続・人は怒ると怖い

「ちっ、もう始まっちまう!お前本当に大丈夫なんだろうな!?」


「だから大丈夫だって、そんなに心配するなよ。それよりもお前の方が危険なんだ、シルバがついて行くからって油断するなよ」


「お前に言われなくても油断なんかしねぇよ、じゃ、ちょっと行ってくる」


 ビリーは今の瑞樹の状態を心配しながらも、屋根から降りてシルバと共に別行動に入る。瑞樹はそれを見届け、手を組んで成功を祈った。


 敵集団は今や目と鼻の先の距離まで迫って来ている。こちらの陣営はまだ身を隠しているのでまだバレてはいないと思うが、ここまで近づかせたのだから策が効いてもらわないと困る。神などろくに信じていない瑞樹ですら今は神に祈り、その時を待つ。その後もじっと堪えて観察していると、ついにその効果が敵集団に表れ始める。一人、また一人とうつむき始め最終的にその場に倒れこんでいき、ゴブリン達は何が起きたか分からず、浮き足立ち始める。


 これが瑞樹の考案した策で、その肝となるのがお酒だ。それを水系の魔導士が霧状にして集団を包み込むようにするのだが、これだけではいくら操っているとはいえ少しずつ薄まってしまい、効果は期待出来ない。その対策として風系の魔導士が敵集団を閉じ込めるような形で風を操り、常に酒の霧の中にいるような状態を維持。すると奴らは酩酊し、最終的には意識が無くなる。勿論連中に酒を飲ませる事など不可能、なら無理矢理摂取させてしまえば良いという発想から、霧状にしたのである。それに酒を飲むのと吸引するのとでは酒の回りにかなり差が出る。ただ虜囚達にも影響が出る可能性も十分にあるが、そこは目を瞑るしかないし、魔導士の面々が上手い事やってくれる事を祈るしかない。


 ゴブリンは何故こんな平原で酒の匂いがするのかと疑問には思った事だろう。しかし疑問に思うだけでその先を考えない、考えないから警戒もしない。そこがゴブリンの限界であった。


 村の入り口辺りでついに集団の足が止まる。最前線のゴブリンが全て酩酊して倒れてしまったからだ。そして冒険者達の攻撃が始まる。


「今だ!」


 一人の冒険者が声をあげ、何人か引き連れて突入する。現段階は切り結ぶのが目的ではなく、虜囚の救助が第一である。その行動をまだ酩酊していないゴブリンが気付き、排除しようと武器を手に取るが隠れていた冒険者部隊の弓矢がそれを許さない。正確無比な一撃が相手の急所を次々と居抜き、物言わぬ躯に変える。


「良し、これで全員だ!さっさと戻るぞ!」


 回収部隊がくくりつけられた虜囚をそのまま回収し自陣へと戻ると、待ちかねたように冒険者達がその身をさらけ出す。


「全員敵から離れた!今だぶちかませ!」


 号令を合図に魔導士の魔法と弓矢が一斉に敵を襲う。狙いは動きの止まっている最前線ではなく部隊の中間ぐらい、より戦場をかき乱し乱戦に持ち込ませる為だ。各々の属性に合わせた魔法が放たれる、ある者は火球、ある者は氷の矢など様々で、これ程多様な魔法を見たのは瑞樹も初めてで、内心滾っていた。


「さぁ仕上げだ野郎共!行くぞ!」


「うおおぉ!」

「やるぞおらぁ!」


 状況はいよいよ最終段階に突入し、敵集団へと突撃を敢行する冒険者達。浮き足立ったままのゴブリンはことごとく撫で斬りにされていく。


「さぁて、と。私も援護に回りましょうかね」


 瑞樹は女声で呟きながら、ゆっくりと立ち上がり集中する。そして自身の止まらない感情を載せて戦いの歌を歌う。瑞樹がこれ程感情を剥き出しに歌ったのは初めての事で、予想外の変化を戦場にもたらす。


「おらぁ!」

「みんな斬り捨てろ!」

「全て殺せ!」


 荒っぽい冒険者がいつも以上に殺意を剥き出しにしてゴブリン共と切り結んでいる、その異様な状態の人間達に少しずつゴブリン共は恐怖を覚え始める。効果を受けた冒険者の本質は恐らく変わっていない、ただ相手に対する攻撃性を極限まで高める効果が、今の歌に付与されていた。防御を省みず、敵をねじ伏せる冒険者のそれは、狂戦士と呼んで差し支えない程に。


ギャアアァ!

グワアアァ!


