冒険屋のお仕事⑤

「おい、ロジャー! やべーぞ、なんかやべーのが入り込んでる!」

「あ?」


 声を荒げるのは壁の男――壁に顔だけ浮き出た、RF−7――今は「アルフ」と呼ばれている男だ。


「それと冒険屋の連中、どうやら空間転移の罠にかかって散り散りになったっぽいな。さっきの巡回でわかったんだが」

「あ!?」


 ロジャーは思わず頭を抱えた。一度に情報が多すぎる。


「あいつらだよな。カガワとディミニ。ガキどもは無事か?」

「散り散りだから全員は把握してねーけどよ。無事なんじゃねえか?」

「しかし空間転移罠だ? そんなんに引っかかるって、連中を買い被りすぎてたか? あいつらランクAの冒険屋だよな?」

「わざとかかったのかもしれねーぜ? チラリと見えたが、カガワは地図なんて描いてるからな」

「ほう。地図」

「なんでその発想はなかったみたいな顔してんだよ」


 そういった役割は、かつては仲間に頼っていた。今はアルフがその役割を担っている。ロジャーは多くを器用にこなすが、他人ができることは他人に任せるきらいがあった。


「なんにせよ、そいつらに会うのはめんどくさそうだな。で、“やべーやつ”ってのはなんだ」

「なんかこう、やべーやつなんだよ」

「わからん。詳しく」

「とにかくやべーんだって!」

「……そいつはなにをしたんだ?」

「なんだ、とにかくなんでも斬っちまうんだよ。徘徊者も機兵もお構いなし。でたらめに強え」

「ほお。マジか。気になるな。そいつどこだ」

「会おうってのか?」

「話はしておきたいだろ。迷宮攻略のヒントを与えれば協力も得られるかもしれん。ていうかそいつ、男か? 女か?」

「あー、無理だと思うぜ。そいつに会うの」

「なんで」

「うーん。なんというか、にわかには信じがたいことなんだが――」


 ***


「はぁ、はぁ……やった……?」


 ミナセは息を切らしながら、少しだけ死を覚悟していた。

 迷宮に棲息する脅威は徘徊者だけではない。魔物もまた、どこから侵入してきたのか定着して棲み着いている。

 徘徊者は強く大きいが、侵入者である人間を積極的に殺そうとはしない。防衛線を超えないかぎりは襲っても来ない。

 一方で、魔物は人間を食糧とみなして襲ってくる。小さく、そこまで強くもないが、数も多く凶暴だ。ゆえに、今のミナセにとっては徘徊者より脅威度が高いとまで言えた。


「ひとまず、ぜんぶ倒せたみたいね……」


 襲ってきたのは蜥蜴とかげのような魔物だ。体長60cmで肉食性。群れで襲われれば人間ですら殺されることもありうるだろう。

 一匹や二匹なら問題ではない。剣を適当に振り回して威嚇するだけで寄ってこないし、実際に斬りかかれば倒すこともできる。ただ、数が問題だ。二十匹以上で、そのうえ腹まで空かせていた。

 蜥蜴どもからすれば、ミナセはおそるべき強敵に違いない。体格も大きく、剣の一振りで絶命させうるだけの力を持つ。野生の本能にとっては、そんな強敵にあえて挑むのは愚の骨頂だ。狂暴化しているといっても、その程度の判断能力はある。あるはずだ。

 しかし、「食わねば死ぬ」とまで追い詰められていれば、命を賭してでも強者に挑むこともあるのだろう。群れでかかれば、多くは返り討ちにあうだろうが万が一にでも勝てる可能性もある。魔物としても、その希望に縋るしかなかった――と、いったところだろうか。

 ミナセは壁を背にし、座り込む。

 噛みつかれ、爪で引っ掻かれ、返り血を浴びながらも、ミナセはそのすべてを撃退した。すでに倒した魔物の心境を思うなどと、どうでもいいことに思考リソースを使ってしまった。

 今はただ、その死体の山を前に息をつき、考えるべきことを考えなければならない。


 ――まず、なにが起こったのか。

 おそらく空間転移かなにかだ。迷宮内のまったく別の場所に飛ばされてしまった。

 ――では、ここはどこか。

 わからない。わかるはずがない。

 ――どうすべきか。

 カガワらと合流すべきだ。一人ではなにもできない。

 ――そのためには。

 わからない。

 ――動くべきか。留まるべきか。

 わからない。

 ――持参した飲料水は保つのか。

 わからない。


「ああ、もう」


 泣きたい気分だ。泣いても意味はない。意味はないが、悪いわけでもないだろう。溢れる涙を抑える理由もない。どうせ誰も見ていないのだ。好きにすればいい。ミナセはそう考えて、ひとまず泣くだけ泣いた。

 おかげで頭は多少スッキリとした。考え方を変えてみる。

 すなわち、迷宮の意図だ。

 空間転移による分断は、迷宮にとっては穏当な探索妨害といってよいだろう。カガワがいうよう、迷宮はできるだけ人間を殺したくはない。探索され、“核心”に迫られるのは避けたいが、魔力の供給源である人間には生存したままでいてほしいと考えている。

 ならば、空間転移の結果として死ぬことはない。少なくともそれを望んではいない。つまり、餓死の心配はおそらくない。迷宮側からなんらかの配慮ケアが期待できるはずだ。

 たとえば、近くに戦列艦の広場のような、食糧を供給する施設がある。ならば、まずはそれを探さねばならない。

 とはいえ、迷宮は広大だ。道を間違えれば辿り着けるとはかぎらない。その場合の対処はあるのか。あるいは、空腹のままこの場に座り込み、餓死をチラつかせでもしようものなら、慌ててなにか手を打ってくることはあるのだろうか。

