ラ次郎という男
ギリギリの賭けだった。
動くか、潜むか。どちらか一方だけに偏っても詰みだった。
動員された機兵は2048体。
その第一の目的は標的を“逃がす”ことにあった。
すなわち、逃走先へと案内させ、その先で一網打尽にするための策である。
一方で逃げずに留まったものもいる。わずか数名に対しては過剰な戦力ではあったが、生存者の
リソース運用に際してはその費用対効果が計算され、一つの指標となる。しかし、不確定要素がいくらでも潜む作戦行動において、過剰とも思えるリソースの投入を彼らが惜しむことはない。それは工学における「安全係数」の考え方に似ていた。
原住民はまだ各地で多数生存していると推定される。より効率的な殲滅のために情報が必要だった。
彼らはまず単純に包囲網を縮めた。
だが、すぐに標的の一部を見失っていることに気づいた。
空間転移。認識妨害。その他さまざまな魔術。それらを体験し、知識として集積していた彼らには「他にも多様な魔術があるに違いない」と類推する能力も有している。
さらにいえば以前にも、ほぼ同じ条件で同じ結果が発生していた。完全な包囲網がいつの間にか抜けられ標的を取り逃した経験があった。
ゆえに、彼らは包囲網をただ縮めるだけでなく、その後も丹念に周辺を捜索した。
取り逃した標的は二体。投入された機兵はその千倍。
仮にその二体をこのまま見失ったとして、今後どれだけの脅威になるかは未知だ。そして未知だからこそ、発見せねばならなかった。発見できなかったとしても、“その方法では発見できない”という蓄積になる。
明確な指標のない闇雲な捜索ではあった。しかし、トップダウンに体系化された
だからこそ、逃げる側も全力で逃げねばならない。
身動きせぬかぎり決して発見されないという魔術をもってしても、その場に留まるかぎりリスクを排除できない。疲れを知らぬ機兵であれば、四六時中の体制で一週間超は平気で捜索を続けるだろう。そこまでの期間、身動きをとらずにいることはできない。
できるだけ遠くへ。しかし、そのために見つかっては元も子もない。機兵の数は千体以上。捜索範囲を広げるほどその密度は下がる。慎重に、小刻みに、それはある種の児戯にも似ていた。ただし、命がけの児戯である。
「……抜けたか?」
彼はそんな捜索者らと同じ姿をしていた。その彼こそが逃走者である。
機兵の姿を借り、見た目こそ女性型だ。しかし彼の本体は眼鏡であり、性別は定かではない。
彼自身に疲れはない。ただ、背負われている赤髪の少女は目に隈を浮かべるほどに疲弊していた。
背負われているがゆえに肉体的疲労はさほどない。しかし、度重なる魔術の行使と追われているという極度の緊張による精神的疲労があった。
「あの、すみません、水を……」
それは四時間にも渡る逃走劇だった。
グラスはレシィを下し、木の陰に休ませた。
グラスは立ったまま聴覚によって広域を警戒している。静かに潜んでいるのでなければ、半径400m周囲に機兵の気配はない。
「グラスさん……」落ち着きを取り戻したレシィが口を開く。「新生アイゼルは、もう本当に……?」
「おそらく、という答えにはなる。いずれにせよ、我々が新生アイゼルと再び合流できる可能性は極めて低かった。それこそ、落日が数千体もの機兵をすべて倒し、安全が確保されたうえで空間転移を再起動しなければならない」
「そう、ですよね……」
レシィは、沈み込むように言葉を失っていった。
三百人以上の人々が共同で生存する新生アイゼルは「希望」だった。
第三皇子という
後者は目の前で死んでいった。前者もおそらく望みは薄い。
もし、仮に勝てるなら――魔術師が再びこの地上で復権するとしたら、それはきっと彼らの手によってだろう。そう思っていた。
それがあまりにもあっさりと崩壊した。これまで見てきたのと同じように。
耐えがたい絶望のはずだった。最悪といっていい状況のはずだった。
しかし、レシィは不思議とそんな気分にはならなかった。
――結局のところ、はじめから信じていなかったのかもしれない。
それに、グラスはまだ傍にいる。また、こうして傍にいるから。
「さて、そろそろ行こうか」
「行く?」
レシィは、そんなことなど欠片も考えに及ばなかったというような表情で聞き返した。
「新生アイゼルの他にも同様の共同体は少なくとも三つ存在している。そのどれかを探し出す」
それを聞いて、レシィはなぜか胸の奥が痛む気がした。
「あの、探さなければ……なりませんか?」
