たったひとりのための歌 中編

 あなたは、置かれた場所で必死に咲いた大輪の花でした。

 対して私は、目の前のことに取り組もうとせず、運が巡ってくればいつか、爛漫の春を謳歌できると信じるばかりの、根を張ることすらない種でした。

 世の中は理不尽なものです。「努力は必ず報われる」という人口に膾炙した美談がありますが、努力は必ずしも報われるものではありません。努力は平気で人を裏切りますし、方向性が定まっていない場合、大抵それは無駄になります。

 ですが。

 それでも努力しなければ――ステージに立たなければ、報われるものも報われないのです。


 *


「本当アンタのこと好きよね、朝村桜。今日も来てたし」

 公演後の楽屋で、背もたれに体を預けた飛騨が吐き捨てた。早々にファンサービスを終えた信号機トリオはもう帰路に着いている。ハンガーに架かる揃いの衣装の距離感が、ピアニッシモの冷え切った空気を暗示していた。

「みたいね」

 飛騨の顔も見ずに返事をした。衣装を脱いでハンガーに掛け、関係者に挨拶をしたら今日の仕事は終了。スカートのファスナーに手を掛けた凛は、飛騨が目の前まで迫っていたことに気づいた。

「近いんだけど……」

「アンタ、聞いてないわよね。今後のこと」

 いつもぷりぷり怒っている飛騨にしては珍しく、表情も声色も落ち着いている。というより、必死に落ち着かせようとしているように凛には見えた。

「なに」

「解散の話」

 とうとうこの時がきてしまった、と凛は思った。近いうちに最後通牒を言い渡される。それはピアニッシモのメンバー全員の――会話はほどんどないにせよ――共通認識でもあった。

「そう」

 全身を虚脱感が襲った。倒れ込むようにパイプ椅子に体を沈め、普段から見上げていた天井のシミに目を遣った。

「残念だけど、事務所の決定だから。これからは大手を振って自分勝手ソリストやってればいいわ」

「…………」

「一応、元リーダーとして伝えたからね」

 言うや否や、飛騨は帰り支度を整えてドアノブに手を掛けた。何かにつけて鼻につく、口うるさい飛騨とももう会うことはない。

「あんたはこの後どうすんの?」

 飛騨は心底嫌そうに目を細めた。

「プライベートの時間。言っとくけど、一緒に感傷に浸る気はないから」

「そっちじゃない。今後のこと。私はアイドル辞めるけど、あんたは?」

 飛騨はドアノブから手を離した。そして何やら思案した後、腕時計を見たまま呟く。

「……ついて来なさい。アンタに見せたいものがあるから」


 『レッスン着を持ってきて』とだけ言われ、凛は飛騨に続いた。阿佐ヶ谷から新宿へ向かう上りの中央線は、帰宅ラッシュ中の下りと比べれば空いている。乗客もまばらな中、二人の間に会話はない。結局、目黒駅の東口、ビル街の一角にある雑居ビルのエレベーターに入るまで沈黙は続いた。

 長い沈黙を破ったのは凛だった。

「何、ここ。いかがわしい店?」

「見れば分かるわよ」

 狭いエレベーターは最上階で止まった。エレベーターホール前で受付を済ませた飛騨が「こっち」と告げて、狭い廊下に面したドアを開ける。

 そこには、ワックス掛けされた木目のフロアが広がっていた。

「スタジオ……?」

「正しくはレッスンスタジオ。ダンスとかボイトレとかいろいろよ」

 勝手知ったる飛騨に案内され、ロッカールームに通される。レッスン着に着替えている少女達が、飛騨を見つけて親しげに声を掛けている。飛騨を中心に、談笑の輪ができていた。その輪から距離を取っていた凛に、飛騨は一瞥して告げる。

「アンタも着替えなさい。私のプライベートを詮索したんだから、今さらどうでもいいなんて言わせないわよ。無料体験コースのアイドル初心者さん?」

 ここまで来て引き返す訳にもいかなかった。飛騨への対抗意識もあって、凛はレッスン着にしていた、いつぞやの黒いロゴTに袖を通した。


 狩屋レッスンスタジオ。そこで行われていたのは、紛れもなくアイドルのレッスンだった。凛を待ち受けていたのは、初心者向けとは思えないほどの過酷な内容だ。ダンス、発声、芝居。アイドルの卵達の末席で、付いていくのもやっとといった凛に対し、飛騨は講師がつける注文に食らいついている。周りの少女達の動きが鈍くなっていく中、飛騨だけは厳しいレッスンを最後までやり遂げていた。


