第14話

 駅から歩いて10分近く。そこに建っている築30年の、どこにでもあるような賃貸マンション。そこが僕の家だ。浅木駅には併設されたショッピングセンターがあるため買い物には困らないし、学生の懐事情に優しいラーメン屋も家の近くにある。かなり立地条件がいいのだが、家自体はさして広くもないため、家賃も然程高いと言うわけではない。

 そんな我が家に、どう言うわけか。僕は白雪を招待した。してしまった。自分でも軽率なことをしたと思わずにはいられない。別に、全く何も考えず、と言うわけではないのだ。ちゃんと目的はあるし、その目的を達するには、他人の目の届かないところの方が都合が良かった。


「部屋って言うのはその人の性格とか、心の中とかが現れるらしいわよ?」


 僕の家に入っての第一声が、それだった。

 全力でこちらを馬鹿にしたような目を向けて、いっそ軽蔑しているかのような視線に晒されて、僕は己の愚かさを呪った。

 いや、言わんとしていることは分かる。確かに僕は、こう見えて割とガサツな所があると言う自覚があるし、その結果が今現在のリビングの惨状であるのも、十分に理解している。

 しかし、だからこそ、同級生の女の子、仮にそれが白雪であったとしても、家に招くのならそれなりの準備と言うものが必要だったのだ。

 間違えても、ゴミ屋敷一歩手前の家に招待してはならない。


「悪かった。完全に失念してたよ」

「失念してたとか、そう言うレベルじゃないでしょ。なによこの部屋。どうやったらこんなに散らかるわけ?」


 リビングの中に取り込んだまま、放りっぱなしになっている私服。部屋にあるはずなのに片付けることもせず積み上げられている本。テレビの周辺はゲーム機のコンセントがメチャクチャに絡まり合っており、そのゲームやCDなどのパッケージが散乱している。ゴミは全て捨ててあるのは、不幸中の幸いか。


「こんなところに平然と住めるなんて、あなた本当はゴキブリなんじゃないの? もしくはノミとかハウスダストとかのお仲間かしら」

「今日ばかりはなにも言い返せないな。取り敢えず、僕の部屋に来てくれ。そこはまだマシだから」

「いえ、いいわ」

「······?」


 かなりボロクソ言った割に、白雪はリビングから離れようとしない。しかもリビング、台所、洗面所と見て回って、何かブツブツと呟いている。

 下着とか普通にリビングや洗面所に散乱してるから、ちょっと恥ずかしいのだが、そんな家に招いてしまったのは僕だし。文句は言えない。まあ、家主の許可なく家の中を見て回るな、くらいは言いたいが。


「掃除するわよ」

「は?」


 やがてリビングに戻って来た白雪は、唐突にそんなことを言いだした。


「まずは洗濯ね。かなり洗濯物が溜まっているみたいだし、洗濯機を回してる最中にリビングに散乱してる服やら本やらを片付けるわ」

「いや、白雪?」

「それが終わったら台所の洗い物。カビとかも取ってしまいたいんだけど、その時間は無さそうだし。取り敢えず洗い物も終わらせて、その頃には洗濯機も止まってるだろうし、洗濯物をベランダに干しましょう」

「白雪さーん?」

「本当はお日様が出てる間に干したいんだけど、まあそこも妥協するとしましょう。ああ、その前に掃除機もかけておかないといけないわね。夏目、この家に掃除機あるわよね?」

「まあ、あるけど」

「なら良いわ。早速取り掛かりましょう。あなたも手伝って頂戴」

「いや、ちょっと待ってくれ」


 流石に一度待ったをかけた。一人で勝手に色々決めて掃除をするとか言われても、はいそうですかお願いしますと返せるわけがない。

 白雪はどうやら止められたのが不服なようで、ギロリと僕を睨む。それ怖いからやめてほしいんだけど。


「なによ。人が折角掃除してあげようって言ってるのに」

「僕は頼んでない」

「まさか、下着を触られるのが恥ずかしいとか? それなら安心して頂戴。父でそう言うのは慣れてるから」

「そう言う問題じゃなくて······。客に掃除なんてさせられないだろうって言う、常識的な話をしたいんだ」

「こんな汚い家に招いておいて、よく常識を説けるわね」


 ぐうの音も出ないほどの正論を返された。

 いや実際下着を触られたりするのはなんか恥ずかしいけれど。そもそも父親と同級生の男子を同列に扱っていることに物申したい。僕なんかと同じ扱いをされるなんて、白雪のお父さんに申し訳ないと言うか。


「ほら、さっさと始めるわよ。時間は有限なんだから」


 僕の許可を待つまでもなく、白雪は床に散乱した洗濯物をまとめ始める。彼女がその白魚のような指で最初に掴んだのは、僕のトランクスだった。





 果たして二人掛かりで掃除した僕の家は、見違えるように綺麗になっていた。

 衣類は全て部屋のタンスへ戻され、積み上がっていた本も元の本棚へと陳列している。ゲーム類はテレビの周りに綺麗に並べられて、足の踏み場が殆ど無かったリビングは、三枝が寝転んでも問題ないくらいに片付いた。

 外を見てみると、いつの間にか空は赤く染まっていて。それをバックに制服のカッターシャツや私服のTシャツなどがベランダに干されている。時計に目を移せば、時刻は既に18時を回っていた。どうやら、随分と時間をかけて掃除していたらしい。

