第6話 魔法座学
王都を出てからおよそ半日が過ぎた。
空を見上げると橙色の太陽が名残惜しそうに沈みかけ、その残滓の影響で天は青から紫にかけてのグラデーションが施されている。
「そろそろ夜営の準備でもするか」
そう呟いて立ち止まると、半歩後ろから僅かに息の乱れた様子で、しかし律儀にも返事をしてくれた。
「はぁ……はぁ、夜営?」
別段走ったりなどはしていないのだが、それでも延々半日、それも俺の歩幅に合わせるようにして歩いてきたのだからしょうがないだろう。むしろ、ここまで文句も言わずに来れただけ賞賛に値する。
いや、俺も一度は背負おうかと尋ねたのだ。けれど、ルゥは断った。
それがトラウマによるものか、重荷になりたくないからなのかは分からないが、彼女がそう言った以上俺はその意思を尊重した。
「そうだ。テントを張って、火を焚き、ここで一晩過ごす」
手頃な倒木に腰掛け、水を飲んでいるルゥに向けてそう答える。脱水症状にならないようにと、途中で見つけた川から汲んだものだ。
しかし、その小さくコクコクと動く喉を見ていると、何故か目が離せないような気分に陥ってくる。
「……ん、ん…………ぷはぁ。分かった、何かすることある?」
「いや、特にはないかな。そのまま休んでていいよ」
ちゅぽんと音がしそうなほど勢いよく水筒から口を離す姿を微笑ましく思いながら、俺は背負っていたリュックを地面に置く。
そうして中から取り出したのは、何の変哲もない普通のテントといくつかの石。それらを地面に並べていると、ふと視線を感じた。
「なんだよ、じっと見て」
問いかけると、ルゥは何も答えずにトテトテとこちらに近づいてくる。そしてリュックの中身を覗き込むようにしながら、教えてくれた。
「何が入ってるのかな、って」
されるがままにリュックを手渡す。
しかし、中を覗くルゥの表情が晴れることはなかった。
「……何も入ってないよ?」
そう言って掲げたリュックの中は確かに何も入っておらず、布の裏地しか見えない。
「そうだな、何も入っていないな」
一度リュックを預かり腰の刀を鞘ごと抜くと、その中に仕舞い込む。明らかにリュックのサイズよりも長い刀を、だ。
その後、再びリュックの中を見せてあげるが、やはりその中は空っぽだった。
途端にルゥの目は驚きで丸くなる。
「どうして? ねぇ、どうやって入れたの?」
「それはな、こういう事だ」
ルゥの反応に満足した俺は、勿体ぶらず種明かしをする。
魔力を流した状態でリュックの中を見せてあげた。
「……すごい、何かいっぱい入ってる」
その呟きに答えるように、俺は得意げに説明する。
「これはな、リュックの内側に空間拡張と時間隔離の構築魔法を組み込んであるんだ。そのおかげで、このリュックの口に入る物は幾らでもこの中に詰め込むことが出来る。もちろん、時間隔離の影響で食材なんかを入れても腐らないぞ」
そう言って、再び中から刀を取り出して見せた。
「おー」と言う感嘆とペチペチとなる拍手で称賛を浴びる俺。しかし、次第にその音は小さくなり、その代わりに首の角度が徐々に傾き始めた。
「…………? ……こうちくまほう?」
どうやらルゥは構築魔法について知らないらしい。
「構築魔法ってのは詠唱魔法と並ぶ魔法の系統の一種だ。具体的に何が違うのかと言うと……ってどうした?」
構築魔法について説明をしてあげようとするが、何故かルゥは難しい顔のまま聞いていた。
「……そもそも、"まほう"が分からない」
「……………………」
な、なるほどな。魔法を知らないか。まぁ、つい先日まで奴隷だったんだしな。知識に乏しくても仕方ないってものだ、うん。
「魔法っていうのは、魔力を媒介にあらゆる現象を生みだす方法で――」
「…………"まりょく"って何?」
「…………………………………………」
「…………………………………………」
両者間で痛い沈黙が続く。
だがそのすぐ後に、俺は奇妙な違和感に襲われていた。
…………おかしくないか?
……ルゥの言葉を思い出せ。確か――そうだ、奴隷の時に変な言葉を復唱させられた、と言っていたはずだ。
その言葉とは十中八九、詠唱魔法における呪文のことだろう。だとするなら、ルゥに魔力の知識も教えることなく魔法の習得をさせていたのか……?
いや、待て。そもそもこの子は吸血鬼だ。本来なら、少なくとも自分達の食べ物としての感覚で知っているはず。なのに、どうして魔力のことを知らないんだ?
