箱庭①
「ごめんなさいね。ちょっと興奮しちゃったみたい。」
女神セイレーヌは頬に手を当てながらはにかんだ。
まるで貞○と化した女神に引き摺られる様にして、連れて来られた庭園。
その一角に井戸の様な物が見えた時には…もうね…。本気で死ぬかと思ったよ。
……つ、疲れた。
セイレーヌに促される様にして座った石造りのベンチの背もたれに、身体を預けながら私は天を仰いだ。
「貴女達の事はいつも見ていたわ。あの子に、さっきのチョコレートを食べさせたのは、今回で二回目だったわよね?」
いつもって……それ監視じゃ…。
もしくは…ストーカー?
金糸雀だけでなく、女神にも視られていたなんて…。この世界怖すぎる。
「だから、貴女がアーロン――この世界を創った神に会いたがっているのも知っているの。」
この世界を創造した神であり、彼方を召喚した神の名は『アーロン』と言うらしい。
そして目の前にいる
そんな女神が、私の目的を知りながら接触して来たという事は…女神が私の願いを叶えてくれるとでも言うのだろうか?
わざわざ女神が自ら出向いて…?
…何のメリットがあるの?
「…そんな怖い顔しなくても大丈夫よ。」
セイレーヌは苦笑いを浮かべながら、私の隣に座った。
因みに…クラウンは少年の姿になって、庭園の真ん中で日向ぼっこをしている。
庭園での彼の姿は時折、天使の様にキラキラして見えるから不思議なものである。
天使とは真逆の魔族なのに…だ。
そんなクラウンを横目に見ながら私はセイレーヌに問い掛けた。
「では……何故、セイレーヌ様が自ら動いたのですか?それも……魔族を使って。」
「『魔族』……ね。あの子は私にとって他人ではないのよ。ああ、私の事はセイレーヌと呼んで構わないわ。」
クラウンを見つめるセイレーヌの瞳は、柔らかく、温かいと感じた。
「ええと、では…セイレーヌ。他人ではないとは、どういう意味ですか?」
「あの子…道化の鏡と金糸雀の二人は、私の
「……クラウンと金糸雀は魔族ですよね?」
「そこを説明すると長くなるのだけど…。」
******
困ったような顔をしたセイレーヌが、説明してくれたのは世界の事。
セイレーヌの言う『世界』。
それは、シャルロッテ達の居る世界の他に、幾つもの多種多様な世界が存在している地上世界を指していた。
そこには、和泉のよく知る地球も含まれていた。
多種多様な形の星。太陽系や銀河系の星達もアーロン達が創造したそうだ。
そして、その星々は創造した神が自ら管理している。
…つまり、私達は神々の創った箱庭の中に居ることになる。
箱庭の外側には、神や女神達の様な『神族』と呼ばれる者達の存在する天上世界――楽園がある。
アダムとイブの様に、始まりは二人だった。
二人は豊かな楽園の中で、沢山の子供達を産み、
――そこから数百年。
楽園では数え切れないほどに沢山の神達が、生活をする様になった。
しかし、神族が増え、色々な思考を持つ者達が増えると、穏やかだった筈の彼らの性格に、変化が訪れ始めた。
きっかけは、ほんの些細なすれ違い。
だが、ほんの些細なすれ違いは、徐々に心の中に蓄積されて行き……気が付いた時には、楽園を滅ぼしかける程の大戦と化してしまっていた。
老若男女問わない激しい戦いの末に生き残ったのは六割程の神族達。
戦いに負けた者の中には、呪詛を撒き散らしながら死んでいった者がいた。
すると、神族しかいなかった楽園に、聖なる力ではなく、他者を蝕む程の負の力を持った――のちに『魔王』と呼ばれる者が誕生した。
それは戦いに負けた者の内の子供の一人から派生した。親の死に絶望し、楽園を呪い、自らが生きながら呪詛を撒き散らす存在と成り果ててしまった。
その者が始まりの魔王である。
魔王は自分の眷属として、大量の醜い魔物を生み出し、まだ戦いの傷痕が深く残る楽園に解き放ったのだ。
――それが第二次大戦の始まりだった。
魔王と魔物。神達は未知の存在と戦う事になった。
昼夜を問わない激戦と、無限に沸いてくる魔物達。
疲弊しながらも
楽園の崩壊である。
失ったモノを取り戻すかの様に、理想の星を…世界を創造して行く神達。
とある神は、青い水だけの世界を。
とある神は、緑溢れる植物だけの世界を。
とある神は、動物達だけの世界を。
とある神は、自分達に似た姿の『人間』を創った。そして何の力を持たない彼らに、豊かな自然を与えた。
また、中には僅かに残っていた神としての力を全て、星の創造に使用した者達もいた。
彼らは箱庭に降り立ち、自らの創造した世界と一体化する事を選び…同化した。
――それから、数百年。数千年が経った頃。
一人の神が、ある事に気付いた。
遠い昔に撃ち取った筈の魔王が生きていた事に。
…正しくは、生きていたのはその当時の魔王ではなく、魔王の子供の子供の子供の……さらに何代目か後にあたる後継者だった。
調べてみると『魔王』は世襲制なのが判明した。
撃ち取った筈の魔王が、いつの間にか我が子に魔王を継承していた。
そうして力を継承された次代の魔王は、神達に知られる事なくひっそりと同族の魔族を増やしつつ、その力を継承し続けていたのだ。