「君の生存と安全のためにも有益だと考えている。そして、私の目的は知ること。特に人間について興味がある。我々の利害は一致しているはずだ。なにか問題が?」
「いえ……」
「我々の能力だけでは単に生存するだけでも限界がある。食糧については“食糧供給箱”である程度賄えるが、君の魔力を使うためにいくらかは消耗してしまう。野宿では衛生面・健康面にも問題が生じる。君がなんらかの病に罹患した場合、私には必ずしもそれを治療できる能力はない。そして、君の魔術がなければ私も彼らから逃れ続けるのは難しい」
「はい、わかっています……そうですよね……でも」
「なんだ」
「もし、そういった共同体が、もう一つもなかった場合はどうしますか?」
「その可能性は低い。であれば、機兵群が砦を制圧するような形での作戦行動をとる意味が薄いからだ」
「でも、新生アイゼルみたいに……また、崩壊するかもしれませんよね」
「そのときはまた別の共同体を探す」
「その次は……? そうして、ぜんぶなくなったら……?」
「そのときは、君が最後の
「……すごいですよね」レシィは深くため息をつく。「グラスさんは、諦めることを知らない」
「そうか。まだ私にも知らないことがあったか」
と、グラスが急に後ろを振り向く。なにかに気づいたように。
「グラスさん……?」
「失態だ。これほどの隠密能力を持っているとは」
「え、まさか……機兵?」
「違う。機兵にばかり警戒を割きすぎていた」
じわり、と目の前の空間が滲むようにしてそれは姿を現す。
魔物だ。騙し絵のように森の風景に溶け込む魔物。
鋭い爪と牙を持ち、射貫くような眼光はそれだけで獲物を竦ませる。
人の体格を大きく上回る、狂暴にして獰猛なる肉食獣だった。
「“影踏みの虎”――足音そのものには気づいていたが、あたかも散歩するかの足取りに、“こちらを狙っている”ことまでには気づけなかった」
グラスは素早く、腰の収納部から拳銃を取り出す。
隠れるにはもはや遅く、もはや向かい合って対峙せざるを得ない。
だというのに、レシィは震えてへたり込んだまま立ち上がることもできない。ただ、グラスが構えるのを見守ることしかできなかった。
「銃と対峙した経験はない。ゆえに警戒していない。しかし、人の姿をしながら生き物のにおいがしない私を不審に思い、警戒している。ただ、私が生物ではなく表情を持たないがゆえに、“殺気”というものも感知できずにはいるらしい」
グラスは“見たもののすべてを知る”ことができる。人を見れば人の心が知れるし、動物の心もまた知ることができる。
ゆえに、「互いに未知」という状態で対峙したのなら、それは圧倒的にグラスが有利だ。
「正確に眉間を撃ち抜けばこの銃でも十分に無力化できる。ただし、問題は銃声だ。発信不明の銃声を聞きつければ機兵は確実にその元を調査しに来る。というより、私の存在はすでに彼らに知られている。まだそう遠くはない位置に数千体の機兵が我々を捜索している。銃声が聞こえる範囲に彼らが存在するかどうかは不明だ」
雲行きが怪しい。その内容をあえて口に出すのは、レシィに意見を求めているからだろうか。
レシィはそう思い、自身も必死で思考を巡らせる。
「あの、素手で……できるだけ音を出さずに倒すことって、できますか?」
「可能だ。ただし、蓋然性の領域になる。私自身は損傷を免れないだろうし、君を守りながらの場合はさらに困難な試みになる」
「わっ、私も戦い――」
「動くな。それがやつにとって合図となる」
虎は、低い唸りを上げながらも、ただじっとグラスを睨みつけているように見えた。しかし、かといってその背後にいるレシィが眼中にないわけではない。
肉食獣にとって、レシィは獲物であり、グラスは障害であった。
「極めて危険な相手だ。銃声を響かせるリスクを犯し無傷のまま仕留めるか、傷を負うリスクを犯し無音のまま仕留めるか。私には未来は見えない。ただ、予測する能力はある。後者の方がリスクはより明白だ。ゆえに前者の方策をとる。他に適切な選択肢はあるか?」
「――ありません。撃ってください!」
「わかった」
銃声。
獣はそのけたたましい音をその耳で聞くよりも前に、眉間に強烈な衝撃を覚えることになる。
頑強な頭蓋を砕き、銃弾は脳へと深く食い込んだ。
絶命には至らない。とはいえ、確実な致命傷ではある。鋭く、あまりに強烈な痛みに、獣は悶え、吼えた。
二人は早急にその場を離脱した。
