たったひとりのための歌 前編

 純白のドレスを着たあなたを前にすると、本来抱くべき感情と真逆の感情を持っていることに気がついて、自分自身が怖くなります。往復はがきの出席に印をつけて欠席を二重線で消すまでの長い時間も葛藤も、あなたはきっと分かってくれないことでしょう。

 それでも、これが一つのけじめであることは、理解しているつもりです。だからステージ衣装をわざわざ借りて、こうしてあなたと、あなたの選んだ旦那さんの前に。そして数多くの列席者の前に立っています。

 この式の主役は、あなた達二人。ですがスポットライトが落ちた今この瞬間は、他の誰でもなく私が主役です。


 *


 歌番組の収録は滞りなく終わった。スタジオ内を忙しなく走り回るAD達の姿を、小山内おさない凛は緊張感と達成感がない交ぜになった、訳の分からない感情で眺めていた。

 アイドルグループ、ピアニッシモ。地下に暮らすモグラであるメンバー五人は、地上の眩いスポットライトに目を回していた。地下とはほど遠い、汐留の遥か上層階であれば無理もない。

「ともかく初のテレビ出演はおしまいね。お疲れさま!」

 労いの言葉を貰って初めて、凛は地下以外の仕事を終えたことに気がついた。それは残りのメンバーも同じようで、力なく椅子や壁にもたれる。極度の緊張から解き放たれた安堵感が、ため息となって楽屋に充満した。

「ま、まあ地上波なんて案外大したことなかったわね?」

 ピアニッシモのリーダー兼マネージャーの飛騨あかりは、そんな風に強気に豪語する。だが、虚勢を張っているのは誰の目に見ても明らかだった。

 飛騨は、仕切りたがりの学級委員長がステージ衣装を着て歌っているようなものだ。つまり、とにかく細かくて面倒臭い。残りの三人同様、飛騨に絡まれないよう凛が視線を遠くにやっていると――

「凛。あんたサビ前の振りが遅れてたわよ」

 飛騨に捕まってしまった。

「……うっさいな」

 嫌みったらしい口調の飛騨に、凛は吐き捨てるように呟いた。眉間に皺を寄せる飛騨と、折れない凛を止める者は居ない。ある者は雑誌に視線を落とし、ある者は無頓着にもその場で衣装を脱ぐ。のグループ・ピアニッシモに連帯感などあるはずがない。

 グループ内に冷たい風が吹いているなど知ってか知らずか、飛騨はいい歳こいて続けているツインテールを撫で上げて、せせら笑った。

「あーごめんね。私って意識高いから、アーティストのダメなトコばっか目に付いちゃうのよねえ。だいたい、全員揃ってるのに凛だけ浮いて調和を乱すって、一周回って個性かも?」

