第七話 空白の三ヶ月④

 そう決意して数時間。

 太陽が傾き始めた頃合にも拘らず、私はまだ苦戦していた。


 回数だけは無駄にこなしたおかげで、私自身の周囲に現れた気配にはどうにか気が付けるようになったものの、反応速度が足りない。


 せめて、どのタイミングで移動するのかさえ分かれば、何とかなるような気がするんだけどなぁ……。


 そうしてまた始める、何度目とも分からない挑戦。


 同じように繰り広げられる、構える私と悠々と立つナディアお姉さんという対称的な対峙。


 疲労困憊で疲れていたのだろう。

 注意力も散漫になり、いつもなら気にもならない風の感触を頬より受け取ってしまった。


 ……そういえば、ソニアが何か言ってたっけ。

 目の乾燥がどう、とか……。


 だからだろうか。

 不運にも舞い上がった砂の粒が片目に侵入し、私の視界を汚す。


 構えこそ崩さなかったものの、不意に片目を瞑ってしまい死角ができてしまった。

 だけど、それこそが攻略の鍵に繋がる。


 左目だけが閉じ、右目は開いたままの状態。

 そのタイミンクと重なるように、ナディアお姉さんは動いたのだ。


 普段なら、知覚する時には既に目の前から消えていたその姿が、今は僅かに、しかしハッキリと動いたことを捉えた。


 けれど、それだけ。

 様々なことが一気に起こり、それらを一つ一つ理解しようとした私の脳はパンク寸前。


 またしても反応することは叶わず、なす術もなく肩を触れられる。


「はい、もう一回。早くしないと、日が暮れちゃうわよ?」


 悔しい。しかし、可能性は見えた。

 私の予想が正しいなら、次はきっとやれる気がする。


 再び距離を取り、構える私。

 お互いに睨み合ったまま動かない時間が幾ばくか過ぎ、その時は訪れた。


 撫でるような僅かな風。

 自分でも気にしていなかったけど、どうやら私はこのタイミングで瞬きをするらしい。


 だから、そのまま閉じた目は開けず、近づく気配だけに集中する。


 ――――来た!


 私の左後ろ、その場所に何かが現れる感覚を覚えて身体を動かす。

 振り向くと同時に目を開けば、眼前には迫り来る指先が見えた。


 きつね師匠に習った通り、一度腕で逸らしていなすと、その相手の力を利用して投げる。


 ――そのはずだった。


 けれど、いつの間にか私の視界は回っており、背中に響く痛みが意識を取り戻させる。


 …………投げ、返された?


 確かなことは分からないが、状況的にそうなのだろうと思う。

 ソニアの意見で閃き、これ以上ないタイミングで仕掛けることができた。でも、駄目だった。


 土を落とすように手を叩き、こちらを見下げるナディアお姉さんは笑って一言。


「合格、よく出来ました」


「……………………え?」


 予想していた言葉と違うことを言われ、私は困惑する。


「えっ……でもだって、私投げ返されて…………」


 そう言い募ると、ナディアお姉さんは愉快そうに笑った。


「あら? いつの間にそんなルールに変わったのかしら? 私が言ったのは『一度だけ躱せ』、それだけよ。私の手を弾いた時点で充分。……まぁ、その後に投げられそうだったから、ちょっとだけ本気を出しちゃったけどね」


 人差し指と親指で僅かな隙間を作りながら語ると、その手をこちらに差し出してくれる。

 私はそれに掴まって体を起こすと、服に着いた汚れを叩いて落とした。


「それで? 勝因は一体何なのかしら?」


 楽しげに問われる。

 私も少し自信を持って解説した。


「風が吹くと、私は瞬きをする癖がある。ナディアお姉さんは、そのタイミングで動いていたんでしょ? だから、私には一瞬の間に消えたように感じた。でもそれが分かれば、近づいてくるタイミングが分かるってことだから、わざと待ち構えていたの」


 聞かれたことに素直に答えれば、拍手が飛び交う。


「その通り。それじゃ、キリも良いし今日はこの辺にしましょうか。……ちょうど、お迎えも来たところだしね」


 お迎え……?

