終・強欲は身を滅ぼす
彼の名はバルド、若い頃は傭兵で金を稼ぎ各地を転々としながら旅をしていた。その時、たまたま縁が重なりドレイク家に雇われる。良くも悪くも凡才であった先代男爵は暫く前に他界、そこからドレイク家の衰退が始まる。次代当主として後を継いだドレイクは先代と違い、傍若無人、ナルシスト、世間知らずとまるで正反対で、執事や従者など、代々仕えている者ですら、逃げるように家を離れてしまった。それでもと、先代に拾われた事に大恩を感じているバルドは彼の下に残る。せめて自分だけは最期まで残っていようと。
そんな気持ちを微塵も知らないドレイクは、どんどん使用人が減っていく事に流石に焦りを感じたのか、対策を講じ始める。漸く我が身の振舞い方を見直すのかと思えば、内容はただ金をばらまき普通ではあり得ない程の待遇で雇っただけで、勿論そんな事をすればすぐに金庫など底を尽き、雇った人間はすぐに離れてしまう。こうしてドレイクの下に残ったのはバルドと、少しの金でも動くようなごろつき連中だった。そんな時、ドレイクが手放すか悩んでいた鉱山の責任者からこんな報告があった。
ただの石ころの使い道を知ってそうな奴がいる、と。するとドレイクは、もしそうなら金を稼ぐ事が出来るのではないかと大いに喜んだ。だが一筋縄ではいかない、何故ならばファルダン侯爵の知人であるとも報告を受けていたからだ。そこらの人間なら有無を言わさず連れてくるだろうが、侯爵の知人ともなれば話しは別、最悪家の取り壊し、貴族ですら無くなってしまう。男爵は悩み、取り敢えずなけなしの金で専門の人間を雇い、瑞樹の行動や素性を調査させる。
その結果、奴は侯爵の邸宅で寝泊まりしていない事、割りと頻繁に一人で出歩いている事、そして異世界から来たのかもしれないという事を知る。ならばいけるかもしれない、成功すれば全てを我が手中に収められるかもしれない…余りに浅く、愚かな考えが彼を支配し、そして遂にバルドに命令する。奴を連れてこいと。バルドは何も言わず、ただはいと返事をするだけだった。恐らくこれが最後の奉公になるだろうと、彼は何となく察していた。
幾つもの死線をくぐり抜け、生き抜いてきたバルドは脅威を感じ取る事に長けていた。その彼が震えている。手は既に剣の柄を握っているが、汗で酷く不愉快になっている。男爵は少しも気づいていない様だったが、奴は…いや[あれ]は本当に人間なのかと疑いたくなる程の殺気を放っている。さらに自身の目を疑う物を見てバルドはさらに困惑する。瑞樹の身体から黒い靄が滲み出ていたのだ。得体の知れないおぞましさ、バルドの本能が一心不乱に警鐘を鳴らす。あれは危険すぎると。
「そいつから離れてください!ドレイク様!」
「うぅん?何をそんなに怯えているのだバルド、彼がそんなに恐ろしいものに見えているのか?」
折角の忠告を軽くあしらう男爵。だが瑞樹の感情の暴走は、もう寸前にまで迫っていた。その時である。
バァンと部屋の扉が勢い良く蹴り飛ばされる。その音と衝撃で、すんでの所で瑞樹は我に帰る。振り向くとそこには見覚えのある顔と、そうでない顔が幾つかいた。
「大丈夫か、瑞樹!」
「へっ、遅いよ全く」
ビリーが瑞樹の元へ走る。すると瑞樹は安心したのか、疲労困憊な様子でドサッと膝から崩れ落ちる。
「何だ貴様!それは僕のものだぞ!バルド何を突っ立っている!さっさと始末しろ!」
憤慨する男爵は、最早周りを見渡す余裕すら彼には無い様子である。それを見たバルドは、非常に苦々しい顔でドレイクに進言する。
「落ち着いてください、ドレイク様。その前に奴の後ろを見てください」
「一体何だと言うんだ!後ろなど何…も…。」
