第44話 朝チュン兄妹


 喫茶店の地下。

 かすかに漏れる地上の光に照らし出され、両手両足を縛られている女性が、芋虫のように丸まって、床の上に転がっていた。

 女性はときおり、狂ったような、くぐもった声を洩らして、身をよじらせていた。

 異質。

 女性の発している声は、明らかに正気を失っており、聞いているだけで頭がおかしくなってしまいそうなほど。

 なんらかの薬を服用していたのは、火を見るよりも明らかであった。

 女性の下には、その女性から排泄されたであろう、血液やら尿が混じり、びちゃびちゃになっている。

 一目でただ事ではないと感じ、そして、二目でその姿に見覚えがあることに気が付いた。

 俺は脳裏によぎったそれを、瞬時に振り払う。

 しかし、俺の記憶が、本能が、そこに転がっている女性が、みっちゃんであることを告げてくる。

 俺は真相を確かめたかったのか、はたまた、『そんなこと、あるはずがない』と淡い希望を確信に変えたかったのか、おそるおそる、その、転がっている女性のほうへ歩を進めた。

 喉が渇く。

 視界が掠れる。

 足が震える。

 一歩、また一歩踏み出すたびに、目の前の光景が、現実が、俺の脳を激しく殴打してくる。

 やがて女性の垂れ流した液体に差し掛かると、俺の足音はぴちゃぴちゃと音を変えた。

 激しい吐き気が俺を襲うが、俺はそれを必死に押しとどめていた。

 俺はいつの間にか、その女性のすぐ横にまで到達していた。

 ……コレ・・はみっちゃんじゃない。みっちゃんなわけがない。

 俺は意を決すと、足元に転がっていた女性を助け起こし、顔を――





「……あれ?」



 気が付くと、俺は仰向けで寝ていた。

 覚醒して間もないからか、瞼が重くて開けられない。

 背中には床ではなく、布とスプリングの感触。

 俺は今、ベッドの上だということがわかる。

 なんだ、俺は寝ていたのか……?

 ということは、さきほどのは夢か……。


「ホ……」


 俺は胸をなでおろすと、上体を起こそうとした。


「ん……?」


 動かない。そしてなぜか、腕に感触がない。

 寝ている間に、体の下敷きになっていたのだろうか。

 あれ、嫌なんだよね、このあとぜったいシビレるし。

 最近はこの癖、治ったと思ってたんだけど……やっぱり前日に舞い上がったのがダメだったな。

 酒を飲みすぎたせいで、いまもなんか、口の中で酒の臭いが渦巻いてる。

 二日酔いだろう。

 今は目覚めたばっかりであれだけど、あとで猛烈な吐き気と頭痛に苛まれるのだ。

 そう考えただけで、気分が沈む。

 この辺に薬局かなんかあったっけ、はやいとこ二日酔いの薬でも買わないと……、今日一日、吐き気と戦わないといけない。

 ……でも、なんだ?

 片腕だけかと思ったけど、両腕に感覚がない。

 というか、なんか重い。

 何か乗っかっているのだろうか、そして心なしか、ぬくい。

 片方からは人肌を、そしてもう片方からは、もふもふとした毛皮のような感触がある。

 そしていつの間にか、上半身が裸にいなっている。

 寝ている間に脱いだのか、それとも寝る前に脱いだのか、全くわからないし記憶もない。

 どんだけ飲んだんだ、俺は。

 そして一体、今、俺に何が起こっているのだ。

 俺は昨日の晩から今に至るまで、何をしていたのだろうか。

 この閉じている瞼を開けば、それはわかるのだろうか。

 そう思い、俺はおそるおそる目を開けていく。

 ――暗闇。

 どうやら、部屋はカーテンを閉め切っており、真っ暗な状態のようだ。

 手近に明かりか何かがあったと思うが、腕がこんな状態なため、動かすこともできない。

 ただ、すこしだけ動かせることはできるみたいで、俺はずりずりと腕を動かした。



「んん……」



 俺以外の声。

 それも、すぐ近く。

 俺はすぐさま首を動かし、横、声のしたほうを見た。

 目がだんだんと、この部屋の暗闇に慣れてくる。

 ベッドで、上半身裸で寝ていた俺――

 そして、そんな俺の隣にいたのは――


 ユウだった。


 横を向いた俺の唇が、ユウの額にくっつきそうになるほどの至近距離。

 なんでここに!?

 そう思うよりも、まず目に飛び込んできたのは、こいつの格好。

 無防備にも、鎖骨と腕と肩が露出していた。

 脇で布団を挟んでいるが、どう見ても、俺と同じく上半身が裸である。

 そんなユウが、俺の横、至近距離で、俺の腕を枕にして、すやすやと寝息をたてていた。

 いや……、いやいやいや……、いやいやいやいやいやいやいやいやいや!

 え?

 なにこれ?

 一線越えたの!?

 俺が?

 ユウと?

 それはない。

 ないわ。ないない。

 昨日の事、全く覚えてないけど、思い出せないけど、思い出したくもないけど、ないわ。

 ありえないもん。

 なんで俺がこいつに、劣情を抱かなくちゃいけないんだよ。おかしいだろ。

 そりゃ、泥酔してたら、間違いくらいは起こすけどさ、いくらかわいくても、妹だよ?

 いくらいろんなトコロが、他人よりもデカくても、妹だよ?

 ユウだよ?