 建物の方を見やれば、ソニアが手を振って歩いてくる。


 他の子達も窓から顔を覗かせて、こちらの様子を伺っていた。


「ししょー、準備出来たよ」


「分かったわ。……さ、行きましょ」


 促されて、私は歩く。

 隣にはソニアがピトッとくっ付いてきた。


 夜の帳が下り、闇に包まれていく世界。

 そんな中でも橙色で満たされた建物とそこに住む人々は私を優しく迎えてくれる。



 ♦ ♦ ♦



「それでは、ここノーノ孤児院の新たな家族を祝って――」


『ようこそ、これからよろしくね!』


 思い思いの飲み物を持ち、大机には豪華な料理が並べられる中で、私はこれほどかと言わんばかりに盛大に歓迎されていた。


 至る所に折り紙で作られた輪っかの装飾品が取り付けられており、大きな垂れ幕には達筆な文字で『ようこそ、私たちの家族へ』と記されている。


 一応、私の隣には顔馴染んだナディアお姉さんとソニアが陣取っており、そこから長方形の机を囲むようにして二十人弱の子供たちが座っていた。


 ……けれど、私の歓迎会ということもあってか、皆席を立ち、銘々に話しかけてくる。


 レスとはどうやって出会ったのか。

 ここに来るまで、どんな旅をしたのか。


 私たちの話だけでなく、逆に私と出会う前の孤児院にいた頃の話も聞いた。


 その度にナディアお姉さんから「立ったまま食べるのは行儀が悪い」なんて怒られていたけど、それでも懲りずに何度も何度も。


 だから、私的には皆と仲良くなれたと思う。

 男の子はまだ苦手意識があるけど、女の子組とは話すことができるようになった。


「あーあ、ウィリーくんもリズねぇも来れば良かったのに……。せっかくのルゥちゃんの歓迎会だったんだからさ」


 もう料理の殆どが空となり、あらかた会話をし終えてまったりとしている時間。

 そんな折に、隣で飲み物を傾けるソニアは、そうボヤいた。


「そんな事言わないの、ソニア。というより、来ても困るわよ。事情を知ってるウィリーならともかく、リズが来れば大惨事になるわ」


 私と一緒にその発言を聞いていたナディアお姉さんは、コップを片手にレスの眠る部屋のドアを見やる。


 ウィリーさんとリズさん。

 ここに来た当初も聞いた名前だけど、誰なのだろう?


「ねぇ、その人たちってどんな人なの?」


 試しに聞いてみれば、ソニアは教えてくれる。


「レスくんと同じようにこの孤児院を出て、外で働いている人達だよ。二人ともドワーフ国で鍛冶屋――武器なんかを作っている仕事をしているんだ。リズねぇはレスくんの一つ上で、ドワーフ族。ウィリーくんはレスくんの二つ下でエルフ族。けど、レスくんより後にししょーに拾われたらしいから、二人はレスくんの兄妹弟子ってことになるのかな」


「へぇー…………」


 クピリとコップを傾けて喉を潤し、私は耳に意識を預けていた。

 レスが一番始めに拾われていたことは知っているが、その後に拾われたのがその二人なんだ……。


「さて……長話もいいけれど、そろそろ片付けを始めちゃいましょう。下の子達はもう眠たいみたいだしね」


 そう言われて辺りを見渡して確認してみると、年齢が二桁を満たしていなさそうな子らは船を漕ぎ、コクリと首を揺らしている。


 もうそんな時間が経っていたのか、と一人物思いに耽ていれば、さすがに手馴れたもので年長さん組はテキパキと役割を分けて動き始めていた。


「あの……私も何かした方が…………?」


 見ているだけというのもバツが悪く、未だにコップに口をつけるナディアお姉さんに話しかけてみれば、呑気に手を振って答える。


「あぁ、いいのいいの。これはあの子達の仕事だし、今日は貴方が主役なんだからドンと構えてなさい」


 それでいいのだろうか……。

 そして、それ以上に貴方は何もしなくてよいのでしょうか?


 つい気になり、そんなことを尋ねてみると、これまた笑って返答が来る。


「だって、家事とかできないもん……私」


 ……なんということだろう。私は驚きのあまり言葉を失っていた。

 だけど、そんなことを当人が気にする様子もなく話は別の方向へと流れていく。


「それよりさ、寝るところはどうする? 部屋はいくつもあるから一人部屋でもいいし……それとも、ソニアと一緒に寝る?」


 後半は大分魅力的な提案だった。友達と一緒にお泊まり――ちょっと違う気もするけど、私のしたいことの一つ。

 だけど、私にはそれよりも望んでいることがある。


「レスの部屋で寝るのは……ダメかな?」


 控えめにそう問いかけてみれば、特に問題はなさそうに首を振られた。


「いいえ、全く。言った通り、勝手に治っているんだからあとは安静に寝かせておけば、自然と起きてくるもの」


 そう教えられて安心。

 私は僅かに量の残ったコップを煽り、飲み干す。


 その後は、このことに対して一部で抗議が上がったり、大勢でお風呂に入ったりしたのだけど……それはまた別のお話で。

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