 明らかな挑発だ。売り言葉に買い言葉とばかりに、凛もつい大声になる。

「ピアニッシモに調和なんてない」

 途端、メンバーの視線が凛に突き刺さった。だがメンバーは何も言わない。何故ならそれは共通認識。思っていても口にしなかったことだ。

 居たたまれなくなった凛は、楽屋のドアノブに手を掛けた。

「ほら、そうやって調和を乱してばっかり。練習はサボるし、やる気もないし。言っとくけど、あんたのためにあるユニットじゃないのよ!」

「…………」

「何とか言いなさい! 自分勝手ソリスト気取ってんじゃないって言ってんの! 才能あるんだからもっとがんばりなさいよ! 聞いてんの、凛!?」

 飛騨への返事代わりにドアノブを握って、空気の悪い楽屋から出ようとする。ピアニッシモの連中とは一緒の空気を吸いたくなかった。

「もういいわよ、ずっとそうやって逃げてれば?」

 飛騨への無言の返事として、勢いよくドアを閉めた。

「……何が才能だよ、クソが」

 トイレの鏡に自分を映して、凛は陶器製のシンクを叩いた。遠慮して加減したはずの手が予想以上にシビれて、手をひらひらと舞わせる。

「なんなんだよ……!」


 *


 そんな時でした。

 昨日の事のように思い出せるという言葉は、こういう時のためにあるんだと苦笑してしまうくらい、私はあの日のことを覚えています。

 もっとも、都合の悪いことだから、あなたは忘れてしまっているでしょうね。


 *


「何なのでしょう?」

 背後からの声に、凛は顔を上げた。女子トイレの大きな鏡越しに、見覚えのある女性の姿があった。鏡越しに視線を交わして、凛は彼女が何者かすぐ分かった。

「朝村さん……?」

 彼女――朝村桜は低い背丈をより低く折り曲げて、ぺこりと小さく礼をした。凛よりも10センチは低い小柄な朝村は、人好きのする性格がウケてバラエティに引っ張りだこの看板局アナだ。

「もしかしてルーティーンでした? 邪魔しちゃってたらすみません」

「ルーティーン?」

 謝られた意味が分からず復唱した凛に、朝村はきょとんとした顔で続ける。

「アーティストの方って、出番前に欠かせない儀式があったりするなあ、なんて思いまして」

 言われて凛は理解した。小山内凛には、トイレの鏡の前に立ってシンクを叩いて「クソが」と言うような、プログレじみたルーティーンはない。せいぜい古くさい迷信を信じて、人の字を手に書いて食べる程度だ。

「違います」

 テレビでよく見る有名人が目の前に居る。そう考えた途端、緊張して上手く話せなかった。早く返事をしなければと焦るあまりに、冷たい対応になってやしないかと、凛の心はざわついた。

「じゃあ、いろいろあったんですね」

「ええ、まあ」

 短く会話を切って立ち去ろうとした凛の手は、不意に朝村に掴まれた。

「がんばってください。私もがんばりますから」

「はあ」

 生返事もどこ吹く風とばかりに、朝村は「握手して貰っちゃった」とひとしきり喜んで、トイレの個室へ消えていった。朝村の手は、小さな体のどこにこんな力が眠っているのかと感じるくらい強く、それでいて温かい手だった。


 *


 私は「がんばって」という言葉が大嫌いでした。嘘でも言えるような気軽な言葉で、応援した気分に浸る連中の気が知れなかったのです。

 「がんばって」と言うなら、行動で示してほしい。アイドルの私に「がんばって」ほしいなら、その「がんばって」を疑ってかからず済むように、愛を証明してほしい――そう、当時の私は考えていました。

 無理な話です。愛を測る手段なんて、この世にはないのですから。


 思えば、あの頃の私はねじ曲がっていました。地下のモグラに相応しい陰湿な世界の中で、分不相応な虚栄心にまみれ、もがき苦しみながら自尊心の泥の中に沈んでいく。だからこそ、自分を見失わずに済むように、愛をもって私の存在を認めてほしかったのでしょう。お恥ずかしい話ですが、そうした時期もありました。

 そんな、針のように尖った当時の私を変えたのはあなたでした。


 *


「はいはい、ライブの後も仕事あるんだからとっとと着替えて!」

 狭苦しいハコでの公演後。飛騨はメンバーに色付きTシャツを差し出した。「勘弁してよ」「ダサ……」と口々にメンバー達が告げるも有無を言わせず、凛には真っ黒のTシャツを押しつけてくる。

 ピアニッシモには――他のアイドル達もやっているように――メンバーのパーソナルカラーがある。センター兼リーダーの飛騨は、ウソまみれの純白で、凛は漆黒。残りの三人は信号機。そうした推し色の関係で、凛のファンは全身黒ずくめの喪服じみた出で立ちになる。ただでさえなファンの容姿に喪服の悲愴感も加わって、目も当てられない。

