第84話 海
夕暮れの浜辺に座って、ダニエルとセリカは寄せては返す波を見ていた。
白波が何度もザザーンジュブジュブと音を立てて砂浜を洗っていく。
一匹のカニがおっとっとと波にさらわれるのを見て、セリカは声をあげて笑った。
「うちの湖の波とはまた違う感じがするわね。」
「ああ、風がなくても水がずっと動いてる。海というのは巨大な生き物みたいだな。」
「こうやって眺めてると海の向こうの遠い外国のことを考えちゃう。どんな美味しいものがあるのかしらとか。」
「君は本当に食べることが好きだな。」
「食べ物を作るのも、運ぶのも、食べるのも、食べさせるのも好き。誰かが美味しい顔をしてるのを見ると、幸せを感じるな。ダニエルは何が好きなの? 仕事?」
ダニエルはセリカの問いを、中空を眺めてしばらくの間考えていた。
「昔はあまり好きなものがなかったな。…成人して、自分にある程度の自由が与えられるようになってからは、仕事に夢中だった。何かを成し遂げると、自分が生きることを許されたような達成感を感じてたんだ。それで生活や周りのことを考えずに、仕事にのめり込んでたんだろうな。」
「世の中の人たちに役立つものをたくさん作ってるもんね、ダニエルは。」
「まあな。けどいつまで経っても満足が出来なかった。だから仕事は好きというより、してないと落ち着かないものかな。好きと言われたら、君と一緒にいるこんな時間や、君が笑ってるのを見ていることや、一緒に食事をすることだな。もちろん君を抱きしめてる時が一番幸福だが…。」
「ダニエル…。」
セリカがダニエルの肩にそっともたれると、ダニエルが腕を回して抱きしめてくれた。
タンジェントたちがどこかで見ているかもしれないが、しばらくの間お互いのぬくもりを感じながら、海の上を飛びかうカモメたちの声を聞いていた。
◇◇◇
新婚旅行は、お互いのことを深く知るうえでとても有意義な時間だった。
四六時中一緒にいることで、ダニエルの癖や考え方を知ることができたし…好きなものまで聞くことが出来た。
あんな言葉は普段の生活の中では、とても聞かせてもらえなかっただろう。
セリカたちは翌朝、帰領の途についた。
帰りは、雨に降られて行けなかった滝を観てから帰ることになった。
来た時よりも西寄りの道を通っていくと、ホルコット子爵領に入った後で大きな滝の音が聞こえてきた。
ドドッドドッという絶え間ない音がお腹の底にまで響いてくるようだ。
ファジャンシル王国でも有名なオルガの滝だ。
ダレーナの街の人たちの間でも、人生で一度はオルガの滝は観に行ったほうがいいと言われていた。
そんな所に来ることが出来て、感無量だ。
「すごい水の量だね~。ずっと見てると吸い込まれそう。」
「内陸に入っているのに塩の匂いがするな。ここらあたりは岩塩なんだろうな。」
シーカの海で見かけたような海鳥が滝の上空を舞っている。
それは、とても不思議な光景だった。
どこから流れてきているのか尽きることのない水、緑がかったその水を見ているだけで自然の息吹を感じられた。
滝からほど近い観光旅館に泊まって、その日は滝の音を聞きながら眠りについた。
朝、目覚めると、少し肌寒かった。
滝の近くにいるので、気温が低いのもあるのだろうが、夏も盛りを過ぎたのかもしれない。
ファジャンシル王国は夏と冬が短く、春と秋が長い。
そろそろ朝晩は過ごしやすくなるのかもしれないな。
馬車に乗ってラニアの別邸に向かいながら、みんなと一緒に滝の話をしていたら、段々と旅行で食べたご馳走の話になっていった。
「夕食で出てきたジビエ料理も美味しかったけど、今朝の目玉焼きの黄身がトロリとして美味しかったねぇ!」
「ここの鶏は放し飼いにしてますから、卵は小ぶりなんですが旨味がつよいんです。」
コールがそんなことを教えてくれる。
「卵といえば、シーカのホテルのオムレツは綺麗でしたね。形が少しも崩れてなかったです。中はふわっとしてるのにちゃんと火が通っていて…。」
キムも旅行を楽しんでくれたようだ。
「あそこのシェフは国でも指折りの男だからな。昼をバール男爵領で食べなくてはならないのが、なんとも残念だ。」
ダニエルが言ったことに、皆で激しく同意する。
そう言えば、あの人懐っこいロナルドはどうしているのだろう。
ちゃんと包丁を使う練習をしてればいいけど…。
ラニア別邸に帰ったら、ウィルとケリーを魔法量検査に連れて行かなくちゃいけないわね。
ウィルはもう元気になったかしら?
金物屋のアダムは、注文した玉子焼き器を作ってくれたかしら?
店で使う陶器をうちの料理人たちと選ばなくちゃいけないわね。
領地管理人のヒップスが選び出してくれた候補地に、店舗になる物件を見に行かなくちゃね。
旅行の帰りというのは行きとは違って、日常の雑多なあれこれが気になってくるものなんだな。
でも自分が帰って行くところに、楽しみがたくさん待っているというのはいいな。
セリカは皆のご馳走談義を聞きながら、これからの生活に思いを馳せていた。
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