3-10 暗躍する者

 翌日、私達はシーアカイン領の領都シールポートに到着していた。街はやはり騒然としている。それはそうだろう、アークレイル領が攻めてくるかもしれないという噂が広まっているのだ。街中に募兵の張り紙が溢れ、人々の顔には不安の色が浮かんでいる。領民の不安を煽っている貴族を辿れば誰が侵略派なのかが判り易い。平時には見えなかった情報伝達の増加を観測すれば指揮系統も丸判りだ。彼らも申し訳程度には情報の隠蔽を試みているが、暗部の様に常に最新の暗号方式を採用しているわけではない。アップデートをサボっているシステムほど脆弱で狙われやすいものはないのだ。


 とはいえ、こちらの時間もそう多くはない。うっかりとやり過ぎてしまったので幾つか計画を変更せざるを得なくなったのだ。暫く来訪を知らせずに街で情報を収集するつもりだったのだが、噂の広まる速度を見ていれば来訪が伝わるのは時間の問題に見える。不審に思われないためにも神殿に顔を出しておく必要ができてしまった。修行の旅の途中なのに神殿に立ち寄っていないのは不自然だからだ。噂を聞きつけた誰かが神殿に問い合わせ、そのような者は逗留していない、と答えでもすれば従使徒を装った何者かが領に侵入していると思われ、警戒レベルが上昇してしまう。これからの活動を考えると避けたい事態だ。


「従使徒のディーネだ。」

「同じく従使徒のエミーです。」

「同じくアルシュ。」


 私以外は偽名である。いや、エミーもアルシュも厳密には偽名ではないのだが、彼女たちの従使徒としての正式名はエミリエイルとアルキエイルとなっている。エミーとアルシュ、と言うのは今回のために用意した一時的な神籍なのだ。エミーはもちろんだが、アルシュも本来の神籍で調べられればアークレイル領の出身と判ってしまうためだ。私の場合はウェルギリア王国なので問題はないが、この時期にアークレイル領出身の従使徒が来訪していると判れば妙な警戒をされてしまう。それを避けるためにも神殿に挨拶をしておき、問い合わせられた時にこちらの意図する情報が渡る状態にしておく必要があるのだ。


 シーアカイン領の神殿は半ば海にせり出すような位置にある。海に面した土地の神殿は、殆どがこの様に陸と海の両方に入口がある形状をしているのだ。ウェルギリア王国でも王都の西にある港町レーヴィリーダの小神殿はこの様な形状をしていたと記憶している。飛神エールナハトの眷属神である海洋神ポートリールを祀っているからであるが、実は神殿にはもう1つの役割がある。他の土地の港へと船を届けるための風を起こす役割があるのだ。他の地と交易をするためには神殿から出ている航路を使う必要がある。そのため、どんなに神殿との関係が悪い土地でも、海に面している土地では海洋神ポートリールを祀る神殿だけは壊されることはない。


 神殿で逗留手続きを行った後、夜を待って領主邸に向かう。本当は領主に会うのは他の貴族の問題を解決してからのつもりだったのだが、必要以上に目立ってしまったため前倒しをする必要ができた。領主周りの警戒度が上昇すると領主との交渉が難しくなるからだ。つくづくやり過ぎたのが悔やまれる。叔母様に『反省なさい』と言われるのも仕方がないというものだ。


「デルシュミット様ですね?」


 領主のデルシュミットが寝室で一人になったタイミングを見計らい、3人で潜り込む。部屋の外には護衛がいるが、防諜系の神術を使用して特定の音の伝達を妨げているため気付かれることはない。デルシュミットは20代前半のどこかやつれたような顔をした男だった。目の下の隈など前世の私に通じるところがあり、随分と苦労をしているのが見て取れる。なんとなく親近感を覚えてしまった。


「夜分失礼いたします。私はエミー、従使徒です。こちらは同じく従使徒のディーネとアルシュ。」

「本当に失礼だな。面会ならば予め先触れを出しておくべきであろう。それに、幼いとはいえ女性が夜中に男の部屋に忍び込むというのも感心できた行為ではないぞ。」

「邪魔が入らないところでデルシュミット殿と話をしたかったのでな。」


 デルシュミットに直接確認したかったのは他領を侵略する意思があるかどうかだ。この領主が配下の意見を蔑ろにしない人物であるのは判っていたが、彼本人がどう考えているのかを確認する必要があった。もし、侵略が彼の意思であれば説得する必要もある。デルシュミットは使徒が人間の都合を考えてくれないということには慣れていたのか、溜息を吐いて自分の意見を語ってくれた。


「あるかどうかと聞かれれば、『ある』だな。君達が知っているかは判らないが、この領は他領・他国との貿易を陸路に頼る他ない。だが、陸路はラーザエイン領とアークレイル領に抑えられている。その交易で随分と足元を見られているのだ。今のままでは我が領に未来はない。」