「なにこのTシャツ」

「ピアニッシモのロゴT。自腹切って作ったんだからありがたく思いなさい」

 広げてみると確かに、ピアニッシモのロゴがあしらわれたユニットTシャツだった。ただ、ロゴ以外には何も入っていないので抜群に地味だ。

「なんでこんなモン作ったの、バカなの?」

「私はピアニッシモのリーダーなの。アンタみたいに一人でフラフラやってるのとは違うってことよ」

「真面目かよ……」

「アンタが不真面目なだけ。いいから早くして。拒否ったら衣装破いてでも着せるわよ」

 ここで拒否すると、また『調和を乱す小山内凛』とぎゃあぎゃあわめかれてしまう。着る・着ないで喧嘩するのもアホらしいと感じて、凛は仕方なくロゴ入りTシャツに袖を通した。黒のシャツは、凛の体型にぴったり合っていた。

「ねえ、そう言えばフロアに朝村桜いなかった?」

「朝村?」

 言われて、凛はカーテンの隙間からフロアの様子を覗いた。テレビ出演を経ても、ファンの数は大して変わらない。ことで去っていく古参も居れば、ことで入ってくる新参も居る。地下アイドルのファンというのは往々にしてそういうものだ。

「いた? 朝村桜」

 いつになく積極的に、飛騨が声を弾ませて話しかけてくる。公演中とうって変わって明るく照らされたフロアを見渡すと、男性ファンの列に埋もれる小柄な朝村の姿が見えた。

「いた」

「ホント!? 誰推し? 色は!?」

 興奮気味に尋ねてくる飛騨が鬱陶しくて、凛はカーテンを閉めた。自分で確認しろとばかりに定位置を譲ってやると、飛騨はなりふり構わずカーテンの隙間に首を突っ込んだ。頭隠して尻隠さず。尻を蹴っ飛ばしてやりたくなる間抜けな姿だった。

「見る目ないな、朝村桜」

 飛騨は急速に興味を失って、カーテンの隙間から顔を出した。それとほぼ同時にスタッフからお呼びが掛かり、凛達はステージの上に舞い戻る。公演後にあるファンとの交流会だ。

 葬列じみたファン達を適当にあしらい、が遅いと心の中でスタッフを恨んでいると、とうとう最後の一人――黒ずくめの女が凛の前に現れた。

「来ちゃいました」

「あ……」

 凛は言葉を失った。朝村桜が、上から下まで真っ黒な喪服姿で立っている。

「覚えてますか? ……なんて、よくないですよね、こう言う聞き方」

「覚えるも何も朝村さん、ですよね……?」

「そうですけど、そっちじゃなくて。の」

 あまりのことに呆然とした凛の頭でも、汐留での出来事は昨日の事のように思い出せた。ただ言葉が出てこなくて、首を縦に振って答える。

「じゃあ、あの時私が言った言葉、覚えてますか?」

「……がんばって、でしたっけ」

 笑顔を張り付けて、凛は大嫌いな言葉を口からひねり出す。すると朝村は子どものように目を輝かせて何度も頷いた。

「そうです! 小山内さんのこと、ちゃんと応援したくて!」

 言って、朝村はCDを三枚とチェキ券を凛の前に突き出した。

「小山内さん、とっても輝いてました! 私、アイドルのライブを見に来るの初めてなんですけど、一曲目のソロパートでググッと引き込まれてからずっと目が離せなくてもうなんていうかスゴく……スゴくて! すみません、こんなことしか言えなくて!」

 「アナウンサー失格ですね」と照れ笑いする朝村が差し出した手に、凛は握手会であることを思い出した。朝村の小さな手はほんのり汗ばんでいて、ライブに引き込まれたというのもウソではなさそうだった。

「ありがとうございます。朝村さんにそう言っていただけて光栄です」

「こちらこそ、元気を貰えましたっ!」

 毎朝テレビで見るのと同じ、朝村の満面の笑みが凛には痛かった。朝村は万人に愛される一流アイドル局アナだ。芸能界で成功した者と今の自分を比べてしまい、腐った自尊心の沼に沈んでいく。

