第十八話 あっけない幕引き

  ――体が熱い。


 心臓が釣り上げたばかりの魚のように一度だけ大きく跳ね、その後はドクンドクンと高鳴りを続ける。


 血が全身を巡っているのが分かった。

 その流れは随時加速していき、今にも血管が張り裂けそうだ。


 視界は赤く染まっていき、思考は暴力と陵辱と破壊で満ちる。


 ――殺したい。


 ――犯したい。


 ――壊したい。


 何もかもを、ぐちゃぐちゃに――めちゃくちゃに。

 本能の赴くままに、遍く全てを。


 だが、残った一欠片の理性がそれに抗う。

 意味はあるのか。理由を答えろ。論理的な自問に、感情的な自答が返る板挟み。


 それ故に、俺は頭を抱えたまま動かない。動けない。


 おまけに肉やら骨やらがグルグルと掻き混ぜられているようで、気持ちが悪かった。

 イライラは募り、理性は居場所を失っていく。


 ――あぁ、思考を放棄できたらどれだけ楽になるのだろうか?


 そんな折、フワリと風が音を運び、耳に伝わってきた。


「……レス…………」


 たった一言、心配するような声。

 だけど、今の俺にはそれさえも煩わしい。


 ――うるっさい!


 殺さんばかりの威圧を込めて届いた雑音の方を向けば、小さな少女が微笑んでいた。


 心は病んでいるが、不思議と身体の調子は良い。

 そんな今の俺になら、その額に浮かぶ汗の玉だって見える。歯を食いしばりながらも、懸命にこちらへ笑いかけてくれるその姿とともに。


 それを見た瞬間――一瞬だけ頭の中は空になった。


「……すぅー――はぁー――」


 新鮮な空気を取り込むと、少しだけ周りが見えてくる。


 落ち着け。抑えるな、受け入れてコントロールするんだ。感情に飲まれるのではなく、指向性を与えてやれ。


 かすかに取り戻した理性が解決の糸口を示した。


 ――殺す犯す壊す殺す殺す壊す殺す犯す壊す壊す殺す犯す殺す殺す壊す犯す。


 少しでも気を抜けば奥底からざわめく欲望を、果たすべき指名へと変えるべく必死に自問自答を繰り返す。


 ――誰を?

 ――炎に覆われた、未だ姿の見えない怪物を、だ。


 ――どうやって?

 ――どんな手を使っても。やれることは全部やる。


 ――だが、強いぞ。

 ――そうだな、今の心理状態では勝てない。


 ――では、どうする?

 ――激情と平静を両立させろ。壊して殺すために、頭は常に冷静であれ。


「……すぅー――はぁー――」


 もう一度大きく深呼吸をすると、見えていた世界はいつもの色を取り戻し、あれだけがなり立てていた欲望の声は心の奥底で小さく呟くだけとなった。


 立ち上がって自分の体を見渡すと、受けた怪我は綺麗さっぱり完治している。

 腕の骨は繋がり、破けていた肺は元に戻り、爪もしっかりと生え替わっていた。


「おい、ドウラン……そっちは大丈夫か?」


「…………………………………………」


 拳を開閉して体の調子を確認しながら問いてみるが、隣からは返事がない。

 俺より先に立ち上がっていたようだが、大丈夫だろうか?


「その様子……貴様らも薬を飲んだのか」


 そんな声とともに風は巻き上がり、炎の渦は呆気なく消えてしまう。

 腕を水平方向に伸ばしている敵の姿から鑑みるに、振るった際の風の勢いでかき消したのだろう。


「ソレは素晴らしいものだ。力は湧く、傷も癒える、俺たちを一足飛びに強くしてくれるんだ。ソレさえあれば、どの種族にも勝てる!」


 ダラダラと垂れるご高説を耳にしながら、俺は落とした刀を取りに戻る。

 そのいつも以上の俊敏さに、自分自身で驚いた。


 ――なるほど。確かに男が言っただけのことはあるようだ。

 力が無限に湧いて出る。まるで際限などないように。


 だけど、これは言わば脳のリミッターを外したような状態。調子に乗って使っていては、逆に自身の体を壊しかねないな。


 俺の中の冷静な部分がそう判断をする。すかさず潜んでいた激情が抗議をするけれど、こいつを殺すために必要なことだと自分自身に理解させた。


「……だったら、まずは俺たちを倒してみろよ。もう、お前には負けないけどな」


 そう言って刀を構えると、ちょうど敵を挟むような立ち位置となった俺たち。

 未だに一言も話さないドウランの様子は気になるが、兎にも角にもコイツを倒すことが先決だ。


「……いいだろう。ならば、そこに倒れる娘達のように、貴様らをもう一度地につけてくれる」


 敵のこの言葉を皮切りに、ドウランは一直線で駆け出していく。

 追うように俺も肉薄し、こうして最後の戦いの幕は上がった。



 ♦ ♦ ♦



 相手の首を切り裂くように自身の鋭利な爪を立て、突きを繰り出したドウランだったが、それは男が頭を傾けることで躱されてしまう。


 続いて突きのために閉じていた拳を開き、同時に空いていた左手も敵の首へと向けると、頸動脈を掻っ切ろうと指を動かした。


 しかし、これは手首同士をぶつけて腕ごと弾くことでやり過ごす。だが、そうこうしているうちに俺がその背後へと迫った。


 同じく首を狙って左から右への水平切り。しかし、気配を読まれてか、しゃがんで回避。


 これに対して顔面に膝蹴りをするドウランであったが、一方の敵は頭突きで応戦。まだ加速も充分に乗っていない状況だったため、互いにダメージはないだろうな。


 刀を振るった状態の俺はそのまま"7"の字を書くように、左下へ斬り下ろそうとする。


 だが、それよりも速く男は動いた。

 頭突きで頭を下げた状態から地面に手をつくと、体を丸めた状態での逆立ち。そこから体のバネを使って俺に対し足裏で蹴りをしてきたため、攻撃を取り止めて左前方へとすかさず前転回避をする。


