第44話 朝チュン兄妹
喫茶店の地下。
かすかに漏れる地上の光に照らし出され、両手両足を縛られている女性が、芋虫のように丸まって、床の上に転がっていた。
女性はときおり、狂ったような、くぐもった声を洩らして、身をよじらせていた。
異質。
女性の発している声は、明らかに正気を失っており、聞いているだけで頭がおかしくなってしまいそうなほど。
なんらかの薬を服用していたのは、火を見るよりも明らかであった。
女性の下には、その女性から排泄されたであろう、血液やら尿が混じり、びちゃびちゃになっている。
一目でただ事ではないと感じ、そして、二目でその姿に見覚えがあることに気が付いた。
俺は脳裏によぎったそれを、瞬時に振り払う。
しかし、俺の記憶が、本能が、そこに転がっている女性が、みっちゃんであることを告げてくる。
俺は真相を確かめたかったのか、はたまた、『そんなこと、あるはずがない』と淡い希望を確信に変えたかったのか、おそるおそる、その、転がっている女性のほうへ歩を進めた。
喉が渇く。
視界が掠れる。
足が震える。
一歩、また一歩踏み出すたびに、目の前の光景が、現実が、俺の脳を激しく殴打してくる。
やがて女性の垂れ流した液体に差し掛かると、俺の足音はぴちゃぴちゃと音を変えた。
激しい吐き気が俺を襲うが、俺はそれを必死に押しとどめていた。
俺はいつの間にか、その女性のすぐ横にまで到達していた。
……
俺は意を決すと、足元に転がっていた女性を助け起こし、顔を――
◇
「……あれ?」
気が付くと、俺は仰向けで寝ていた。
覚醒して間もないからか、瞼が重くて開けられない。
背中には床ではなく、布とスプリングの感触。
俺は今、ベッドの上だということがわかる。
なんだ、俺は寝ていたのか……?
ということは、さきほどのは夢か……。
「ホ……」
俺は胸をなでおろすと、上体を起こそうとした。
「ん……?」
動かない。そしてなぜか、腕に感触がない。
寝ている間に、体の下敷きになっていたのだろうか。
あれ、嫌なんだよね、このあとぜったいシビレるし。
最近はこの癖、治ったと思ってたんだけど……やっぱり前日に舞い上がったのがダメだったな。
酒を飲みすぎたせいで、いまもなんか、口の中で酒の臭いが渦巻いてる。
二日酔いだろう。
今は目覚めたばっかりであれだけど、あとで猛烈な吐き気と頭痛に苛まれるのだ。
そう考えただけで、気分が沈む。
この辺に薬局かなんかあったっけ、はやいとこ二日酔いの薬でも買わないと……、今日一日、吐き気と戦わないといけない。
……でも、なんだ?
片腕だけかと思ったけど、両腕に感覚がない。
というか、なんか重い。
何か乗っかっているのだろうか、そして心なしか、ぬくい。
片方からは人肌を、そしてもう片方からは、もふもふとした毛皮のような感触がある。
そしていつの間にか、上半身が裸にいなっている。
寝ている間に脱いだのか、それとも寝る前に脱いだのか、全くわからないし記憶もない。
どんだけ飲んだんだ、俺は。
そして一体、今、俺に何が起こっているのだ。
俺は昨日の晩から今に至るまで、何をしていたのだろうか。
この閉じている瞼を開けば、それはわかるのだろうか。
そう思い、俺はおそるおそる目を開けていく。
――暗闇。
どうやら、部屋はカーテンを閉め切っており、真っ暗な状態のようだ。
手近に明かりか何かがあったと思うが、腕がこんな状態なため、動かすこともできない。
ただ、すこしだけ動かせることはできるみたいで、俺はずりずりと腕を動かした。
「んん……」
俺以外の声。
それも、すぐ近く。
俺はすぐさま首を動かし、横、声のしたほうを見た。
目がだんだんと、この部屋の暗闇に慣れてくる。
ベッドで、上半身裸で寝ていた俺――
そして、そんな俺の隣にいたのは――
ユウだった。
横を向いた俺の唇が、ユウの額にくっつきそうになるほどの至近距離。
なんでここに!?
そう思うよりも、まず目に飛び込んできたのは、こいつの格好。
無防備にも、鎖骨と腕と肩が露出していた。
脇で布団を挟んでいるが、どう見ても、俺と同じく上半身が裸である。
そんなユウが、俺の横、至近距離で、俺の腕を枕にして、すやすやと寝息をたてていた。
いや……、いやいやいや……、いやいやいやいやいやいやいやいやいや!
え?
なにこれ?
一線越えたの!?
俺が?
ユウと?
それはない。
ないわ。ないない。
昨日の事、全く覚えてないけど、思い出せないけど、思い出したくもないけど、ないわ。
ありえないもん。
なんで俺がこいつに、劣情を抱かなくちゃいけないんだよ。おかしいだろ。
そりゃ、泥酔してたら、間違いくらいは起こすけどさ、いくらかわいくても、妹だよ?
いくらいろんなトコロが、他人よりもデカくても、妹だよ?
ユウだよ?
ないない。ないってば。
……って、あれ?