 これ以上は笑顔が保てない。凛は話題を変えることにした。

「どうして来てくれたんですか?」

「やっぱり、応援したかったからですね」

 握手が終わると2ショットチェキが待っている。スタッフに促され凛の隣に立った朝村は、静かに呟いた。

「変な話、がんばってって言うだけなら誰でもできるじゃないですか」

 凛は、反射的に朝村に目をやった。職業柄か、スタッフの構えたカメラを真っ直ぐ見据えた朝村の横顔が、凛には痛いくらい美しく見えた。

「私、心のこもってない適当な応援はしないことにしてるんです。届かなかったら意味ないですから」

 朝村の横顔を見ている時にフラッシュが焚かれた。撮り直した二枚目は、ちゃんと二人がカメラ目線で笑っていた。


 *


 あなたのやることなすこと、大嫌いでした。

 当時の私は、成功者を嫌うルサンチマン根性を掲げて、負け犬の遠吠えを繰り返していましたから。

 芸能界での栄光は時の運。運さえあれば私もあなたを越えるような人間になれると、本気で信じていたのでしょう。

 結論から言えば、それは大きな間違いでした。


 *


「本当にすみません……!」

 ハコの楽屋で、朝村はピアニッシモのメンバーとマネージャーにぺこぺこ頭を下げ続けていた。「とんでもないですよ」と紋切り型の言葉を返す飛騨の向かいでは、テレビ局の撮影クルーが下卑た笑みを浮かべていた。

 一週間前、無名のピアニッシモに突然撮影オファーが舞い込んだ。とは言え実態は、看板アナ・朝村桜の密着企画のひとネタとして、朝村ガチ推しのアイドル・ピアニッシモの小山内凛と対談するというものだった。

「じゃ、コメント撮りするんで二人は待機で」

 言い置いて、撮影クルーとメンバー達は舞台袖へ消えていった。なんでも、舞台袖でコメントを撮った方が「いかにも」感が出るらしい。この日ばかりは、普段から興味もなさそうな信号機カラーの三人もどこかよそよそしい。飛騨に至っては言わずもがなだ。

 楽屋に残された凛と朝村は、微妙な距離感を保って向かい合う。苦笑を浮かべ合う気まずい沈黙を破ったのは、朝村の方だった。

「すみません、小山内さん達やファンの皆さんにもご迷惑だから辞めてほしいって言ったんですが……」

 アイドルに限らず芸能人は、メディアに露出してナンボの人気商売だ。密着企画のワンコーナーとは言え、数秒でも映って話題になれば、地下から這い上がるのも夢ではなくなる。運が向いてきた。