魔王が生きていた事に気付かなかった事は大層な痛手だったのだが…幸いだったのは、神族に比べて魔王や魔族が短命だったという事。
神族達も力を使い果たしてしまえば、寿命等も関係無く消えてしまうが…基本的には永遠の時を生きる。
寿命の縛りがある魔王だからこそ、楽園の隅でひっそりと血を繋げて機会を伺うしかなかったとも言える。
生き残りの魔王の存在に気付いたのは、和泉の居た世界を創り、管理をしていたアーロンだった。
アーロンは楽園を守る為に、生き残りの魔王や魔族、その眷属となる魔物を閉じ込めるべく新しい世界を創った。
魔に連なるモノは出られないという、即死効果のある障壁が付与された世界を。
その世界には、魔王達だけを閉じ込めるだけでなく、血を繋ぎ続ける魔王を管理する為に、エルフや、獣族、人族を創った。
エルフには森の力と長寿を。獣族には高い身体能力を。人族には高い知能や知恵を。それぞれに術力も備えさせた。
それが、シャルロッテの居るこの世界である。
…そして、反乱を起こす可能性のある魔王を倒す為に、『聖女召喚』のシステムを創り上げたのだ。
魔王だけでなく、この世界に生きる者、異世界から召喚される聖女さえも全て神に管理されていた事になる。
「…アーロンが、貴女達の居る世界を創って、魔王達を閉じ込めたのは、先代魔王の時になるかしら。彼はとても風変わりな魔王だったわね。」
先代魔王は、魔王らしからぬ穏やかな気質を持つ異端であった。
神族や楽園を呪い続ける『魔王の誓約』により、眷属である魔物は生み出してはいたものの、自らから争いを仕掛ける事はなかった。
穏やかな気質を持っていた神族の【先祖返り】。
それがしっくりくる様な先代魔王だった。
魔王の持つ特殊能力である【全知全能】は、先代魔王が愛しいモノ達を守る為に、自らが覚醒させた能力であったそうだ。
――そんな先代魔王から、魔王の能力を継承した今代魔王サイオン。
サイオンもまた穏やかな気質と【全知全能】を持つ異端の存在だった。
家族を愛し幸せな生活を望む魔王。サイオンの歴代の妻達は、『魔王』としてだけのサイオンに惹かれて近付くが、暫くするとサイオンの穏やかな気質を疎み、離れて行ってしまったらしい。
アーロンの創った箱庭から出られないサイオンが、天上の楽園世界に居る筈のセイレーヌの義妹に出会ったのは…………彼女の一目惚れのせいだった。
「一目惚れ!?」
「…ええ。あの子…カーミラが、魔王サイオンの元に押し掛けて強引に結婚を迫ったの。」
当時を思い出しているのか、セイレーヌは苦笑いを浮かべている。
…私は、ポカーンである。
確かに、魔王サイオンは超美形だと思うが…。
「どうして…そうなったのですか?」
「カーミラは、アーロンが魔王の監視をしている時にたまたま遊びに来ていて…箱庭の中に居た淋しそうな顔をした魔王を見つけてしまったの。その瞬間、カーミラは躊躇する事なく水鏡の中に飛び込んで行ったわ。私達が止める間も無くね…。」
ええと……猪かな?
神々はそれぞれ、自分達の創った星を監視する為に『水鏡』と言われる物を使っているらしい。
水鏡とはいえ、触れても濡れる事のない不思議な物なのだそうだ。
…だけど、普通飛び込む?
「ええと…随分と活発な…義妹さんだったのですね…?」
「全然よ。普段の物静で清楚なカーミラからは想像も出来なかった行動なだけに、私とアーロン呆然としながら箱庭の中を覗いている事しか出来なかったわ。」
突然。何の前触れも無く、魔王城に降りて来た女神に、サイオンは咄嗟に臨戦態勢を取ったものの…。魔力を使う為に前方に突き出した両手は、カーミラによってしっかりと握られ『貴方が好きです!結婚して下さい!!』と求婚をされたそうだ。
『…いや、それは無理だ』と、サイが求婚を断っているというのにも拘らず、グイグイと攻め続ける女神には、流石のサイオンも腰が退けていたらしい。
ま、まあ…仕方ないよね。予想外過ぎるもんね…。
サイオンが困り果てた顔で、思わず天を仰いだ時。漸く我に返ったアーロンが、傍迷惑をかけた身内を箱庭から引き上げたそうだ。
その字の通りに、浮かせて引き上げて。
「お兄様!
戻って来た義妹は険しい顔でアーロンに詰め寄り、彼をひとしきり責め立てた後に、また水鏡の中に飛び込んで行ったそうだ。
「………。」
「………。」
コクン。
私とセイレーヌは無言で頷き合った。
長時間に渡る求婚の末、見事に魔王を口説き落としたカーミラは、女神でありながら魔王の妻となった。…見事な肉食系女神である。
そんなカーミラの行動は、神族の間で『女神の引き起こした失態』として問題になったのだが…兄であるアーロンが『妹は魔王の監視をしているのだ』と言えば、すんなりと問題は解決した。
他の神族達は、第二次大戦を思い出させる魔王に関わりたくなかったのだ。
何を言っても言う事を聞こうとしないカーミラに根負けした兄は、ただただ純粋に妹の幸せを願う事にした。
兄達に認められ、幸せな生活を送る事になったカーミラとサイオンだったが――その生活は長くは続かなかった。
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