第28話 森林浴
「はぁっはぁっはぁ、ぜえっぜえっぜえ」
俺は今、大自然というやつを存分に満喫している。
魔物を退治するという大義名分を背負った俺たちは、未開の森の中をひたすらに突き進んでいた。
手入れのされていない草木特有の青臭さが鼻腔をくすぐり、息をする度に、鬱陶しいほどのマイナスイオンが俺の肺を駆け巡る。
まさにこの大自然は、その有り余る健全さでシティボーイである俺を、本格的に浄化しようとしていた。
やばい。
大自然に囲まれて死ぬのか、この俺は。
これが文明の利器に魂を売った、男の末路だとでもいうのだろうか。
悪い所を浄化されてしまったら、もう俺という個はいなくなってしまうというのに……!
「ユウトさん、だいじょうぶですか? 休憩しましょうか?」
俺を気遣ってか、アーニャが草をかき分け、枝を押し退け、俺を見上げてきた。
俺よりも遥かに発達した、文明の国の少女の顔には、一切の疲労が感じられなく、ただただ、俺を心配して見上げているだけであった。
「も、問題……ないっす……よゆーよゆー……」
虚勢か見栄か、はたまたただのやせ我慢か、俺は掠れに掠れた声を喉から絞り出した。
そのすぐ後方を見てみると、ヴィクトーリアとユウもなんだか俺を、死刑宣告された死刑囚を見るような目で見てきていた。
そうすかそんなにやばいんすか……。
「ユウト、その……無理はしないほうがいいぞ」
「おにいちゃん。おんぶしてあげようか?」
「……おい、いま、なんつった……?」
「おんぶ」
「………………」
「な、なんでこっちを見るんだ!? わたしがユウトをおぶるわけがないだろう! い、いい加減にしろ!」
「フ……、休むか……」
「そんなに汗をかいて恰好つけるな」
◇
カリカリカリ……。
ヴィクトーリアが黙々と、平たい石の表面に、チョークで錬成陣を描いていっている。
円を二重に描き、円と円の間に何かよくわからない、うにょうにょとした文字。
その中に
ヴィクトーリアはそれらを描き終わると、葉っぱで出来た器を錬成陣の中心に置き、器の中にそこら辺でもいだ雑草を入れた。
次に懐から乳白色の液体の入った試験官を取り出すと、葉っぱの器……その中に入っている雑草に垂らした。
ぴちょん――
液体は雑草と交わると、錬成陣がボヤッとした光を放った。
「うん、できた」
ヴィクトーリアそう言って、葉っぱの器を俺に差し出してきた。
差し出された器の中には、透明の、澄んだ水が並々と注がれていた。
ゴクリ――
おもわず喉が鳴る。
俺はそれを受け取ると、恐る恐る口へと運んでいった。
「どうだ? ユウト? うまいか?」
これ以上ないほどにヴィクトーリアさんが、至近距離で俺の顔を覗き込んでくる。
俺はこれに対して、何と言えばいいのだろうか。
『ヴィクトーリアちゃんから抽出されたお水、おいちいのー!』
とか言ったらどうなるのだろうか。
もちろん、そんなことは口が裂けても言えないが……ぶん殴られるのだろうか……軽蔑されるのだろうか。
「ん? どうしたユウト? ん? ん?」
「うん。……まあ、真水……だよな」
「ほんとか!? やったぁ!」
ヴィクトーリアはとても嬉しそうに、アーニャとユウとハイタッチをしてみせた。
どうやらあの老夫婦は、ヴィクトーリアの錬金用のチョークと、錬金液は盗らなかったようだ。
まあ、端からみれば、あのふたつは高価なモノには見えないからな。
それ自体を知っていなければ、無理もない。
でも、それよりも、俺が驚いていることがある。
――この子、成長しすぎじゃね?
いくらなんでも、物覚えが良すぎる。
いまの錬成だって、教本なしでやってみせたのだ。
しかも、ただの雑草から水に変えるという……なんというか、流石だとしか……。
「すごいよなヴィクトーリア。もうほとんどの物は錬金できるのか?」
「うーん、自分の役に立ちそうなものから覚えたからな。その中にたまたま、水を生成する方法があったってだけなんだ」
「いやいや、謙遜することはないって。ただでさえ錬金術師なんて少ないのに、短時間でここまで出来てるんだからさ」
「いやぁ……ははは……なんというか、もっと褒めてくれっ!」
「よしよし。いい子いい子」
「あ、頭は撫でるな。みんなが見てると……、その、恥ずかしいではないかっ」
思わず適当に撫でてみたけど、思いのほか好感触。
てか、みんなが見てなかったらいいのかよ……。
「おにいちゃん、おにいちゃん」
ユウに呼ばれて、視線を向ける。
すると、なにか物欲しそうに、頭を俺に向けてきていた。
「……よしよし」
「あ……っ」
「なんだよビックリしたような顔して」
「ううん……ありがとう」
俺は頭をなでるふりをして、手元にあったゴムでユウの髪を全て頭頂部へと集めた。
「ぷっ」
「ちょ、ちょっと、ユウトさん……!」
「おにいちゃん……?」
オニオンヘア。
ユウの髪の毛という髪の毛を、すべて頭頂部へと集めてみせた、俺渾身の一作だ。
この鬱蒼と草木が生い茂る森の中では、とてもお似合いだ。
「よく似合ってるぞ、ユウ」
「ほんと? おにいちゃん?」
「ああ、カムフラージュってやつだな。他の玉ねぎさんが、おまえを放ってはおかないだろう」
「うれしい。ありがとう、おにいちゃん」
「
「まあ、これで頭の血行も良くなって、すこしは人間らしい考えもするようになるだろう」
「……ひとつ訊いていいか? ユウトにとって、ユウとは何なんだ……」
「狂犬か、もしくはそれに準ずる猛獣……?」
「はぁ……、ユウが可哀想だ」