俺……泥酔してたじゃん!
間違い起こしかねないじゃん! 一線越えかねないじゃん!
まじかよ。
こんなの母さんと、親父にどう説明したらいいんだよ。
……いや、落ち着け、とりあえず冷静になれ。
俺はどうやったら、今のこの状況から、抜け出せるのかを考えろ。
ふむ……、まあ、とりあえず、こいつが起きてくる前に、服を着よう。
こんな状態を見られたら、どう考えても冤罪は免れない。
実際、本当のところがどうかはわからないけど、まあ、ありえないだろ。
俺はユウの頭から、そっと腕を引っこ抜くと、再び上半身を起こそうとした。
しかし――
「……!?」
もう片方の腕にも、何かが乗っかっていたのだろうか。
俺の腕は、その何かに固定される形になっており、俺は再びベッドの上に倒れこんだ。
俺はおそるおそる、ユウとは逆サイドを見てみた。
そこには――
ユウと同じような体勢で――
俺の腕を枕にしている――
ビーストがいた。
えええええええええええええ!?
どんな状況!?
どこのプレイボーイだよ!
一晩のうちに、妹とエンドビーストに手を出すとか……、いや、もはやプレイボーイというよりも、勇者じゃん。
やった! やったよ、親父! 俺、念願の勇者になれたよ!
……なんて言ってる場合か!
どうすんだよ、マジで。
何も覚えてないぞ。
ていうかもう、だれが見ても、明らかじゃないかな。
明らかに、二人の中間にいる勇者が、勇者しちゃった感じにとられるよね?
魔王倒しちゃった感じだよね。
いや、倒したのは魔王じゃなくて、俺のちっぽけな自尊心なわけだけど……って、そんなこと考えてる場合じゃない。
一刻も早く、ここから、このベッドから出ていかないといけない。
何事もなかったように、何も過ちなど犯さなかったように、自然に、自然に振舞うんだ。
『あれ? 二人して半裸で寝てたけど、なに? 暑くて寝苦しかったの? いやあ、二人がベッド使うもんだから、俺、ソファで寝ちゃったよ。はっはっは』とかでも言って、誤魔化さないと。
そして――
そして、決して、この光景を、ヴィクトーリアやアーニャに見られてはいけない。
なぜなら――
『ねえ、ヴィッキー、ドアをノックしても、部屋から返事がないんだけど……』
『全く、しょうがないな。いつまで寝ているつもりだ。ユウトのやつ。アネゴ殿が昨日から、帰ってきていないというのに……』
なに……? みっちゃんが帰ってきていない……?
どういうことだ、……てよりも、もうすぐそこまで来てたし!
え? どうする?
終わり? ここで、俺の旅は終わりなのか?
いや、考えろ、なにかこの状況を打開するキーが……鍵……、そうだ、鍵だよ!
俺は用心深い男。
部屋の鍵は常に、ロックされている状態でないと、安心して眠ることはできない。
俺は今の今まで、寝ていた。
ということは当然鍵も――
ガチャリ。
「む? 扉が開いてしまったな」
どうやら、昨日の俺は例外だったらしい。
ロックすら、していなかったらしい。
「意外だね。ユウトさんがここまで不用心なんて……て、ヴィッキー!?」
「なんだ、アーニャ。入らないのか?」
「え? ……でも、いいのかな……」
「だいじょうぶだろう。たぶん」
そのたぶんはダメだから! ダメなほうのたぶんだから!
キィ……
ホテルの廊下から差し込んでくる陽光が、この部屋の惨状をありありと照らし出す。
無造作に脱ぎ捨てられた衣類、そして、当然のごとく転がっている酒瓶やワインのボトル類。
そして、哀愁漂うブラやパンツ。
……え? なに? こいつら、全裸なの? 上半身だけじゃないの?
つか、ビーストのやつ、いつのまにあんな……黒のスケスケなんて、買ったんだよ。
おまえ、魔物だろ。必要じゃ……必要か、デカいんだし。
嗚呼、今度こそ終わった。
このまま一生、パーティのメンバーに軽蔑されながら、余生を惨めに生きるんだ。
あんまりだ。
俺が何をしたって言うんだ!
いや、たしかにナニはしたかもしれないけど、それはこの場合、除外するものとする。
……いや、まだだ。まだ終わらんよ。俺たちの旅はここからだ。
こうなったら、多少強引でも構わない。
腕を引っ張って、すぐに服を着ればいいんだ。
うなれ、俺の腕力!
今使わないで、いつ使うんだァ!
ズリズリ……。
よし、いいぞ。このまま引っ張れば、何とか間に合うか!?
幸い、俺の着替えは光速を超える。
この難所さえ抜ければ、あとは、どうとでも――
「ふにゃ……、あれえ? ご主人にゃ……? にゃんで、ニャーの部屋に……。とにかくおはようなのにゃ」
「な!? ちょ、バカ! やめ――」
目を覚ましたビーストが、寝ぼけて、俺に抱きついてきた。
なにか、フワフワして、ポヨンポヨンしたものに包まれる。
俺は再び、ベッドに背中から倒れこんだ。
そして、その時が訪れた。
「おーい、ユウト。起き――ヴ!?」
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