万識眼鏡の朝④
「レシィ、これに触ってみてくれ」
グラスが促す先は、機兵の残骸。その皮膚だ。
皮膚といっても、人間のそれとは異なり身体のラインに貼りつく青いスーツのような材質である。
残骸は手足を失い、床に寝かされている形だ。
すでに物言わぬただの物体にすぎないが、動いていたその姿を思い出しレシィは少し身震いした。
「やわからかくて……すべすべしてますね」
「今度は
「いいんですか?」
「損傷させる心配をしているなら、問題ない」
レシィは短剣を手渡され、刃先を押し当てる。あまりの手応えのなさに、今度はより力強く、深く刃を食いこませ、引く。しかし。
「切れない……」
「そうだ。皮膚素材は分子構造が整列し結晶化した積層プラスチック。強度・靭性に優れ、高い耐熱性も備えている。ただの刃では傷をつけることすら難しい。今度はこの斧を持ってくれ」
「重い、ですね……」
「その斧を全力で振り下ろせ」
「えっと、それはさすがに……」
「問題ない。百聞は一見に如かずだ」
「……わかりました」
鋼鉄製の戦斧。遠心力によって質量を叩き込むものだ。成人男性なら片手で扱うサイズであったが、少女は両手を用いてなんとか持ち上げることができた。そのまま頭上まで振り上げ、刃の重さに任せて、残骸に向けて振り下ろす。
ガキン。鈍い金属音。手が痺れる。
刃はまるで通じていない。それどころか、皮膚すら切れていなかった。
「硬っ……」
「肋骨に当たったな。骨格素材はチタン合金。ちなみに、構造は人間を模しており、かなり近しい。関節の可動域は人間離れしているがな。君の振るった斧によって皮膚にはわずかに傷はついたが、貫通には至っていない。魔力が通っていないにもかかわらずこの頑強さだ。もっとも、レシィの持った斧にも魔力は通っていなかったが」
「すみません、私そういうの苦手で……」
「知っている。君は固有魔術以外には取り柄がない」
「うっ……」
容赦がない。突き刺さるような言葉だ。
「なにか他に魔術を覚えたほうがいい。今後、機兵と戦うためにはな」
「た、戦う……?」
これまで考えたこともなかったことだ。
固有魔術〈隠匿〉があれば生き延びることはできる。これまでずっとそうしてきた。
だが、いつまでも逃げ隠れ続けられるとはかぎらない。いざというときのために力を身に着けておくのに越したことはない。それはわかる。
「でも、私が少し鍛えたからといって、とても勝てるとは……」
「勝てる。君にはその固有魔術がある。つまり、奇襲ができるということだ。万全の状態からの最高の一撃であれば、機兵を打倒できるだけの魔術能力を習得する見込みは十分にある」
「奇襲……!」
レシィはこれまで、自身の固有魔術を隠れるためだけのものだと思っていた。確かにできる。接近するまで待ち伏せし、意表を突く。攻撃的な転用。
「あの……」レシィはおずおずと挙手しながら。「参考までに聞きますけど、私って魔術の才能あります……?」
「ない。魔力量も少なく、訓練による増大もさほど期待できない」
「あ、はい。ですよね……」
「今のところはな。数年の訓練で軍が規定するところの衛士レベルまでなら確実だろう。それ以上は未知数だ。私は人間を見ることでそのものの素質や過去の記憶・経験、現段階での能力を知ることはできるが、未来を知ることはできない。それはその人間にまだ刻まれていない情報だからだ」
「はあ、なるほど……」
それは慰めや励ましではない、嘘偽りのない言葉なのだろう。無味乾燥なグラスの言葉だからこそ信頼できる。レシィはそう思った。
「でも、“すべてを知ることができる”とかいいながら、意外とわからないこと多いんですね」
「……見えないものは知れないだけだ。未来は、まだ見えないものだからな」
そのときわずかだが、グラスから感情が漏れたような気がした。
「武器はその斧を用いるといい。最初の一撃が肝心だからだ。狙うべき目標は右鎖骨。人体と同じく肩の駆動を制御している。撃破できなくとも機兵の精緻さに損傷を与えられたのなら射撃の命中精度は大幅に下がる。そうなれば彼らは頭部を狙うのをやめ、第二目標としてより被弾面積の大きい胴体を狙うようになる」
「それって……やっぱり撃たれるってことですか?」
「損傷程度と距離、位置関係などによる」
「うーん……」
レシィは俯き、顔をしかめる。
「“それなら隠れていた方が安全”か。それは間違いない。ただ、場合によっては“出る”しかない状況というものもあり得る。これは状況に応じた選択肢を増やすための提案だ。書斎に魔術書がある。まずそこから読むといい」
「おっしゃることはわかります、が……」
「私にはまだこの拠点でやることがある。残骸の解析とそれに基づく実験。一通り準備が完了したら生存者の捜索へ向かう。それまでに君も訓練を積むのが効率がよい」
「え、ここを離れるんですか?」
「いつまでもこの場所にいても埒が明かない。君自身がそうだったように、いつ機兵が偶然ここを発見するともかぎらない。私と君のたった二人しかいないこの場よりも、より規模の大きい生存者のコミュニティがどこかに存在すると私は予想している。かつて君が出会ったようなコミュニティだ。そこへ合流したい。君の協力があれば外征の生存率は飛躍的に向上するはずだ」
「…………」
レシィはいいようのない不安を覚えた。
ここは、これまでのどこよりも心地が良い。ベッドもあり、食事もあり、浴場まである。
