第113話 『不死の化物』
「ベルフラム様から離れろっ! この化物がっ!!」
「―――――――レイアっ!!!」
朝日が伸び、春先の暖かな空気を運んで来た山頂に二人の少女の絶叫が交差した。
薄く紅をさした穏やかな光とはかけ離れた怒気を伴った声。
一人の男を挟んで視線を交わした少女の瞳には、片方に怒りの感情を、片方に怯えの感情を映し出していた。
そして間に挟まれた男からは噴水の如く血が噴き出し続け、小さな赤髪の少女を濡らしその髪をさらに赤く染めていた。
若芽の息吹く命の匂いを、塩気を含んだ死臭に変えて風が吹き抜けた。
「何で!? どうして!? あなた何をしたのか分かっているの!?!」
ベルフラムが大粒の涙を流しながら喚く。
混乱の極致とも言える感情の吐露は、震える声となって周囲に響く。
「わ、私はベルフラム様の騎士……。こ、怖く無い……怖く無いわ……。べ、ベルフラム様をお守りしなければ……」
九郎の心臓に剣を突き立てていたレイアは、ベルフラムの言葉に答えず震える声を自身に向けて呟いている。
ガタガタと震える声で呟くその言葉は、親しい人を手に掛けた後悔の念では無く、心臓を貫いた九郎に向けての恐怖を押し止めるかのようだ。
その目は恐怖に抗う様に小刻みに動き、その手脚は無理やり動かしたように硬く震えている。
「は、早く離れてくださいっ! こいつは人なんかじゃ無いっ! 悍ましい化もっ!」
「お前はっ!! お前は今誰を殺したのか分かっているのかぁぁぁぁあああっ!?」
「クロウしゃまを返してっ!!!」
レイアが再び叫んだ時、低いうなり声と共にレイアの体が後ろへと引き倒される。
九郎の体に付き立っていた
栓を失った事で出来た九郎の胸に開いた穴から泡を伴った鮮紅色の血が噴き出す。
怒気を孕んだ絶叫を上げてクラヴィスが、レイアの目にナイフを突きつけていた。
猛獣の眼光に涙を溜めて、目の前で起こった事に、自分が口にした言葉に青褪めながら。
残った微かな理性が、レイアが『支配』されている可能性を考えて直ぐに目を抉れるようにと……。
泣きながらデンテがレイアの首に牙を晒す。
直ぐ傍まで近付いていた慕う者を奪われた、親から引き離された子供の様に顔を引きつらせて。
同時に飛び出した獣人の姉妹は、主人を害した者を許せないと、怒りの感情をその目に宿す。
「分かっています! だから! 私は正気だからっ! 早く離れてっ!!」
引き倒されナイフを突きつけられた状態で、尚もレイアは叫びを止めない。
お守りの様に握りしめる剣はカタカタとレイアの心の内を晒し続ける。
「そいつは! クロウは『不死』の化け物なのっ!!」
――――ははっ……。―――――
レイアの絶叫が山に木霊し、その声が何度も響く中、乾いた力ない笑い声が重なった。
「ははっ……。裸でベルに抱きつかれた事を怒ってた訳じゃねえよな……やっぱさ……」
「クロウ!?」「クロウ様っ!?」「クロウしゃま!!」
九郎の言葉にレイア一人が恐怖に身を竦ませ、後の三人が信じられない物でも見たかのように声を上げる。
胸から血を吹き出し、失った左腕からは肉と骨と脂が覗いていると言うのに。
溜まって行く血だまりは、もはや川となって流れ細かな石を運ぶほどに至っていると言うのに。
およそ人に在る血の全てを失っているかのように見えると言うのに。
その事を気にも留めない声色で九郎がポツリと呟く。
「あーあ……危ねえなぁ……。無意識に『修復』しちまってたらベルがどうなっちまてたか……全く……」
驚きの声を表したベルフラム達に、九郎は一瞬だけ寂しげな視線を向けた。
後悔とも懺悔とも思える罪に怯えた視線を。
九郎は小さく一つ溜息を吐くと、その『
赤い光が九郎の腕に湧き出すように纏わりつき、その肩から骨が肉が血管が植物のように伸びて来る。
ゴボゴボと黒い血を吐き出していた胸の穴が、粘土細工の様に塞がって行く。
「え? え? え……?」
胸に抱えた九郎の腕と、生え出して来た九郎の肩の骨を交互に見やりながらベルフラムが困惑の声を出す。
徐々に『再生』されていく腕を見つめながら、その目に映る事が信じられないかのように…。
「ク……ロウ?」
