すぐに森に入れ!」


 火の精霊を使おうかと考えて、躊躇する。乾燥した今の時期にうかつに撃てば、山火事を誘発しかねない。

 タケトは少し考えたあと回転式弾倉シリンダーを回して魔石を選び、森の木々間に見え隠れするヤツらに向かって引き金を引いた。


 選んだのは、風の魔石弾。なるべく広範囲に広がるように意識する。銃口から放たれた風の精霊は台風の突風のように影に迫り、一人を落馬させた。

 フォレスト・キャットを取り囲んでいた包囲網が広がる。こちらの攻撃を避けるために、ヤツらは距離をとったのだろう。


 その隙をついてフォレスト・キャットはピョンと一つ大きく飛び上がると、村道から逸れて森の中に入る。木の枝が次々と目前に迫ってきた。タケトは枝に叩き落とされないように姿勢を下げてフォレスト・キャットにへばりついた。

 しかし、まだ追っ手は来る。後ろから。横からも。

 森に入れば的にはされにくくなるものの、こちらの走るスピードも落ちる。


(どうしよう。ここから、どうやったらヤツらを振り切れる?)


 馬の性能的にこのくらいのスピードなら問題なく追いつけてしまうだろう。


(やっぱり、俺が一人一人撃ち落としてくしかないよな)


 魔石弾の残数からすると、一発も撃ち漏らすことはできない。

 村道からどんどん離れている。ということは、村には遠回りになっているのかもしれない。

 タケトは落とされないように気をつけながら後ろ向きにフォレスト・キャットに跨がると、足だけで身体を支えて両手で精霊銃のグリップを握る。


 すぐ間横に近寄ってきた一人を撃った。大量の水が銃口から放たれ、相手の視界を奪うとともに馬から撃ち落とした。どうやら撃ったのは水の精霊だったようだ。

 魔石弾の色を確認している余裕がない。とにかく近寄ってくる順に、銃に入っている魔石で撃っていった。火が出たときは一瞬ヒヤッとする。火事とかになってなければいいけれど、一番威力がありそうなのは間違いない。


 密猟者たちはフォレスト・キャットの足下にロープを投げて、転ばそうとしてきた。しかし、フォレスト・キャットは猫らしい機敏さで軽々とそれらの妨害を避けている。

 そうやって応戦しながらも、ふとタケトの中に不安が湧いてくる。


(もしかして。これって、どこかに誘導されているんじゃ)


 そう思ったとき、タケトの視界一面が網のようなものに覆われた。


「まずい……!」


 罠だ! と気付いてフォレスト・キャットに伝えようとしたが、同時に二重、三重に網が視界を覆う。

 フォレスト・キャットの巨体を大きな網が包み込んでいた。つんのめるように網へ突っ込むフォレスト・キャット。


「うわっ」


 その背に押しつけられるようにしながらも、タケトはなんとか振り落とされないようにしがみつく。

 フォレスト・キャットは何重にもかけられた大きな網に完全に捕らえられていた。

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