男爵は言葉を失う、有り得ない、こんな場所に来る筈が無い、そこにいたのは侯爵だった。何故危険を犯してまで自ら出向いたのか、それほどまでにこの人間が重要なのか、考えが纏まらないドレイクより先にファルダンが口を開く。
「ドレイク卿、随分と愚かな道を選びましたな?代償はとても高いですぞ」
その顔はいつもの微笑みが消え失せ、静かな怒りを身に纏っていた。初めて見るその表情に、瑞樹は少しゾクリとする。
「ファルダン卿、何故?いやどうやってここに?外には手下がいた筈だ!」
「あれが手下とは…そちらの御仁と違い、随分と粗末な者を飼ってなさる。あの程度いくら束になってもわたくしの部下には敵いません」
ファルダンがスッと右手を挙げると、後ろに控えていた人達が前に出る。それはどこかで見たような、と言うより何処にでもいるようなと言った方が正しい、そんな見た目の人達だ。しかし見た目で判断する事無かれ、全員紛れもなく侯爵の部下で、凄腕の護衛である。
「ぐぐ…」
悔しそうに奥歯を噛むドレイクの目に、ファルダン達の後ろからこっそりと近づくごろつき、もとい部下が映る。ゆっくりと近づき、剣を構え、振り下ろそうかとその瞬間、ファルダンの護衛の一人がナイフを抜く。だが間合いが遠すぎる、防ぐ事が出来ない、ざまぁみろと高笑いする男爵だったが、直後信じられない光景を目にする。
カヒュッと何かを飛ばすような音がしたかと思えば、不意打ちをしようとしていた部下が仰向けになって倒れている。しかも何故か喉にはナイフの刃が突き刺さっており、血が止めどなく流れている。ドレイクが混乱するのも無理は無い、こんな武器はこの世界に存在する筈が無い。それは瑞樹が少し前に知識を提供したスペツナズナイフだ、まさかこんなに早く実用化に至るとはと瑞樹も驚いていたが、後は目の前の男爵と護衛を何とかするだけである。
「な、何をやっているバルド!奴らを全て始末するんだ!」
ドレイクは瑞樹達を指差し、慌てて命令するがバルドは一向に動こうとはしない。その顔は諦念に達していて、瑞樹達にも理解出来た。そしてバルドは重々しく口を開き苦言を呈する。
「ドレイク様…もう終わりにしましょう」
「何を言っている!奴らを始末さえすれば…目撃者さえいなくなればまたどうとでもなる!」
「そこまで…そこまで貴様の目は節穴か!」
バルドはわなわなと震える手を固く握り、ドレイクの顔めがけて勢い良く振り抜く。その凄まじい衝撃は随分と重そうな体躯を吹き飛ばす程で、ドレイクはそのまま気を失う。これには瑞樹達も呆気に取られる。
「我が主は全てを自らの手で壊してしまった。獄中でせいぜい反省してもらう。無論俺も同罪だ」
誰に言うでも無く、バルドは呟く。その目は在りし日を思い出すかのように遠くを見ていた。
「あんたもしかしてこうなる事を予測していたのか?」
「ふ…そんな事出来る筈が無いだろう。異世界人などというのも今でも信じていない、悪事に手を染めた人間の当然の末路だ」
瑞樹の疑問をまるで憑き物が落ちたかのように答えるバルドは、清々しくさえ感じた。ただ質問した瑞樹は何だかなぁと変な気持ちになる。
「まぁ解決って事ならそれで良いじゃねぇか、なぁ侯爵さんよ」
「ほっほ。確かに犯人を捕らえ、瑞樹殿も無事。これ以上無い完璧な決着ですな」
「それはそうと、この後始末どうすんだ?」
「ご心配無く。既に部下が憲兵を呼びに言っているので間も無く到着するでしょう。面倒事はわたくしの部下に任せて我々は先に帰るとしましょう」
良いのかなと思いつつ、瑞樹はビリー引きずられながら帰路に着く。事情聴取とか色々あるだろうに、まぁファルダンが良いと言うのならそれで良いかと仕方なく瑞樹は納得する。
