第12話

 ゴールデンウィーク最初の三連休が終わり、登校日がやって来た。連休明けの学校と言うのは、どうしてこうもやる気が起きないのだろうか。

 学校へ辿り着いてから昇降口へ向かう前に、まずは自販機に向かってブラックコーヒーを購入する。家を出る前にも飲んで来たが、ここでもう一つ飲まないと授業中に居眠りしてしまいそうだ。

 缶を呷りながら、聞こえてくる野球部の朝練の声に耳を傾ける。先日の試合結果とか、樋山は実際に試合に出れたのかとか、そう言うのは全く知らない。そもそも聞く相手がいないから。それでも後輩の活躍を願わないほど薄情になった覚えもないので、彼が結果を残せたことを祈って入るけれど。


「あ、夏目君だ!」


 図書室前へと繋がる校舎の扉から声を掛けられた。振り返った先にいたのは、セミロングの髪に飾られた花柄の髪留めがチャーミングな、神楽坂先輩。


「おはようございます、神楽坂先輩」

「うん、おはよっ」


 可愛らしい笑顔で挨拶を返されてしまえば、眠気も吹っ飛ぶと言うもの。まさかこんな身近に、カフェインよりも眠気覚ましの効果を望めるものがあるなんて。流石は神楽坂先輩。実は魔法少女だったとか言われても不思議じゃない。白雪が好きそうだな。


「夏目君は今学校に来たの?」

「はい。朝の一杯をキメておこうかと思って」

「ふふっ、あんまり飲みすぎたらダメだよ? カフェイン中毒とか怖いしね」

「それもそうですね」


 言いながら神楽坂先輩が購入するのは紅茶。ミルクティーだから甘いやつだ。つまり僕には全く縁のないもの。

 白雪にはもう中毒者扱いされているが、それほど名誉な扱いもあるまい。僕は体組織の10割をカフェインにしてから死ぬと決めているのだ。

 そう言えばと思い、神楽坂先輩に先日のことを尋ねてみることにした。


「先輩、あの後打ち上げはどうでした?」


 はてさて、我が親友はどれほどの健闘をしたのか。その結果を本人に聞くよりも先に、先輩に聞こうと思ったのだが。


「あー、あの後、ね。あはは、楽しかった、よ?」


 予想外の反応が返ってきた。

 神楽坂先輩は指をモジモジと擦り合わせながら、恥ずかしそうに頬を赤くしている。

 待て、待ってくださいなんですかその反応は。僕のバカな親友がなにか粗相を働いたのか? いやそれにしてはどこか満更でもなさそうな感じがするし。なんにせよその反応ちょっと可愛すぎるので是非三枝にも見せてやりたかった。


「わ、わたしのことより! 夏目君はどう?」

「僕ですか?」

「うん。桜ちゃんとは最近どうかなって」

「あー······」


 思い出されるのはバザーの日に起きたあれこれ。ストーカーと、僕と彼女の共通の過去と。

 神楽坂先輩は僕の中学時代を知っている。同じ市の中学だったし、僕自身、父のこともあるからそれなりに自分が有名だった自負もある。何度か試合を見たことがあると先輩に言われたこともあるし、なんなら事故のことや、その後のあれこれも、先輩は知っている気配を見せるのだ。いや、知っていてもおかしくはないだろう。なにせ彼女の家はかなり大きなものだし、当時の時の人となっていた父の情報くらい入っているかもしれない。


「あの、神楽坂先輩。どうして白雪を選んだんですか?」


 これは兼ねてより気になっていたことだった。正直、僕の罰ゲームの相手なんて誰でも良かったはずだ。別に僕は、白雪以外の女子生徒と険悪というわけでもないし。

 しかし蓋を開けてみれば、僕と彼女の間には意外な接点が存在していた。それも、僕の過去にまつわることで。神楽坂先輩はそれを知っていたのだろうか。だから白雪を選んだ? いや、そうだとしても疑問は残る。僕達はそもそも、中学の頃は知り合っていなかったのだから。ただ、彼女が一方的に僕のことを知っていただけ。小泉の言葉も考慮に入れたいが、残念なことに情報が足りなさすぎる。