「大丈夫ですよ。大勢に知ってもらうチャンスをもらえました」

「そう言って戴けると助かります……」

 朝村が謝ると、再び気まずい沈黙が訪れた。頭を無理矢理ファンとの握手会のテンションに切り替えて、微妙な間をどうにか繋ぐ。

「あの、握手会では聞けないこと、聞いてもいいですか?」

「もちろんです! うわあ、小山内さんと二人きりでお話できるなんて!」

 「ケガの功名ですね」と、はにかんだ朝村の笑顔が痛くて、凛は悟られないように視線を逸らした。

「凛でいいです。みんなそう呼んでますし」

「じゃあ……凛ちゃん?」

「はい」

「きゃああ~ッ!」

 朝村は黄色い悲鳴を上げて落ち着きなく飛び跳ねた。黒づくめのファンと同じ――もしくはそれ以上に興奮していることは一見しただけで凛にも分かる。

「すみませんすみません、ちょっと……あまりに感激しちゃって……」

 目元を拭う朝村に、凛は質問を続けることにした。

「どうして私だったんですか?」

 あの日、鏡越しに視線を交わし合うまで、朝村はピアニッシモのことを知らなかったはず。まさかトイレで会ったという理由だけで応援するとは思えない。

 朝村は思案するように短く唸ってから、静かに語り始めた。

「……私、本当はアナウンサー志望じゃないんです。それが、たまたま上の目に留まっちゃって。女子アナに見えますか、私」

 凛は、改めて朝村の姿を見た。顔こそ愛嬌はあるが、首から下は小柄で貧乳、発育の悪い中学生のようにちんちくりんだ。

「運がよかったんですね」

 と、オブラートに包んだつもりが棘のある言葉になってしまった。言ってから後悔したが、朝村は「その通り」とばかりに大きく頷いた。

「ただ、やっぱり大変でした。アナウンサー志望じゃないからニュースは読めないしフリートークも壊滅的だし、バラエティのMCなんて本当に毎日失敗ばっかりで」

 朝村は視線を下げて、膝の上に結んだ両手を弄んだ。喪服のような推し色コーデに、白い手が浮かび上がっている。その指はあまりに細かった。

「何度も辞めようと思いましたし、今も思ってます」

 好感度クイーンらしくもない朝村の本音に、凛は営業スマイルを続けることで精一杯だった。笑顔の裏に逆巻くのは、日陰者から人気者への僻み。一流の成功者をうらやみ、僻んだところで自分が惨めになるだけと分かっているのに、思考を覆い尽くす感情を抑えられない。

「つらいなら無理しない方がいいですよ」

 あくまで『朝村桜を心配している』ような調子で、オブラートに包んだ僻みをぶつけた。本心を悟られていないだろうか。反応を伺っていると、朝村はゆっくりと視線を上げる。

「よく言われます」

 苦笑して告げる朝村に、凛の背筋は凍った。

「同僚や先輩からよく言われるんです、無理しないでって。その言葉を信じたいんですけど、なんとなく……。本当にそんな風に思ってるのかなって疑ってしまうんです」

「あ……」

「あ、いえ! よくないですよね、人を疑ってかかるようなこと! きっと凛ちゃんは私のことを思って言ってくれたんですから!」

 凛の向けた敵意は、朝村に見透かされていた。なぜなら、朝村はずっと、凛が投げた以上の敵意に晒され続けているから。

「……違います」

 嘘をついてごまかすことはできた。だけど、自分と同じ――他人の言葉を疑ってしまう朝村には、どんなにごまかしても意味はない。嘘でも偽りでも世間体を保つための建前でもない、正直な本音が必要なのだ。凛自身がそうであるように。

「私は、何の努力もせず、運だけで人気者になったあなたに嫉妬してます。そんな、最低の女です……」

 消え入りそうな声で正直に白状した。朝村の顔は怖くて見られなかった。

「顔を上げてください、凛ちゃん」

 請われて、恐る恐る顔を上げた。朝村は先ほどと同じく苦笑したまま、凛の頬に指を這わせた。殴られる。目を瞑った次の瞬間、朝村の細い指は凛の頬から掌へ、指の隙間に入り込んだ。

「凛ちゃんも、他人を信用できないんですね」

 本音、根っこの部分を見透かされていたことに気づいて、凛は朝村の指を握った。

 朝村が手を差し出した理由は、憐れみか、慰めか。それとも、憐れみを向ける自分に酔っての行動なのか。凛には正解が分からない。

 それよりも、自分に気を遣ってくれている朝村の言葉を疑い、嫉妬していることへの自己嫌悪が勝っていた。結局、凛は朝村の指を握ったままメイクが崩れるのも気にせず泣き続けた。


 *


 嫉妬というものは、誰もが持ちうる感情だと思います。をしない人などこの世に居ないように、まばゆく輝く一番星を見れば、誰だって憧れて、そこに立ちたいと思うものです。

 ただ、幸運にも――当時の私にとってはあまりにも不運でしたが――他人の言葉を素直に受け取れないという点において、私とあなたは似ていました。そのおかげで……いえ、と言うべきでしょう。私によく似たあなたが居たせいで、私は変わってしまったのです。


