英雄の落日④

「第三皇子について」


 落日は意を決してグラスに尋ねた。それは聞かなければならない――いや、聞かずにはいられないことだった。


「そのことか。幾度か君の内心でいつ尋ねようかと逡巡しているのは知っていた」

「……心を読まれるってのは恥ずかしいもんだな」


 グラスは見ただけですべてを知る。人間を見ればその心も見ることができる。ならば当然、第三皇子の心も見ているはずだ。


「第三皇子は……俺をどう見ている?」


 言葉を選んだが、どうにもしっくり来る問いにならない。そして、それすらも見抜かれていた。


「質問の文言は君の意図からすれば正確とは言い難いが、汲み取ったうえで答えよう。皇子は君を警戒している。おそれてもいる。その一方で、“信頼しなければならない”と考えている。彼もまた君と同じように君の胸中を気にかけていた。“彼はまだ復讐を諦めてはいないのだろうか”と。しかし、彼はそれを私には聞かなかった。彼はもう君を信頼すると決めていたからだ」

「信頼する? この俺を?」


 落日は戸惑う。それが予想していなかった答えだったからなのか、それとも予想していた答えだったからなのか。ただ、望んだ答えではなかったように思う。落日は自身の心がわからなくなった。


「……第三皇子は、俺の兄を――異日を、本当に殺したのか」

「殺している。もちろん直接手を下したという意味ではないが、皇子は異日という男を殺すよう確実に指示を出している」

「そうか。それはそうだよな」


 もしそうでなかったら、と考えたこともあった。だが、やはり、それは覆せない事実だった。


「待て。まさか殿下は、なることも織り込み済みか?」

「そうだ。君と私を同じ遠征任務に出せば、君が私と二人きりの状況をつくり第三皇子の心について尋ねることもあるだろうと彼は予想していた。そのとき、私が彼の心について話すことで一種の間接的なコミュニケーションが成立することを彼は期待していた」

「……なんだそりゃ。あいかわらず俺は手のひらの上か。本心さえ伝わればわかりあえるとでも? 自惚れもあいかわらずだな……」

「彼は長らくこのことを気に病んでいた。君の復讐心を知るものは他にはいない。第三皇子はあえて君以外の近衛にも話さなかった。今この状況においては些事に過ぎないからだ」

「些事か。そりゃあいつにとってはそうだろうな」

「私も新生アイゼルが内部から瓦解することは望まない。君の心を第三皇子にも伝えるか?」

「……いや、いい。文通かよ。あいつがそれで気に病むならざまあみろだ。というか気に病む? 後悔しているということか?」

「後悔はない。彼は自身の判断に責任を持っているからだ」

「そうか。やっぱあの人はそういう人だよな。心配はいらない。俺だって理解してる。あの人はまだ死ぬべき人じゃない。今はまだ、俺たちにとって必要な人だ」


 ***


 アーガス、ノエル、落日の三人は距離をとって一体の機兵を囲む。

 シロゥの剣が溶断されるのを目にした以上、赤熱刃が魔力で強化した程度の剣で防げるようなものではないとわかっていたからだ。唯一、問題なく距離を詰められるのは〈硬化〉を有するアーガスだけである。

 ――俺が突っ込む。その隙にやれ。

 アーガスは霊信でそのことを二人に伝える。


 睨み合いという状況は、互いにどう動くかわからないという読み合いのために発生する。

 先に動くというのは機先を制する可能性を持つが、正解のわからぬ未知の盤面に自ら足を踏み入れることでもある。相手にとっての戦場の霧を一つ晴らしてしまうのだ。

 後から動くものは、相手の動きを見たうえで適切な対応をとればよい。それが後の先だ。

 機兵は文字通りの多角的な視野によって戦況を分析する。互いの知りうる情報、互いの能力から予測演算シミュレーションを走らせる。

 ――彼らはアーガスを基点とするだろう。未知の通信手段を有している可能性が高く、相互に連携をとったうえで彼らは

 その予測は四秒後に的中。機兵はアーガスの初動を見たうえで、跳んだ。

 狙いはノエル。まずは数を減らす。



「あの、グラスさん……いったい」

「現状の戦力では攻撃型には勝てないおそれがある」


 グラスはレシィを背負い、塔の背後へと隠れた。すなわち、〈隠匿〉の発動条件を満たす位置である。


「そ、そんなに強いんですかあの機兵……!」

「これまで遭遇してきた機兵は量産性の高い汎用型を転用していたものに過ぎない。あの攻撃型は、我々が初めて出会う戦闘用の機兵だ。機動性をはじめ、あらゆる性能が段違いだ」