「知りたい?」

「ええ、まあ。神楽坂先輩も知っての通り、白雪と僕は話す方ではあれど、決して仲が良いわけではなかったですし」

「そうかな? 夏目君と桜ちゃん、結構仲良いと思うよ?」

「犬猿の仲、と言ったら適当ですかね。彼女は僕に定期考査の順位で負けて、目の敵にしてるみたいですから」


 そう言えば、ゴールデンウィークが明ければテスト一週間前になるのだったか。

 彼女に初めて絡まれた日を思い出して、知らずため息を漏らしてしまう。


「でも、わたしは桜ちゃんを選んで良かったと思ってるよ。夏目君のためにも、桜ちゃんのためにも」

「どういう事ですか?」


 問うと、神楽坂先輩はセミロングの髪を風で揺らしながら、秘密めいた微笑みを見せた。

 それが僕のよく知っている先輩の印象と、あまりにも乖離していて。目の前の彼女が本当に、いつも部室で目にしている神楽坂紅葉なのか、一瞬疑ってしまった。


「毒林檎を食べてしまった白雪姫にはね、王子様のキスが必要なの」


 言葉の意味は理解できない。なにかの比喩だという事は分かるが、果たしてそれはなにを示しているのだろう。

 白雪姫は文字通り白雪桜のことだとして、ならば王子様は僕? 馬鹿馬鹿しい。僕がそんな柄じゃなければ、白雪がそんなものを必要としているとは思えない。


「夏目君。桜ちゃんのこと、ちゃんと見ててあげてね」


 けれど神楽坂先輩は、至って真剣にそんなことを言うのだ。先輩と白雪が僕の知らないところでなにか話したのか。そうだとして、どんな会話をしたのか。そんなもの僕に知る由はない。けれど、先輩はきっと、白雪と二人で話す中でなにかを見たのだろう。

 僕にそう思わせてしまうくらいに、神楽坂先輩の言葉は力強かった。


「まあ、それが僕に与えられた罰ゲームですからね」

「うん、よろしい! じゃあ、わたしそろそろ戻るね。また放課後!」

「はい」


 神楽坂先輩は手を振って校舎へと戻って行く。どうやら先程購入した紅茶は、教室で飲むらしい。


「毒林檎、ね」


 白雪姫が食べてしまった毒林檎。果たしてそれは、なにを指しているのか。考えても答えなんて出るはずもなく。残ったコーヒーを一気に飲み干して、僕は教室へと戻った。





 昼休みになった。

 朝に摂取したカフェインのお陰で、授業中に眠気は来ず。四時間連続の授業を集中して受けることが出来た。この調子なら残りの二時間も余裕だし、ゴールデンウィーク明けのテストも、いつも通り二位の位置をキープ出来るだろう。一位になろうなどとは決して思わない。

 さて、この昼休みで僕はやらなければならないことがある。そう、三枝への尋問、もとい聞き取りだ。その為には僕一人では良くない。きっと彼は口を割らないだろう。


「白雪、ちょっといいか?」


 教室中がざわついた。

 僕が窓際の席に座る白雪へと声を掛けただけなのに。いや、それもそうか。この前白雪から僕に話しかけて来た時も、確か似たような反応だった筈だし。その後に今度は僕から。何かあるのではと勘ぐってしまうのも仕方ないか。


「なに? 私は今からお昼ご飯を食べるんだけど」

「まあまあ、そう喧嘩腰になるなよ。ちょっと話があるからさ、僕と三枝と三人で食おうぜ」

「話?」


 可愛らしく小首を傾げる白雪だが、しばらくもしない内に、僕の意図を察したらしい。ああ、と得心がいった様に頷くと、弁当箱の入った包みを持って立ち上がった。


「場所を変えましょうか。部室は使える?」

「多分使えるんじゃないかな」

「分かった。先に行ってるわね」


 教室を出て行く白雪を見送り、どうやら状況がイマイチ分かっていないらしい親友に振り返って笑いかける。


「そう言うことだから、色々吐いてもらうぜ。三枝秋斗君?」

「······お前本当いい性格してるな」

「褒めてもなにも出ないぜ」


 諦めたようにため息を吐く三枝を連れて教室を出る。クラスメイト達はこの謎の展開に追いついていないのか、殆どがぽかんとしていた。て言うか、君ら本当に白雪のことになったら息が揃うな。興味持ちすぎだろ。