 足の伸び切った逆立ち状態の相手は、そのまま体を回転させると自身の周囲に蹴りの嵐を起こした。そのために、俺たち二人は一度引き下がる。


 体勢を立て直すドウランと俺。

 けれど、敵の動きが止まり、元の立ち姿に戻ろうとする隙を狙って今度は俺が仕掛ける。


 ダッシュで距離を詰めると袈裟斬り、斬り返し、水平上段からの斬り上げと猛攻に出た。……が、手応えは薄い。


 不安定な姿勢、定まらない視界の中で、よくもここまで躱すものだ。

 真正面から捉えられることを恐れた俺は、一度男の真上に飛び上がると、天地がひっくり返った視界の中で『飛脚』を用いて空を蹴り、相手の背後へと降り立つ。


 振り向きざまに刀を振るうも、またしても勘づかれ、一歩身を引かれることでギリギリ当たらない。

 先程の連続攻撃も含めて、全てを見切られて避けられた――傍からだと、そう見えただろう。


 だけど、男の体には無数の切り傷が浮かんでおり、俺の刀の剣先部分は僅かに血で濡れていた。


「…………ちっ!」


 躱したはずなのに当たる――そんな錯覚のような出来事に、敵の口からは舌打ちが漏れる。


 なおも追撃を加えようと踏み込むと、男の背後から拳を引いたドウランの姿があることに気が付いた。


 その俺の視線に敵も勘づいたようで、一回転するように体を回すと、放たれた拳の側面に自身の左手を添え、いなし、地面へと流れを変えてみせる。


 それによって辺りに砕け散る瓦礫。

 思わず顔を腕で覆いながら二歩、三歩と下がると、その原因へと文句を言い放った。


「おい、ドウラン! 俺まで巻き込むな! もうちょい加減しろ!」


「…………………………………………」


 しかし、案の定返事はなく、粛々と戦闘をこなしている。


 ……あの、糞狼が。共闘できているからある程度の敵味方の区別は出来てると思うが、薬に飲まれている可能性はあるかもな。


 相方の状態を分析しつつ状況を眺めてみれば、相手は先程の勢いを利用してドウランの側頭部へと膝蹴りをした。


 一方、ドウランはそれを左手で掴むと男の体に目掛けてまたもや右腕を振るう。

 他方では、掴まれた右膝を軸に体を回し、速度をつけて左踵を後頭部へと差し向ける。


 互いの攻撃はどちらも完璧な形で命中すると、ドウランは地面に倒れ、敵はそのまま吹き飛んだ。


 地面を跳ねた後、彼らは即座に立ち上がり、すぐさま肉薄する。


 双方の構えられた拳がぶつかり合い、衝撃を生んだ。そこからは怒涛の殴打の応酬。

 躱し、いなし、弾き、相殺し、時には当たるその戦いは荒れ狂う喧嘩のようであり、崇高な武術試合とも見て取れた。


 けれど、勘違いしてはいけない。

 これは殺し合いなのだ。


 敵の視野外に当たる位置まで移動すると、俺は息を潜め、『飛脚』で上空まで昇る。

 そこからは殺気も気配も全てを内に秘め、全身の力を抜き、自然体で頭から落下した。


 そうして敵の背後――攻撃範囲内まで辿り着くと左手のみに殺気を込めて、その首を薙ぐ。


 緊迫した状況下にいきなり死の気配を感じたらどうなるのか?

 ある程度戦える者なら、皆一様に回避をしようと是が非でも動くだろう。


 それはこの男とて例外ではなく、攻撃でもなんでもないただの押し手でドウランを遠くへ飛ばすと、切羽詰まった様子でしゃがむ。


 だが、それはフェイクだ。

 何も持っていない左手の手刀を振り終えた俺は、体を反転させて足から着地し、振り向きざまに本命の右手――握った刀をその首へと向けた。


 急な攻撃によるしゃがみ回避で、敵はバランスを崩している。

 それでさえも体を仰け反り、限界まで避けようと努力をしていた。


 その甲斐あってか、剣先が僅かに届かない。


 ――今のままでは、な。


 凪いだ心で魔力を灯し、迷いなく、一心に刀を振るった。


 まるで時が止まったかのようだ。

 派手だった戦闘が嘘のよう。ただただ静かに俺たちは動きを止めている。


 やがてポタリポタリと雫は落ち、それは勢いを増して、いつしか多量に降り注ぐ。


 目の前には首のない胴。噴水のように鮮血は噴き出し、雨が如く周囲を紅く汚した。


 しとどに濡れる血溜まりの中、勇ましい表情をするひとつの頭が鎮座している。


 刀を二度振り付着した血を落とすと、鞘に収め、ようやく実感した。


 ――戦いは終わったのだ、と。

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