9 同意

 潮見が合図をすると、ドクターが装置を操作した。


 シュッと静かな音とともに装置の上部がスライドし、内部が露になる。

 独特の角度でリクライニングしているシート。その周囲はすっぽりとドーム状で、センサーとおぼしきコード類や装置が各所から見えている。


「VR環境に入るにあたって、免責事項に同意をしていただきます。VR体験中、皆さんの身体はドクターの管理下におかれ、いわば全身麻酔と似たような状態と考えてください。危険はありませんが、形式的なステップというものです。そちらの個室ブースでロイヤーが条項を読み上げますから、サインを……」


「VR空間にいる間、あたし達の本当の身体はどうなってるんですか? 麻酔ってことは、寝るの?」


「こうしようという意志、つまり脳波と神経信号だけが読み取られます。それを五感として疑似的にVRで再現するのです。たとえば映像は本体の網膜に直接表示され、音声は骨振動として本体の脳に送られる。まあ、脳を騙しているといってよいですね」


「俺、あのう……光の刺激とかダメなやつなんだけど……」

 と、翔真。


 彩音は、はっとした。

 光の刺激。てんかん、だろうか。

 てんかんの場合には、車の運転や水泳に制限がかかることがあると聞く。

 特待生だった翔真が戻ってきた理由は、その辺りなのかもしれない。


「麻酔って、動けないんでしょ? 俺、薬も飲まないといけないんだけど……」


「ご心配なく。身体的にはこのカプセルで休んでいる状態です。点滴と人工透析で入院生活をしているのと同じ。その間、皆さんの体調はすべてドクターがモニタリングし、投薬もタイムスケジュールに沿って進めますから、むしろ普段より健康的で安全といっていいですねえ」


「あ。翔真は未成年でしょ。こういうのって、普通、保護者の……」

「ああ。翔真君の親御さんには、先ほどもう承諾をいただきましたよ。とはいえ、ちみね国は未成年も心身の成長度に応じて尊重しますので、あとは君次第なんです」


「うん、俺は病気がクリア出来るなら、OK。難しいことはダメだけど。村長が言うんだし、優菜もやるんだろ?」


「ということですが、ノベリストはどうですか」


「うーん……」

 と、優菜は唸った。ためらっているというよりも、楽しんでいるように聞こえる響きだ。

「たとえば、そのVR空間の中で怪我をしたら、どうなるの?」


「そういう感覚はVRを通じて受けますね。ただし本体に影響しないよう、しきい値は設けていますから、過剰な衝撃は本体側に伝わらないよう強制シャットダウンされる仕組みです」


 彩音は口を挟んだ。

「じゃあたとえば、VR内で死んだら、本体は強制的に目覚めて安全?」


「そうですね。ゲームオーバーとして処理されます。しかし、その経験自体はラビットにフィードバック出来るわけですから、無駄ではない」

「まあ、でも、やっぱり死ぬのは嫌かな……」


「ははは、もちろんです。実際はですね、そのためにマスターがいるようなもので。プレイヤーをモニタリングしながら、危険がないようにコントロールしていただきます」


「じゃあ、彩音さんがいるから安心ってわけか。了解、あたしもOKです。元お話書きとして、こんな体験は滅多にないもの。いまフリーターだから、お金ほしいし……」


 潮見が彩音を見た。

「では、あとは彩音さんだ。……いかがです?」


 彩音は疑わしい目を潮見に向けた。

 疑うならどこまでも疑わしい。


 彩音が生んだ、おそらく人類史上最も賢いAIすら超えるようなAIが、昔から神様として祀られていて。

 そのAIが生む、神経活動がリアルタイムに反映されるVR空間などという、彩音の知り得ないレベルの技術。


 何一つ、彩音のエンジニアとしてあるいは人間としての常識では、考えられないことだが。


 翔真と優菜の二人が同意したことには、意外ではあるが。同時に納得もする。


 少なくとも何か普通ではないことが、この先に待っているだろう。


 もし何かおかしなことが起きるのなら。

 なおさら、二人だけを行かせるわけにはいかない。


 ラビットというAIが、潮見の言葉通りの能力だとしたら。

 それに対抗出来る能力があるのは、おそらく彩音だけだ。

「いいでしょう。やります。サインを……」


 潮見はうなずいた。

「ありがとうございます。では、サインをしていただいて、カプセルに入りましょうか。外界から隔絶された眠りへ。

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