「それで、どうするつもりなんですか?」

「話が早くて助かる。これを使う」


 グラスは腰の収納部を開き筒状の物体を取り出し、銃口部に装着した。


「延長銃身だ。鍛冶職人たちにつくらせていた。この銃は対人を想定しており機兵に対しては効果が薄い。よって、電磁投射の加速を高めるため銃身を伸ばす。さらに」


 腰の開口部よりコードを伸ばし、銃の端子に接続する。


「機兵のリアクターから出力を増強する」

「それなら通じるんですか……?」

「当たればな。だが、威力が上がれば敵の警戒も増す。攻撃型の対応能力を超えるだけの速度までは期待できない。そのうえ、撃てて二発が限度だ。三人との混戦中であれば命中の可能性はあるが、万全は尽くしたい」

「つまり、私の〈隠匿〉で奇襲を仕掛けたいってことですね?」

「そうだ。作戦内容を霊信で彼らに伝えてくれ」



 機兵は、ノエルの背後に向けて飛んだ。

 虚を突かれたが、滞空中は自由落下に従う他ない。そう思っていた。

 が、腰部の排気口より噴出された空気圧が、自由落下を超える速度での降下を実現する。


「氷宴!」


 ノエルは慌てて跳び退きながら、剣を地を斬り上げるようにして氷柱を多重発生させる。攻撃だけでなく防御にも有用で、敵の足場を奪い視界を遮る効果もある。ただし、それも数秒である。

 赤熱刃によって氷柱は容易く溶断されていく。


「くっ……!」


 距離をとるだけのわずかな時間は稼げたが、次に打つ手がない。

 氷槍も通用しない。遠隔斬撃も躱される。近接戦では武器ごと溶断される。彼女の得意とするもう一つの魔術も幻影魔術を基点としたものであり、機兵にはそもそも通用しない。

 ノエルは獅士だ。獅士にまで登り詰めれば無力感を覚える機会はそうそうない。

 あるとすれば、たとえば騎士との模擬試合をしたとき。あるいは、世界が滅んだとき。

 あの日以来は、無力感しか覚えていない。


「この……!」


 それでも、やるしかない。

 氷槍を放つも、やはり通用しない。

 溶断しながら瞬く間に距離を詰めてくる。このままでは。


 左右、二方向からの遠隔斬撃が機兵に突き刺さる。

 アーガスと落日。それは奇しくも十字砲火と呼ばれる戦術に似ていた。ただし、与えた損傷はさほどでもない。

 ほっと息をつくのも束の間、ノエルは二人のものからではない霊信を感知する。


 ――機兵を塔の北側まで誘導しろって?


 あの二人でないなら、残るはグラス……いや、あれは魔術を使えない。ならば、あの少女。レシィ。

 気づけば、グラスとレシィの姿がどこにも見えない。


 ――指示に従うぞ。現状、我々だけでは決め手に欠ける。


 それがアーガスの判断。霊信にてノエルと落日にも伝える。

 レシィより伝わった霊信の内容はあまりに簡潔。時間を惜しんだのか。ゆえにその意図は明確ではない。

 秒単位で状況が変化する目まぐるしい戦場において、“正確な情報”などというものは望むべくもなく、風のように過ぎ去っていく。濃い霧が立ち込めなにも見えぬなかで、それでも判断を下さねばならない。

 アーガスは(おそらくレシィのものである)未知の霊信を信じ、ノエルと落日はアーガスの歴戦を信じた。それぞれに距離をとり互いに援護しながら、じりじりと移動し、所定の位置まで誘導する。