帰り道、と言うより部屋を出てすぐ瑞樹はそのショッキングな光景に目を背ける。男爵の部下達が全て切り捨てられていた。人の死を少なからず瑞樹であっても、どうにも慣れない光景だ。いくら悪事を働いた人間でも、せめてこれくらいはと、久しぶりに鎮魂歌を歌う。霊への慰めというよりゴーストになられても困るというのが本音だ。
「これで良し、っとそういえばまだ礼を言って無かったな。ありがとう。悪いな手間かけさせて、ファルダン様もわざわざご足労頂いて申し訳ありませんでした」
「全くだ…よ!」
瑞樹は目から火花が散ったのかと錯覚する程の衝撃と、顔に激しい痛みが襲う。それはビリーからの手厳しい代価だった。
「いっつもいっつも面倒ばかりかけさせやがって、ちったぁ俺達を信用してくれても良いんじゃねぇか?」
「ごめん…」
痛みと、ビリーのお説教に少し涙ぐむ瑞樹。
「まぁまぁ、それくらいで良いでしょう。それに今回の件に関してはわたくしもお二人に謝らなくてはいけません」
それはビリーがずっと疑問に思っていた事の答えでもある。何故この一件を知らせる前に知っていたのか、答えは簡単、常にファルダンの部下が瑞樹達を監視していたからである。監視と言うと若干語弊があるかもしれないが、曰く、あの鉱山の件以降、部下を置いて監視させ、万が一暴挙に出た輩を雇い主ごと捕まえようという魂胆だったらしい。つまり―
「俺を餌として利用したって訳ですか」
瑞樹は自身が餌で泳がされていた事を知り、顔をむっとする。ファルダンも多少罪悪感があるらしく、苦笑しながら続ける。
「恐らく何かしらの行動に出ると思いましてな。まさかこんな直接的な事をするとは思いもしませんでしたが。瑞樹殿にその旨を伝えようか迷ったのですが、余り周りを気にしすぎて不自然になっても困りますし、何より見張られているなど精神的によろしくありませんので…申し訳ありません」
「いや、良いですよ。俺も浅はかでした、馬鹿ってのはまさかやらないだろうというのを平気でやるっていうのが身を以て経験しました」
一行が玄関から出ると外は真っ暗になっており、やっと帰ってきたかと言わんばかりに吠えてくる一匹の魔物、シルバが瑞樹の目に映る。
「おぉお前も来てくれていたのか」
瑞樹が頭を撫でようとした時、シルバその手を払いのけガブリと噛みつく。勿論本気でやれば人間の手など簡単に千切れてしまうので、多少手加減されていたが瑞樹はビリーに殴られた時以上に痛がっていた。シルバにも思う所があるのだろう、瑞樹は怒るに怒れず、ビリーも良い気味だと笑っていた。
帰りの道中、憲兵隊と出くわす。結局こうなるんだから早く帰る意味無いじゃんと、瑞樹は思っていたのだが、憲兵隊はそそくさと道の脇に退き、敬礼する。侯爵の力とは凄いなと瑞樹は改めて思い知らされる。とにもかくにも一行は何事も無く街へと着いたのであった。
「ほっほ、ではわたくしはこれにて。色々と思う所があるかもしれませんが今日は早く帰った方がよろしい。もう一人、瑞樹殿の帰りを待っている人がいるでしょう?」
「配慮痛み入ります、今日は本当にありがとうございました」
「ほっほ、ではこれにて」
いつもの微笑みをしながらファルダンは、その場を後にする。場は瑞樹とビリーの二人きりになり、漸く瑞樹はビリーに問いかける。というのもビリーは帰りの道中ずっと何かを考え込んでいるような渋い顔をしていた。
「なぁ、まだ怒ってる?」
「あぁ?もう怒ってねぇよ。お前がそういう奴だってのは何回も経験してるしな。…それよりもお前、あの時…いや、やっぱ良いや。さっさと帰ろうぜ。あいつが待っているだろうし」
「…?分かった」