 *


「凛ちゃん、今日は楽しみましょうね!」

 ハンディカムを片手に、朝村は凛が引くほどの笑顔で告げた。少なくとも、この笑顔と言葉に嘘はない。何故ならこれは、朝村が主導した企画だからだ。ほとんど職権乱用に近い。

「ちょっと不安です。カメラ、ちゃんと撮れていればいいんですけど」

「大丈夫ですよ、私なんて撮らなくていいんです! 今日の目標は、小山内凛ちゃんの尊さを関東ローカルじゅうにお届けすることです! 任せてください!」

 どんと来いと意気込む暑苦しい朝村の姿を、凛はとりあえずハンディカムに収めることにした。

 『朝村さんぽ』。看板局アナ朝村桜がハンディカム片手にゲストと語らいながら街ブラするという深夜の15分番組。関東ローカル、くわえて深い時間とあって視聴率は振るわないが、ゲストのブッキング以外ほとんどを朝村ひとりで行っているという異色の謳い文句が評判だ。

「と言うわけで本日はアイドルの聖地、阿佐ヶ谷を朝村さんぽしちゃいます!」

 元気に意気込んで、駅前広場を背にアーケード街・パールセンターを歩く。物珍しそうに周囲を見渡す朝村をカメラに収めながら、凛はその様子を観察していた。落ち着きなくあちこちに視線を移す朝村の姿が愛らしい小動物に見えてきて、彼女の人気の高さを、そして自身との差を痛感させられる。気楽な仕事と聞いていたのに、つらい仕事になりそうだ。

「そう言えば凛ちゃん。どうして今日のゲストなのか知ってますか?」

 朝村のカメラが凛を捉えた。

「えっと……朝村さんの趣味?」

「確かに凛ちゃんガチ推しですけど!」

 「もう」とあざとく嘆息して、朝村はポケットから取り出した小さなカンペを読み上げた。

「『朝村密着24時』、面白かったです。特に推しアイドルとの対談で『尊い』しか言わなくなった朝村アナが最高でした。あの二人の絡み、もっと見てみたいです」

 朝村が読み上げたのは、先の対談企画の感想だった。あんな出来事の直後に収録したものだから気もそぞろで、訳の分からないことばかり口走る自分の姿を見て悶絶し、翌日飛騨にイジられて死にたくなったほどだ。

「え……」

「お便りまだありますよ! 小山内凛ちゃんがかわいくてファンになりました、もっと見てみたいです。などなど、凛ちゃん宛のお便りが視聴者の皆さんから届いてるんです。あとネットでも」

 告げて朝村はスマホを見せる。『朝村www』などのスラングに混じって『小山内凛かわいい』という書き込みがちらほら見えた。

「自作自演じゃないんですか?」

「違います、これは凛ちゃんパワーなんです!」

 鼻息荒く断言した朝村は、カメラマイクが拾えないほど小さな声で「本当ですよ」と囁く。個人的に向けられたメッセージに気づかないフリをして、凛は適当にカメラを回した。視線を逸らせるなら何でもよかった。

「あ、凛ちゃん照れてます。尊い……」

「照れてませんから」

「ウソついても、顔は正直ですよ?」

 顔じゅうに血が集まるような――なんともこそばゆい感覚。表情を撮られてなるものかと、凛は忙しなく駆け回る朝村のカメラから逃げ続けた。この様子を捉えた映像がネットでちょっとバズったのは、また別の話。


 終始朝村のペースに呑まれながらも、凛は街ブラロケをやり終えた。打ち上げと称した食事会で、乾杯したそばからビールを飲み干す朝村を眺める。結局最後まで、朝村以外のスタッフと会うことはなかった。朝村さんぽの謳い文句は事実らしい。