 ただ、先の魔物の襲撃に対し迷宮側からの手助けがなかったことからも、迷宮の福利厚生は必ずしも万全ではない。迷宮の思惑や能力のほどは正確にはわからない。「そこまで手がかかるなら勝手に死ねばいい」くらいに見放されるかもしれない。

 命は一つしかない。可能性の高い方に賭ける。

 箱庭が複数の区画に分かれていたことの連想から、同様の広場があるに違いないという推測はあった。

 呼吸も、思考も落ち着き、ミナセは立ち上がる。

 剣は鞘に収めぬまま、引きづるようにして、歩き出す。


「――!」


 立ち去ろうとしたその背後で気配を感じ、ミナセは振り返った。

 見慣れぬ魔獣だ。蜥蜴の死体の山に、妙な魔獣が近づいている。

 それを一目で魔物ではなく魔獣と判断したのは、明らかに生物ではなかったからだ。

 大きな袋にただ口がついているだけ、というような一つの機能に特化した大雑把な造形デザイン。あえて呼ぶなら“清掃者”である。

 清掃者は這いずるように動き回り、蜥蜴の死体を片付けている。「食べている」というより、口より袋の中にただ放り込んでいる。さらには長い舌を使って丁寧に血まで舐めとる。やがて死体の山はすっかり綺麗に、その痕跡すら跡形もなくなってしまった。


「あ」


 その光景をただ茫然と眺めていて、気づく。

 死体の山は、探索のための目印となりえた。清掃者はそれを潰したのだ。たしか、カガワもかつて印をつけながら探索することを試したことがあったらしいが、すべて消えていたと話していた。

 であれば、ぼーっと見ているのではなく邪魔すべきだったのではないか。そうも思ったが、いずれにせよ立ち去るので同じことだと思い直す。

 ただ、これを逃す手はない。この魔獣はどこから現れ、どこへ消えるのか。地を這いずりのたのた動くだけの清掃者を追いかけるのはなにも難しくはない。むしろ、あまりに遅すぎて退屈してしまうほどだ。


「はあ」


 ため息。なにをしているのだろう。

 地に足のつかないような、落ち着かない気持ちだった。迷宮を攻略し、防衛拠点として利用するなどと息巻いていたのがこれだ。

 ――結局のところ。

 あの箱庭のように、ただ飼われる安住を望んでいるのではないか。ミナセはそんなことを自問自答した。一人になるとどんどん心細くなる。ミナセはそのことを自覚した。

 こんな不恰好な魔獣についていってるのも、手がかりを期待してというより、単に一人で寂しいからなのではないか。自分の心ですらが、今や迷宮の中だ。

 そうして、半ば無意識に清掃者のあとをつけ、聞き慣れた音で再び目覚める。

 金属質な足音。喉を鳴らすような声。顔を上げ、その影を見る。

 蜘蛛の魔獣。徘徊者。


「あー、そっか……」


 少し考えればわかったはずだと、自己嫌悪はさらに募る。

 清掃者の帰って行く先は、徘徊者の守る防衛線の向こう側だ。カガワから清掃者の話を聞いたことがなかったのは、普段は見ない場所にいるからだ。

 そもそも、ついていってその巣に辿り着いたからといって、なにが得られたというのか。

 自身の思慮のなさに苛立ちを覚える一方、徘徊者は防衛線に近づくものに警戒し、威嚇している。徘徊者の脇を抜けて行く清掃者を、ミナセは黙って見過ごすことしかできない。

 ――いっそ、挑んでみるか。

 自暴自棄にそんな考えが頭に浮かぶ。

 倒せば、少しは気分がよくなるだろうか。それとも、馬鹿なことをしたとさらに後悔が募るだろうか。というより、そもそも勝てるはずもないだろうし、そのまま死ぬかもしれない。迷宮からも「こんな馬鹿は手に負えない」と、きっと見放されるだろう。

 そのまま踵を返して、無駄足だったと認めるしかない。それが賢明な判断。今からでもやり直せる。それは、わかっているはずなのに。

 目の前の道が塞がれているのが、無性に気に障って仕方ない。

 邪魔するものはみな斬り伏せて、好き勝手に迷宮を駆け回って、ついには迷宮の方が慌てふためき媚びを売ってくる。

 そんな馬鹿げた空想に耽っていたものだから、ミナセは目の前の光景を夢だと思った。

 徘徊者の右壁に何本かの筋が入り、崩れ落ちる。

 そのまま蜘蛛の魔獣は、壁の向こうから現れたものによって無数の直線が走り、分割されていく。刃物のような脚が、鋭い牙を伴う口吻が、鋼線のごとし体毛に覆われた胴体が、瞬く間に斬り裂かれていく。

 やがて魔獣はバラバラとなって崩れ落ち、黒いすすとなって消え失せた。代わりに、一人の男が立っていた。

 水の滴るような美しい湾曲した刃。それは“刀”と呼ばれるものだ。

 流麗なる刀捌きと併せて、それは完成された芸術のようだった。

 ぼさぼさに伸びた黒髪を後ろで束ね、無精ひげに低い鼻、薄汚れた麻の着物を纏いながらも、その男はあまりにも美しく見えた。

 背も低く、洗練されているとは言いがたい顔立ちながらも、その立ち振る舞いが美しかったのだ。

 迷宮の壁を斬り開いて姿を現し、狂暴なる魔獣を事もなく斬り伏せる。

 その颯爽とした登場に、惚れるな、というのが無理というもの。ミナセはただ見惚れ、言葉を失っていた。


「ぬ。人がおるとはの」



 その男の名は、ラ次郎、といった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る