脳内では、こびりついた違和感が疑問へと変わり、押し寄せてくる。
それらに対して色々な推測を交えて考察してみるが、結果行き着く先は"分からない"だった。
「ねぇ……黙ったままだけど、どうかした?」
ルゥの声で我に返る。
今までの思考は取り敢えず脇に追いやり、ルゥの質問を分かりやすく説明すべく俺は脳のリソースを割いた。
「いや、何でもない。それより魔力を知らないんだったな?」
「…………うん」
先程の沈黙を、知らないが故の呆れと受け取ったのか、バツが悪そうな顔でルゥは頷く。
「まぁ、そう気に病むな。知らないものはしょうがない。……さすがに七種族のことは分かるな?」
「うん。ドワーフ、吸血鬼、人間、ドラゴン……えっと…………あっ、エルフ! あと……あとぉ……………………」
…………全然大丈夫ではなかった。たっぷり時間を与えるが、残り二つが全く出てこない。
「獣人族と魔族な」
「あー、それだ!」
私知ってる、とばかりに俺を指さす。
そうして、忘れないように「魔族、獣人族……魔族、獣人族……」と呟く姿は存外愛らしい。
そうやって反復するのはいい事だし、覚えようとするその意欲もまた好ましいものだ。
「で、だ。その七種族がどうして"人"と呼ばれているのか。それは、俺たちが魔力を持っているからだ。特にルゥ達吸血姫は他者の血と一緒に魔力を吸い上げているようだから、感覚的にその存在を理解しているはずだぞ」
そう説明すると、俺はルゥの右腕を差し出す。しかし、その意図をルゥは理解出来なかったようで俺の顔と腕を交互に見やるだけだった。
「実際に血を飲んで、魔力を感じてみるといい」
付け加えて説明するとようやく合点がいったのか、カプリと出した腕に噛みついた。再び、あのむず痒い感覚が全身に広がる。
それと同時に、視界が明るく点滅し意識が遠のくような感じがした。旅の道中でも定期的に造血剤を飲んでたとはいえ、血が足りていないのだろう。うっかり失血死しないよう気をつけなければ。
「……………………あっ」
唐突にルゥは口を離して声を漏らす。
「もしかして、この体の中がポワってする感じ?」
子供らしい大変抽象的で感覚的な発言だった。おかげで同意がしにくい。
「俺は血を飲んで魔力を得たことがないから分からんが……まぁ、概ねそんな感じだ」
腕を引くと、俺は捲られた袖を元に戻す。
魔力の存在も感じたところで、次の説明に移ろうか。
「では、その魔力とは一体何なのか? 未だに多くの議論が交わされているところだが、今のところは"万物の代替――あらゆる物質に置き換わる素"と考えられている」
「…………よく分からない」
素直な意見に、思わず口元が緩む。
分からないと言えることは、何かを学ぶ上で重要だからな。
「順を追って話そうか。というよりも、先に魔法の話をした方が分かりやすいからそっちの話をするけど…………魔法っていうのは、想像を創造すること――簡単に言えば自分の想像した現象を現実に起こすことだ。例えば、水を思い浮かべることで今この場に水を出せる、みたいな」
「へー、便利だね!」
「そうだな。だが、想像するだけなら思考を持つ生物全てが出来ること。それを発現させる――すなわち魔法として利用するために魔力が必要になってくるんだ」
久々に長々と話しているせいで舌が乾いてしまった。一呼吸入れる意味も込めて、リュックから水差しとコップを取り出すと水分を摂る。
冷たい水が体に染み渡り、まるで生き返るかのような感覚が全身を支配した。
ちなみに、この水差しにも構築魔法が組み込まれており、流した魔力の分だけ水が生成される仕様だ。魔法って本当に便利。
「じゃあ、私でも魔法が使えるかな?」
だから、誰しもが最初はこう思ってしまうのだ。自分に期待してしまう。
「それは分からないな。残念なことに、魔法は魔力を持っている者なら誰でも使える、といえるほど万能なものじゃない」
「えっ、でも……想像力と魔力があれば魔法は使えるんでしょ?」
そう、その解釈は正しい。魔力を持っているのなら、あとは正しく想像してやるだけでいい。
だが、悲しいかな。
「魔法を使うためには、よりリアリティのあるイメージを持たなければならないんだ。想像と言ったが、どちらかといえば妄信や妄想に近い。それも、現実に影響を与えるほどの強さで、な」
そして、俺たち人は何かを想像する際、漠然としたイメージしか持つことが出来ない。多くの人の描く絵が、思っていたものと違うことになるのもコレが原因だったりする。
「例えば、魔法で水を生み出すとしよう。ならば、やるべき事は水のイメージを持つこと。けれども、そのイメージの中には水そのものは勿論のこと、その流体性、飲んだ舌触り、"匂いがない"という匂い、その他もろもろを含む必要がある」
「…………大変なんだね」
「そう、大変なんだ。けど、それ以上に便利なものでもある。魔法をモノにできれば、生活はもちろん武力だって様変わりだ」
「それは……私も思う、けど…………難しいんでしょ?」
さっきの話をちゃんと理解している者としては当然の意見だった。
「確かに難しい。だが、過去にはそれをほんの少しでも簡単に、僅かでも多くの人に使えるような方法を考えて提唱した人がいる。魔法を扱うのが難しいのは結局のところ、想像力が問題なんだ。だったら、想像しやすくする何かを緩衝材として挟んでやればいい。そうして生まれたのが、詠唱魔法と構築魔法ってわけだ」
「あっ、それって最初に言ってた……?」
「そう、このリュックの話に戻ってくる」
そう言って、傍らのリュックをポンポンと叩いた。
「どちらも簡単な話だ。詠唱魔法は呪文を唱えるだけ、構築魔法は文字や図形――これを陣と呼ぶのだが――を刻むだけでいい」
「そんなことでいいの?」
ルゥは驚きで目を丸くしている。
「あぁ、要は想像しやすくなる何かを用意すればいいんだからな。この呪文を唱えたら風が吹く、この陣の上には炎が出る、みたいに」
まぁ、この呪文や陣も万人がより精密にイメージしやすいよう様々な工夫がされたみたいだし、そこまでしてもその魔法を習得するのに年単位の年月がかかるらしいのだが。
「これが各魔法と魔力についての概要だ。長い上に分かりにくい説明があったとは思うが……納得してくれたか?」
「うん、何となくは」
そう頷く姿に俺は安堵する。
何を隠そう、俺は魔法が使えないからだ。さっきの話も全て、俺がお師匠さまから教わった受け売りに過ぎなかったりする。
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