「今日はホント楽しかったです! ありがとうございます、凛ちゃん」

「私も楽しかったです」

「本当ですか? 凛ちゃん、ウソ言ってません?」

 あの時の事を思い出して、うす汚い感情が凛の背筋を伝った。一方で、朝村は凛の心境を理解するでもなく、赤ら顔で笑っている。アルコールの回りが早い体質らしい。

「じゃあ、こうしましょう。この場はウソ禁止です! つまんないお世辞も社交辞令もなしで、本音をぶつけ合いましょう!」

「ウソ禁止って――」

 言い返そうとした唇を人差し指で遮って、朝村はにっこり笑った。

「大丈夫。私は凛ちゃんがどんなに根暗な性格ブスでも、ずっと凛ちゃん推しですよ! だって存在してくれてるだけで尊い……あと顔がいい……」

 ズバズバ切り込んでくる朝村をにらみつけそうになったが、必死で表情を取り繕った。ただ、売り言葉に買い言葉。拒否することもできただろうが、『根暗な性格ブス』と言われて引き下がるほど、凛は人間ができていない。

「では、本日の朝村さんぽはどうでしたか?」

「7:3で楽しかったです」

「3がウソですか?」

「7です。3楽しくで、7退屈」

「7かあ~!」

 大げさに叫んで朝村は笑う。凛も思わず笑みを零していた。

「でも、3楽しかったのは本当です。朝村さんが頑張ってるのは伝わってきましたから」

「凛ちゃんが私のこと褒めてくれてる! 尊い! 死ぬ!」

 酒が入っているからか朝村のテンションはどこかおかしい。ウソ禁止と言うからにはこれが朝村の本性なのだろうが、それすら疑ってかかるのが凛だ。

「本当にそんな風に思ってます?」

「思ってるに決まってるじゃないですか! 見てくださいこれ!」

 朝村が鞄から取り出したのは、表紙がよれよれになった小さなアルバムだ。中を開くと、おびただしい量のブロマイドが挟まっている。

「うわ……」

 中身を見て凛は絶句した。一冊まるごと小山内凛だらけだ。実家に置いてきたアルバムも、ここまで念入りではない。執念を感じさせる出来だ。

「ファン歴は浅いですけど、凛ちゃんの一番のファンでありたいと思ってますから。まだ信じられませんか? 他にもいろいろありますけど」

「だ、大丈夫です。伝わりました……」

 嫌いな相手なのに、ここまで分かりやすく好意を向けられると居心地が悪い。好いてくれている相手を嫌っている自己嫌悪と、好意を寄せられて嬉しい気持ちが同居する。これ以上、朝村のペースに呑まれたらマズいと、凛は話題を変えた。

「朝村さんに聞きたかったんですけど、どうして私が……他人を信用できないって分かったんですか?」

 他人は信用できない。言葉なんてウソの塊だ。カワイイもキレイもカッコいいも思ってなくたって言える。こんな風に思えてしまうのは、ウソまみれのアイドルゆえの職業病かどうかは分からない。

 朝村は「う~ん」と唸って、眉をハの字に曲げた。

「似てるなって思ったんです、凛ちゃんと私。あ、容姿の話じゃないですよ? 私なんて全然ちんちくりんですもん」

 今日のロケは二人とも私服だった。男ウケしないパンツスタイルの大人びた凛とは違い、朝村は清楚なファッションで身を固めていた。が、背丈が足りず童顔なので、清楚なお姉さんというよりイイトコのお嬢ちゃんといった様相だ。

「そうですね」

 朝村の私服――白レースがあしらわれたピンクのトップスを見て、正直に言った。「私も凛ちゃんみたいになりたいよ~」とぶー垂れてから朝村は本題に戻る。


「ライブの時、ひとりで踊ってるみたいに見えたんです」

 

 ――そうやって調和を乱してばっかり。

 自分勝手ソリスト気取ってんじゃないって言ってんの!