ビリーはどうしても聞きたかった事がある。瑞樹がドレイクから暴行を受けていた頃、ビリー達はまだ屋敷の外にいた。それでも肌で感じる程の強烈な恐怖。そして部屋に突入した時に見た、瑞樹に纏わりつく黒い靄。やはりゴブリン戦で見たのは見間違えじゃ無かったのだと、ビリーは酷く陰鬱な気分になる。ただ、今は見た感じ普通の瑞樹で、元通りの瑞樹だ。ならそれで良いと、ビリーは不安な気持ちを心の奥底に押し込める。
色々あったが二人は漸く宿へ辿り着く。時間はギリギリ酒場が開いている位の時間で、まずはと一目散に自室へ向かう瑞樹。ビリーとシルバは下の酒場でお腹を満たしている。少し緊張しつつカチャリと扉を開けると中には、窓から祈りを捧げているノルンの姿があった。ノルンは扉が開く音に気づき、後ろをバッと振り向く。すると彼女は固まった、比喩でも何でも無く本当に時間が止まったかと錯覚する程に。身体はまだ動かない、ただノルンの目から大量の涙が流れ、思い出したかの様にわんわんと声を出して泣きながらその場に崩れる。
「…ただいま、ごめんね心配かけて」
瑞樹は彼女をぎゅうっと抱き締める。力強く、ともすれば痛い位かもしれないが、そうせずにはいられなかった。
「…姉さん、私が、どんな気持ちで、待っていたか、分かりますか…!」
嗚咽を我慢して彼女はそう言う。分かるなどとは軽々しく言えない、ノルンにとって瑞樹は、今では本当の親以上に大切な存在となっている。依存とも言えなくもないが、それを指摘するのは野暮だろう。暫く経ち、ノルンは少しずつ落ち着いていく。
「どう、落ち着いた?」
「はい…」
顔は涙やら鼻水やらでグシャグシャになっていた。瑞樹は近くに合ったタオルで拭き取ると、ノルンは瑞樹のお腹へぐりぐりと顔を埋める。その方が多分落ち着くのだろう。ただ何を話したら良いか、頭を悩ませながら瑞樹は取り敢えず、話題を提供する。
「えっと、その、あっご飯食べに行こうか、お腹空いたでしょ?」
「いらないです」
「うぅ、じゃあお風呂入ろっか。お風呂で心も身体もさっぱりってね?」
「今日は良いです」
辺りに気まずい空気が流れる、子供の癇癪にはまるで経験が無いので瑞樹もたじたじだ。というか瑞樹は汗やら何やら結構汚れていたので正直お風呂には入りたかったのだが、ノルンに言われては是非も無い。
「今日は…もう寝ましょう、姉さん。このままぎゅっとしたままで」
「えぇっ、でも私結構汚れてるし、臭いかもよ?」
するとノルンはじとっとした目で瑞樹を見る、何とも言えない、と言うより有無を言わせない謎の凄みを感じ、瑞樹ははいと返事をする選択肢しか与えられなかった。せめてもと汚れた衣服を着替えてから寝床に入り、ノルンの要求通りぎゅっと抱き締める。
「どう?苦しくない?というか臭くない?」
「大丈夫です、むしろ姉さんをいつもより強く感じる事が出来て、とても安心出来ます」
瑞樹の胸に顔を埋め、すんすんと鼻を鳴らしながらノルンは答える。何か変な性癖に目覚めなければ良いが、と瑞樹は少々心配になるが今は大人しくノルンの抱き枕を務める。
「…姉さん」
「なぁに?」
「…もう、置いていかないでください」
「…うん、もうしない。本当にごめんね」
「…本当に仕方の無い姉さんです。今回だけですからね?」
お互い抱き締め合い、お互いの温もりで静かに眠りにつく。こうして瑞樹誘拐事件は幕を閉じた。
瑞樹の中にそれが生まれたのはいつだか分からないが、いつまにかそこに居た。それは宿主の怒りや憎しみといった負の感情を糧として、成長している。既に外へと漏れ出しているそれが人に牙を剥く日がいつか来るかもしれない。せめてその日が一日でも長く延ばせるように、瑞樹はその感情を心の奥底に閉じ込める。自らの心を壊しながら。
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