 しかしそれでも、白雪的にはまだまだ物足りないらしく。どこか不服そうな表情をしている。


「やっぱり、まだ細かいところは気になるわね」

「十分だと思うぜ? よくもまあ、あの惨状からここまで綺麗にしてくれたよ」

「これで十分だなんて、あなたの美的感覚はどうなっているの?」

「君が潔癖症過ぎるんだ」


 漫画によくあるような、なんかキラキラと輝いて見えるわけではないけれど。それに僕はこう見えてもA型だから、割と潔癖症なんだけど。その割に片付けとか掃除は苦手だけど。


「なんにせよ、助かったよ。ありがとう」

「気にしないで。この前助けてくれたお礼だと思えばいいわ。正直、こんなものじゃお礼なんてし足りないくらいなんだけど」


 この前のと言われて思い浮かぶのは、もちろんバザーの日のストーカーの件で。僕はあれに貸し借りがどうとか言うつもりは全くない。確かに僕は白雪を助けたけれど、あれはやって当然のことであるし、なによりあの状況になる原因を作ったのは僕が誘ってしまったことなのだから。


「それで?」

「え?」

「だから。それで、あなたは話があるんじゃないの? だから私を家に呼んだ。違う?」


 勝気に笑ってみせるあたり、どうやらその推測には自信があるようだ。そして彼女の言う通りであり、その推測は当たっているのだけれど、なにをそんなに自慢気な顔をするのか。そんな顔でも可愛いのだから、始末に負えない。


「まあ、君の言う通りなんだけど。話というよりは、ちょっと聞きたいことがあってね」

「話してみなさい。答えられる範囲で答えてあげるわ」


 どっさりとソファに腰掛ける白雪。僕はテーブルを挟んで対面になるように、絨毯の上に腰を下ろした。

 家主は僕なのに、どうして白雪の方が偉そうにしているのだろうか。まあ、家を掃除してくれたから、あまり強くは言えないけど。

 お茶でも出すべきだろうかと考えたが、現在この家にはブラックコーヒーしか置いていない。麦茶でも置いてれば良かったか。それに、彼女の性格から考えると、本当に飲み物が欲しかったら自分から言っているはずだ。


「それじゃあ早速聞かせてもらうけど」

「どうぞ」

「入部の件、どうするつもりなんだ?」


 尋ねると、白雪は目を細めて僕を見据える。睨まれているわけではない。これは、僕の真意を量っているのだろう。

 こちらを見据えたまま、足を組んで考える素ぶりを見せる。丈の長いワンピースとは言え、男子の前でそんな動きをするのはやめてもらいたい。なにも見えないけれど、目のやり場に困るのだから。


「てっきり、別のことを聞かれるものだと思ってたわ」

「君に聞くことなんて、入部の件以外ではなにもないよ」

「どうかしらね」


 肩を竦めておどけてみせる。

 白雪に聞くことなんて、他にもあるはずだ。例えば、昔のこととか。先日の小泉の言葉の意味とか。けれどそれを聞かないのは、単に僕が臆病だから。


「それで、君はどうするつもりだ?」

「前向きに検討するって言ったでしょ」

「まだ決めてないのか?」

「ええ。それでなにか問題でも?」

「いや、別に問題はないけど······」


 今度は睨まれた。はっきりとした敵意を持って。少ししつこすぎたか、それとも白雪にとって、なにか地雷となるようなものがあったのか。

 僕の脳裏には、あの時の白雪の表情が、どうしても脳裏にこびりついて離れない。神楽坂先輩から入部届けを受け取った時の、あの浮かない表情。それはどこか透明で、そこからはなんの感情も読み取れないような。

 そして思い返されるのは、その時の白雪の言葉。自分のことを知りたいかと、彼女は問うてきた。

 そして先刻の、小梅ちゃんの言葉。姉のことを見ていてくれと、彼女に頼まれた。


「問題ないなら別にいいでしょう。あなたは知らなくていいことよ」


 知りたいとも思っていないでしょう。

 言外に、そう言われた気がした。しかし同時に、それではっきりとする。

 僕は白雪桜のことが知りたいのだろう。

 些細なことでもいいから、白雪と言う女の子のことを知りたい。彼女が今なにを考えているのか。果たして本当に、入部してくれるのか。

 ではそれは何故なのか。何故彼女のことを知りたいと思うのか。それが分からない。だから僕はまた何も言えず、白雪は素知らぬ顔で話を続けるのだ。


「要件は以上かしら?」

「そうだけど······」

「ならそろそろお暇するわね」


 ソファから立ち上がり、玄関へと向かう。見送りくらいはするべきだと思い、彼女の後ろについて行く。

 靴を履き替えた彼女は、玄関の扉に手を掛ける前に、思い出したように僕へと振り返る。


「掃除、定期的にしてなさいよ」

「なんなら、君がまた掃除しに来てくれてもいいんだぜ?」

「お断りよ。自分の家くらい、自分で掃除しなさい。そんなことも出来ないなら、家畜の方がまだ生きている価値はあるわね。それと、このスパイクも。見られたくないのなら、ちゃんと片付けておきなさい」


 見られたくないわけじゃないんだけど。そう言い返すよりも前に、白雪は僕の家を出て行った。

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