第十話 そして、命の灯火は火種へと変わる

「おい、もうその辺にしておけ」


 全ての爪を剥がされ、全ての指先を極太の針で貫かれ終えた時、そんな声が部屋に響いた。


 現れたのはもう一人の謎の人物。姿はいつもの逆光で全く見えず、シルエットだけが浮かんでいる。


「なんだい? 一晩共に寝泊まりをしただけで、情でも湧いたのかな?」


「そんなんじゃねーよ。ただ、死なれても困るだけだ」


 やけに聞き覚えのある声。

 だが、頭は未だにボーッとしており、それが誰かまでは一致しない。


「それなら心配ないさ、これぐらいならまだ死なない。私の腕を信じてくれていいよ」


「……そうだな、だったら尚更信用出来ねぇ。お前はそれで、どれだけ死人を出した?」


「あはっ! そうだったかな?」


 この度々切り替わるテンションの高さは、聞いているだけでも無性に腹が立つ。

 極限の疲労のせいか、理性は全く働きやしない。


「でも、しょうがないんだよ。楽しくて楽しくて……気づいたらつい、ね」


「だから、もう止めておけ。十分だろ」


「そんなことないよー。……ねぇ、君もまだまだ楽しみたいよね?」


 顎を掴まれると、耳元でそう囁かれた。

 だが、それは質問であって質問ではない。答える気力も湧かず、ただただ短く息を吐く。


「ほらぁ、聞いた? ねぇ、聞いたかい? 『はぁ……』だって! やっぱりまだまだ楽しみ足りないんだよ!」


「おい、お前な――」


 尚もいい募ろうとする謎の人物を前に、拷問男の態度は変化する。


「だ、か、ら! 大丈夫だって言ってんのが聞こえねぇのか、あぁ?」


 一変、これまでの上機嫌で丁寧な振る舞いとは異なる、汚い怒号が耳に届いた。

 情緒不安定なのか、いや、そうなのだろう。すぐに男は笑みを取り戻す。


「大丈夫、まだ爪だけだ。次は歯を抜く。出血量にさえ気をつければ、死ぬことはないよ」


 その声を次第に小さくなり、いつの間にか独り言へと移っていく。


「…………うん、そうだ。歯を抜くんだ……ふふ」


 それどころか、自分の発言に興奮したようで、その笑いは留まるところを知らない。


「そう、歯を抜く……はは! 歯を抜くためには口が開く、食いしばれない……ゆえに! …………悲鳴が聞こえるぅ……」


 気色の悪い台詞。頭に響く声。

 傷ついた心身にはどの要素も応えた。


 それは現れた謎の人物も同じなのだろう。薄いため息が耳に届く。


「……はぁ。じゃあ、言い方を変えよう。それだと会話に支障が出るから止めろ」


「あぁ? だったら――」


「――それにだ」


 男の話を遮るように、説得は続く。

 それにしても、新たに現れたこの謎の人物はどうしてここまでして拷問を止めようとしているのだろう。


「それに、ボスがキレるぞ」


「……………………」


 先程までのテンションはどこへいったのか。

 そう思うほどに、静かな時間が続いた。


 微かに吹くそよ風が俺の体を揺らし、ジクジクと痛みを与える。


「ボスもこの日を待ちわびていたんだ。お前だけが楽しんでいい理由なんてない、よな?」


「あ、あぁ……もちろんだよ。そうだね、君の言う通りだ」


 震える声で交わされる返事。自分へ言い聞かせようとしているのか、何度も肯定をする。


「……うん。私はもう楽しんだし、あとは好きにしてくれていいよ」


 それだけを言うと、急にそそくさと部屋を出ていった。

 その際、小さく「ボスを怒らせて、これ以上”おもてなし”が出来なくなるのも困りものだからね」と呟かれたことを俺は聞き逃さない。


 後に残るのは、時折響く鎖と血液の滴る音楽、そして演奏家の俺、観客である謎の人物のみ。

 項垂れるように俺の目線は下を向いているため状況を確認できないが、何となくジッと見つめられている気がする。


「…………ふん」


 そんな鼻を鳴らす音とともに、もう一つの足音も離れていった。


 一体なんだったのか。

 俺は助けられたのか。


 そんな疑問が、ノロマな思考の中を揺蕩たゆたう。答えの出ない、延々としたループを育みながら。



 ♦ ♦ ♦



「――おい、いい加減に起きろ!」


