7 学習行動

 いよいよ考え込みながら、鍵を手にして彩音がホームを出ると、通りの向かいにある小さな商店から、駆け寄ってくる若い女性がいた。


 OL風の制服姿だが、ちょっとぴっちりふくよかな体形で窮屈そうだ。

 そんな小太りの可愛らしい女性が、はぁはぁと息を切らせながらやってくるのだからコミカルで、彩音は頬を緩ませて潮見に訊ねた。

「あれは……」


「ああ、あちらは、『コンサルタント』です。金融や商業を担当している運用メンバーでして」


 コンサルタントと呼ばれた彼女は、ぱたぱたとやってきた。

「はぁ、はぁ……。ボス、こんな楽しそうなことしてるのに、私を呼ばないなんて。こちらが……マスター。……ハァ……ゲホッ」

 そこでコンサルタントは俯いて息を整えだした。


「やあ。……落ち着いてからでいいですよ。順番が来たらご紹介するつもりでした。彩音さん、コンサルタントは、元証券会社の方で。いや今も、智峰の金融はラビットが主導とはいえ、補佐的に投資家としても活動していただいてますが。直接的な資金繰りや、それに関連した経営指導をしています」


 彩音はうなずいた。なかなか、個性的でアクが強そうな女性だが、どことなく愛嬌があり憎めない。

「投資家さんですか」

「……まあ、会社勤めで運用をやってただけです」


 彩音は確信に駆られてコンサルタントに訊ねた。

「きっと、色々なすごい取引を成功させたことがあるんでしょうね」

「いえ、まあ、そんなたいしたものじゃあ、へへ……」

「そして、何かワケがあって一線を退かないといけなくなった……」


「あ。分かっちゃいました?」

 彩音は何も言わなかった。これまでの運用メンバーの例からすると、同じ法則が当てはまるだろう、と察した通り。


「まあ、懲戒免職、クビなんですよね。えーと。宝石を擬人化した少女を戦わせる『ジェムキター』ってソシャゲがありまして」

「あ。知ってますよ。よくCMとかやってたアレですよね?」


「あのゲームには、コミュニティでレジェンドって呼ばれてた、無課金でランキング1位を守っていた人がいまして。それ、ワタクシなんです。取引を見てる間って結構ヒマなこともあって。その間にポチポチで。会社のWiFi回線使って、充電もぜんぶ会社でってやってたら、就業規則違反で懲戒免職になりまして。あはは。でも、社内でいちばん成績上げてたのは事実なんですけどねー。会社への貢献とか、働き方改革って、なんなんでしょうねー、なんて、あっはっは」


「働き方……。そうですね。特に証券なんて。決まりきった形式で、会社勤めで働く必要もないかもしれない。ほんと、仕事って、場所とか時間とか、成果じゃないものとか。いろんなものに、縛られて。女性には苦しいことばかりで」

「デスヨネ! うわあ、マスターとはなんか気が合いそうです!」

「私も思う」

 彩音は笑った。コンサルタントは気楽な女性のようだ。


 これで、智峰島に集まっている、運用メンバーと呼ばれるタレント達は何人目だろうか。

 ボスの潮見やオーナーの三戸はともかく、それ以外のメンバーは皆、突出した才能や経歴を持っている。自発的かやむを得ない理由かはともかく、それを捨てて智峰島に来ていることも共通点だ。


 極めて優秀な人材が、ここ智峰島に集まっている。

 いずれも特徴的な能力や職務を持っていて、同じ役割の者がいない。

 彩音自身も含めて。


 プレイヤーであるあの二人、アスリートとノベリストの翔真と優菜はどうだろうか。二人も同年代の人間達の中では秀でたタレントだといっていいだろう。

 もっとも、運用メンバーに比べるとやや非凡さには欠けるようには思えるが。


 彩音はさらに思考を深めた。


 チュートリアル的な性格がある、というこのシミュレーション。

 プレイヤー達は、いまこの瞬間も行動しているわけだが。

 チュートリアルというにしては、彩音の行動自体が暗号化に寄与する、など実践的な要素も含まれていることが分かった。


 いったいこれは、なんのためのチュートリアルなのか。


 VR環境に慣れるためのチュートリアル?


 ほぼリアルタイムで神経レベルでの反映が出来る環境で、そんなものが本当に必要なのか?

 実際、彩音は習うより慣れろで、あっという間にこの仮想空間を理解し、すでに自分なりに運用し始めている。


 管理者としての機能面で、多少は頭を使っていることもあるが、いちプレイヤーとしてなら、文字通り参加しているだけで、違和感なくこの空間には親しめる。特別なチュートリアルが必要とはさほど思えないのだ。


 ここまで断片的に与えられてきた、智峰島に関する情報。

 まるで、彩音自身が学習をさせられているような、この感覚。


 これは、このVR空間を理解させるためのチュートリアルなどではない。

 では、彩音に何を学ばせようとしているのか。


 彩音に、ちみね国の基本的な仕組み――軍事・政治・経済・宗教・教育・福祉――を学習させる、それが目的のチュートリアルなのではないだろうか。


 考え過ぎだろうか。


 しかし。


 彩音自身がAIの立場だとする。

 そして潮見が、彩音の開発者のエンジニアだとして立場を逆転して考えてみると、このプロセスは、学習行動そのものといってもいいのではないだろうか。


 世界の基本ルール。

『規範』や『価値観』の教育。

 危機をどう見つけ、どう対処するか。

 対処の優先順。


 そんな発想は、AIエンジニアの彩音だから浮かんだ特異なものだろうか。

 実際は、そこまでの他意はラビット=潮見にはないのだろうか。


 何かが疑わしい。


 プレイヤーの二人。

 彩音と同じように当事者であるプレイヤーの二人は、いま、どう感じているのだろうか。


 翔真達と接触してみたい。

 もしラビットに何らかの密かな意図があるのだとすれば、ラビットにも潮見に知られることなく。

 ラビットが生み出しているこの仮想空間内で、ラビットを出し抜いて、プレイヤーにだけ接触する。

 そんなことは可能だろうか。


 VR空間なのだ。何か方法があるはず。

 いや、この思考すら神経活動として、データ化されてラビットに把握されているのだろうか。

 ラビットが生み出しているデータとしての思考なのだろうか。


 そこまで考えてしまうと、すでに彩音の疑惑も読み取られている、ということになるのだが……。

 少なくともいま目の前にいる潮見の表情は変わらない。


 そのとき彩音は、一つの可能性に気付いた。


 潮見は、ラビットのナビゲーター役として彩音に寄り添っているというが。


 

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