内々定持ちだけど生理用品愛用者で隠れ女装男子やってる ⑤
釜戸さんの服飾への興味関心は常人以上なのか、俺は様々な店に連れていかれた。小柄な人向けのファッションブランド店はもちろんのこと、アクセサリーショップ、カバンの店、靴の店、宝石店やコスプレ専門店などの多岐にわたる種類の店で、釜戸さんは常に最新の商品をチェックしていた。女装サークル恐るべしというか、逆にそこまでしないとやはりトップレベルの女装をやるだけの力はつかないのか。俺が関心している間にも、釜戸さんはブティックが立ち並ぶ小奇麗な一角を足取り軽く進んでいく。一方の俺はというと、歩きすぎて少し足が疲れてきたくらいだ。
「釜戸さんすごいっすね」
俺のつぶやきに特に反応することなく、ファンシーな街並みに目を輝かせるメイドさんはガラス張りの店の前で立ち止まった。
「わぁ、スタンディングピアノの新しいワンピース可愛いー…! お金たまったら買いに来ようかな……ねえ、丹君。こっちの白い奴、丹君に似合うんじゃない? どう?」
釜戸さんはあどけない笑みでこちらを振り返り、ウィンドウの内側にある白いワンピースを指さした。メイド服のままの釜戸さんは、その服装も相まってどこからどう見ても女の子そのもので、手を伸ばせば固いはずの男の体も、どことなく柔らかそうで、いい匂いがしてきそうな感じがした。
これまで付き合った彼女は幾人もいたが、こんな純粋な笑みを浮かべる子がいただろうか。しかも、今その笑顔を向けてくれているのは他でもない俺の服を選ぶためなのである。
――可愛い、と思ってしまった。相手は男で、しかも女装しているということもよく知っているはずなのに。釜戸さんはこれまで付き合ったどの女の子よりも可愛かった。そのあどけない笑みも、小さな顎に親指を人差し指を乗せる様も、普通の男の心を持っている人間であれば、これを可愛いと思わないはずがない。およそ性別すら超えそうな危険をはらみながらも、釜戸さんはそこにあることが当たり前のように笑顔を向けてくれる。
「釜戸さんのその女の子らしさって、どこから来るんですか?」
「え?」
「あ、いや。何かすごい可愛らしいじゃないですか。一筋では言い表しきれないんですけど、持ってるものだけじゃなくて、仕草とか、全体的な振る舞い……? とか。他の女装男子と釜戸さんって何が違うんでしょう。それが分かればもっといい恰好ができるんじゃないかなと思ったんですよね」
俺の言うことを釜戸さんは真面目な表情で聞いていた。しかし、直後にんー、と考え込み始め、暫く唸ったあとに再度俺に向き直る。
「したいことをしていただけ、かな? 心の底から女の子みたいに可愛いものが欲しい、と思っていたら、こんな風になっちゃってたんだ。別に、何か努力してるとかって意識も、あんまりないかな」
にべもない返事に、取り付く島もない。ただやりたいことをやっていれば、こうも女の子に近づけるものなのだろうか。女もののブランドを研究するとか、そういうのは釜戸さんの努力の範疇とではないということだろうか。だが、確かに釜戸さんが街を歩く様子を見ていると、努力とか意識とか、そういうものでは測り切れないとてつもない熱を感じる。俺が足が疲れたと感じるくらい歩いても、釜戸さんは全く疲れた様子を見せないし、あろうことか積極的に話しかけて可愛らしい笑顔を向けることまでできるのだ。これを信じないで、いったい釜戸さんの何を信じろというのだろう。
だとしたら、俺ができることは俺なりにあらゆるものの細部まで女という存在をコピーし、自分の中に取り込むことだ。自分のしたいように女装するのだ。ならばやはり下着にまで及んで研究しつくさねばなるまい。
「わかりました。やはり、やりたいことを、やる。それが一番ですね」
「そうそう。自分の好きなものさえはっきりしていれば、他人に何か言われて迷うことも、道を見失ったりもしないからさ」
さすがは釜戸さんだ。やはり見込んだ通り、器の大きい女装男子だった。
その日は日暮れまで二人で街を歩き、何着か目ぼしい服を手に入れたのちに、自宅に戻った。ナナカマドに後で訪れる、という話を釜戸さんにすると、とても喜んでくれ、待ってるからね、と笑顔で手を振られた。
帰りがけにスーパーに立ち寄って、アリスの夜用を買って帰ってきた。とりあえず、これからは女子の気持ちになるために夜も着用してみよう。今日釜戸さんと歩いてみて、俺なりにそう考えた結果の行動だった。
「いらっしゃい、丹君。早速で申し訳ないのですが、実は、丹君に謝らなければならないことがあります」
数日後、ナナカマドの部室に来るなり、釜戸さんが早々に謝罪の言葉を向けてきたのは、案内されてからまだ二分と経たないうちだった。
「はい、何でしょうか」
「丹君、何かサークルには入ってる?」
