1-07 蝕む異術

 従使徒として活動するようになって暫くすると雪がちらつく季節になった。基本的にこの世界の月、週、日は赤緑黄青紫空白の順に並んでいる。冬の始まりは白の月黄の週からで、今はもう白の月空の週。白の月白の週……つまり年末が近付いてくる。白の月白の週赤の日から大晦日にあたる白の月白の週白の日までの一週間は冬の宴と呼ばれ、1年の成果を神々に奉納する宴が神殿にて催される。ただし、最後の1日は女神の日と呼ばれ、最高神の休息日とされているため、神殿も閉ざされる事になる。なお、日本と違い、年始である赤の月赤の週赤の日……闘神の日は供物を捧げる儀式こそあるものの、そこまで盛大には祝われるわけではない。


 女神の日は唯一女神が丸一日休息できる日とされている。だが私は見てしまった。その日、レイアの予定がびっしりと埋まっているのを。最高神が休息を取るので不在なのでは無く、最高神が挨拶回りに忙しいから不在、というのが真実なのだ。こればかりは代表であるレイアが行わなければならないため致し方ない。本来であれば代わりにその日以外の6日と、翌週……つまり赤の月赤の週こそが真の休息日なのだが、レイアの予定表を見るとそこにもびっしりと予定が入っていた。やはり人材の育成が急務か。


「あ、あの、ディーネちゃん、明日からは、その、儀式があるから……」


 リーシアが言う儀式とは、冬の宴の儀式だ。他の月ではそれぞれの大神の日に行われる神へ供物を捧げる儀式が白の月だけは6日に渡って行われる。そして、これらは下級使徒や従使徒の仕事なのだ。そのため、私も神殿に寝泊まりする必要がある、とリーシアは告げる。ちなみに神殿と言っても使徒達の居住区なので叔母様とは別だ。


「ディーネはボクと寝ると良いよ!」

「部屋はきちんと用意してあるのですから、ご自分の部屋で寝てくださいな。」


 リルザが私と一緒に寝ることを主張し、レクトに窘められる。普段の仕事の際もリルザは事あるごとに私に絡んできていた。他の従使徒が下級使徒と距離を取っているため、絡み辛いからだろうか。その度にレクトから小言が飛ぶまでがお約束だ。そして、寝所の話になると男性陣は蚊帳の外になってしまう。居住区は男女で北と南に分かれているのだからこればかりはどうしようもない。


 ラズリューネは「あらあら、仲良しねー」等と他人事のように聞き流しているし、リーシアはオロオロするばかり。いつも空気を読まずに強引に話をまとめるケリュイオンが居ないため、ツッコミ不在の状況なのだ。神術で清潔さを保つ下級使徒達に風呂という風習がないのがせめてもの救いか。リルザの性格上、もし一緒に風呂にでも入ろうものなら騒がしいことこの上ないだろう。


 白の週に入り、一日中儀式を行う日々が続く。儀式自体は難しいものではない。転送陣に供物を並べ、神術を発動して神界へ送る。その繰り返しだ。ただし参拝客がいるため、ただ神術を発動する、というわけにもいかない。長い祈りの言葉とともに神への祈りを届ける必要がある。人間の祈りは割と身勝手なものが多いため、フィルターを掛けなければ我欲まで届いてしまうのだ。


 そして、神界へと供物を送るだけが儀式ではない。神界から……更に言うならば世界の外から送られてきた物を受け取るのも使徒達の役目だ。当然、危険なものが含まれていないか多重にチェックが行われる。そうして、問題がないと確認されたものが地上へともたらされるのだ。


 それは白の週の半ば、青の日に起きた。その日は神界から送られてくる荷物が特に多く、全員総出でその仕分けと確認を行っていたのだが、リルザがある箱に手をかけた瞬間、そこから煙のようなものが飛び出したのだ。どうやら、異世界から送られてきた魔導具に侵獣が潜んでいたらしい。煙は次第に集まり、人のような形を取りはじめる。


 それは、まさしく怪物と言っても過言ではなかった。筋肉質な身体に、凶悪な表情の兎の頭が2つ乗っている。それぞれの頭からはねじ曲がった角が左右に1本ずつ生えており、眼光は凶悪そのもの。その手足に備えた爪は鋭く、人など簡単に切り裂いてしまえそうだった。ゴブリンの比ではない、かなりの凶悪な侵獣だ。


「うわ、うわわっ!なにか出てきたっ!みんな気をつけて!」


 慌てて飛び退きながらリルザが警告を発する。侵獣は4つの血の様な色をした目をこちらに向け、獲物を物色する。その額の宝玉からは魔術陣が現出し、そこからは冷気が漂ってきていた。間違いない、異術だ。侵獣が使う世界の理を逸脱した術式は神の権限を使用しても止めることができない強力な術だ。時には世界をも蝕むそれが、今目の前で行使されている。


