2-05 精霊竜

 白の日はすぐに来た。この日は一日用事があるからとエミーには朝夕の祈りのお休みを伝えてある。私はベッドに横になり意識を深く深く沈め神の領域へと移る。真っ白い部屋。そこが、異世界との交流のために使用する部屋だった。私が部屋に着いた時、既に相手は部屋の中に居た。


「初めまして。」


 そう言って挨拶をした世界管理協会のエージェントはごく普通の人間に見えた。これも、私達と話しやすくするためだろうか。前世の癖でうっかり名刺を出そうとしてそれがない事に気付く。こちらの姿ルートディーネは生前に近い身長だからかついつい前世の癖が出てしまう。胸元に伸ばした手を戻し、とりあえず挨拶をして席に着く。


「お話は伺っております。この度はその御礼と、お知恵を拝借したく。」


 既にレイアを通して顛末は報告済みだ。そして、私の知恵を貸すのもレイアが交渉済み。私はレイアの取り決めに合わせて知識を渡すだけだ。最大の話題はやはり鍵の件だろう。世界管理システムに不具合修正を配布するシステムの安全性が脅かされているのだ。もし通信先を誤認させられて何かが仕込まれた更新データが混入すれば、世界は容易く乗っ取られてしまう。だが、その話をする前に、まずは情報の共有が先だ。侵獣の侵入経路など、訊いておくべきことは山程ある。


 今回の魔導具は正規のルートから送られてきたものだ。怪しい取引先から取得したものではない。でなければ、リルザもあそこまで不用意に開けはしなかっただろう。と言っても、送り元が悪意を持っていたわけではない。何者かが、その製造過程に侵獣を混入させたのだ。


「確かに、不審な人物がその世界に入り込んでいたのを確認しております。」


 その人物は世界の外から入り込んでいたのだそうだ。であれば他の世界にも潜り込んでいるかもしれない。もちろんこちらの世界にも。侵獣が入り込まないように、また、意図せず拡散してしまわないように、まずは検査の強化が急務だ。こちらが得た侵獣のパターンは既に共有済みだが、別のパターンで来られたら意味がない。うちには【マーレユーノの眼】があるが、すべての世界にそれがあるわけではない。話し合いの結果このシステムを世界管理協会が買い取り、世界管理システムの標準機能として取り込むことになった。


「それで、更新機能のことですが……」


 現状について共有したところでエージェントが本題に入る。彼らが欲しいのは安全に更新を配布するためのチェックシステムだ。正しい配布元に接続していることを確認するためのシステム。本来は施錠鍵と解錠鍵を使用して、秘密の情報をやり取りすることでその正しさを確認していた。だが、それは今、平行世界演算システムと私のプログラムの存在により崩されてしまった。この2つがあれば誰にでも公開されている施錠鍵から簡単に解錠鍵を作れてしまうからだ。


 単発の通信であれば通信に盗聴検知機能をつければ良い。解錠と施錠の鍵を共通にし、その代り一切鍵を公開しない。後は鍵のやり取りをする際に開けられたら判るようにして、開けられていたらその鍵を使わずに新しい鍵をやり取りする。そうすれば通信の秘密は守られる。私達の世界でもこれに似た量子暗号と言う方式があった。


 だが問題は施錠鍵を全員に公開し、それに対応する解錠鍵を持っていると言う事を正当な通信相手だと証明するために使用している場合だ。前述の方法では通信の安全性しか確保できないため、別途通信相手が正当な相手かどうかを証明する手立てが必要になる。今回の更新システムのように特定の相手としか通信しないのであれば、双方に証明するための何かを配れば良い。勘合貿易で使っていた割符の様なものだ。割符が一人一人違うのであれば、それぞれが漏らさない限りは問題はなくなる。だが、この方法は不特定多数相手の場合には使えない。幾つか考えつく方法もあるのだが、それらにも別の問題があってそのまま採用することは難しい。


「更新システムについては更新権利証明書に割符の機能を足すしか無さそうですね。不特定多数相手の証明については……暫くあのプログラムの公開を控えて頂いて、その間に新しい方式を考えるしか無さそうです。」


 無論、私もそのつもりだ。侵獣が持っていた鍵の正体がわかった瞬間に平行世界演算システムと解析プログラムは私以外がアクセスできないように別々の場所に隔離してある。私以外が所有する平行世界演算システムの方も販売者が限られているため今は問題ないが、今後はその所在を確認しておく必要が出てくるだろう。幸い平行世界演算システムの販売元は世界管理協会なのでその点は問題ない。


 プログラムについては私が独自で組んだものなので、私が公開しなければ問題はない。平行世界演算システム自体は市販しているとはいえ驚くほど高価なので不確定な状態で手に入れようとは思わないだろうが、プログラムと組み合わせればその損失を補って余りある利益を得ることが出来る。プログラムが公開されれば、多少高くても平行世界演算システムを買おうと思う者は出てくるかもしれない。到底公開できるものでないことは私も理解している。