「二年生までテニスサークルと言う飲み会リア充サークルに入ってましたね。まあ、その時に色々あって辞めましたが」
色々、というのには恋愛沙汰も含むのだが、まあそれはあえて語らないことにした。
「そう。テニスサークルって結構大きいからイメージつかないかもしれないけど、うちの部活は好き者同士が集まってるような部活でね。すごく人数が少ないんだ」
釜戸さんはいいながら、部室の扉を開ける。そういえば、この人と会った当日も、サークルのビラを配っていたのは一団というより小グループといった方が正しいくらいの人数しかいなかったと、思い当たる。あのときは人数よりも物珍しさの方に関心が引かれて気づくことができなかったが、振り替えれば釜戸さん含めて五人程度ではなかっただろうか。確かに世間的に考えて女装という趣味はそうそう大っぴらにできるものではない。釜戸さんに出会う前の俺がそうであったように、異性の服に興味があってもせいぜい自宅の中で楽しむ程度の人が多いだろう。だからナナカマドの人数がそれほど多くないというのも納得はできる。
「はい、何となくそんな気はしていましたが……しかし、それがなぜ俺に謝らなければならないことなんです?」
扉を開いた先に、何人かの部員が集まっていた。ナナカマドに割り当てられた部室は、六畳あるかどうかの小さなもので、中にいた部員は当然のように全員男だった。想像していたよりも普通の、それこそただのジーンズと半袖の上着を羽織っているだけのどこからどうみても普通の男子大学生に、俺は軽く会釈をした。
「どうも」
「らっしゃい」
部屋にいた部員は、皆細面で身長は人によってまちまちだ。が、眼鏡をかけていたり髪の毛を短く刈り揃えていたりというところを見ると、本当にどこにでもいる大学生だなと思う。少なくとも全員百七十以上はありそうな彼らの身長から、このサークルの中ではおそらく釜戸さんが一番小柄なようだと悟った。この人たちが先日、派手な女装姿で構内を歩き回り掲示板にサークルのビラを配っていた人たちと同じなのか、と思うと化粧や衣服の力を思い知るようだ。
「この人たちは部員ね、窓側から、橋本君、前田君、笹原君」
「よろしくお願いします。ってか思ってたより、皆さん落ち着いてますね」
一番奥でパソコンをいじっていた人が、ふっと静かに息を漏らした。彼は橋本君か。視線はこちらに向くことなく、ただパソコンのみに向けられている。どうやら作業に集中しているようだ。カメラをいじっているのは前田君。一番手前の笹原君は、女性向け雑誌に目を通している。
俺の発した一言に、釜戸さんが笑って答える。
「ははは。まあこの部活、普段は次に出るイベントの情報収集と、撮った写真の修正とかして過ごしてる感じだから。あとは、トレンドチェックかな」
「結構緩い感じですね」
「うん。ちなみに普段の活動目的は、”自分たちの女装姿を可愛く撮影すること”! でも一応、サークル内規則とかもあるから気を付けて。そこに張り出してあるやつね」
釜戸さんは壁面に備え付けのホワイトボードを指さした。そこにはメイドさん丸っこいデフォルメ絵とともに、確かに規則のようなものがが書かれていた。
【ナナカマド サークル内規則】
一、髭と脛毛と腋毛の処理は絶対! 美しくありたければ、常に努力を怠ることなかれ。
女装男子たるもの、常に脱毛する生き物と心得ましょう。どんなにかわいい服もアクセサリーも、体毛が見えているだけで途端に不潔に見えてしまいます。常に可愛くあるためにも、毛のお手入れは必須です。
二、自分の可愛さ・美しさにに自信を持つこと
美しさや可愛さに自信がある女の人こそ可愛いものです。それは女装男子でも同じです。自分の身なりを恥じることなく、堂々と活動しましょう。身なりに自信がないと思うときは、可愛くなるためにさらに努力をしましょう。
三、部屋はきれいに。
女装男子はただでさえ外からの偏見が強い生き物です。さらなる偏見を生み出さないためにも、部屋はきれいに保ちましょう。
サークル内規則にある「三、部屋はきれいに」という内容に従って、改めて部室を見る。確かに各々が用意しているPC機器やカメラ、雑誌の類は必ず収納場所が用意されており、きちんと整理整頓されていた。床も掃き掃除が行き届いているようで埃はなく、新品の靴で歩いても汚れは付きそうになかった。部員の腕や足を見てみると、こちらも脱毛が行き届いているのか柔らかそうな皮膚をしている。なかなかの徹底ぶりのようだ。
「なるほど、これが釜戸さんの所属する女装サークルのレベルということですね」
「はい……?」
脇で女性用ファッション雑誌を読んでいた笹原君が苦笑いしながら顔を上げた。
「それって皮肉?」
「いえ、むしろその逆です、これだけ徹底してるからあんなクオリティの高い女装ができるんだな、と思いまして」