グラスの言葉は常に正しい。レシィはそう思う。ただ、無力な少女として生きてきた彼女にとっては、それはあまりに重く感じられた。
「あの、グラスさんはどの程度魔術を扱えるんですか?」
「私は眼鏡としての機能を除けば、その能力はおおむね着用者に依存する。着用者の魔術能力は決して高くはなかったが、素質がないわけではなかった。そのうちの成果の一つがこれだ」
そういい、グラスが懐から取り出したものは、レシィにとってよく見覚えのあるものだった。
「それって……!」
「“銃”だ。そのうち消耗品である弾丸の再現に成功した。実演しよう。外へ」
庭へ出て、グラスは約25m先の的を目標にする。
構えて、撃つ。命中。銃声の大きさにレシィは思わずたじろいだ。
「こ、こんな大きな音させて大丈夫なんですか……?」
「認識妨害がある。外に音は漏れない」
「あ、なるほど……」
「静止目標に対し、この距離でなら命中率は八割ほどだ。これは弾薬の再現精度にも原因があるだろう。その改良と備蓄分の量産が今後の課題だ」
「あの……その武器って、私にも扱えますか?」
グラスは動きを止める。意外な言葉に少し考えているようだった。
いくらか話して気づいたが、「心が読める」といっても少し時間差があるらしい。
「なるほど。合理的な提案だ。たしかに、斧を魔術で強化するよりは銃の方が習得効率は高い。君も数日の訓練で十分に扱えるようになるだろう」
「そ、そうですか?」
はじめて、グラスに対して建設的な意見を言えた気がする。レシィは嬉しくなった。
「だが、問題はある。銃撃は人間に対してならどこに当たっても致命傷となりうるが、機兵に対しては有効な点目標が存在しない。候補としては胸部のリアクターだが、頑強な胸骨によって守られている。この銃の威力では貫通はできまい。〈隠匿〉状態からの奇襲で有効な攻撃となり得るかは微妙なところだ」
「そうですか……では、やっぱり斧、ですか?」
「選択肢は増やすべきだ。銃そのものの模造も進めよう。斧の場合は相手が接近してこなければ有効打を与えられないという問題もある。一長一短だ。そして、両方を同時に携行することは問題なく可能だ」
「は、はい」
「それでは、私は私の作業に戻る。君は君で出立までに準備を進めてもらえると助かる。何か質問があれば私のもとに訪ねてもらって構わない」
「わかりました」
戦う。そんな機会が本当にあるのだろうか。
グラスには隠し事は通用しない。「心を閉ざす」ということを無意味なものにする。それだけでなく、率直で飾り気のないグラスの言葉は妙に届く。
レシィは斧を手に取り、振る。重い。
「いや、ちょっと待って。なんか乗せられちゃったけど、これ使いこなすのって結構大変なんじゃ……」
前途多難な気がした。
***
レシィは訓練用木造人形に向かい合う。かつて霊獣の調教に利用していたものらしい。さらにグラスが再現した機兵の皮膚素材を着せている。
息を整え、両手で重い斧を握り、踏み込む。
「やぁっ!」
斧の重さを遠心力に乗せ、さらに自身の体重も乗せるように、渾身の力で振り下ろす。
深く、斧の刃が木造人形に突き刺さる。
「成長するものだな。皮膚素材を斬り裂いている。魔力も斧に通うようになっているようだ」
「……でも、すごい魔術師ってこの木人形くらいは真っ二つにするんですよね」
それどころか、機兵すらも。あんなふうに斬ることができたならと、夢見ることは幾度かあった。
「そうだな。私も実際に見たことがあるわけではない。木材とは強靭な素材だ。その木材に対してここまで斬り込めているのなら威力としては及第点といえる」
「そ、そうですか? やれますか?」
「可能性はある。機兵に対しその性能を阻害できるだけの損傷は与えられるだろう」
一か月。たしかに成果は現れている。
魔術による戦闘概念には目標に直接作用を及ぼす一次魔術に対し、剣などの武器に魔術作用を及ぼしこれをもって攻撃する二次魔術――あるいは付与魔術――と呼ばれるものがある。
いわゆる「魔力を通わせる」とはこのことを指す。
具体的にはなにが起きているのか。レシィはグラスに講義を受けた。
一つ。刃を構成する鋼の分子構造の結晶化である。これにより刃の強靭性が増す。
二つ。質量の増加である。攻撃の瞬間、刀身の分子間に疑似質量が介入する。
三つ。速度の増加である。刃先に付与された魔力が指向性をもって術者の筋力を補佐する。
以上は瞬間的で一時的な現象として発生する。「物理法則への介入」とグラスは表現した。
多くの術者はその具体的な作用を知ることはない。ただ「武器を強化する」という曖昧なイメージでこれを実現する。「誰もが魔術を理解せずにこれを使いこなしている」グラスはそうも語った。
レシィも理解できているわけではない。ただ、その感覚はわかる。
今やまったく無力というわけではない。レシィはそう思った。
「汗かいて疲れたんでお風呂でも入りますね。では!」
本館に入り、レシィはとっとこ浴場を目指して駆けていく。
「あ、斧まで持ってきちゃった。うーん、ま、いっか。とりあえず脱衣所に置いとけば……」
廊下を走りながら、レシィは目の端で、あってはならない影を捉えた。
機兵。
すべての魔術師を殺すために動く人形が、窓の外を歩いていた。
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