第16話 アムダの大神官
アムダの神殿地下二階。
……おかしい。
静かすぎやしないか?
ここはもっと、なんというか、神官たちが忙しなく動いている場所のはずだ。
事務所があるはずだし。
それが、一人も見えない。それどころか、気配すら感じない。
それに、地下一階から地下二階につづく階段に、なにやら立ち入り禁止の立札も立ててあった。もちろん無視して進んできてはいるが……。
そしてなにより気になったのは、鼻腔をくすぐるこの不快な臭い。
これは……血と油のにおい。
それも、魔物のような刺激臭ではなく、どちらかというと
しかも、これは相当な数だ。
一人や二人などではない。十人以上は――
「!?」
俺は目を疑った。
地下二階への階段を下りた先にある、長い廊下の突き当り。
遠くからではその全貌がわからなかったが、近づくにつれ、その全容が、臭いがあるひとつの事実を指し示していた。
大量の人間の死体。
そこにはなんと、神官たちの死体が山のように積み重なっていたのだ。
ここで行われたのは、無慈悲の虐殺。
どれもこれも廊下側を背に息絶えていた。
そして、この腐敗臭からして、死後数時間のものではないことが判明した。
なんだ?
どうなっているんだ?
アムダの神殿で一体、何が起こっているんだ?
「……ッ!」
そこで、脳裏に浮かびあがったのは、三人の顔。
三人が危ない!!
俺が踵を返そうとすると――
『そこに、誰かいるのですか……?』
と、背後から何者かに呼び止めれた。
俺を呼び止める声。
それも若い男の声。
死体はしゃべらない。ということは……俺はこれに対し、返事をすることを迷った。
理由はふたつある。
ひとつ、俺は戦えないからだ。
もし、返事をして俺がいることがわかったら、そいつが襲い掛かってくるかもしれない。
いま息絶えているこの神官たちと、同じようになってしまうかもしれない。
どう見ても、この状況は普通じゃない。何が起こっても、不思議ではないのだ。
これが誰による仕業かも、何が目的なのかも、そして、どうやって死体を積み上げたのもわからない。
なにひとつとしてわからない。
そうなってしまうと、後手に回らざるを得なくなる。
単体での戦闘力皆無の俺が、ここで襲われでもしたら、それこそ終了。ジ・エンドだ。
そしてふたつ目、これが一番の理由。
ここから一刻も早く出たかったからだ。
ここでもし返事をして、声の主に悪意が無かったことがわかっても、その時点ですでに時間のロスだ。
新手が階段を下って、ここへやってくるかもしれないし、そもそも、声の主は
そう、だからここで俺が選択すべき行動は、この声を無視して――
「お願いです! ここから出してください!」
「………………」
無言。
なんだ、囚われてるのか……?
しかし、それが罠じゃないという保証もない。
「この惨状を見て、警戒なされているのはわかります! しかし、私はここの大神官です! どうか、どうか助けてはいただけませんか?」
「………………」
第一、なんで俺が助けてくれるやつだと思ってんだよ。魔物とかだとは、欠片もおもわねえのか? この大神官様は? その時点で怪しい。
……はあ、もういいか。考えるのも馬鹿馬鹿しい。
そろそろ行かないと、まじめに三人が危ないかもしれない。
悪いな、大神官様とやら。
俺はここでまごついてる暇はねえんだ。一刻も早く上階へ戻って、あの三人のところへ行かないと。
「もしここから出してくれれば、きっとお礼をいたします! アムダの総本山がしこたまため込んでいる金銭を、すべてお譲りいたしま――」
「うおっけぇーい!!」
「! や、やはり、どなたかいらしていたのですね! ここです! 部屋の中です!」
はっ!? やってしまった!
金銭を全部くれるという悪魔のようなワードに、俺のハートが震えてしまった。
やってしまったことは仕方がない。このまま魂のビートを刻むしかないか……。
「おい、あんた! 部屋の扉が神官たちの死体で隠れてて、とてもじゃないけど入れない。どうしたらいい?」
「とてもじゃないなら、根性で何とかしてください!」
無茶を言うな、この大神官様(仮)は。
「無理だ! 根性で何とかなるんなら、もうとっくにしてる!」
「……そこに、侵入者撃退用の罠があるはずです! なにか、ボタンのようなものが見えませんか!?」
「ボタンって言われても……」
そう言われて、俺は鼻をつまみながらあたりを見まわしてみる。
死体、死体、血だまり、死体、死体、死体……。
それ以外には何も見えない。第一、侵入者撃退用の罠だろ?
それって、俺危なくねえか? 大丈夫か?