一瞬不愉快そうな顔をした笹原君だったが、俺の一言を聞いて目に光が差した。
「お、そうだよ。あんたなかなかわかってるなぁ。面白い新人連れてきたね、釜戸君」
「でしょでしょ。アタシの目に狂いはないのです。えっへん」
小さな胸を張って釜戸さんが笹原君に告げる。作業に集中していた橋本君と前田君も、ようやく俺に興味を示したのか手を止めて二人の会話を聞いた。前田君がわずかばかりに目を細め、言われてみれば確かに撮り甲斐ありそうな被写体かも……と呟くのが聞こえた。
「そして、なんと丹君は――」
釜戸さんがまるで今から重大発表をします、というように、ちらり、と俺のほうを振り返った。
「現在進行形で自宅で女装してます! 正真正銘の隠れ女装家でした…!」
部員三人がおぉーと声を上げ、ぱちぱちと拍手を送ってきた。まるでパーティ会場に主賓が来たかのような突然の盛り上がりに、俺はいよいよ意味が分からなくなってきたが、何となく空気を壊すのも悪いかなと思ったので、さながら本日の主役のようにありがとうございます、ありがとうございます、と繰り返す。女装サークルにおいても、部屋で隠れて女装をしている人間は珍しいということだろうか。いや、じゃあなぜこの三人はこのサークルに来られたのだろうか。……いや、そのあたりは深く考えてはいけないのかもしれない。
が、いい雰囲気に流されて忘れそうになっていた。唐突に先ほどの釜戸さんの発言を思い出す。
「――ところで釜戸さん、さっき言ってた〝謝らなければならないこと〟って…?」
「あ、そうだった」
釜戸さんは手を合わせてひょこひょこと部室の窓際に近づいて行った。窓近くの棚に置いてあったチラシを取ってきて、俺にそれを見せる。
「これ。丹君に会った時に渡したんだけど、覚えてる?」
「ナナカマドの大学祭のチラシですよね」
「うん、でその内容。今年のうちの出し物は、女装喫茶なの」
「女装喫茶って……AVのタイトルか何かですか?」
釜戸さんと部員たち三人からどっと笑いが漏れた。笹原君が、怖い、イケメン怖い、いや以外にそういうの疎かったりして、とあらぬ想像を巡らせながら腹を抱えて笑っている。何だ、違うのか。
「バカ。大学祭でフーゾクはないでしょ…! 普通に女装して、喫茶店開くの。執事喫茶とか、メイド喫茶とか、ああいうのと一緒」
「ああ! なるほど」
腑に落ちた俺の一言に、橋本君が僅かに息を漏らして静かに笑う。前田君が持っていたカメラをこちらに向けてシャッターを切った。
「まあそれはそうと、その喫茶店なんだけど、やっぱり人数が足りなくてね。丹君、入部早々で申し訳ないんだけど、手伝ってほしいなーって」
渡されたチラシをよくよく見ると、確かに女装喫茶、一回で五百円、とある。そこは一時間でとかではないのか、という感想は置いておくとして、手伝うにしても俺はバイトですらウェイターなんてやったことがない。ましてや料理も専門外だ。うまくいくのだろうか。
「俺は別に構わないですけど、飛び入りで参加して大丈夫なんでしょうか」
「もちろんある程度の所作は仕込むよ。だから文化祭当日までには、かなり女装男子としての良い振舞いが身についているはず」
釜戸さんが笑顔で答えてくれた。まるで舞台か演劇の稽古のようだ。もちろんそんなものをやった経験もないが。
「わかりました」
「よーし、じゃあ、今から早速練習だね!」
「今から!?」
「そりゃあもう、やるなら早い方がいいし」
元気いっぱいな釜戸さんの掛け声を皮切りに、橋本君、前田君、笹原君の三人が俺のほうをじっと見てくる。三人は示しを合わせたように各々の作業をいったん中断し、突然部室の隅に置かれていた衣装棚の前に集合した。大した広さのない部室で男が複数人動いたせいで、空間のバランスが全体的に悪くなり、何となく自分の立っている場所からさらに隅へと寄る。
橋本君が初めて俺と目を合わせて、何も言わずに肩を叩いた。いつの間に用意したのか、手には化粧水が握られている。前田君は口元だけで笑いながら、衣装棚から白い厚手のストッキングを取り出す。笹原君が衣装棚から取り出しているのは、ピンクのヘアゴムだ。先に髪を結うのが、彼のスタイルらしい。
男たちが各々、それぞれ得意な女へと変貌を遂げていく。俺が部室にきてからわずか数分で、そこは普通の男子大学生が集まる部室から、素敵な女性に生まれ変わるための更衣室になっていた。
「じゃ、お手並み拝見と行こうか、新人君」
釜戸さんが俺に一着の服を手渡した。生地が薄めの白いワンピース――先日の隣町の買い物のときに、俺に似合うと釜戸さんが言ってくれた服だった。
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