 その動きの不自然さから、機兵は誘導されていることに気づく。その意図は不明だがなんらかの罠があると推測される。機兵の任務は制圧である。外部との通信が不能であるこの状況で、あえて罠にかかる益は薄い。

 よって、機兵はただシンプルに誘導とは反対の方向へ退避し――。


「させねえよ」


 体当たりによる突き飛ばし。直前で〈硬化〉を発動させたのなら、それは不懐の鉄塊との衝突と同義である。

 そして機兵は、グラスの射線へと導かれる。

 狙撃。塔二階の窓よりそれは放たれる。延長銃身ならびに出力増強により通常より2.25倍の運動エネルギーを得た弾体が、不可知のまま対象を貫く。


「うそ……」


 驚くのはレシィである。引き金をひく程度の動作では“身動き”とはみなされない。発射された銃弾さえも命中するまでは〈隠匿〉の範囲内として認識されない。すなわち、一方的に攻撃し放題だということだ。


「射角を調整し次弾を撃つ」


 その動きは“身動き”であった。ゆえに機兵にも気づかれる。しかし、唐突に姿を見せたその存在を視認したときには、すでに二発目が発射されていた。

 命中。二発の銃弾は胸部装甲を貫通しリアクターに対し確かな損傷を与えた。


「リアクターを損壊させた。その機兵は最短五分で機能を停止する」


 塔二階より聞こえたグラスの言葉で、アーガスらはおおよそ状況を理解する。

 損傷によって一時機能不全状態にある機兵に追い打ちの遠隔斬撃。しかし、ギリギリで躱される。


「まだ元気じゃねえか。これをあと五分か!」


 機兵は標的を塔にいるグラスに変更。急速に方位を転回し駆け出す。これを止めるのは前方にいたノエル。だが。

 その動きは陽動フェイントである。狙いは変わらずノエル。機兵はノエルが動くのを見て切り返す。不用意に接近してしまったがゆえに、彼女は赤熱刃の間合いに入ってしまう。

 身に沁みついた反射により、剣を構えて防ぐ。ただ、結果的には功を奏した。赤熱刃の一閃によりラグトル鉱鉄の剣は溶断されたが、致命を避けるだけのわずか一瞬の時を稼いだ。

 しかし、それでも。傷は深い。胸部が深く切り裂かれ、鮮血が舞った。


「ノエル!」


 落日が駆け、剣を振るう。

 落日の剣がラグトル鉱鉄製だからといって、落日がいくら剣に魔力を通わせたといって、赤熱刃に耐えうるはずがない。そう思えた。誰も落日の固有魔術を知らなかったからだ。

 〈英雄属性〉――“仲間を守る”という英雄的振る舞いによって強化された剣は、赤熱刃すら止めることができる。それどころか、赤熱刃を斬ることだってできるだろう。


「おおおおお!」


 咆哮はさらなる力を呼ぶ。このまま押し切れる手応えが落日にはあった。しかし、背後から接近する影を捉えていた機兵にとって、力比べは得策ではなかった。


「ぐがっ!」


 前蹴り。機兵の膂力と重量は落日を彼方へと蹴り飛ばす。そして――。


 機兵の挙動が、一瞬だけ硬直した。


「――伏せろ!」


 その不自然さをグラスは見逃さなかった。

 機兵の胸部からけたたましい異音が鳴り響き、眩い閃光が起こる。

 リアクターの意図的な暴走による自爆である。

 骨格が、人工筋肉が、皮膚が高速で放射状に飛散する。



「わっ、ひゃっ!」


 と、レシィは破片が飛んでくるわけでもないのに身を屈め。


「おかしい」と、グラスは疑問を覚える。「自爆したわりには、


 自爆という判断に脈絡がない。

 自爆という判断に至った行動規範ドクトリンが見えない。

 あれの任務は砦の制圧であり、その目的は砦の調査だ。ゆえに、砦を破壊する規模の自爆はできない。それはわかる。おかしいのは爆発の規模ではない。タイミングだ。

 直前に落日を蹴り飛ばしていた。自爆するならあえて距離をとる意味がない。アーガスが迫っていたのにそれを待たなかった。もっと威力を最大化させるタイミングは確実にあった。