 まずは職員室に行き、部室の鍵を借りる。もしかしたら神楽坂先輩がいるかもと思ったが、その心配も杞憂に終わり、無事に借りることが出来た。

 第三校舎に入り部室へと辿り着くと、扉にもたれかかった白雪を発見した。早くしろと視線で促されるままに部室の鍵を開き、僕と三枝はいつもの席、お互い長机の対面になるように座り、白雪は何故か僕の隣に椅子を持ってきて腰掛ける。なんでだよ。


「で、ご両人は俺になにが聞きたいわけ?」

「あなた、この前のバザーの打ち上げはどうだったのよ」


 どうやら僕の考えるところを正確に察してくれていたらしい。問いかける白雪の目は鋭いものだ。一方の三枝は惚けるつもりなのか、言葉は返さずに肩を竦めてみせるだけ。それに苛立ったのか、白雪の片眉がピクリと釣り上がった。


「なるほど、惚けるつもりなのね」

「惚けるもなにも。逆に聞くけど、俺と神楽坂先輩の間になにかよからぬ事でもあったと思ってんのか?」

「実は今朝、自販機のとこで神楽坂先輩と会ったんだけどさ」


 僕の言葉に、三枝は肩を震わせてあからさまに動揺する。目なんて泳ぎまくりだ。元来、嘘を吐けるような人間ではないから、こう言った時の反応はすこぶる分かりやすい。


「夏目、あなたまたコーヒー飲んでたの?」

「今それは関係ない。なにより、僕がコーヒーを飲んでたところで君には関係ないじゃないか」

「全身の血液がコーヒーになって死ぬわよ」

「本望だな」

「たまには私を見習って糖分を摂りなさい」

「生憎と、この歳で糖尿病を患う予定はないんだ。君と違って」

「······夫婦漫才はそのあたりにしてくれ」

「誰が夫婦だっ!」

「誰が夫婦よっ!」

「ほら息ピッタリ」


 一転してケラケラと笑いだす三枝。この野郎今に見てやがれ。

 コホンと咳払いを一つして、話を元に戻す。三枝も笑みを引っ込めた。


「そう、今朝神楽坂先輩に会った時、同じ質問をしたんだよ。君との打ち上げはどうだったかってね。そしたら、どんな反応をしたと思う?」

「どんな反応だったのよ」

「顔を赤くして恥ずかしそうに、なんでもなかったよ、ってさ。これがなんでもなかったと思うか?」

「······」


 両手で顔を隠して天井を仰ぎ見る我が親友。隙間から見える頬は少し赤くなっているようにも見える。どうやらクロらしい。


「ちょっとあなた、紅葉さんになにしたのよ。事と場合によってはただでは済まさないわよ」

「まあ待て白雪。ここは聞かせてもらおうじゃないか。洗いざらい全部ね」


 ニヤリ、と。今の僕は、それはもう悪い笑みを浮かべていたに違いない。

 やがて三枝は片手で額を抑えながら、その腕で机に肘をつき、赤い顔のまま話し始めた。どうでもいいけど男の赤面とか誰得って感じがするので、彼には一刻も早く元の顔色に戻って欲しい。まあ、無理だとは思うけど。


「あー、その、だな。この前の打ち上げは近くのファミレスに行ったわけなんだが······」

「ファミレスって言うと、すぐそこのガストか?」

「そこだ。んで、まあ先輩も言ってたように、ドリンクバーでパーっとやってたわけなんだよ。そしたら······」

「そしたら?」


 聞いてるうちに、僕も白雪も机に身を乗り出していた。なんだかんだで白雪のやつも興味津々らしい。かく言う僕も、親友からこの手の話を聞く機会なんてなかなか無いので楽しんではいるのだが。

