第37話 女頭目


 木製のどっしりとした扉。

 俺はテッシオさんに連れられて、『マザー』とやらがいる、部屋の前で待たされていた。

 テッシオさんが言うにはどうやら先客がいるようで、中からなにやら話し声が聞こえてくる。

 なら、話が終わるまで連れてくるなよ! 俺の時間は無限じゃないんだよ! 有限なんだよ! 有限会社なんだよ!

 ……なんて、言おう思ったけど、思っただけで言えなかった。

 怖いからね。しょうがないね。

 俺は特にやることがないので、仕方なく、扉の向こうから聞こえてくる話に耳を傾けてみた。



『――取引はするが、本心では気に入らない。君も、君の組も、全部だ』


『……役員さん。偽善はお互い同じだ。でも、組の悪口は許さないよ』


『……わかった……。わかったよ。人には皆、事情がある。……お互いにな。文句はあるまい。君も儲かる。明日までに答えと金を。それと、もうひとつ、二度と、私に接触するな。……以降、連絡は秘書にしてくれ。……おい、開けろ』


『タタリーアさん。今、返事をしよう』


『………………』


『あんたに払う金は――ない。取得料も払わん。許可は頂くが』


『フン。失礼する』



 ……ん? なんだ? 会話は終わったのか?

 途中からしか聞いてなかったけど、なんか取引でもしていたのだろうか?

 そしてどちらの声も、女性の声だった。

 どちらも怒声や怒号を発する感じではなかったから、たぶん、飯事ままごとかなんかをしていたのだろう。

 ていうかもう、飯事しておいてほしい。

 でも、やっぱりヤクザの商談って言うと、碌なもんじゃないからな。粉とか武器とか土地とか、どうせならビーストみたいにトマトの取引しておいてほしい。

 ……それにしても、マザーってどんな感じの人なんだろうか。

 世界的な裏組織の頭でこんな取引してるんだから、おっかない人なんだろうな……、たぶん、というか絶対、眼帯はしてるな眼帯。

 そんでもって、全身に刺青タトゥー彫ってて、隻腕で、義手の代わりにハンガーの先っちょみたいなの取り付けてて、週末にはハイキングと称して、殺した人を山に埋めに行くとか、そんな極悪非道なおばさんなんだろうな。

 て、あれ? よくよく考えてみると、俺、そんな怖いおばさんの話を立ち聞きしちゃったんだよね、俺? これ聞かなかったほうがいいんじゃない? 今からどっかに、頭を強く打ち付けたほうがいいんじゃないの? 忘れたほうがいいんじゃないの?