 レッスン後。「屋上」と一言告げられた凛は、非常階段から屋上へ出た。曇天、熱帯夜。生ぬるく湿った夜風と室外機から噴き出す熱風が、Tシャツをべったり肌に貼り付ける。

「まずはお疲れさま。全然動けてなかったみたいだけど」

「…………」

 転落防止用の金網に背中を預けて、飛騨は小さくため息をついた。

「ここで隠れてレッスンしてるなんて、本当は言いたくなかったの。カッコ悪いから」

 飛騨に手招きされ、凛は少し距離を置いて金網にもたれる。飲みかけのペットボトル入りスポーツドリンクを手渡されるも、「飲まないの?」と言われるまで、凛はその真意に気づけなかった。

「解散か……。まあ、しょうがないわよね。メンバーの仲は最悪だったし、やる気もなかったし」

 スポーツドリンクを飲む凛の隣で、飛騨はずるずると金網に沿って腰を落とした。傲岸不遜な飛騨らしくもなく、いつになくしおらしい。

「揃いのTシャツ勝手に作ったり、ステージに口出ししたのが悪かったのかしらね」

 飛騨は、何かにつけてメンバー達に突っかかっていた。自腹を切って作ったロゴTシャツもムカつくだけの細かい注文も、その動機は単純なものだ。

「ダメなリーダーだったわね、私……」

 飛騨はピアニッシモの中で誰よりも努力していた。やることなすこと空回り気味だったが、ピアニッシモを思っての行動なのは間違いない。

「あんたのせいじゃないよ、多分だけど」

「フォローなんて要らない。特に、アンタにだけは言われたくない」

「あっそ」

 金網にもたれて腰を下ろす飛騨に視線をやった。リーダー風を吹かせる鬱陶しい姿が、今日はいつもよりも小さく見えた。

「いつから通ってたの」

 同じように金網にもたれて、腰を下ろす。階下の仄明かりに照らされた飛騨の顔、左目近くに小さなほくろがあることを、凛は初めて――ピアニッシモ結成から三年越しに――知った。

「去年。このままじゃダメだと思ったから。事務所にも相談したけど、取り合ってくれなかった。今思えば、あの時には決まってたのかもしれない」

「ふーん」

 飛騨は空のペットボトルを金網の向こうに広がる夜空へ投げた。暗澹たる街に放ったペットボトルは、何の音も立てず、何の騒ぎも起こさない。初めからなかったかのように、都会の喧噪に溶けていった。

「……やっぱ、私程度の実力じゃ何の騒ぎも起こせない。テレビで話題のアンタとは違う」

 黙っていた凛の隣で、飛騨は小さく膝を抱えてうずくまる。顔を見られないよう膝頭で覆った途端、湿っぽい声を上げて体を震わせた。

「運がよかっただけでしょ」

「運、なんかじゃ、ない……」

 飛騨は泣いていた。あの強がってばかりの飛騨が、声を震わせて涙を流している。その様子を眺める他なかった凛に、飛騨は声を押し殺して叫んだ。

「少しは慰めようとか思わないの、このバカ!」

「……泣くか怒るかどっちかにしたら?」

 飛騨は顔を上げた。泣き笑いの珍妙な顔で凛と視線を交わした後、また膝の中に戻る。

「……じゃあ泣く」

 やれやれと息を吐いて、凛は飛騨の肩を抱いた。ステージの上――仕事中以外で人を慰めた経験がなくて「へたくそ!」と檄が飛ぶ。売り言葉に買い言葉と、凛は強引に飛騨を抱き寄せた。