音を聞き、撃たれた獣を目にしたのなら、その場を基点に再び捜索が始まるだろう。
移動速度から計算して捜索範囲もおおよそ推定される。それを可能かなぎり拡大しなければならなかった。
だが。
「……! 進行方向上に巡回機兵二体」
グラスがレシィを背負い、急停止。〈隠匿〉の発動を指示する。
「想定以上に近くにいた。彼らが通過次第この場を離脱したいところだが――」
「む、向こうもこっちに気づいてますよね……?」
「そうだな。このまま潜み続けるとしても、“確実にいる”とわかっているなら彼らがいつ諦めるか見当がつかない」
「……どうすれば」
近づいてくる。足音が聞こえてくる。
二体の機兵は、今まさにグラスとレシィが抜けようとしていた方向から歩いて、銃声の鳴った方角へと向かうだろう。魔物を倒した地点からもほとんど離れることはできなかった。
「二体の機兵を破壊する――いや、さらに危険な賭けだ。〈隠匿〉状態からの奇襲でも無力化できてせいぜい一体。その一体すらも確実とは言い難い」
もはや手詰まりのように思えた。
グラスはいつだって、瞬時に適切な判断を下すことができた。
ただし、グラス自身の戦力はそれこそ敵の一体と同程度。敵の数はそれ以上だ。
選択肢の数がかぎられていれば、グラスでさえ手の打てない局面は訪れる。
二体の機兵が姿を見せる。むろん、彼らは二人を発見できない。ただ、そのために二人は身動きを許されない。グラスはともかく、いつまでも身動きせずにレシィはその生命を維持することはできない。
「あの、たとえば……できるだけ音を立てずにゆっくり移動するとかは……」
「極めてリスクが高い。彼らの聴音能力で感知されない速度での移動となると、今度は視覚的に発見されるリスクが高まる」
「なら、いっそのこと全速力で……」
「方位が知れればその先で別の機兵に待ち構えられるだろう」
絶望だった。もはや望みはないかに思われた。
まだ発見されたわけではない。考える時間はある。だが、考えたところでなにか答えは出るのか。
そんな悪夢のような窮地にあったものだから、レシィは幻覚を見たのだと思った。
すでに背後を見せていた機兵の頭部が斬り分かたれ。
両上腕を巻き込んで胸部が綺麗に輪切りされ。
骨盤から上下が分割された。
力によって引き千切るのではない。するりとバターにナイフを入れるがごとく、ゆえに音もない。あらかじめそこに切断面があったかのように、斬れて道理だと言わんばかりの、鮮やかなる剣の筋である。
自立能力を失い、人としての形も失ったそれはバラバラに崩れ去り、代わりに一人の男が姿を現した。
水の滴るような美しい湾曲した刃。それは“刀”と呼ばれるものだ。
流麗なる刀捌きと併せて、それは完成された芸術のようだった。
ぼさぼさに伸びた黒髪を後ろで束ね、無精ひげに低い鼻、薄汚れた麻の着物を纏いながらも、その男はあまりにも美しく見えた。
背も低く、洗練されているとは言いがたい顔立ちながらも、その立ち振る舞いが美しかったのだ。
レシィが見惚れる一方で、もう一体の機兵は意に介さずその男に銃口を向ける。
撃つ。しかし。
またしても信じられないものを見た。
正確には、レシィの目には見えなかった。
ただ、きっとそういうことなのだ。
男は、銃弾を斬り落としていた。
ゆえに無傷であり、そして、もう一体の機兵までも、同様にして華麗に斬り伏せることができる。瞬きすら許さぬほどの流れるような光景だった。
「先の銃声はこやつらか? しかし……誰が撃たれた? 近くには見えんな」
一仕事を終えた男は、そんな独り言を零した。
「あの!」
「んなっ?!」
突如聞こえた少女の声に、男は慌てて振り返る。
ついさきほどまで微塵の気配も感じられなかったその先に、少女がいる。そしてその背後に――。
「嬢ちゃん! 伏せい!」
「ま、待って!」
男は両手を広げた少女に制止され、足を止める。
少女の背後に機兵はいたが、少女を狙う様子もなければ男に敵対する気配もなかった。油断させようとしてるにしても、同型なら男にとっては敵ではない。そう判断して手も止めたが。
「な、なんじゃ……??」
「あの、すみません、もしかして、あなたは……」
レシィは、斬り伏せられた残骸に目をやる。いつかも見た、滑らかな美しい切断面だ。
「三分割の人……!」
「お、おう?」
正しくは、三回斬っているので四分割である。
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