第9話
この瞬間、千明は自分でも驚くぐらいに酷な眼差しを相棒に向けていたと思う。
だが、本人はさしてそれを気にした様子もなく、普段通りの横顔で千明を見返していた。
「その男は、かつて我々の世界を代表する六国の王だった」
すべてを打ち砕く衝撃的な告白だった。
今まで脳裏をかすめもしなかった、彼の正体に硬直する。
「酒色に溺れた昏君の後を嗣いだ後、国を建て直し、世界を揺るがすほどの強大な夷狄とも我ら他の五国の王と連携して渡り合うほどの名君だった」
知らず、自身の腕が力なく下された。
彼女が知りたかった正体が、今この数秒をもって明かされようとしている。
もっともそれは本人の口からではなかったが。
抵抗を止めた彼女の脇を堂々とすり抜け、もうひとりの王は、ネルトラン……ネロの前に、立ち塞がった。
「だが、この男は名声と自身の才に溺れ晩節を汚した。自国の臣民を使って人体実験をくり返し、ともすれば世界を破滅に導く兵器を自軍の主軸に据えようとした」
「兵器って」
「人体にリアクターを取りつけ、その生命力を高める一方でその一部を魔力に転換することで一個の生物兵器として稼働させる。この男はそういうおぞましい装置を臣民に配布し、自身の尖兵とし、周辺諸国への侵攻を企んだ。……小娘、お前にも覚えがあるだろう」
千明は上体に手を当てた。
覚えがある、なんてものではない。彼女の状態こそ、まさしくそれだった。
ネロは、答えない。
「だが秘密とは、穴の開いた桶のようなものだ。計画は事前に漏れ、奴は協力を強いた将軍らに裏切られ、密告され捕縛された」
「そ、それは……っ! 冤罪の可能性だって……!」
「最初は己もそう思ったさ。たとえどれほどの物証が積まれようとも、己だけはネルトランを同胞として弁護するつもりでいた。だがこの男は裁判においておのが罪を開き直り、挙句に逃げ出した。民や我々に何の申し開きも償いもせず、逃げ出した」
自分が今まで付き合ってきたネロと、この鎧男の語る凶悪犯罪者ネルトラン。
同じ人物かさえ疑わしいほど、その人物像には隔絶があった。
だが、思ってしまう。どうしても。
この異物感丸出しでこの世界に馴染めない無骨な怪人の言葉には、怒りには、嘘偽りなどないと。
一方でネロには、常に欺瞞が付きまとっていると。
そして男の強弁にここまでのネロの動向を当てはめれば、腑に落ちてしまう点が多々あるのだと。
「……嘘だよね、ネロ?」
すがるように、少年の目を見る。
どうか否定して。埒もない
「聞いてのとおりだろ」
間を置かず返ってきたのは、冷たい視線。冷たい言葉。
「俺はあっちの世界じゃ大罪人で、我が身惜しさに逃げ出した。で、逃げた先に偶然お前がいたから身分を偽って寄生した。打ち明ければ不都合があったから正体は黙ってた。……それ以上の説明がいるか?」
千明の信を砕き、その心理状態を出会った瞬間のあの煉獄へ引き戻すには十分だった。
立ち竦む彼女をよそに、ネロは中腰になって瓦礫の中からカバンを引っ張り出した。
表面が焦げたり溶けて異臭を放っているものの、九割がたは無事な、彼女の持ち物。
「ほら、そういうわけだから忘れもん持ってさっさと行け。こっからはお前とは関係ない奴らで済ませる話だ」
突き放すように言い放つと、彼は身を推移させてかつてバスケをしていたその中心地へ。鎧もその後をゆっくりと追った。
場所を改めて対峙した両者だったが、ネロの右手がにわかに光った。鋭い輝きが八方へ一度強く打ち出されたあと、淡くなって収縮していった。
カバンの代わりに彼好みの、金属質な装丁が施された一冊の本が握られていた。
小脇に抱える程度のサイズのそれには、拘束具じみた歯車と鎖の装飾。中心に、ローマ数字に似た記号が割り振られたダイヤルがあった。
「カタログNo.1871」
抑揚なくネロは本に、いやそうと見える彼のデバイスに、口を寄せて囁いた。その音声に反応して、ダイヤルの目盛りがひとりでに回転し、それと思しき数字を示す。
拘束が外れ、本が、紐解かれる
同時にネロの背後の空間が、割れる。
いや、引き剥がされていくという方が正しいか。壁紙のように。飛び出す絵本のように。
断裂面の向こう側から現れたのは、どこかの夜の情景だった。
群青色の暮れなずむ街頭が、煙と霧にまみれている。壁から剥き出しとなったパイプを、星月の代わりに夜灯が照り返す暗黒の世界。赤銅色のウサギや芋虫型のロボットが宙や地面を踊り、ネオンサインのハット帽やネコが、嗤うように明滅を繰り返す。
「
低く唱える。ジャズロックのような音声が熱や光や風とともに鳴り渡る。
開いていた本は閉じられたが、背の世界観と情報は衣となってネロを包み込んだ。
現れたのは、ひとりの怪人。
動物の耳のついたフードを頭から肩までかぶり、奥底には銀に光る鉄仮面。
鋭く切り取られた目と口は、怒っているような、笑っているような奇妙な形状で、ジャックオランタンを想わせる。
本人の面影を残すスリムな輪郭。腕の先、手甲と一体化したかたちで散弾銃の口のような筒が列をなしていた。
ネロ。
信じられなさを露わにして、千明は変貌した彼の仮名を呼ぶ。
戦えないのでは、なかったのか。
もはやそれには反応することなく、彼は鎧へ一歩、前進する。
「やはりな。どうせ貴様のことゆえ、自衛手段の一つや二つは秘匿していると踏んでいた」
ヘルムの奥底で舌打ちが聞こえた。
それに応じて、魔人はハッと喉を鳴らした。
「お前さえ来なけりゃ、使わずに済んだんだけどなぁッ!」
怒号咆哮とともに、ネロは一気に距離を詰めた。
鎧もそれに応戦するべく、円筒を火剣と変化させて斬りかかった。
そして異国から来た魔人たちは、まるでこの世界のことなど、そしてその場にいる少女のことなど意にも介さないように、衝突を始めた。
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