だったら…。

寮の自室。

ダブルベッドより少し大きめな私のベッドで眠っている彼方。

私はベッドの横に置いた椅子に座って、黙って彼方の顔を見ていた。


――あの後。

診察の終わった彼方をお兄様とリカルド様にお願いをして、彼方を私の寮の部屋まで運んでもらったのだ。

女子寮に滞在し続ける事が出来ないお兄様達は、最後まで心配そうな顔をしていた。

それが『シャルロッテが彼方を苛めたりしないか』…なんて、理由でないのは分かってる。


甘いな…凄く甘やかされている…。


未だに酷く心配していそうなお兄様達を想像して、思わず笑ってしまったが、目の前で眠っている彼方へと意識を切り替えた。


眠っている彼方の目の下には、うっすらとクマの跡が見えた。恐らく…この世界に来てから眠れていなかったのだと思う。もしかしたら、もっと前からも……。


漸く眠れた彼方は――今、どんな夢を見ているのだろうか?


彼方を私の部屋に運んでもらったのは、私のお節介であり、自己満足である。

一人ぼっちの部屋に、どうしても帰したくなかったのだ。


暫くの間、黙って見つめていると、彼方が小さく身動ぎをした。


…気が付いた?


そのまま様子を見ていると、彼方の瞳がゆっくりと開いた。

ぼんやりと天井を見つめながら、何度も瞬きを繰り返している。


声を掛けるべきか悩んでいると、何かの気配を察したように彼方の顔がこちらを向いた。


「……っ!?」

私と目が合った彼方は、とても驚いた様でビクリと身体を揺らしながら、瞳を大きく見開いた。


驚いている彼方を少しでも安心させる様にと、私は努めて穏やかな笑みを作る。


「大丈夫?痛い所とか、気持ち悪いとか無い?」


そう声を掛けると、警戒したような瞳は大きく見開かれたままではあったものの、コクンと首を縦に振ってくれた。


「それなら良かった。」

ふふっと笑うと、警戒が少しだけ解れたのか、彼方はゆっくりと上半身を起こした。


「あ、…まだ横になっていないと」

椅子から立ち上がった私は、不安定な彼方の身体を支えながら、座りやすい様に彼方の背中とベッドの間に何個かのクッションを置いたが、『大丈夫』とでもいう風に彼方は小さく首を横に振ってそれを拒否した。


「……ここは?」


「寮の私の部屋。勝手に運んでごめんね」

にこりと笑いながら椅子に座り直すと、神妙な顔をした彼方が私に向かって深々と頭を下げた。


「…すみませんでした。」


「何の事?」


「ええ……と」

彼方は言い難そうに視線を落とした。


「ああ。私の胸で泣きながら眠っちゃった事?」

彼方の言いたい事を察した私は、意地悪っぽく言いながら笑う。


「……っ!?」

俯いた彼方の耳が羞恥心で、赤く染まっていくのが見える。


「……はい。後…利用しようとしました。」

耳を赤く染めながらも、決意を込めた様に彼方はキュッと唇を噛んだ。


「んー。……私も貴女の事を利用しようとしていたから、お互い様かな」

彼方の頭を撫でようと片手を上げると、彼方の顔や身体が強張ったのが分かった。


それに敢えて気付かないフリをして、彼方の長い黒髪に触れる。

サラリと手を伝う黒髪は、とても懐かしくて愛しい…生まれ故郷のものだ。


涙が滲んでしまう前に、私には彼方に伝える事がある。


「私も叶えたい事があったの。」

彼方の髪を梳いていた手を止めて、微笑み掛ける。


「私の昔話を聞いて貰えるかな?」

彼方が頷くのを見届けてから、私はゆっくりと口を開いた。


**********


「そんな……。」


私のちょっとだけ長い昔話が終わった後。

彼方は大粒の涙をボロボロと溢していた。


シャルロッテ・アヴィとして産まれてきた私が、ある日突然、前世の記憶を思い出した事。

前世でどんな風に生きて、どんな最期を迎えたのかか。

記憶を思い出した日から、悪役令嬢としての最悪の事態を回避する為に奔走して来た事。

――それらの全てを彼方に話した。


「そんな……貴女が……。」

絶句した彼方は極限まで瞳を大きく見開き、ガタガタと震え出した口元を両手で覆った。


「彼方ちゃん…?」


「こんな事って……。」


呼び掛けた私の声は届いていないのか、彼方は自分の身体を抱え込む様に縮こまってしまった。


…無理もない。

こうなるであろう事は予想が出来ていた。

問題はこれからどう話をするか……だ。



「…彼方ちゃん。ごめんなさい。貴女の事情はもう聞いてるの。」

そう言いながら彼方の肩に触れると、その肩がビクッと大きく跳ねた。

酷く怯えた瞳が上目遣いに私を捉える。


「…そ、そんな……!どうして…!?…私…誰にも言ってないのに……!?」


焦げ茶色の大きな瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出る。


慌てて椅子から立ち上がった私は、勢いに負けた椅子がガタンと音を立てて倒れたのにも構わずに、ベッドに片膝を掛けると、咄嗟に抵抗をした彼方に覆い被さる様にして強引に抱き締めた。