「ベルフラム様っ! 見たでしょう?! クロウは『不死』の化物です! 早く離れて……」
熱に浮かされたように、ヨロヨロと九郎に近付こうとしたベルフラムを抱きしめる形でレイアが飛び込んでくる。
レイアを押さえつけていた獣人の姉妹は、今は目の前で起こっている事を呆然と眺めている。
この中でレイアだけが動く事が出来る。
九郎を
震えながらそれでもその身を九郎の前に晒し、庇う様にベルフラムを抱きしめるレイアの表情は死を覚悟した人間のそれだった。
(はじめて……名前だけで呼んでくれたんがコレとはな……)
九郎は恐怖に強張った視線を向けてくるレイアを寂しそうに見やる。
九郎は本気でレイアに惚れていた。
だからこそついて来て欲しくなかった。
本当の……『不死』の自分を見せたくなかった。
近付けたなら、畏まらずに呼んでもらえたはずの名前は、逆の立場で叶う事になった皮肉に、九郎の顔は自嘲の笑みを形づくる。
「腕……大丈夫……なのよね……?」
レイアに抱きしめられながら、その事すら気づかぬ様子でベルフラムが胸に抱いた腕と九郎とを見比べる。
回復魔法の類で無い事は魔力の残滓を見ることの出来るベルフラムにとっては明らかだった。
それ以上に死した者を生き返らせる魔法等存在していない事も。
その時、呆然と目の前の光景と胸に抱いた腕を見比べていたベルフラムの視線が、自分の胸へと吸い込まれる。
不安を振り払おうと先程まで握りしめていた鴉のブローチ。その少し下、彼女の小さな胸の上で揺れるもう一つの宝物。
九郎の腕と同調する様に、赤い光を放っている胸元のペンダントへと。
「嘘……」
ベルフラムが目を
何がとも言わず、何故だとも言わず。
九郎はただ、眉尻を下げ、今にも泣き出しそうな顔でベルフラムを見つめていた。
その表情だけでベルフラムは全てを悟ってしまう。
『
自分を食べてでも生き延びて欲しいと願ったベルフラムが、
「で、でも……。私が願った事と同じだもの……。ちょ、ちょっとびっくりしちゃっただけだから……」
九郎が今にも泣きだしそうな顔をさらに曇らせた事に、ベルフラムが慌てて声を出す。
未だに起こった事への理解が追いついて来ないのか、混乱した頭は数々の出来事を幻の様に捉えている。
「そ、そうか? あんときゃ、それしか方法が無かったからよ……。俺だって知られねえように頑張ってたんだがよ……」
ベルフラムの言葉を聞いた九郎が心底安堵した表情を浮かべて、息を吐き出す。
「ま、まあ……これが俺が丈夫な理由ってな……。な? 『不死身の英雄』だろ?」
「う、うん…………」
無理やりにおどけて見せた九郎に対して、ベルフラムは歯切れの悪い返事を返す。
心の中ではそうじゃない、今すぐ九郎を抱きしめなければと訴えているのに、手足が他人の物の様に動かない。
ただ、おどけて笑った九郎の顔は笑っているのに泣いている様な……
「まあ……ショックなんは分かってんだ……。独断で決めちまって悪かったな……」
生えてきた腕を確かめる仕草をしていた九郎が、ベルフラムの頭に手を伸ばす。
優しそうに笑みを浮かべ、心配しなくていい。大丈夫だからと。
いつもなら喜んで受け入れていた大きな手。「子ども扱いしないでよ!」と言いながらも拒む事が出来ない手。
いつものようにゆっくりと伸ばされる手の影がベルフラムの顔に掛かる。
その手がベルフラムの髪に触れそうになった瞬間、ベルフラムはギュッと目を瞑って――
その手は――何時まで経ってもベルフラムの頭を撫でる事は無かった。
不思議に思ったベルフラムが瞑った眼をゆっくりと開く。
その目に映ったのは優しそうな笑みではなく、青褪め絶望し強張った顔をした九郎だった。
目の前に佇む九郎の酷く苦しげな表情に、ベルフラムは自身の過ちに気付く。
「あ…………」
ベルフラムは慌てて腕を伸ばす。
だがその腕は重く、鈍く動き小刻みに震えていたのを見て、九郎の顔が更に悲壮に染まる。
「そ、そうじゃないの……。違うのっ……クロウっ!!!」
慌てて取り繕う言葉が震えている事にベルフラムの頬に涙が伝う。
ベルフラムは自分の流した涙が心に湧き出る澱だと気付く。
