020

「おい、ただの獣だ。どうせ襲っちゃこねえ。さっさとずらかるぞ!」

「「へい!」」


 威圧感のある声で大男が言うと、手下の二人はそそくさと周囲の死体から金品を奪い始めた。

 馬車の奥には身なりの良い、壮年の男女が無残な姿となっている。抱えている子供は、おそらくこの二人の子供だろう。


「ちっ、何て目だ。今にも襲いかかってきそうな目だ――ん?」


 大男は言葉に詰まった後、俺の右前脚を見た。そして、目の色を変え下品な笑いを目に浮かべた。


「どこで拾ったかはわからねーが、あれはミスリル。クマに持たせておくには勿体ねぇ」


 そうか、ミスリルクロウに目をつけたか。これはジジから貰った大事な物。野盗如きに渡せる物じゃあない。

 ……どうする。このままあの子供を救う事は出来る。しかし救ったところでどうなる。俺が救ったところであの子供の心は救われない。それでも、野盗に連れ去られるくらいなら。


「へへへへ、獣ってのは攻撃にちょっと虚を交ぜてやれば簡単に隙を見せるもんだ」

「正面からは俺がいく、お前は背後を狙え」


 くそ、獣の前だからって作戦ダダ漏れじゃないか!

 いや、手下の二人が馬鹿なんじゃない。普通の獣は、人間の言葉なんかわからないんだ。しかし俺からすれば間抜け以外の何者でもない。こんな奴らの手に子供が渡るのであれば、でも、でも……!


「へへ、死ねや!」

『あぁ、もう!』

「へ? うごぉぅ!?」

『倒してから考えよう』


 考えがまとまらなかった俺は、背後から迫った手下の腹部を殴って気絶させた。

 そして、同時に迫ってきたもう一人の手下の攻撃を止め、


「……っ!?」


 同じように腹部を叩いた。

 膝から崩れた手下たちを見て、大男の目の色が変わる。


「ほぉ、面白――いっ!?」


 俺はそんなくだらない話に付き合っている暇はなく、大男にも同じような一撃を加えた。大地に膝を突く大男。震える瞳で俺を睨み、虚空を掴みながら気を失っていく。

 俺は、左前脚の爪先つめさきで子供の衣服を掴む。その先で気を失っている子供。俺は恐る恐るその顔を覗き込む。白銀の短い髪が風に靡き、モチモチの肌を沈みゆく太陽が照らす。年にして五、六歳だろうか。微かに香る甘い匂いは、育ちの良さを感じさせる。


『これ、どうしよう』


 そんな事を呟いていると、ヴァローナが崩れた馬車の屋根上に降り立った。


『よせ、それ、、をどうするつもりだ』


 物凄く渋い表情を浮かべ、俺をじとっと見てくるヴァローナ。「えんがちょ」とでも言いそうな顔である。


『いや、でもこのままにしておくわけにもいかないだろう』

『やめるんだ。人間に関わるとろくな事にならない』


 そうは言われても、この子をこのまま放置というのも問題な気がする。第一ここまで人間の救出は来るのだろうか。近くの町の入口に置いたとして、この子が生きながらえる保障はない。俺は、町に入る事など出来ないのだから。


『……じゃあ攫って行く』

『な、何っ!?』

『だってさっきヴァローナ言ってたじゃないか。巣穴に跳び込んで子供を攫って来いって』

『それは獣の話さ! 人間の子供なんて攫ったらいらぬ報復を受ける事になるぞ!』

『じゃあヴァローナがどこかの町の孤児院みたいなところまで運んでくれよ』

『それだ!』


 俺に羽を向け、ヴァローナが叫んだ。そして俺が持つ子供の両肩を脚で掴み、「ふんっ!」と意気込んだ。

 ……ヴァローナは大地に向かって降下して行った。


『何遊んでるんだ?』

『重い!』


 何て使えない神獣なのだろう。精一杯羽ばたくも、ヴァローナの呼吸が荒くなるだけ。


『お、おいコディー! 何だその目は!? 私だって頑張っているんだぞ!』


 俺はヴァローナが喚いている内に、意識を失っていた野盗たちを、落ちていた馬車の手綱使って縛り上げ、周囲の刃物を拾い集めた。

 それらをショルダーバッグに入れ、口を閉じる。


『ふぅ、これでこいつらが起きても……いや、待てよ?』


 馬車の骨組みで手綱が切れるかもしれないな。

 ……埋めておくか。

 そんな結論に至った俺は、野盗を縛ったまま、首だけ出した状態で埋めてしまった。


『ぜぇぜぇぜぇぜぇ……も、もう一度!』


 諦めないな、コイツ。俺は子供をひょいと掴み、背中へ運んでいく。すると、付録のように付いてきたヴァローナが嬉々とした表情で叫んだ。


『おぉ! と、飛んだぞ! ……ん?』

『その子、ちゃんと押さえておけよ』


 俺の背中に移動しただけのヴァローナは、不満気な声を露わにし、そして黙ってしまった。

 森に帰ると、俺は子供を岩肌に寄りかけさせ、ショルダーバッグの中の武器を出した。ヴァローナは森に着くなりブツブツと呟き始めた。


『食べちゃ駄目だぞ。俺はもう一度あそこに戻る』


 ヴァローナからの返事はなかった。だが、俺はあの亡骸たちをそのままにしておく事が出来ず、再びあの事件現場に向かったのだ。

 子供の両親であろう二人の遺体を埋葬する時、胸元のペンダントが光った。やたら大きな鳥が刻印された赤のペンダントを母親から、大きな口を開けた獅子が刻印された青のペンダントを父親から外し、あの子供に遺そうと決めた。

 周囲の遺体を全て埋葬し終えると、辺りはもう真っ暗になっていた。


 森に帰ると、やはりヴァローナはまだブツブツと呟いていた。何か意味深な事を呟いているのかと思えば、


『どうしようどうしよう……』


 と、困った声を上げるだけだった。


『っ! そうだコディー! 君は人間の言葉がわかるって言ってなかったかっ?』

『まぁそうだな』

『それで人間と交渉してこの子供を引き取ってもらうというのはどうだ!?』

『結果的に俺たちの住む場所が無くなるぞ』

『うぇ!? な、何で!?』


 俺は腰を下ろし、困惑するヴァローナに顔を近付け言った。


『あの子を町の入口まで連れて行くだろう? そして俺が人間の門番に話し掛け、あの子を引き取ってもらうところまではいい。すると、人間たちはこう思う訳だ。「あのコディアックヒグマはどこから来た?」とね。そこから「珍しいから捕まえよう」、「探そう」になるのは目に見えてる』


 俺の言いたい事が理解出来たようで、ヴァローナはそのまま何も言わずに俯いてしまった。気分が落ち込み過ぎるのもどうかと思った俺は、話題転換のためにヴァローナに話し掛けた。


『今一番考えなくちゃいけない事は別にある』

『というと?』

『この子供が起きた時、どうやったら怖がられずに済むかという問題だ』


 ヴァローナは益々俯いた。

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