 おそるおそる、テッシオさんのほうへ視線を向けるが、腕を組んだまま、目をつぶって、壁にもたれている。

 どうやら、テッシオくんは精神統一してるみたいだ。

 なんだ、心配して損し――

 ガチャリ。

 扉が開き、部屋の中から隻眼隻腕、全身入れ墨のおばさんが出てきた。

 目が合うや否や、俺の全身の筋肉という名の筋肉が震え、ぶわっと汗が噴き出る。



「キャアアアアア!! ゴメンナサァァァァイ! ヤメテェェェェ!? 何も聞いてないから、殺さないでェェ!!」



 気が付くと俺は一心不乱に、まるで火を起こすくらいの勢いで、額を床にこすりつけていた。

 やばいじゃん。想像通りじゃん。

 ハイキングコースだよ、生き埋め確定だよこれ。

 なんだよこれ、こんなに怖いんなら、強がってないで、ユウをお供に付けたらよかった。



「大将……、何やってるんで?」


「……え?」





「あっはっはっは! 悪いね、お客さん。こりゃ、嫌なところを見られたもんだ!」



 俺の目の前で、脚を机に投げ出し、豪快に笑っているのは人こそはビト組の組長。

 ゴッドマザーと呼ばれている、ミシェールさんだ。

 年齢は俺が想定していたよりもはるかに若く、どう見ても、二十代にしか見えない。

 右腕と呼ばれているテッシオさんよりも、一回りどころか、二回りほど若い。

 そして、なによりもビックリしたのが、黙っていれば、そこら辺にいる女の子と大差がないほどに、外見が凡庸だということだ。

 ……いや、凡庸ではないな。

 そこら辺にこんな綺麗な人がいたら、さすがにやべーか。盛ったわ。ちょっと盛った。うん。

 黙ってたら、ただの綺麗なお姉さんって感じ。清楚系の。

 花屋の綺麗なお姉さんとか、冒険者の酒場の受付嬢とかやってそうな感じ。

 顔つきはこの世界にいるからか、眉間にしわを寄せたりして、少しきつめだけど、どことなく表情は柔らかい。

 それこそ、初対面の時に、ヴィクトーリアに感じた威圧感みたいなものは感じられなかった。

 髪は黒く、長い髪を後ろで結っている。なんていったっけ……、そう、夜会巻きだったか。

 服装は他の構成員と同じで、黒服だ。



「おやおや、なんだい、どうしたんだい? 固まっちゃって。別に取って食おうってんじゃないよ。楽に構えな」


「え、あ、いや……そんなわけには……」


「マザー。それ、俺がさっき言いました。カブってます」


「はあ!? どうでもいいだろ、んなこたぁ。第一、あたしゃ今、客さんと話してんだよ。おまえは邪魔だからどっか行ってなァ!」


「いやいや、俺が見てねえと、まじでマザーが何するかわかんねえんで……、客を死なせちゃ、ビト組の先代にも申し訳が立たんでしょ」


「……なんかうっせえな、こいつ」


「うるさくないっす。どっちかっていうとマザーのが、さっきからうるさいっす。なんすか、ガンガンガンガン。口内工事中ですか?」


「……あれ? なんかあたし、イライラしてきたんだけど。これ発散させないとアレだよね? アレがあーなって、しまいにゃ爆発しちまうやつだわな。おまえで発散させてやろうか? 今、ここで」


「イヤですよ、なに寝ぼけてんですかぃ」


「大丈夫だ。今なら半殺しで許してやっから」


「ヤレヤレ……、なにをカリカリしてんすか。もしかしてマザー、あの日なんすか?」



 ガギィン!

 目の前で悠々と踏ん反り返っていたミシェールさんが、突如視界から消えた。

 そして、背後から、金属と金属とが激しくぶつかり合う音。

 俺はおそるおそる振り返って見てみると、ミシェールさんとテッシオさんが手に持った剣で、鍔迫り合いをしていた。



「ちょっとマザー、お客さんのまえで何やってんすか」


「ああ、ちょっとビト組名物の、合戦稽古をお披露目してやろうと思ってね」


「そんなのお披露目するよりも、もっと大事なことがあると思うんですがねえ」


「わかってるよ。ただその前に、生意気な部下の血が見たくなってね」


「なんだ。血なら今の時期、便所で嫌ってほど見れるんじゃないっすか?」


「まだ言うかァァァ!!」



 なんだこれ、俺、どうしたらいいの?

 会話の内容からして、非があるのは完全にテッシオさんだけど、なに? マジで俺、合戦稽古とかいうの見なきゃいけないの? 帰っちゃダメなの?



「マザー、マザーってば」


「なんだい? そろそろラクになりたいのかい?」


「お客さん、ドン引きしてますぜ」



 テッシオさんの指摘にハッとしたのか、ミシェールさんは俺の顔を見るなり、恥ずかしそうに剣を鞘に納めた。



「す、すまなかったね。さ、テッシオ。とっとと出てっとくれ」


「……へい」



 テッシオさんはそれだけ返事をすると、剣を納め、部屋から出ていった。



「まずは謝れせてくれ。今回はうちのモンが迷惑をかけた。すまなかった」



 ミシェールさんはそう言うと、深々と頭を下げて俺に謝った。

 俺はその、あまりにも突然の事に、面食らってしまう。

 あのビト組のトップが俺に頭を下げている。

 なんというか、すごく現実味のないこの現実に、俺はただ、目を白黒させながら、ミシェールさんの後頭部を見つめていた。



「とまあ、悪ふざけはここまでにしておこうかね。どうも、兄さんからはあたしらと同じ、堅気じゃないニオイ・・・がプンプンするんだよ。……もう、だいたいわかってるんじゃないのかい? あたしがなんで、兄さんをここに呼びつけたのか……、いや、お越しいただいたのか……」


「わかんないです……」


「そうかい、わかんないかい。……なら、ユウト・・・さん、腹割って話し合いましょうか」

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