叡海深度地下調査坑③

「お前たちの真の敵は魔術師ではない。知性体ラグトルだ」


 その一言が始まりだった。

 まだ、“敵”の正体が一切判明していなかったころ。

 言語によるコミュニケーションが可能だという実例もなかったころ。

 しかし彼は、確信を持ってそう告げた。

 キズニア・リーホヴィットの剣牢によって拘束した機兵に向かって、彼は語りかけたのだ。


 そうして、セ・キ・ローダーは叡海深度地下調査坑の掘削を決定した。

 すべては、皇王ヴェヒター・ブランケイスト・アイゼルの企みである。


 ***


「ユーサリアン、ユーサリアン……はて、どこで聞いたんでしたかな」


 リヒトン・ニューデカーは、ぼさぼさ髪を掻き毟ってふけを飛ばしながら、叡海貫通孔の周りをうろうろと歩き回っていた。先ほど別れた女性の名前を繰り返し呟きながら、記憶の底を探っていたのだ。

 彼女はリニム・ユーサリアンを名乗っていた。「無術者」や「神獣」に興味を示していた博識な女性だ。ニューデカーが他人に興味を持つことはほとんどなかったが、彼女の聡明さには名を尋ねるだけの関心を抱いた。

 彼女自身に出会うのは初めてだ。「リニム」の方はまるで覚えがない。覚えがあるような気がしているのは、「ユーサリアン」の姓の方だ。


「ラガルド・ユーサリアン。この名に覚えは?」


 そんな彼の独り言に対して応えたのは、金縁の眼鏡をかけた女性だった。

 銀の長髪に蒼い瞳。端正な顔立ちに、体型も見事だ。以前に目にしたことがあれば、さすがに記憶に残りそうだ。ゆえに初めて目にする女性に思えたが、その点は別にどうでもよかった。


「はて。ラガルド……ラガルド・ユーサリアン……。あ、ああ〜! 思い出しましたわ。あの方でしたな、たしか、風の噂の」


 情報機関〈風の噂〉十四代目長官ラガルド・ユーサリアン。

 元軍人であり、度重なる功績によって蒼星章、武功勲章、千年勲章などの数々の勲章を授与されている皇国にとって「英雄」と呼んで差支えのない人物。軍を退いてからは情報機関の長官に就任。多くの士官からの信望は絶大で、皇王からも厚い信頼を得ていた。

 ただ、ある事件をきっかけに彼は失脚し、表舞台から姿を消すこととなる。

 そのような経緯はニューデカーにとっては関心のない事柄ではあったが、ラガルド・ユーサリアンほどの有名人ならばその名に聞き覚えくらいはあった。


「はあ。なるほど。スッキリしましたわ。ありがとうございます」


 と、それだけ言い残して彼は研究へと戻っていった。

 リニムとラガルドの関係性、あるいはそれを示唆した女性への関心など、彼にはもはやない。ただ、記憶が引っかかってモヤモヤしていたのを解消したかっただけだ。

 彼の興味対象はラグトルであり、叡海であり、魔術である。なにより、ここ最近の進展は目覚ましい。長年喉から手が出るほどに欲していた叡海干渉魔術のデータが揃いつつあるのだ。彼は根っからの研究者だった。



 一方で、彼――あるいは彼女は、その点に強い関心を抱いていた。

 ラガルド・ユーサリアン。いわば伝説上の人物。

 そして、リニム・ユーサリアンはその妻に当たる。

 しかし、この研究施設に在籍している「リニム」は、「ラガルド」と同一人物である。

 そもそも、「ラガルド・ユーサリアン」なるは存在しないのだ。

 それは「リニム」を直接目にし、注視することで知ることができた。


「こんにちわ。リニム・ユーサリアンさん」

「おや。はじめまして……でしょうか?」

「はい。私はグラスと申します」


 彼は換装した生体偽装機体にふさわしい「柔和な女性」を演じて彼女に接触した。対するリニムもまさに同じ立場であることを考えると、彼は「滑稽さ」という概念を理解できる気がした。


「それはまあ、グラスさん。新しい人が来ることもあるのですね。えっと、それでどういったご用件でしょうか」

「いえ、用というほどでもないのですが……」


 ――リニム・ユーサリアン当人はどこだ。


 グラスは、リニムの皮を被るそのものに対し、軍規格の霊信によって呼びかけた。


「すみません。ちょっと追い返すような物言いになって、不躾でしたね。お茶でも飲みながら落ち着きましょうか。ここだと、女性のお友達は少ないみたいでして……」


 ――惚けても無意味だ。私は万識眼鏡だからだ。質問によって君の心は揺れ、答えがすでに浮かび上がっている。


 すなわち、リニム・ユーサリアンは死んだ。機兵によって殺されたのだ。

 ただし、セ・キ・ローダーはそのことを把握していない。情報を同期する前に当機は破壊され、「ラガルド・ユーサリアン」が即座に成り代わったからだ。

 固有魔術〈変容〉。自由自在に姿を変えることのできる魔術だ。はこの魔術を用いて、二度に渡り人間社会に潜入していた。一度目はラギエ元帥として。二度目はラガルド・ユーサリアンとして。いずれも、歴史に名を残すほどの偉大な軍人として活躍していた。