恐れてしまった。胸に抱いた九郎の腕が徐々に冷たく感じる中、伸ばされた手が恐ろしい物に映ったから……。
拒絶してしまった。目に映された死が無かった事にされた現実を……。
九郎の命が有る事を喜ぶのではなく、恐れを抱いてしまった事がベルフラムには何より悔しく、そして切なかった。心に溜まる未知への恐れの感情はベルフラムの喉を塞ぐ。
どう慰めれば良いのか、どう詫びれば良いのかと……。
「見逃してくださいっ! 私の命を差し出せと言うなら差し出しますから! これ以上ベルフラム様を脅かさないで………!」
九郎を傷付けた事を悟りながらも言葉を紡げないベルフラム。
そんなベルフラムを背中に庇う様にして、レイアが九郎へと向き直る。
親猫が子猫を庇う様に身を呈して叫ぶレイアの顔は恐怖に怯え、引きつっていた。
まるで九郎から伸ばされた手が、ベルフラムを殺してしまうと信じているかのようなレイアの言葉に、違うと叫ぼうとしているにも関わらずベルフラムの喉は音を出さない。
まるで乾ききった砂漠の様に言葉が滑って来ない。
顔に張り付いた九郎の血が、全ての言葉を吸い尽くしたようにベルフラムの口を閉ざす。
「そうだよなぁ……。やっぱそうなんだよなぁ……」
どこか諦めたような口調で九郎が空を仰ぎ見た。
まるで零れる涙を堪える様に。
知らない九郎の表情。諦める事を許さなかった男が見せた諦めた表情。
「安心してくれや……雄一は倒したからよ……。もう、ベルを襲う奴らも居ねえ……。これからは皆ベルを見てくれるってんだろ?」
優しい声色。いつもの様にベルフラムを気遣う九郎の声。
その声が処刑台の執行官の様にベルフラムの心に氷の杭を打ち付ける。
寂しげに優しげに語る九郎の言葉が、何を意味しているのかを賢い彼女は分かってしまう。
(ち、違うの……!)
震える声で九郎が紡ぐ言葉にベルフラムが掠れる喉で声を絞り出す。
だがベルフラムの喉から出て来るのは荒い呼吸の音だけだ。
「悪かったな……最後の約束……守れなくなっちまってよ……。なに、あと一日もかかんねえよ……。ほれ、あそこに見えてんのがベルの家さ……」
九郎が何を言っているのか、理解しているのに理解したくないとベルフラムが頭を振る。
両目からとめどなく涙が流れ、震える唇で言葉を紡ごうとするのに嗚咽の声しか喉を越えない。
聞きたくないと耳を塞ごうにも、胸に抱いた九郎の腕がそれを許してくれない。
スンと鼻を鳴らした九郎が、顔を背けるように朝日に照らされた先を指さす。
冬を終え、春の到来に沸く緑の大地に小さくアルバトーゼの街が映し出される。
朝日の長い影を伸ばしたその根元に、小さな屋敷の影が見える。
温かだと信じていたアルバトーゼの屋敷。
東の端に位置したベルフラムの安らぎの地は、朝日を受けてアルバトーゼの街を飲み込むように影を伸ばしている。光を遮り闇を振り撒く様に。
「待って………!!!!」
「ベルフラム様っ! 『化物』と人は暮らしていけないんです! 例え私達にとって無害だとしても、『不死』の化物と暮らしていると知られたら……!!」
やっとの事でしぼり出たベルフラムの声はレイアの悲痛な声にかき消される。
街を指さしたのにその街に背を向けた九郎の背中が酷く打ちひしがれて見えて、胸の奥が引き絞られる感覚がベルフラムを飲み込んでいく。
「私はクロウ様を恐れてなどいません! ベルフラム様だってちょっとびっくりしただけなんです! 行かないでください! 私達を置いて行かないでください!あなたは優しい人なんだ……。きっと私達が忌諱の目に見られてしまう可能性を考えて離れようとしている…。でも私達は獣人です。元から忌諱の目にさらされる事など慣れている! だから……」
クラヴィスがベルフラムの心を代弁するかのように声を張り上げる。
賢い彼女が言葉を選びながら必死に語りかけてくる様を、九郎は苦しそうな表情で迎える。
逃げ出したくなっている自分の心の弱さが、九郎の顔から零れ出る。
彼女は賢くだからこそ言葉を選んでいる。九郎が欲しい言葉を。
