第17話 就職ゴールという考え方

 日本には、ここんとこ中高年のひきこもりが60万人くらいいると、朝のラジオが言っていた。楽しく笑って穏やかに生きることが生業なりわいとならないかな。そんで、教育、医療、衣食住は保障される。僕ら人類は「だれもがあくせく働かなくてもいい世の中」を目指していたのではなかったか?


 生活は便利になり、トイレはおしりを洗ってくれる。冷凍食品はおいしくなり、洗濯機は乾燥までするし、床掃除をするロボットも珍しいことではなくなった。


 出典は忘れたが、子供のころに読んだ本に、あるエスニックジョークが載っていた。それは中国を旅していたドイツ人とアメリカ人が自分の国の技術があればより早く目的地に着くと言い争っているものだった。それを聞いていた日本人が一言、「そうやって節約した時間であなた方は何をするつもりですか?」と尋ねる。2人は言葉に詰まり恥ずかしそうに下を向く。


 ああ、きっとこの日本人は丁髷ちょんまげを結っていたに違いないと思った。


 この話を思い出しては、自分のことをふりかえり、恥ずかしい気持ちでいっぱいになってしまうのだ。ゆるしてチョンマゲ。


 ひきこもることが何だか心苦しいと、ひきこもる人に思わせている世の中では、「就職ゴール」という考え方こそが人々の心に巣食うドグマだ。日本に生きる誰でもがとりあえず就職すればそれがゴール、それが成功、その後も何事もうまくいく。という考え方が、あまりにも無批判に広がっている。昭和の後半までは社会的な実体として就職していればあとは何もしなくても一生会社が面倒を見てくれるということが多かったために就職が(生活保障という意味で)ゴールになりえたことがあったかもしれない。


 しかし、今、「とりあえず、就職。」というこのフレーズは、「とりあえず、ビール。」というフレーズと同じ程度の意味しか持たない。居酒屋に行って、何が飲みたいのか、何が食べたいのかも分からないときに、「とりあえず、水。」とか「とりあえず、俺の分は待って。」と言えない奴は、その場のちっぽけな安心を得るためにとりあえずビールを頼むのかもしれない。本当に大切なのは酒やつまみではなく、一緒にいる仲間とのくだらない会話や時間を一緒に過ごすことそのものであると僕らは本当は知っている。


 20万人の小・中・高の不登校児童・生徒がいて、世の中の人たちの不登校の生徒への考え方もどんどん変わってきている。学校に行かなくてもいいじゃないか。そういう風に心から思う人が増えている。それなら、就職しなくてもいいじゃないかと心から思う人がどんどん増えることだって十分あり得る。

 

 60万人のひきこもりが毎日をこころ穏やかにひきこもれる社会を願っている。

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