「これで満足?」

「……本当ズルいわ、アンタ」

「あ?」

 凛の腕の中で、飛騨は続ける。

「……アンタって、何させてもそれなりにこなすじゃない。あんなに練習サボってばかりの、練習嫌いのクズなのに」

「褒めてんの、それ」

「褒めてるのよ! ムカつくけど、認めるしかないじゃない!」

 凛は飛騨に突き飛ばされた。都市の仄明かりの中では、その表情を伺い知ることはできなかった。

「私はアンタに負けたくなかったのよ! 調和を乱してばかりのアンタに勝って、負けを認めさせたかったの! だけどアンタは、私のことなんて眼中にもなくて……おまけに練習もしないで……あんな……!」

 ピアニッシモのファンは、凛派か飛騨派で大まかに二分されていた。つまり、フロアに散らばるファン達は喪服と白装束を基調としたモノトーン。信号機トリオは自虐的にオセロの盤面に喩えていたが、あながち間違いではない。白黒の両派閥は競り合っていた。

「アンタには才能があるのよ。私がどれだけ努力しても、追いつけないくらいの……アイドルの才能が……」

 凛は突き飛ばされたことの怒りも忘れて、ただただ困惑した。

「つまんないお世辞なんて要らない。私に才能なんてあるわけ――」

「アンタにお世辞なんて言うかッ!」

 飛騨は立ち上がって叫んだ。

「あるの! 私がどれだけ努力しても届かない壁があんのよ! 認めなさい! 小山内凛は超一流のアイドルの才能を持って生まれたって! そうじゃなきゃ私……耐えられない……!」

 もう隠す必要もないとばかりに、飛騨は泣き崩れた。零れ落ちる涙の軌跡は見えても、落ちる音は聞こえない。何の騒ぎも起こすことなく、コンクリートの上に消えていく。

「私にどうしろって言うのよ、飛騨……」

 飛騨は涙を拭うと、凛の襟元を掴んだ。

「アイドルを辞めるな! アンタに負けたのは仕方がなかったって諦めが付くくらい、私に手の届かない所まで上り詰めなさい!」

「無茶言わないでよ! だいたい私はアイドルなんて――」

 言いかけた凛の頬を、飛騨が張り倒した。

「血反吐吐くまで歌え! 死に物狂いで踊れ! アンタを応援してるファンを失望させんじゃない!」

 凛の脳裏に、喪服姿の朝村が過ぎった。慣れない職場でも直向きに努力を積み重ねて現在の地位を勝ち得た朝村は、凛を自分と『似ている』と言った。だが、何の努力もしてこなかった凛は『似ているなんて認められない』と言った。