「お願いだから私の話を聞いて…。貴女を泣かせるつもりはないの……。」


抱き締める力は緩めずに、幼子をあやす様な強さで彼方の背中を何度も擦った。

暫くそうして擦り続けていると、強張っていた彼方の身体から少しだけ力が抜けた。


そのタイミングを見逃さずに私は口を開いた。


「貴女の過去が分かったのは…私の身内の能力による物なのだけど……。今、一番に貴女に伝えたいのは、私は『彼方ちゃんの事を恨んでなんかいないよ』って事かな。それは分かって?」


ゆっくり、優しく、語り掛ける様に言うと、腕の中の彼方が小さく頷いた。


「確かに、私の…【天羽 和泉】の死は理不尽だったと思う。和泉は事件に巻き込まれただけの被害者だから。どんな理由があったのかは分からないけど…貴女のお兄さんの事は許せない。」


加害者側の事情がどうあれ、きっと多くの人が巻き込まれ、多大な迷惑を受けたのには代わりない。死んでしまった私は、その迷惑の中でも最上位だ。


「ただ…もし、彼方ちゃんがお兄さんのした事に、少しでも責任を感じてると言うなら、あの後の事を教えて欲しい。私は何も知らないままに……死んだから…。」


私の他に被害にあった人はいないのか。

お客さんもだけど…職場の同僚達は、無事だったのか。

今まで気にしてなかった訳では無いけど、考えても答えをくれる人がいなかったから考えないようにしていた。

だが、長年の疑問が解消されるなら、知りたいと思う。いや…知らないといけない気がする。


「……あ、あの時に亡くなったのは……天羽さんだけでした。」


「……本当に?」


「はい。…煙を少し吸ったり、驚いて転んだりした人達はいたみたいですが…。最初に対応をした天羽さんと、他の店員さん達のお陰で被害は少なかったと聞きいています。」


眉を寄せて辛そうに話す彼方とは逆に、私の心の中は澄んでいた。


「……そっか。死んだのが私だけなら良いや。」

ほっと安堵の溜息を吐いた。


流石は、自慢の職場の職場の同僚達だ。

最期に私がした通報が役に立ったのなら、それだけでも救われる。

被害が少なかったのは、私にとっては朗報だ。


「…天羽さんのお母さんが言ってました。『きっと和泉は助かった人達の事を喜ぶ』…って、本当だったんですね。」


……お母さん。私の事をそんな風に思っていてくれたんだね…。

瞳が潤んでいくのが分かる。



「……すみません。何度謝っても取り返しが付かない事は分かっています。こんなに優しい天羽さんが亡くなったのに…私なんかが生きていて、すみません…本当にすみません…。」


「彼方ちゃんは謝らないで!天羽和泉は幸せだったし。今の私も十分に幸せだから……!」

彼方を抱き締めながら大きく首を横に振った。


私はお母さんが…家族が私の気持ちを理解してくれていただけで十分幸せだ。


「だから、そんなに自分を責めないで。」


「でも…私は、兄がした事への謝罪をしなければならないんです…!だから、死――」


『死んでお詫びをしたい』

そう言おうとした彼方の口を私は手で塞いだ。


まただ…。

本当は死にたくないくせに、どうして簡単に『死』を口にするのか。


『生きたい』って、死ぬ事を拒んだじゃないか。

それなのに、何で…もっと自分を大事にしてくれないの。

何で…彼方の周りに居た筈の大人達は、子供かなたにこんな感情を植え付けてしまったの?

何で…の声が届かないかな……。


まるで彼方の中にもう一人の彼方がいるみたいだ。

その彼方が全てを拒んでいる。――そんな感じがする。


それならもう……彼方の望み通りにするしか方法が無いのかな……。


「……分かった。じゃあ、私が殺してあげる。」


そう言って彼方の瞳をジッと覗き込むと、彼方は唇を震わせながらも嬉しそうに微笑んだ。…馬鹿。


「これを飲んで」

私はドレッサーの脇に掛けられていた異空間収納バッグの中から、小瓶を取り出して彼方に渡した。


微かに揺れる瞳。小瓶を手にした彼方の全身はカタカタと震えている。


…イライラする。

『死にたくない』って瞳が語っているのに、『当たり前なんだ』って口元が笑う。

だったら彼方の望み通りに、がこのしがらみから解放してあげよう。


震える彼方の手を包み込む様にして自らの手を添えた私は、強引に彼方の口元で小瓶を傾けた。

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