第68話クリスと佳大のゲーム

「お前…?」

「今朝港に走ってたじゃない?あの時についていかなかったのは、失敗だったよね!」


 仰向けになった彼の上に乗るのは、一人の少年。

女と見紛う顔に、狂的な笑みを塗りたくり、佳大を見下ろす瞳は、期待と殺意、飢えと親愛で煮え立っていた。


「感謝してよ?人気のない所を選んであげたんだからさ――さぁ、やろうか」


 クリスは馬乗りになり、佳大の首を撫でる。

胸に跨り、両上腕を膝で抑えているが、少し力を出せば解けるだろう。

不意打ちで左肘が砕けたが、これは既に治癒している。


「なあ、考え直してくれ?せめてロムードを殺すまで、俺に時間をくれよ。俺と一緒にいるの、嫌か?」

「く、ふふ……」


 佳大が生涯で初めてする本気の懇願に、クリスは含み笑いで答える。それに飽きると、クリスは酔ったような表情で語り出した。


「…君はいつだって優しかったね、殺したがるのを止めろって一度も言わなかったし、そうだったよねぇ?だが、それで済むのもここまでだ。一番最初の夜の決着がお預けになってる」


 いや、と佳大は考える。

ベヒモット村を訪れた際、レニを殺そうとした彼を止めた。風呂と食料を請求した際、クリスが勝手に止めただけだ。


「野宿した時に、殴り合ったろ?」

「全然だめだね。仲間だのなんだの言っても、集団である以上、優劣は必要だろう。僕は口だけのジャックともあのネズミ女とも違う。僕と一緒に旅がしたいなら、腰に提げてる奴で四肢を落としてから、命令すればいい…できるもんならね」


 嘲笑を露に、クリスは誇らしそうに言う。

上と下、視線が交わる。優越感と殺意に染まる視線を、佳大は石のような瞳で受け止めた。

佳大の姿が変わった。呵責のないその精神、自分を取り巻く全てを枷のように思っていたその冷徹な怠惰で、己の肉体を染め上げていく。


 目が吊り上がり、口は目尻の真下まで裂ける。

がっしりした顎には、虎のような牙が生え揃う。真夏の向日葵畑のような山吹色の髪が広がり、皮膚は柿色に染まった。

胸板は厚く、肩は倍近い広さになっている。四肢は木の幹のように逞しく、2mを超した身長を見れば、頭部から生える立派な角を見るまでも無く、古代日本では鬼と呼ばれるだろう。

衣装も身体が大きくなるに合わせて、サイズ・デザインが変更されている。


 逞しい上半身を晒し、馬乗袴で下半身を包んでいる。その上に虎の毛皮を巻き、素足に靴を履いていた。


 変化を終えた瞬間、佳大が横たわる地面が潰れた。

深いクレーターから、クリスは瞬き程の間に姿を消している。鬼が立ち上がるより早く、クリスは金色狼となって体当たりを見舞う。

神によって招かれた尖兵ですら捉えきれぬ速度で放たれたそれは、音速ジェットのような質量を帯びている。

佳大の両脚が沈む。上半身の筋力で引き抜き、後転宙返りした佳大を、横殴りの彗星が襲う。


 クリスは手を休めない。もはや佳大の姿など眼に入れておらず、脊髄反射で動くものを捉えているだけ。

光線が乱反射するように巨鬼を引っかく。己を追随する衝撃波により、周囲の物体は粉微塵となる。佳大が変化を終えてから5秒と立たずして、あたりは完全な更地になった。


「どうしたんだよ、受けるだけかよ!突っ立ってるだけなら死人で十分だ!お前なんか」


 黄金の体毛が、佳大の身体に貼りつく。

半ば以上無我夢中であったが、彼は徐々に己の特性を理解しつつあった。

便利ならば、使うまで。一瞬の接触のうちに、クリスを絡め取り、膝蹴りを機械的に、最短最速で打ち込んでいく。

その動きが不意に止まった。片膝を持ち上げた姿勢で硬直した佳大を、黄金狼は頭を振って放り投げる。


「お前なんか、お前、弱いくせに!!」


 冷気が爆発するように広がり、鐘楼のような氷柱が林立。

白に染まった更地の上を、無数の雹と雪が飛び交う。片膝をあげたまま横っ飛びになる鬼を、クリスは前足で器用に殴りつける。

竜巻の如き速度で振るわれる爪は空間を振るわせ、周囲の氷柱を砕く。


「僕、強いんだ!母さんも父さんも知らないけど、僕は大きくなった!僕はお前らみたいな雑魚とは違う!」


 何処を突いてしまったのか、クリスは喋り散らしながら絶え間なく打撃を浴びせる。

狂った吹雪は周囲300mにまで広がっており、範囲内にいた鳥獣、木こりは一言も発する事なく、氷像と化した。

大地が爆発するほどの踏み込み、空間に罅が走るほどの打撃――それを真紅の火炎が呑み込んだ。

小さな太陽が爆ぜ、白い世界が払われる。莫大な量の水蒸気が雲間を貫いた。


 炎に巻かれながらも、あっという間に圏外に逃げたクリスが致命傷を負うことは無かった。

地形を変える程の大破壊を一身に浴びながら、闘鬼と化した佳大は無傷だ。可塑性に富んだ鬼の性質ゆえか、傷はおろか細かな汚れすら見受けられない。

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