「私だって、アンタのファンなの! アンタがトップに立つところを見たいのよ……」

 朝村も飛騨も頑張っていた。そんなことも知らず努力もせず、アイツらは運がよかっただけと思い込んで、凛は醜い嫉妬を投げていた。

 だが、蓋を開けてみれば、運がいいのは自分の方だ。努力もしていないのに認められて、二人と同じステージに立っている。立ってしまっている。


 それでいいのか。そんなことでいいのか。

 純粋に努力を続けてきた人間と、努力しない人間が同じ立場でいいのか。


「……痛いよ、バカ飛騨」

 凛は泣いていた。頬を殴られた痛みではなく、己の愚かさに泣いていた。

「アイドル続けるって言うまで殴るから! トップに立つって言うまで、ボコボコにしてやるから!」

 飛騨も泣いていた。屋上で二人、努力する者としない者に分かれた戦いの決着は、ふたりが泣き止むまで続いた。

 曇天は、熱い夜風に払われた。都市の明かりに負けない一等星の光が、屋上に降り注ぐ。

 隣で鼻をすする飛騨に、凛は静かに告げた。

「顔を殴るのはやめて。傷が残るのは嫌だから」

「じゃあ、アンタ……」

 凛はふうと息を吐いた。

「……ボコボコに負かしてあげるよ、飛騨あかり。一生後悔しなくて済むように、あんたを突き放してやる」

 凛の宣言に、飛騨は涙をごしごし拭って鼻を鳴らした。

「できるものならやってみなさいよ、小山内凛。一生かかってでも、アンタの才能を追い越してやる」

 二人のまなじりには自然と、密やかな決意が灯っていた。


 *


 懐かしいです。

 泣いているあなたを慰め、決意を誓い合った、青春とも呼べるあの日々が。

 戻れるものなら戻りたい。

 胸に灯った情熱の炎らしきものを吹き消すため、死力を尽くして引き留めたいと今でも後悔しています。


 ですが当然ながら、人は過去には戻れません。起こってしまったことをなかったことにはできないのです。

 過去の過ちは消すことができない烙印のように、心と体に焼き付いて剥がれません。

 ですが、過去は変えられなくとも未来は変えられます。


 そう言えば、話し忘れていましたね。

 私があなたの結婚式に来た理由はたったひとつ。

 これ以上、過ちを繰り返さないため。

 今日ですべてを終わりにするためです。


 *


「解散するんです、ピアニッシモ。それで私――」

『待って。理解が追いつかない』

 事実を電話で伝えると、朝村は二人の家からほど近い、高田馬場のファミレスを指定してきた。明朝の生放送を控えた朝村がそろそろ眠りにつこうかという時間、午後七時。

 待ち合わせ場所のファミレスには目元を真っ赤に腫れた朝村の姿があった。

「どぼして……」

 開口一番に朝村は尋ねてきた。天下の看板女子アナウンサーが、滂沱の涙と鼻水にまみれている。周りの視線などお構いなしだ。

「事務所の都合です。賞味期限切れなんですよ、私達」

「まだ19歳じゃないでずがあ!」

 びええとマンガのように泣く朝村の向かいから、隣の席に移った。もたれかかってくる朝村を、凛は柔らかく抱き留める。今回は「へたくそ!」という罵声はなかった。

「もう19歳なんです。18歳越えたらババアなんて言いますし」

「私がもっと凛ちゃんを支えられてたらああ……! 毎回CDと握手券買い占めてればああ……!」

「そんなことしたら朝村さんのお給料なくなりますよ」

「なぐなってもいい……! 凛ちゃんが辞めるよりマシだよぉ……!」

 朝村が本気で言っていることは凛も分かった。朝村さんぽの打ち上げで連絡先を交換し合った時の喜びようは、今でも凛の脳裏に焼き付いている。

「凛ちゃんがアイドル辞めちゃったら……私はどぼすればいいんでずがああ……」

「辞める?」

「だって、だってえ……事務所から追い出されちゃったらあ……」

 そう言えば、と思い出す。電話では、解散した後のことを伝え忘れていた。

「辞めませんよ、私」

「え……」

 朝村と視線を合わせた。泣きすぎて顔面が崩壊している。一番のファンにこんなひどい顔をさせてはいけないと凛は腹をくくった。

「最近、夢ができたんです。聞いてくれますか、朝村さん」

「はひ……」

 一呼吸置いて、凛は閉ざしていた心を解放した。

「……私は、人の言葉を信用できない人間でした。アイドルはウソの世界で、ファンに都合のいいウソを見せているものだから。そんな風に、普段からウソばかり付いていると、他人の言葉も疑ってしまうんです。あの人は、ウソをついているんじゃないか、って。朝村さんは、分かってくれますよね」

 涙をすすりながら、朝村は頷いた。彼女は彼女で同僚から『無理しないでね』というオブラートに包んだ敵意を向けられている。優しく慰めるようでいて、心を滅茶苦茶する弾丸だからだ。

「たしかに私は、今でも他人を完全には信用できません。でも、信用するしかないと思える人に巡り会えました。二人居ます。分かりますか?」

 首を横に振る朝村の手を握って、凛は続けた。

「飛騨あかりと、朝村桜さんです」

 途端、朝村は泣き崩れた。泣き止むことを待たず。凛は手を強く握る。

「私は、二人に嫉妬していました。うまくやってる人を僻んでいたんです。あの人達は運がいいからチヤホヤされているだけ、運さえあれば私だって輝けるって」

 備え付けのナプキンで朝村の目元を拭ってやる。

「だけど、運がよかったのは私の方だった。二人が血のにじむような努力をしていたと知ったとき、嫉妬した自分が最高に惨めで、心底、自分に失望しました」

「そんなこと、ないっ……! 凛ちゃんは、誰よりも……輝いてる……!」

 途切れ途切れの朝村の言葉に、自然と笑みがこぼれた。朝村の小さな背中に手を回して、凛は耳元で囁く。

「私が変われたのは、あなたが本音でぶつかってきてくれたからです」

「え……」

「朝村さんが本音を話してくれてると気づけたんです。お世辞なんかじゃない言葉で何度もぶつかってきてくれたんです。朝村さんの言葉にウソはないって、信じられますから」

 それきり黙った朝村に、凛は告げた。

「私の夢は、朝村さんがずっと応援していたくなるようなアイドルになることです。朝村さんだけじゃなくて飛騨や、ずっと応援してくれていたファンの人達を信じて、心地よいウソを見せてあげること」