 ないない。ないってば。 

 ……って、あれ?

 俺……泥酔してたじゃん!

 間違い起こしかねないじゃん! 一線越えかねないじゃん!

 まじかよ。

 こんなの母さんと、親父にどう説明したらいいんだよ。

 ……いや、落ち着け、とりあえず冷静になれ。

 俺はどうやったら、今のこの状況から、抜け出せるのかを考えろ。

 ふむ……、まあ、とりあえず、こいつが起きてくる前に、服を着よう。

 こんな状態を見られたら、どう考えても冤罪は免れない。

 実際、本当のところがどうかはわからないけど、まあ、ありえないだろ。

 俺はユウの頭から、そっと腕を引っこ抜くと、再び上半身を起こそうとした。

 しかし――


「……!?」


 もう片方の腕にも、何かが乗っかっていたのだろうか。

 俺の腕は、その何かに固定される形になっており、俺は再びベッドの上に倒れこんだ。

 俺はおそるおそる、ユウとは逆サイドを見てみた。

 そこには――

 ユウと同じような体勢で――

 俺の腕を枕にしている――

 ビーストがいた。


 えええええええええええええ!?

 どんな状況!?

 どこのプレイボーイだよ!

 一晩のうちに、妹とエンドビーストに手を出すとか……、いや、もはやプレイボーイというよりも、勇者じゃん。

 やった! やったよ、親父! 俺、念願の勇者になれたよ!

 ……なんて言ってる場合か!

 どうすんだよ、マジで。

 何も覚えてないぞ。

 ていうかもう、だれが見ても、明らかじゃないかな。

 明らかに、二人の中間にいる勇者が、勇者しちゃった感じにとられるよね?

 魔王倒しちゃった感じだよね。

 いや、倒したのは魔王じゃなくて、俺のちっぽけな自尊心なわけだけど……って、そんなこと考えてる場合じゃない。

 一刻も早く、ここから、このベッドから出ていかないといけない。

 何事もなかったように、何も過ちなど犯さなかったように、自然に、自然に振舞うんだ。

『あれ? 二人して半裸で寝てたけど、なに? 暑くて寝苦しかったの? いやあ、二人がベッド使うもんだから、俺、ソファで寝ちゃったよ。はっはっは』とかでも言って、誤魔化さないと。

 そして――

 そして、決して、この光景を、ヴィクトーリアやアーニャに見られてはいけない。

 なぜなら――



『ねえ、ヴィッキー、ドアをノックしても、部屋から返事がないんだけど……』


『全く、しょうがないな。いつまで寝ているつもりだ。ユウトのやつ。アネゴ殿が昨日から、帰ってきていないというのに……』



 なに……? みっちゃんが帰ってきていない……?

 どういうことだ、……てよりも、もうすぐそこまで来てたし!

 え? どうする?

 終わり? ここで、俺の旅は終わりなのか?

 いや、考えろ、なにかこの状況を打開するキーが……鍵……、そうだ、鍵だよ!

 俺は用心深い男。

 部屋の鍵は常に、ロックされている状態でないと、安心して眠ることはできない。

 俺は今の今まで、寝ていた。

 ということは当然鍵も――


 ガチャリ。


「む? 扉が開いてしまったな」



 どうやら、昨日の俺は例外だったらしい。

 ロックすら、していなかったらしい。



「意外だね。ユウトさんがここまで不用心なんて……て、ヴィッキー!?」


「なんだ、アーニャ。入らないのか?」


「え? ……でも、いいのかな……」


「だいじょうぶだろう。たぶん」



 そのたぶんはダメだから! ダメなほうのたぶんだから!

 キィ……

 ホテルの廊下から差し込んでくる陽光が、この部屋の惨状をありありと照らし出す。

 無造作に脱ぎ捨てられた衣類、そして、当然のごとく転がっている酒瓶やワインのボトル類。

 そして、哀愁漂うブラやパンツ。

 ……え? なに? こいつら、全裸なの? 上半身だけじゃないの?

 つか、ビーストのやつ、いつのまにあんな……黒のスケスケなんて、買ったんだよ。

 おまえ、魔物だろ。必要じゃ……必要か、デカいんだし。

 嗚呼、今度こそ終わった。

 このまま一生、パーティのメンバーに軽蔑されながら、余生を惨めに生きるんだ。

 あんまりだ。

 俺が何をしたって言うんだ!

 いや、たしかにナニはしたかもしれないけど、それはこの場合、除外するものとする。


 ……いや、まだだ。まだ終わらんよ。俺たちの旅はここからだ。

 こうなったら、多少強引でも構わない。

 腕を引っ張って、すぐに服を着ればいいんだ。

 うなれ、俺の腕力!

 今使わないで、いつ使うんだァ!

 ズリズリ……。

 よし、いいぞ。このまま引っ張れば、何とか間に合うか!?

 幸い、俺の着替えは光速を超える。

 この難所さえ抜ければ、あとは、どうとでも――



「ふにゃ……、あれえ? ご主人にゃ……? にゃんで、ニャーの部屋に……。とにかくおはようなのにゃ」


「な!? ちょ、バカ! やめ――」



 目を覚ましたビーストが、寝ぼけて、俺に抱きついてきた。

 なにか、フワフワして、ポヨンポヨンしたものに包まれる。

 俺は再び、ベッドに背中から倒れこんだ。

 そして、その時が訪れた。



「おーい、ユウト。起き――ヴ!?」

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