「そんなこと言って、ヴィクトーリアだって噴き出してたじゃん」
「あ、あれは……、仕方ないだろう!」
「ほらほら、みなさん。あんまりおしゃべりしている暇はありませんよ?」
「おら、アーニャちゃんの言う通りだ。私語を慎め、ヴィクトーリア」
「そ、それはユウトが……はぁ、もういいや……」
「今現在、わたしたちはキバト村を出て、北西の森へと足を延ばしているわけですが……」
「うん、まあおかしいよね。この道程をあの老人が歩いて来れたとも思えない」
「あれ? そういう話なのか? てっきり、わたしは方角の確認をしているのかと……」
「わ、わたしもなのですが……」
「うん、そっかぁ。他意はなかったのね。心が汚れていたのは、俺だけだったって話かぁ」
「大丈夫だよ、おにいちゃん。あたしはおにいちゃんの心が、清らかだって知ってるから」
「嬉しくはない。けど、ありがとな。嬉しくはないけど」
「えへへ……」
「は、話を戻しますね? 今現在、わたしたちは村から北西の森へとやってきています。距離にして、だいたい三十分くらい歩いたでしょうか」
「ええ!? まだそれだけしか歩いてないの? デジマ!?」
「……正確には、まだ三十分すら経っていないぞ。ちょっと、体力が足りないんじゃないのか?」
「ム。たぶん、顔に布を巻いているからじゃないかな。そうじゃなきゃ、こんな森、焼け野原にしてるところだからな」
「焼け野原にしてどうするんだ。焼け野原に……」
「焼け野原……」
ユウが顎に手を当てて、なにかを考え始めた。
どうせ碌でもないことだろうが、触らぬ神に祟りなし。
俺はユウからそーっと視線をずらした。
「えっと、それであのおふたりから教えていただいた目安が、だいたい三時間ほどのところにあるということ。つまり、わたしたちが歩いてきた距離は単純計算で、六分の一ほど。三十分の度にこうやって休憩をとるとして、目的地に着くのはそれなりの時間になってしまいます。そのうえ、もしもの時の場合に備えて、体力を残しておかなければならないうえ、帰り道も計算にいれなければならないのです。今は大体、太陽が真上にあるので、だいたい正午前後でしょう。ですから、この――」
「ちょ、ちょっと待って、アーニャちゃん」
「へ? はい、なんでしょうか、ユウトさん」
「さっきから聞いてると、どう考えても俺が無能――」
俺が無能な上、足手まといであると言っているように聞こえたが、なんだか、アーニャちゃんに罵られているようで興奮したから、良しとしておこう。
というか、そもそもアーニャちゃんが俺に対して、そんな事をおもわず口にはしても、そういう風に考えているはずがないからな。……なんてったって、天使なんだから。
「どうかいたしましたか? なにか仰っていませんでしたか?」
「なんでもないよ、ハハハ」
「いえ、しかしさきほど、むの……なんとか、と……?」
「いや、ちょっと、むの……無農薬栽培の野菜が恋しいなーって」
「まあ、ユウトさんはオーガニック志向なのですね。なるほど、お体には気を遣っておられるのですね……。うふふ、とても良いことだと思います」
「ま、まあね……」
ほんとはゴリゴリのジャンクフード好きです……。
「それはそれとして、もうこれ以降休憩は挟まなくていい。今日の目的は日暮れまでにキバト村に帰ることにしよう」
「え? ……で、ですが……」
「大丈夫」
ホントはこれしたくなかったんだけどな……こんなところに二日もいたくないしな。
「……ユウ」
「なあに?」
「こっちに来なさい」
「……うん。わかった」
……なんでこいつは、頬を赤くしてんだ?
それで、なんでヴィクトーリアは「まさか、こいつ」みたいな顔してんだ。
ちげえよ!
「ユウ、俺に背を向けて、ちょっとしゃがみなさい」
「はい。……ねえ、おにいちゃん?」
「なんだ?」
「パンツはどうする?」
「バーカ! バーカ! 穿け! 穿いてろ! 一生脱ぐな!!」
……たく、ロクでもねえな、こいつ。
杖なしだと、多少効力は落ちるけど――
「脚力強化、
俺はユウの大腿部をスッと撫でる。
触れた瞬間、なぜかユウはビクッと震えたが、俺の意図がわかると、そのまま動かなくなった。
「――さて、これで大丈夫だろ」
「なんだなんだ? ユウトは一体、なにをしたんだ?」
なぜかヴィクトーリアは食い気味で俺に問いかけてくる。
何を期待してるんだ、こいつも。
「背に腹は代えられなからな。おぶってもらうことにした」
「なるほど……」
「俺の体重はまあ……、そんなに軽くはないけど、重いほうでもない。だから、こうやって付与魔法をかけてやれば、俺一人くらいなら重さは感じないってわけだ。まさに異心同体。……よっと。どうだ? ユウ? 重いか?」
俺はユウに背に跨ると、後頭部越しに話しかけた。
若干の恥ずかしさもあるけど、迷惑をかけるくらいならどうってことはない。
さらに、付与魔法によってユウも疲れなくなるしな。
「ううん、全然重くないよ。けど……」
「けど?」
「背中に、おにいちゃんのおにいちゃんを感じる」
「ド下ネタかよ! やっぱ降り――」
あ、脚が動かない。
ユウは両腕で、ガシッと俺の足を固定してきていた。
なんつー馬鹿力だこいつ! 俺の足をうっ血させるつもりか!
「ちょうどよかったです。これなら、予定よりも早く着きそうですね」
「え? マジでこれで行くの?」
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