 頬に襲いかかる衝撃と痛み。三度目となる起床は、随分と手荒なものだった。

 突然の出来事に一瞬で目が覚めると、状況を把握するべく辺りを頻りに見渡す。


 手足が鎖に繋がれ、身動きが取れないことに変わりはなかったが、逆に言えば、それ以外のことは全て様変わりしていた。


 見上げれば青い空、白い雲。俺は一メートルほどの高さの台に吊られており、多くの獣人から見世物にされている。

 細やかな特徴に違いはあれど、その殆どは猿族で間違いないはずだ。


 そして、隣に立っているのは黒い皮膚、そして同様の黒く短い毛で覆われた猿の獣人。

 腕やお腹は筋肉で膨らんでおり、それが見せかけではないことなど一目瞭然である。


 ……確か、ゴリラという名の種だったろうか?


「……ようやく起きたか」


 その男はこちらの様子を一瞥すると、群衆へと向き声を上げた。


「――貴様ら、機は熟した! 苦節十年――同士を募り、準備を重ね、こうした幸運にも恵まれ……ようやく我々の一歩が踏み出される!」


『うぉぉーー!!』


 雄叫びは空気を揺らし、まるで地震でも起きているかのような錯覚を覚える。

 しかし、その声もすぐに静まり、場は再び演説を聞く体勢に入った。


「その礎となる、この人間の最後の言葉を聞こうではないか」


 そう言葉が紡がれ、あらゆる視線がこちらを向く。


「……言い残すことはあるか?」


 …………話が読めない。


 そう口に出そうとして、止める。

 そんな巫山戯た言葉は、何となく望まれていないような気がしたからだ。


 この俺の状況、そして先程の演説らしきものから察するに、コイツらは何か大々的なことをやるつもりなのだろう。


 そして……多分だが俺は死ぬ。それも、どちらも人間絡みのせいで。

 そのことを思った時、一つの意見が脳裏を過った。


「……お前らが何をしようとしているかは知らんが、そんなことをして意味があるのか?」


「別に。先代たちの無念を晴らすべく、俺たちはお前達を滅ぼしたいだけだ」


 それは無慈悲なまでの断言。

 これからやることに意味はなく、やり終えたあとに残るものもない無意味な行為。


 その言葉に俺はなおも言い縋る。


「だが、その先代とやらが語ることも真実かどうかは分からないはずだ。なのにどうしてお前達は――」


「――それがどうした」


 そして、その全ては悉く切り捨てられた。


「真実がどうした。嘘だからなんだ。俺たちはそんな些細なことを気にしちゃいない。"ずっと語り継がれている"という事実、それだけで十分だ」


 駄目だ。聞きながらに俺はそう感じる

 コイツらは感情論ですら生温い、過去から続く恨みの塊そのものだ。


「……命乞いをするわけじゃないが、別に俺を殺したってどうにもならないぞ」


 俺は本当の意味で人間族と関わりがない。

 そのことを伝えると、男はさも興味がなさそうに答えた。


「それならそれでもいい。貴様は火種だからな」


「火種……?」


 言われた意味が分からず、反芻する。


「俺達は人間に何かをされたわけではない。先祖の無念を聞き、実体のない憎しみを今日まで燻らせてきた。それを、今ここで貴様という人間を殺すことで、一つの形にする!」


 俺への回答はいつの間にか演説へと成り上がり、それを聞く群衆は咆哮をあげた。


「俺達はここで人間を殺す!」

『うぉー!』


「次いで、奴らの領土を襲いに行く!」

『うぉー!』


「抵抗する者は皆殺せ!」

『うぉー!』


「抵抗しない者も殺し尽くせ!」

『うぉー!』


「かつての裏切り者に鉄槌を!今日という日をもって、奴らを滅ぼすぞ!」

『うぉぉーーー!!』


 この場にいる、あらゆる者は腕を天に掲げ、復讐の炎を燃やす。

 浴びるほどの歓声の中、男は身の丈ほどもある斧を両手で持ち、振り上げた。

 振り下ろす先は、もちろん俺の首。


 もう、この暴徒達は止まらない。

 確立した思想に基づく暴走は、その考えを根絶やしにする以外に止める術などないのだから。


 目視できる命の猶予を前に、俺はそんなことを思った。

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