 にもかかわらず。


 煙が晴れる。

 アーガスは無事だ。〈硬化〉が間に合ったのだろう。

 落日も無事だ。伏せて被弾面積を減らせたからだ。破片を避けるための対貫通障壁が間に合ったからでもある。


「ったく、なんだったんだ」

「……アーガスさんは無事か。そりゃそうだよな。だが、ノエルは……」

「落日。診てやれ。しかし、いきなり自爆とはな。まだあと五分は戦えるはずじゃ――」


 アーガスがぼやきを終える前に。

 胸から、血塗られた赤い刃が生えてきたかのようだった。


「アーガスさん!」


 背後から刺されていた。

 見えないなにかがそこにいる。


 落日はその瞬間、雷に打たれたような衝撃で思考の糸が真相を手繰り寄せた。

 第二砦との空間転移が可能であったということは、第二砦はまだ健在だったということだ。第二砦が襲撃を受けたのならその連絡が入るはずだ。連絡すら不可能なほど完全にして迅速な制圧があったとも考えられない。

 なにより、機兵は魔術を使えない。第二砦を制圧し、霊信を偽装し代わりに空間転移を発動させる、などということはできないはずだ。仮に脅迫されていたとしてもこっそりメッセージを忍ばせるなど造作もない。

 であるなら、第二砦に気づかれずに、こっそりと転移陣の上に乗った。

 それこそ想像しがたい光景だが、第二砦はまた未完成だ。対侵入障壁は施されていない。ならばあり得る話ではある。そして、機兵にはそれを実現する未知の手段がある。


「グラス!」

「その通りだ」


 グラスはそこまでは知りながらも、決定的な情報に欠いていた。

 負の屈折率を持つ電磁メタマテリアルの光学迷彩技術によって潜む存在を、“見る”ことができなかったからだ。


 答えはこうだ。

 “虫”は空間転移を通じて第二砦にもすでに侵入していた。そして、第二砦の構造や空間転移陣の位置まで正確に把握し、情報を発信していた。

 あとは機兵を航空機にて直上より降下させればよい。光学迷彩と併せればそれで隠密に侵入できる。転移陣周囲は物資の搬入直後であり死角が多かったこともそれを助けた。

 さらにいえば、彼らは万識眼鏡グラスの存在も認識し、その対処法も考案していた。すなわち、一体には単独での制圧任務とだけ伝え、もう一体の本命による作戦内容は伝えなかった。

 転移陣から第一砦に侵入した機兵は、二体だったのだ。

 光学迷彩は極めて高い隠密性能を持つが、よく目を凝らせば“違和感”として気づかれうるものだ。ましてや空間転移による登場は注目される可能性が高い。だからこそ、注意を惹く役の一体と、隠密に行動する一体ので行動する。

 前者の唐突な自爆は、後者が隠密行動を終えたために任務の引継ぎを指示する秘匿通信があったためのものだ。

 目に見える影は囮に過ぎない。本命は目に見せず、影に潜ませ刺してくる。


「ぐっ、が……!」


 アーガスの弱点。それは奇襲である。

 そしてそれは、およそこの世すべての存在にとって共通の弱点である。

 あらゆる攻撃を無効化する固有魔術があるのなら、その発動前に刺せばいい。そして、それは一撃で確実に、可能であれば一瞬のうちに絶命させなければならない。さもなくば――。


「……逃がさねえよ」


 心臓を貫かれながら、アーガスは刃を掴み、最期の〈硬化〉を発動する。

 すなわち、最大三分。アーガスの命を絶った機兵は刃を奪われ続けることになる。


「やれ」


 すでに〈硬化〉を発動していたアーガスの口からその言葉は発せられなかった。

 しかし、落日はたしかにその言葉を聞いた。

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