 プログラムで作った解錠鍵については更新システムで使用する鍵を別のものに変えたそうなので公開しても問題はない。実は既に世界管理協会を通し、更新システムのの解錠鍵だとは判り難いように処置を施した上で【復元プログラム】として侵獣の被害者に配ってある。被害者からは大層感謝されたようだ。とはいえ解錠鍵自体は世界管理協会が保有していた鍵と同じものなので、私が作ったのは復元する部分だけではあるのだが。


 その後は些細な取り決めや雑談のやり取りをして会合は終了した。隣りに座っていたレーネが『話の半分も判りませんでしたよー』と涙目になっていたので頭を撫でてやる。彼女も前任者からいきなり引き継いだため苦労をしている。殆どが前任者の脳内にしかなかったため手探り状態なのだ。私も気をつけねばならない。


 想定よりも早く会合が終わったため時間に余裕がある。向こうではまだ昼になったばかりだろう。深夜までかかる事を想定して夕の祈りには出れないと言っていたが、これなら問題なく出る事ができる。それまではレイアの手伝いをしてやろう。ついでにシステム化を進めて出来る限りレイアの手が空くようにする。


 それは、丁度システムを1つ組み終えた辺りだった。夕の祈りまではまだ時間があるからもう1つくらい作れるか、と思っていた所に慌ただしくリーベレーネが駆け込んでくる。いつも優雅な態度を崩さない彼女には珍しい。そう思っていたのだが、話を聞いて私も冷静では居られなくなった。彼女は、エミーが瀕死の重傷を負った、と言ったのだ。


 確か、今日エミーは知り合いの傭兵と会っているはずだった。彼らは王都ラースに商品を運ぶ商人の護衛依頼を受けていた。商人は暫く王都に滞在するため、その間は自由時間になる。それを利用してエミーに会いに来たのだそうだ。その際に何かがあったのだろうか。


 さっと状況を確認する。どうやら彼女たちはせっかくだからとイルシオンの支部で討伐依頼を受けたようだ。場所はイルシオンと王都の間にある川の付近で、対象はアクアタイガー。水辺に住む水属性の虎で精霊術と呼ばれる精霊の力を借りた術を使うが、5級の傭兵が3~4人居れば対処できる相手だ。エミーの知り合いは3級~4級が3人だったはずなので、エミーも入れて4人。遅れを取るような相手ではない。


 実際、彼女たちは難なくアクアタイガーを仕留めている。問題はその後だ。彼らの近くに精霊竜が出現したのだ。精霊竜というのは、いわゆる暴走した精霊のことだ。本来は命神ソールアインの眷属で、自然を管理しているのが精霊だが、時折その管理を離れて暴走する者が居る。これも一種のバグだろうか。だが、死の恐怖と言う感情が介在している以上、この発生を避けることはできない。当然、検知し次第対処が必要になるのだが、今回は時と場所が悪い。下級使徒の殆どが各地に散っており、ここに使徒達を派遣するまでには時間がかかってしまう。


「直ぐに行く。」


 ざっと確認を終え、地上に向かう。ディーネの身体に戻っている余裕はないのでこの体での顕現だ。アスカノーラの顕現以上の大事ではあるのだが、アスカノーラの場合は加減を知らないのが原因だからな。力を眷属神程度まで抑えておけば地上に深刻な被害は出ないだろう。影の神器をまとい、力を制限する。少々鎖で物々しい感じになってしまったが、今は姿を気にしている時間が惜しい。


 今にもエミー達に襲いかからんとする精霊竜。その目の前に顕現し影で出来た鎖で動きを封じる。神の力すら制限する鎖だ。如何な精霊竜と言えどもそれを解くことはできない。その間にエミー達の様子を確認する。怪我は酷いがまだ死んではいない。これなら治癒できる。最悪の予想が外れた事に内心で一安心しながら癒神の権能を使用して全員を癒やす。上位の権限を持つ私はレイアの固有権能以外の全ての権能を使用することが出来る。瞬く間に治った傷に呆然とする4人。一先ずこちらはこれで大丈夫だろう。


 鎖で縛られた精霊竜が苦悶の咆哮を上げる。精霊術を発動することも出来ず地に縛り付けられているのだ。私はそれに近付き命神の権能を発動させる。死の恐怖、その感情とそれに囚われてる魂を解き解していく。地に満ちた光が柱となって精霊竜を包み、天へと向かう。これで対処は完了だ。私が立ち去った後も暫く4人は信じられないものを見たという風に天を見上げていた。


 私がディーネの身体に戻った時には既にエミーも寮に戻っていた。私に会うなり興奮気味に【黒髪の女神様わたし】の話をするので恥ずかしくて仕方がない。特に夕の祈りの際にはリーベレーネと同じ位の祈りを捧げるものだから、地面を転げ回りたい衝動に駆られる羽目になった。これではアスカノーラの事をとやかく言えない。非常に複雑な気分になりながら、なんとか祈りの時間をやり過ごしたのだった。

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