エサルの陰謀とリアナの下着 ②
「訪問を受け容れていただき、礼を言う」
南部領主であるエサル卿は、土産だという酒瓶を手渡しながら言った。際立った長身というわけではないが、筋肉質の南部らしい体格に恵まれた金髪の美丈夫である。デイミオンとは対照的な赤い
「貴殿の畑にはかなうまいが、うちで醸造しているものだ」
「あ、ああ……ありがたくいただく」
デイミオンは上の空で酒を受け取った。なにしろ、背後のクローゼットにこの国の王を押しこめたばかりで、取りつくろう余裕がなかった。
「俺は酒の味はわからんが、貴殿はかまわず一献、やってくれ。長い話になるかもしれぬしな」
「公。その話だが――」
やはり、今夜は分が悪い。出直してもらうにはどう切りだせばいいものかと知恵を絞っていると、小さな音に思考を破られた。
「へくちゅっ」どこかかわいらしい、小動物のようなくしゃみの音がした。
「わあっ」デイミオンはびくんと背をそらせた。
「んん?」エサルがぼさぼさした金色の眉をしかめた。「なんだ? 猫の仔でもいるのか?」
部屋を見まわし、エサルはクローゼットの前に立った。「ここか?」
デイミオンはあわてて、クローゼットと公のあいだに立ちふさがった。「ち、散らかっているんだ」
「こんなところで飼っているのか? 貴殿が竜以外の愛玩動物を飼うとは、見た目によらないものだな」
頭半分ほど大きいデイミオンの背中側をうかがうようにして、エサルがさっと首をめぐらした。
「いろいろ、やむを得ない事情があって」デイミオンは後ろ手に扉を隠し、お茶を濁した。
「戸棚にしまってないで、
エサルは、策略家らしからぬ意外に心やさしい一面を見せた。「貴公のような
「い、いや、いいんだあれは。それより、エサル公……実は今夜は、急用が入ってしまって」
「急用?」
エサルは首をひねった。「どうした、
「それはその」
うまい言いわけが出てこずに困っていると、良いように解釈してくれたらしい。エサルは下世話な顔になった。
「まあ、貴殿ほどの美男子なら女性の一人や二人押しかけても、無理もないかもしれないが。うらやましいことだ。はっはは」
「ははは」
「くちゅん」また、くしゃみの音。二人の男は笑顔のまま、凍りついたように動きを止めた。
「びーっ」
さらに威勢よく鼻をかむ音がした。クローゼットにかかる自分の服のどれかを、リアナが鼻紙がわりにしたのは明白だった。デイミオンはすべてをあきらめて目を閉じ、せめてそれが正装用の上等の
「それで、どうだ、例の件」
エサルはあくどい笑みを浮かべた。怪しいくしゃみについては気にしないで話を進める気になったらしい。
「うちには適齢期の
「ど……どうだろうな」デイミオンは上の空で返答した。
クローゼットのなかのリアナが、まちがいなくこの会話を聞いているからだ。彼女の性格からいって、今にも「話は聞いたわよ」と飛び出てきても不思議はない。そうなったらリアナと王佐エサルの同盟は地に落ち、そして自分の政治的地位は……。
だが、男たちのたくらみを破る動きはなかった。
クローゼットのあたりが静かなことが、デイミオンはだんだん心配になってきた。リアナは猫の仔ではないが、かれにくらべればたしかに小さい。風邪でも引かせたら政治問題だ。しかも、実弟フィルバートはなぜかリアナの安全問題に異常な執着を燃やしている。
(それに……白竜の一族は病弱だ)
城で生まれた白竜の仔がうまく育たず死んでしまったときのことを思いだし、デイミオンは急に不安になった。まだアーダルも小さい頃で、それはレーデルルに似たきれいな仔竜だった。前日まで、かれの膝の上で跳ねまわって元気だったのに……。少年だったデイミオンはずいぶん悲しい思いをしたのだった。
「エサル公……申し訳ないが、やはり今夜は……」
♢♦♢
「ん……」
扉を開けると、リアナはもぞもぞとクローゼットから出てきた。紫の瞳をまぶしそうにまばたかせ、「終わった?」と聞いた。
「ああ」
高さのある場所なので、デイミオンは王の脇に手をいれて抱きおろした。ついでに、適当な
肩を押して暖炉の側に連れていくと、そこまでは素直にしたがった。白い手で肩をこすっているので、やはり寒かったのだろう。薄着については自業自得といえ、デイミオンは落ちつかない気分になった。
「それで」リアナは背の高い青年を見あげてにらみつけた。「黒竜大公はエサル公と共謀して、わたしを蹴落とす算段をしていたわけね」
「……すまん」デイミオンは常になく素直に謝った。肩に置いたままの手が中途半端だ。
「別にいいわ」
彼女に着せかけた
下着の上に自分の
その想像は、陰謀を知られたことよりもずっと気まずい思いを、青年のなかに起こさせた。時悪しく、身体の一部に熱が集まってくるのが感じられ、いっそう危機感がつのる。
だがリアナはそんなデイミオンの内心は知らずに、指をつきつけて糾弾してくる。
「その一山いくらの竜騎手のだれかと、わたしがくっつけばいいと思ってるんでしょ。そうすれば自分が王になれるから」
「い、いや、そういうわけでは……」
「デイは陰険よね。わかってるんだから」
「謝っているだろう!」
「そうやって逆ギレするからきらい」リアナはつんとそっぽを向いた。
「じゃあ、どうすればいいんだ」
「知ーらない。勝手にすれば?」
リアナは冷たく言った。「帰る」
♢♦♢ ――リアナ――
二人が住んでいるのは王の居住区なので、当番の竜騎手がいるほかは近衛兵の姿もなく、静かだった。それでもデイミオンは、いちおうはと自室の前まで送ってくれた。「自重しろ」という捨て台詞を残して。
「ひとの気も知らないで。ふーんだ」
広い背中に向かって舌を出してから、リアナは部屋に入った。……と、扉のすぐ後ろにいたなにかにぶつかった。
「わっ」
「ごめん」
あわてて肩を支えてくれた相手を見あげる。……「フィル。どうしたの?」
護衛をしてくれているから、フィルが部屋にいること自体は不思議ではない。ただ、夜までいることはめずらしい。
尋ねると、侍女がリアナを探しているのを聞いたのだという。デイミオンの部屋にいることはルーイに伝えていったはずだが、どこかで伝達が漏れたのかもしれない。
「なかなか戻ってこないから、心配になって。今、探しに行こうかと……」
フィルはそう言うと、眉をひそめて彼女を見下ろした。「あなたこそ、どうしたんですか? その格好」
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