 アイドルは都合のいいウソを見せるもの。それは変えられない。

 だが、ウソを喜ぶファンの声はウソじゃない。何者にも代えがたい本物の気持ちだ。

「……だから、私はアイドルを辞めません。一人になっても続けます、続けてみせます。誰かが本音でぶつかってきてくれる限り、私は期待に応えたいから」

「約束、してくれますか……」

「約束ですよ」

 朝村は凛を抱きついて体を震わせた。それからしばらく泣き止むまで、凛は朝村を静かに抱きしめていた。周りの客は視線を逸らした。店員も注文を取りには来なかった。都会のファミレスで二人ただ抱き合って、時が朝村の涙を止めるのを待っていた。


「……ごめんなさい、凛ちゃん。でも、ありがとう……」

「いいんです。私も朝村さんに会って言いたかったから」

 軽く食事をして、駅前で話す。路線の違う二人は、ここでお別れだ。

「私は夢を追いかけます。約束をウソにはしたくないですから」

 「それじゃ」と立ち去ろうとした凛の袖を、朝村が掴んでいた。

「……凛ちゃん、お願いがあります」

「なんですか?」

 振り向きざまに、朝村は凛の手を持って自分の頬に当てた。凛が振りかぶれば、朝村の頬を張ることができる。そんな体勢だ。

「夢に向かって踏み出せないでいる私に、喝を入れてください」

「喝、って……」

「凛ちゃんに応援してもらえたら、できる気がするんです。だから……」

 朝村は目を閉じた。凛は朝村の迷いを断ちきるように、頬に添えた手を離し、振りかぶる。

 乾いた音が、駅前の雑踏に呑み込まれた。

「……痛くなかったですか?」

 目を閉じたまま、朝村は言った。

「痛くなかったら意味がありませんから」

 告げると、朝村は息を吸い込んで瞼を開いた。そして凛の瞳をしかと見据えて、雑踏に呑まれない大きさで、かつ凛にだけ聞こえる小ささで、決意を告げた。

「決めました。私、進みます。応援してくれる凛ちゃんのためにも。これから凛ちゃんを応援し続けるためにも」

「がんばってください。私もがんばりますから」

「あはは……。懐かしいですね、その台詞」

 かつて朝村から言われた言葉が自然に出て、凛は笑った。

「凛ちゃん、聞いてください。私の夢は――」


 *


 だけど、夢は叶わなかった。

 私は天を、運命を恨みました。あの時のあなたの言葉がなければ、血反吐を吐き、死に物狂いで努力することはなかった。体を壊し、心を病み、滅茶苦茶になった自分自身の姿を見てこの世界すべてに絶望することもなかった。

 私の顔を見てください。

 落ち窪み、痩せこけ、誰もが目を背けるほどに醜悪なこの顔を。

 私の体を見てください。

 アザにまみれ、骨は折れ、手首には自傷行為の消せない名残を。

 私の心を見通せますか?

 殺したい程憎い人のために、挙式でスピーチする痛烈な感情を。


 今、私の手に握られているものが見えますか。これはウェディングケーキを切り分ける、なまくら刀ではありません。あなたの瞳をほじくり、頬を引き裂き、腕を落とし腹を割るためのもの。ご来席の皆様に、腐りきったあなたの肉という肉を、サーブするためのナイフです。


 何故こうなった、という顔をしていますね。

 理由は簡単です。


 私は、あなたを許さない。

 才能があると言ってその気にさせ、私を掌の上で転がしたことを許さない。

 応援するフリをしながら、私を追い落として悦に入ったことを許さない。

 ライバルを気取って、私を焚きつけ続けたことを許さない。


 これはすべて、あなたが招いたこと。

 私をそそのかした悪女である、あなたのせいです。

 当然、判っていますよね。


 ――飛騨あかりさん

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