「クラヴィスさんも分かっている筈ですっ! 『不死』の『化物』と暮らしている事が知れたら……。街を、国を追われる事になっていまいます! 貴方が恐れていなくても、全ての人が受け入れるとでも思っているのですか!? その『化物』を!!」
レイアがクラヴィスの言葉を否定する。
正論の力で以って。
クラヴィスは賢い。だからこそ言葉に詰まってしまう。
目の前に佇む男が、人が畏怖するに十分な存在であることを悟ってしまう。
「
戦いは終わった筈なのに、誰の傷も残っていないのに――悲しい結末を想像してしまったデンテが、堪らずに泣き声を上げる。地面にペタンと座り込んでわんわん泣き声を張り上げるデンテの声が山に響く。
「待って……待ってよぉ……。クロウ……。私を置いてかないでって……言ったじゃない……」
「……レイアの言う通り、『化物』と人は暮らしていけねえよ……。大丈夫さ、ベル……もう一人ぼっちじゃねえだろ? ―――――じゃあな…………」
朝日に背を向ける様に歩き出した九郎は、ベルフラムに背を向けたまま片手を上げて別れの言葉を口にした。
その声に諦めと後悔の思いを乗せて。
――――大丈夫――――。
最後に九郎が口にしたその言葉は、酷く残酷な響きをもってベルフラムの胸に落ちた。
励ますでもなく力づけるでもなく、安心させるのでもなく、ただ拒絶の意味を含んで――。
☠ ☠ ☠
九郎は分かっていた。
自分がもっと早く人を殺める覚悟があったなら、ベルフラム達をこんな窮地に立たせることにはならなかった事を。
九郎は分かっていた。
チンピラに絡まれた時に、自分の持つ能力を十全に使っていれば一人になった時に全員とは言えずともかなりの人数を再起不能に追い込めたことを。
雄一を殺す覚悟さえ有れば、何度も殺せるチャンスがあった事を。
城への侵入方法だって、正面から乗り込み、全ての兵士を殺して入る事すら可能だったことを。
自分自身が認識している以上に、『不死』と言うのは凶悪で禍々しい力を持っているという事を。
心の底では分かっていた。
だがどれも九郎には出来なかった。
九郎は恐れていた。
人を殺す事を。
人を殺す事に
人を殺す事に
『不死』 ――最初に頭に思い描いたのはゾンビ等のグロテスクな怪物だ。
自分が『不老不死』となったことを知らしめたのはそんなグロテスクな怪物の姿だった。
四肢は千切れ、
あの怪物が人を殺す事に成る事を九郎は恐れた。
絶対殺せない『化物』と成り果ててしまう事を恐れた。
ベルフラムに『不死』を隠そうと決めた事の根底にも、この考えがあったのかも知れない。
『不死』を知られてしまえば、彼女が何を食べて生き残ったのかを知ってしまい、罪の意識に苛まれるだろうと考えたのはただの言い訳だったのかと今は思う。
九郎はベルフラムに恐れられる事を恐れていた。
自分を慕ってくれる少女に、怯えた目で見られる事を心の奥底で恐れていた。
本当は最初から分かっていたのだ。
野盗の頭領が自分を恐れていたその本質を。
死なない――それだけで『化物』と恐れられる事を。
だから――『化物』と呼ばれ続けた自分が、やがて『本当の化物』となってしまう事を、九郎は心の奥底で恐れていたのだ。
(…………やっぱ『不死』は『化物』か…………)
九郎に戦いを挑んだ全ての人は九郎を『化物』と見ていた。
それは九郎が人を殺めた事とは関係なく、『来訪者』としての力を持っていた訳でも無く。
ただ『不死』という事が殺人よりも異質だと言わんばかりに……。
人は異質なものを本能的に恐れる。
それが人知を超えていれば尚更だ。人の理を外れていれば更に……。
その事は何より自分が思っていたからこそ、本能的に『不死』を隠していたのかと九郎は自答してため息を吐き出す。
「待ってよぉ………行かないでよぉ……私の『英雄』……」
デンテの泣き声、クラヴィスの言葉にならない呻き声、ベルフラムの縋るような惜別の声を背中に九郎は歪む顔を見せずに歩き続ける。レイアの恐怖に怯えた視線に背中を押されて。
「―――――――クロウ――――――!!!!」
太陽から逃げる様にその場を後にする九郎の影は、一羽の鴉に少し似ていた。
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