 シーアカイン領の抱えている問題。それは港が使えないことだ。海に面しており海の幸も豊富にある。だが交易となると別だ。ある程度海を進むと嵐に襲われ航路を使用できない状態にあるのだ。その原因はシーアカイン領の港に繋がっている他国の港だ。100年前にシルセイル共和国で起こった政変により、2つあった港町セセアとネネアが1つの港町セセネアになった。その際に2つの小神殿を1つに統合したのだが、その際の設定ミスのせいでその港と繋がっていた全ての港が使えなくなってしまったのだ。


 神殿から神殿へは航路を作るための風が送られている。船はそれを帆で受けて他の港へと向かう。だが本来2つあった小神殿を1つの神殿に統合した際に、片側の港宛の通信を受け取った際に、もう片側の港から出て行くような設定をしてしまった。それにより電気回路でいうところの短絡しているショート状態になってしまったのだ。電気回路であれば風が2つの港の間で完結するだけで済んだのだろうが、神殿から神殿に送られる風には『港に繋がる他のすべての港に送る』ための属性が付与されている。短絡して渦を巻くようになった風も同様に、この『港に繋がる他のすべての港に送る』という属性を持っていた。


 この属性が付いている風は、出ていく時にすべての港に複製されて送られる。もちろん、もう1つの港宛に送られた風は短絡状態なので属性を維持したまま再びこの港から出ていく。結果、風が2つの港の間を循環する度に複製された風が『この港に繋がる他のすべての港』に送られるようになり、全ての航路が嵐に包まれて使用できなくなってしまったのだ。ネットワークの専門用語で言えば、『ハブのポートとポートを直結で繋いだ事でループ状態になり、ブロードキャストストームが起きた』と言ったところだな。


『ディーネー、もう少し判りやすく説明してー』


 レイアにこの話をしたらぽかん、とした顔でそんな事を言っていた。おそらく、シルセイル共和国の担当使徒も同様にこの事を知らなかったのだろう。原因不明の航路断絶として報告が上がっていた。一緒に説明を聞いていたエールナハトとポートリールは『あ、ヤバ』という顔をしていたのでループの事は知っていたと思われるが、シルセイル共和国の繋がっている航路は小規模航路だったため原因解析も後回しにされていたようだ。


 シルセイル共和国以外の港については、エールナハトと話し合い、他にもこの様になっている場所がないかを探して現在修正中だ。ついでに各神殿にいわゆるループ検知の機能を付与し、使えなくなっている港があれば自動的に報告が上がるようにしてある。だがシルセイル共和国についてはまだそのままにしてある。小規模航路で100年そのままだったのだから世界への影響が少ないというのも理由の1つだが、大きな理由はシーアカイン領と交渉するためだ。


「もし、港を正常に直せるとしたら侵略を諦めるか?」

「そう、だな。臣下たちを説得する必要はあるが、私個人としては港が使えるのであれば侵略の必要性は感じない。」


 案の定、デルシュミットは侵略政策を撤回する判断を下した。ただし、臣下の意見を纏めることができればという条件付きではある。本来は臣下の意見を纏めてから領主と交渉するつもりだったのだが、うっかりやり過ぎた影響で順番を変えざるを得なかったのだ。切り崩しを行っているのが使徒でなければ門前払いで済むため領主への会見を警戒されたりはしないが、使徒であれば領主に直接接触する可能性がある。側近を領主の周りに配置することは十分に考えられる事態だ。その時、領主と面識があるかどうかは大きく意味を持つのだ。


「私事で済まないが、レヴェンダール子爵の娘の救出を最優先にしてもらえないだろうか。」

「えっ、彼は侵略派だと思っていたのですが、違うのですか?」

「違う。彼は以前は私を諌めていたのだ。娘を人質に取られるまでは。」


 ログでは彼は当初から侵略を主張しているようだった。悪意のある人物には見えなかったため、領主と同じ様に考えているものだとばかり思っていたがどうやら違ったらしい。微妙に何かが頭の隅に引っかかる。領主周りのログを含めて洗い直す。こういった違和感は大事だ。僅かな引っ掛かりを放置すると後で必ず痛い目に遭う。以前も定期的に出ていたログ1行を無視したために大障害が……話がそれた。確かに、領主のログと子爵のログを比較すると矛盾点が存在する。


『ログの改竄か。どうやら、この件の裏には異術使い……いや【侵神】が絡んでいるようだな。』


 侵神はいわゆる悪意ある異世界の管理者だ。他の世界に潜り込み情報を奪ったり、破壊したりする。現代地球で言えばハッカーやクラッカーの様な存在。プログラムに従って動く侵獣とは違い、自ら考え活動する。異術を使うだけであればアルシュのようなただの異世界人の可能性もあったが、この者は明らかに神々を欺くために異術を使用している。ただの異世界人であれば普通は行動ログの改竄までは行おうと思わない。自ら考え、異術を使用し、そして神々の目から逃れる為にログへ干渉する。ここまで来ると侵神以外の選択肢を探す方が困難だ。どうやらこの件は思った以上に厄介な事件のようだ。

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