「下がれ!」


 周囲で作業をしていた従使徒達を下がらせ、ケリュイオン達下級使徒が前に出る。だが、この侵獣は明らかに下級使徒に対処できるレベルを超えている。私はできるだけ情報を集めながら、それを【マーレユーノの眼】に記憶させる。少しでも情報を集め、類似の侵獣を活性化させないように注意を促すためだ。情報は即座に6女神を通して世界に共有される。


「うおっ、こいつなんて力だ!」


 ケリュイオンが振るった槍を侵獣が受け止める。軽く掴んでいるようにしか見えないのに槍はびくともしない。武闘派のケリュイオンが力負けをしている時点で、かなり拙い。その上、侵獣が握った辺りが次第に氷に覆われ始める。これは、かなり拙いのではないか。


「槍を離せ、ケリュイオン!」


 私が叫ぶのとケリュイオンが槍を離すのはほぼ同時だった。一瞬遅れて槍が氷に覆われる。今やその全てが氷に覆われた槍は、侵獣が手を離してもまるでその空間ごと凍らされたかのように空中に浮かんでいる。かなり、やばい。レクトもそれに気付いたようで、槍ごと隔離空間に閉じ込める。ちらりと見た限りでは、神器であるはずの槍が完全にその機能を停止していた。


「何だあれは……」


 皆の視線が槍の方に向いたその一瞬を、侵獣は見逃さなかった。一瞬で跳躍し、神殿の窓を破って外に出る。拙い、あれが野に放たれたら危険どころの騒ぎではない。しかも、窓の方角には王宮がある。


「追うぞ!」


 即座に私も窓から飛び出す。侵獣はこちらの想定より素速く、既にかなり距離を離されてしまっている。魔術を全開にして追いかけるが、なかなか差が縮まらない。既に侵獣は王宮の目と鼻の先にいる。私の視界の中で侵獣が脚に力を込め、跳躍する。向かう先は……私達の勉強部屋だ。


「くっ!」


 使徒達は私の速度に付いてくることが出来ていないが、今はそれに配慮している余裕はない。部屋から悲鳴が聞こえてきたからだ。あそこにはシェリー姉様とシルヴェリオス、それに母様がいる。間に合えっ!!そう祈りながら部屋に入った私が見たのは、姉様たちを守るようにかばった母様に侵獣の爪が振り下ろされたところだった。


 姉様たちの目の前で母様が氷に包まれていく。それを確認した侵獣の瞳が姉様達に向いたその瞬間、私の中で抑えようのない怒りが荒れ狂った。母様を、傷つけた。姉様を、シルヴェリオスを狙っている。こいつは、敵だ。


「姉様達に、触れるなっ!」


 力任せに突撃し、侵獣を蹴り飛ばす。私の一撃を受けた侵獣は壁際まで飛ばされ、その身体をめり込ませる。だが、致命傷ではない。いくらチートがあるとはいえ、上級使徒程度の力しか無いこの身体ではここまでが限界だ。……


が命じる。我が権能、その全てを開放せよ。」


 私に迷いはなかった。姉様たちを守るために、手段を選ぶつもりは端から無い。私が宣言した瞬間に、影が私の身体に纏わりつき形を成していく。アスカノーラの刀、リーベレーネの腕輪、ソールアインの鎧、マーレユーノの冠、ミストサインの外套、そしてエールナハトの翼。体を覆う影が6女神の神器の形に変化する。あらゆるものを複製する私の権能で創り出した影の神器だ。


 侵獣がびくりと震える。瞬間でその背後まで移動した私の刀がその片腕を消し飛ばす。侵獣の上げる苦悶の声を無視し、更に斬り刻んでいく。異術で凍りついた部分は即座に消去し、すぐさま影で修復する。侵獣がいくら強いとはいえ、6女神の神器を纏った私の敵ではない。戦いは一方的な展開に変わっていく。だが、殺すわけにはいかない。こいつを解析する必要があるのだ。


 解析するためには捕獲する必要がある。怒りが突き抜けて逆に頭が冷えた私は、解析に支障が出ないように慎重に力を削いでいく。此処から先は、少しのミスも許されない。……ここだ。不要な部分を削ぎ落とされ、大きく力を失った侵獣が私の刃で体勢を崩したその瞬間を逃さず、私の影から飛び出した大顎が侵獣を飲み込んだ。


 侵獣を飲み込んだのは影竜クゥオーラ。侵獣を隔離する力を持つ私の眷属だ。侵獣の捕獲と解析は類似の侵獣の早期発見と駆除のためにも必要なのだ。それに、今回は母様を元に戻すためにも。クゥオーラは侵獣を飲み込むと、再び私の影の中に戻る。併せて私が纏っていた神器も影に戻して収納する。影を全て元に戻し終えた頃、やっとのことで使徒達も部屋に駆けつけてきた。


「義姉さん……」


 知らせを受けて使徒達と一緒に駆けつけてきた叔母様が氷に包まれた母様を見て絶句する。使徒達も沈痛な面持ちだ。まるで空間ごと切り取られたかのように氷に包まれた母様を、レクトが隔離空間で覆う。母様を覆うその氷の表面には、神界文字で身代金を要求するメッセージが浮かんでいた。

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