 ――わざわざ霊信で語りかけているということは、彼らには内密なのか? それとも……。


「葉の種類も豊富なんですよ。以前はあまり興味はなかったんですが、すっかりハマっちゃって」


 ――私が密偵である可能性に思い至るまでが随分と早い。曲がりなりにも情報機関の長官を務めていた経験が活きているのか。その心配はないが、君の疑いを払拭し、信用を得る手段は今の私にはない。


「それでは、ぜひいただきます。どうにも、生活は保証してもらえるということだったんですが、落ち着かなくて」


 ――万識眼鏡か。であれば、なにを隠したところで無意味だろう。好きに質問したらいい。ただし、場合によっては私は君を即座に破壊できる。そのことを理解しておくことだ。


「談話室へ向かいましょうか。こちらです」


 ――理解している。君は“保護派”の観察下において正体を隠しているが、それはという場合に備えてのことだ。長年の成功体験に基づき“手”を複数隠し持つことが君のやりかただ。それが私の破壊に利用されることも十分にありうると認識している。


 ゲフィオン=ユーサリアンは返事をしなかった。彼=彼女は万識眼鏡の特性を理解していたからだ。軍に、そして情報機関に潜入し広く人脈を広げていた彼は、遺跡調査の分野にも知識を広げていた。そこで発掘されためぼしい遺物についての資料にも十全に目を通していたのだ。

 万識眼鏡が突如として目の前に現れたこと自体には驚いたが、彼はそれを表情には出さず、脳内の思考だけですべてを片付けた。人ならざる知性がそれを可能にしていた。経緯はいくらか推測できるが、本人に聞く以外知るすべはない。


「ところで、リニムさん。一つお伺いしてもよろしいでしょうか」

「はい。なんですか」

には、どういった経緯で?」

「よくは覚えていないんです。気づいたら、その……はじめはホテルでした。機兵に拉致されたんだと思います。しばらくはそこで生活していたんですが、私がラグトルに関して知識を持っていることを評価されて、ここへ配属されたらしくて。グラスさんは?」

「私もよくわからないんです。もともと叡海には関心がありましたけど……」


 グラスにとってあえて尋ねる必要もない他愛のない会話は、水面下で霊信を介したやりとりを続けるための偽装である。


 ――私の望みはすべてを知ること。ここには知るべきものが多い。調査坑より直接叡海を覗くことで私は多くを知ることができた。しかし、すべてを知るには穴が小さすぎる。あるいは、叡海は大きすぎる。これを私の見える形にしたい。だからこそ、私は皇王の考えには興味を惹かれている。


「とにかく、そちらへお掛けください。なにかお好みはありますか?」

「いえ、お任せします。せっかくですので、ここは新しい出会いに期待したいところです」


 ゲフィオンは、リニムの姿のまま眉を動かす。

 万識眼鏡グラスの存在は、すべてを台無しにしかねない危険性リスクを孕んでいると思ったからだ。一方で、彼が協力の姿勢を見せるならば「計画」の大きな進展にも繋がる。

 そこまで理解して「皇王」の名を出したのなら、やはり手強い相手だ。


 ――ならば、まだ嵌っていないピースがいくらか残っていることは知っているな?

 ――当然だ。


 グラスは人間に興味を惹かれている。そして、人の姿をしながら人ならざる存在であるゲフィオンにもまた興味を惹かれている。どちらかといえば、同じという点で、人間よりもゲフィオンはグラスに近しい。あるいはそのためだろうか、とグラスは思う。

 そして、もう一体。

 ゲフィオンと同じく人ならざるものは、あと一体が生存している。


 ――君にとっては朗報といえる情報を伝えておこう。君の娘はまだ生きている。


 それを聞き、さすがのゲフィオンも動揺を禁じ得なかった。ほんのわずかな呼吸の停止。外形に現れたのは、それだけではあるが。


 ――私の次の関心はそこへ向かっている。そして、その居場所も判明している。機兵群がある人物を監視してた映像記録に手掛かりが残されていたのだ。


「え~っと、たしかお気に入りの茶葉があったのですけど、しまっていたかしらね」


 ――“狂国”だ。

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