……そう考えていると、死体の山のすこし横。
部屋の扉の横に、小さな、呼び鈴のようなボタンが備え付けられてあった。
怪しい……けど、ボタンっていったらこれしかないんだよな。
「なあ! 大神官様! 扉の横に、呼び鈴ぽいのがあるんだけど!」
「そう、それ! それです!」
やはりこれか。
どうする? 押すか? いや、押すだろ。ここまで来たんだから。
逆にどうやったら、押さないって選択肢ができるんだよ。
よし、押すぞ! 押すからな!? 押す! 押すんだ! いくぞ! さあ、押 せ! 俺! 押せ!
「押せよ!」
部屋の向こう、大神官様(仮)が俺に向かって怒鳴りつけてきた。
その気迫に気圧され、俺はとうとうボタンを押してしまった。
……しかし、何も起きない……?
「ああ、そうそう。ただ、押すときに気をつけてくださいね! ――死にますから!」
「へ」
大神官様(仮)の声に呼応するようにして、ガチャコンと円筒の物が天井から出てくる。
次の瞬間――
ボゴォォォォォォォォォォォォ!!
大火力の青炎が、死体を焼いていった!
なんとかして難を逃れた俺は、端に寄ってその光景を見守ろうとするが――
「オエッ……! オエエエエエエエエエエエエエ!?」
なんだ、この刺すような刺激臭は!?
鼻から全身に抜けて、頭を凌辱されたような感じ。
気持ち悪い。視界が揺れる。呼吸したくない。
なにより、目が開けられない。
全身が全霊で、ここに居ることを拒否している。
一刻も早く、ここから逃げ出してしまいたい。
それでも、俺をここに縛り付けているのは大神官様(仮)との約束か、はたまた足が竦んで動けないでいるのか。
結局俺は、永遠とも思えるその永い地獄を前に、直立不動で立ち尽くしていた。
◇
そこにあった死体がすべて黒焦げの焼死体と化したのは、時間にしておよそ数分。
それほどまでに、侵入者撃退用の罠というやつの火力は優秀だった。
そして、人間の慣れというものは怖いもので、あれほどまでに体が、頭が拒絶していた臭いさえも、今はなんら感じなくなっていた。
俺は焦土と化してしまった待機所前廊下で、ただ作業のように、待機所の扉を開けた。
あれほどの火力を受けたにも拘らず、扉は健在で、ドアノブはびっくりするほど冷たかった。
ギィ……。
俺はノブを回し、おそるおそる待機所内へと入っていった。
そこにはなんと、薄黄色い球体の中に閉じ込められている大神官様(?)がいた。
球体は物理的なものではなく、魔法によって生成されているのか、時折『ブゥン』と輪郭が朧気になっていた。
そしてその中心、緑色と白色の十字架が描かれている帽子。
真っ白い神聖そうなローブ。
顔は残念ながら、目元爽やかなイケメンである。
年のころは俺とあまり大差ないように見てとれた。
「無事だったのですね、ここです、助けてください!」
「……いや、助けてくださいって言っても……」
「この魔法牢に触っていただければ、それでいいのです。どうか、お願いいたします」
「いや、なんかこれ触って、また死にそうになったりしない?」
「……はい。問題ありません」
「いや、一瞬言い淀んだよね。見逃さねえよ? 二度目はねえからな? さっきのだって、光の速度を誇る俺の反射神経があったからこそだからね?」
「いいから早く触りやが……てください! このままでは、後にも先にも進めません」
「はあ、まあいいや。ここで確認させてもらうけどさ、あんたを助けたら、なんでも欲しいものくれるんだよな?」
「はい! はい! もちろんです!」
「……じゃあ、いくぞ……!」
俺は恐る恐るその魔法牢へと近づいていくと、人差し指でチョンと触れた。
すると魔法牢は見事にパァンと霧散し、中からイケメン大神官様(仮)が出てきた。
「……いますぐ色々と請求してやりたいけど、そんなこと言ってる場合じゃないのもわかってる。俺はもう上へ行くから、おまえはどこかに隠れてろ」
「やらねえよ……」
「へ?」
さきほどとは全く違う声色に違和感を覚え、振り返る。
大神官様(仮)は煙草を口にくわえ、手に持ったライターでカチッ、カチッと火をつけていた。
「……いま、なんか言った?」
「……ふぅ。助けてくれたことには礼を言う。けど、それだけだ。おまえにやるもんは何ひとつねえ」
大神官様(仮)紫煙を
なんだこいつ。
二面性というか、別人格か?
さっきと全く違うんですけど。
「おま……! おい、フザケてる場合じゃねえだろ」
「おまえ、あれだろ? 筆頭
――――――――――――
読んでいただきありがとうございました。
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