 いつぞやの飛騨のうるさい叫び声が、凛の脳裏にこだました。

「なんで……ですか?」

 朝村が、空中分裂寸前のピアニッシモの内情など知るはずもない。飛騨との不仲も、残り三人とは会話すらしていないことも。

「ホント、おかしいですよね。ピアニッシモは五人組なのに、そんな風に見えちゃうなんて。あんなにステージ上だと仲よさそうなのに」

 それは仲がよさそうにというだけだ。笑顔を作って適当に話をしていれば、不仲など簡単に隠せる。地下アイドル・ピアニッシモは歌もダンスもMCも平均以下のメンバーばかりだが、ファンに都合のいいウソを見せることだけは上手かった。

「もしかしたら、自分の境遇と凛ちゃんを勝手に重ねちゃっただけなのかもしれませんね」

「自分の境遇?」

 勘繰りが凛の図星をついたことなど知る由もない朝村は、来たばかりの二杯目のビールで喉を潤し、続ける。

「前に話しましたよね。私、本当はアナウンサー志望じゃなかったって」

「はい」

「本当は、製作志望だったんです。映画とかドラマとかアニメとか、お話を作るのが夢で、ずっとその勉強ばかりしてたんです」

 「だけど」と続ける。

「私はアナウンサーになってしまった。転職も考えましたけど、業界を知る機会だと思って、必死で勉強しました。アナウンス学校で滅茶苦茶に叩かれて、興味のなかったファッションやメイクとかスポーツを必死で勉強して。頑張ったらいずれ製作に戻れると思ったのに、結局こんな感じで」

 キー局の女子アナは狭き門だ。学歴はもちろんのこと、生まれ持っての容姿に美声、そしてなにより突出したキャラクター性。これだけの要素を兼ね備えた上でスクールに通って話術や発声を磨いてきた者でさえ、テレビの世界で活躍するのは難しい。

「毎日失敗ばかりでした。同僚や先輩にはやっかまれるし、かと言って平社員の私が転属を希望できるはずもなくて。誰にも相談できず、ずっとひとりです」

 アナウンサーになるために努力してきた同僚達からすれば、棚ぼたで看板ア

ナになった朝村の存在は目の上のたんこぶだろう。疎外されて当然だ。

「夢を叶えたくて必死で勉強したのに、私の努力は誰も認めてくれないんです。『がんばって』なんて言うくせに勝手ですよね、みんな」

「…………」

 朝村は頭をくしゃくしゃにかき回して、机に突っ伏した。

 朝村は、経験者でも過酷なアナウンサーの仕事を、誰に頼ることもなくずっとひとりで頑張っていた。それが自分の夢に繋がると信じて、全く関係のない仕事でも懸命に努力していた。

 それがどれだけ大変で、ゴールの見えないマラソンか。業界のことなど知らない凛でも、自分のことのように理解できた。


 ――私、心のこもってない適当な応援はしないことにしてるんです。届かなかったら意味ないですから。


 朝村がかつて凛に言った、妙な言葉。その意味が分かった時、凛は息ができなかった。尋常でない努力を積み上げた朝村のことなど知りもせず、努力もしないで自分勝手に嫉妬を向けたことへの、強烈な自己嫌悪と罪悪感。

「凛ちゃんは私の努力、認めてくれますか?」

 認めるとか認めないとか、そういう次元の話ではなかった。凛と朝村では覚悟があまりにも違う。必死に頑張っている朝村と今の自身を比べることすらおこがましい。

「……認めません」

 不意に朝村が顔を上げた。そこで凛は、自分の声が震えていることに気づいた。

「それ、本音ですか?」

 ここで認めてしまっては、ただの自尊心だけ膨れ上がったダメな人間になってしまう。自分はまだ、直向きに努力している朝村と同じステージに立っていない。頑張っている朝村を認めていい人間ではない。

 頬を伝う涙など気にも留めず、声を震わせながら告げた。

「私が朝村さんに似てるなんて、絶対に認めません。認められません……」

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