 果たして我が親友の口から漏れた衝撃の事実は、ある意味で本当に僕たちに衝撃を与えるもので。


「グラスを間違えて······」

「つまり?」

「か、間接キス、しちまったんだよ······」

「······」

「······」


 唖然。

 僕と白雪の今の状況を示すなら、その言葉が最もしっくり来るだろう。開いた口が塞がらないとも言う。


「ちょっとタンマ。夏目、来なさい」


 呼ばれて白雪の方に椅子を寄せると、彼女はこちらにグイッと顔を近づけて来た。ふわりといい匂いが鼻孔をくすぐって、一瞬意識が飛びかける。なんとか踏ん張ったものの、目の前には白雪の綺麗な顔が。なるべく意識しないように心掛けてから、白雪の言葉を聞くことに専念する。


「ねえ、なんなのあれ。なんで間接キス程度であんな恥ずかしそうに出来るの?」


 が、意識しないようになんて不可能だった。内緒話のように小さな声が耳を撫で、甘い吐息が頬を掠める。しかしどうやら白雪には僕の動揺を悟られてはいないようで。


「僕に聞かれても知らない。なにせ、三枝とコイバナなんてしたことなかったからね。ウブでいいじゃないか。それに神楽坂先輩も、満更じゃない感じだったぜ?」

「紅葉さんは良いのよ。可愛らしいし。あいつがあんな反応しても気持ち悪いだけじゃない」

「酷いやつだな。まあ、諸手を挙げて賛成したいけど」


 チラリと三枝の方を見てみると、彼は机に突っ伏してしまっていた。彼はよく軽薄そうなイメージを持たれるし、本人もそう言うキャラを演じているところがあるが、まさか自分の恋愛に関してはこんなにもウブだったなんて。数年来の付き合いではあるが、初めて知った事実だ。

 白雪の話が終わったのを見計らうと急いで距離を取る。僕まで三枝の二の舞は勘弁願いたい。


「まあそう落ち込むなよ親友」

「うるせぇ······。初恋もしたことない智樹には分からないだろうな、この俺の気持ちが······」

「分かりたくもないよ。だけどまあ、神楽坂先輩の反応を見た僕から言わせてもらうと、これは大きな一歩だと思うぜ」

「本当か?」

「君の親友が保証してやる」

「白雪さんはどう思う?」

「ま、私は紅葉さんに変なことしてないなら、他はどうでもいいわ」


 白雪はどうしてそこまで神楽坂先輩を慕っているのか知らないが、まあ仲良くなれているならそれに越したことはない。

 三枝はやがて顔を上げ、どこか吹っ切れたように笑ってみせた。その顔はまだ少し赤いけれど。


「まあ、この調子で頑張ってみるわ」

「応援してるぜ」

「おう。だから智樹も頑張れよ?」

「おい、余計なこと言わないでくれ!」

「······?」


 いつものようにケラケラと笑って最後に余計な一言を追加するあたり、どうやらいつもの三枝に戻ったらしい。隣の白雪は、幸いにもその言葉の意味が理解出来なかったようで、小首を傾げて疑問符を浮かべている。


「取り敢えず、さっさと昼飯食おう。なんだったら俺から智樹に色々とアドバイスしてやるよ」

「君こそ、白雪に色々とアドバイスしてもらった方がいいんじゃないか? ほら、白雪は告白された数だけなら相当なものだし」

「それは喧嘩を売っているのかしら? 一度も異性から告白されたことのない可哀想な童貞の夏目の分際で生意気ね」

「女子が童貞とか口にするなよ。品がないぜ?」


 ムッとした口調でこちらを罵倒しながら、白雪は包みを開いて弁当箱を取り出す。それに倣って、僕と三枝も昼食を摂ることにした。


「あなた、自炊してるの?」

「ん? ああ、この弁当のことか? 自分で作った方が食費を抑えられるからね」

「へぇ······」


 しげしげと僕の弁当を見てくる白雪。向かいの三枝は、そんな僕らのやり取りを見てニヤニヤと笑っている。

 なんだかんだで、この後昼休み終了間際まで、僕ら三人は三枝と神楽坂先輩について話し合っていた。

 まあ、この作戦会議じみたものの成果が出るのかどうかは、三枝次第と言ったところなのだが。

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