 悲鳴と断末魔が戦場にこだまする中、別の場所ではもう一つ重要な戦闘が行なわれていた。


 村から遠目に見えていた森の中に一つ、異形の影があった。それはゴブリンと呼ぶには二倍も三倍も大きく、まさしくゴブリンの長と呼ぶに相応しい。そして今回の件を企て、ゴブリン供を唆した張本人でもある。


 そんな彼が焦っていた。一人この安全圏から戦場を眺めていたらどんどん我が軍は劣勢になっているではないか、と。そして早々とこう判断する、奴らを劣りにして逃げよう、と。何をされたかは分からないが最早大勢は決し全滅もあり得る。が、我だけは死ぬ訳にはいかない、あんな雑魚などいくらでも替えがきく、我さえいればまたやりなおせる、人間共を殺し、従え、国を作るのだ。昔決意したそれを今一度復唱し、早速逃げようと振り向く。すると目の前に人影があるのが分かった。


「誰ダ!」


「へぇ驚いた、ゴブリンってのは断末魔以外にも喋れたんだな」


 そこにいたのはビリーで、瑞樹が頼んだ一番の厄介事とはまさしくこれ。敵の総大将を探しだし、討伐する事だった。


「まだ戦ってるのにもう尻尾まいて逃げちまうのかよ?」


「フン!人間如キガデカイ口ヲ叩クナ!コノ怒リ少シデモ貴様デ晴ラシテヤル!」


 成人男性の身長もありそうな大きな棍棒を構え、ボスゴブリンは一気にビリーとの間合いを詰める。さらに棍棒を振りかぶり、ビリーの脳天をめがけて振り下ろされるが、かろうじてこれを避ける。そのまま大地に叩きつけられたそれは、ズシンと大きな音と地震が起きたのかと錯覚する程の衝撃を顕著に表すように、大きく抉れていた。


「てめぇ不意討ちなんて卑怯だぞ!もっと正々堂々と戦え!」


 ビリーがボスゴブリンに指を指して指摘するが、当然の事ながら微塵も聞く耳を持たず鼻で一蹴する。


「フン!勝テバ何デモ良イノダ!」


 一撃一撃が必殺の威力で、しかもこの図体で意外にも素早い。伊達にゴブリンのトップをやっている訳ではないらしい。余りの強さにビリーは防戦一方となり、度重なる攻撃を辛うじて剣でいなしていたが、ついには耐えきれず剣がバキリと折れてしまった。


「くっ…」


 がくりと膝をついたビリーにジワジワと近づいていくボスゴブリンは、絶望した人間の顔を見て思わず愉悦の笑みを浮かべる。


「グッフッフ、人間ガコノ俺ニ逆ラウカラコウナルノダ!」


 棍棒を地面に叩きつけ、脅すような行動をとり始めたボスゴブリン、どうやら完全に相手をいたぶる方向にシフトしたらしい。その様子を見たビリーは、命だけはと懇願し頭を下げる。ボスゴブリンの増長はさらに高まる。


「グワッハッハ!ナラバ命ダケハ助ケテヤロウ、ズット殺サズニイタブリ続ケテヤルワ!感謝シロ!」


 口をガタガタと震えさせるビリーに益々愉悦を感じ、増長しきったところにそれはやってきた。草むらから飛び出した銀色のそれはボスゴブリンの喉元を喰い千切る。理解する間もなく、その巨体は大きな音をたててその場に倒れこみ、絶命した。


「良くやったシルバ、最高のタイミングだ」


 ビリーはボスゴブリンを一瞥しながらシルバの頭を撫でる。するとシルバはワンと返事をして、さらにある事をするように促し始める。


「おっとそうだったな、えぇと、あれで良いか」


 ビリーは折れた剣を手に取り、まだ辛うじて残っている刃の部分で首と胴体を分割し、忌々しそうにその首をみつめながら呟き始める。


「しっかし瑞樹も心配性だよな、首を必ず落とせだなんて。あれで生きてる訳無いのによ、…まぁあいつの言った事が大体合ってから仕方ないか、少しむかつくけど」


 独り言ちるビリーは、戦闘前に言われていた事を思い出していた。


 この森の中にほぼ確実に敵のボスがいるという事、具体的な位置はシルバに探させれば発見出来る事、ゴブリンは人をいたぶるのが好きでわざと負けたふり、命ごいをするふりをすれば隙を見せる可能性が高い事、そのほぼ全てが当たっていた。


「っと、さっさと戻らねぇと。…あいつ本当に大丈夫なんだろうな」


 余韻に浸るのも程々に、ビリーは急いで自陣へと戻る。瑞樹の異変に一抹の心配と不安を抱えながら。


 ビリーがボスゴブリンを討伐し終わった時、既に主戦場は残党狩りへとシフトしていた。瑞樹も魔法を止めて屋根から降り、気になっていた虜囚の方へと向かう。その顔は歌を歌ったお陰か、随分とすっきりしていた。


「お疲れ様です、様子はどうですか?」


「えっと確か…瑞樹さんでしたっけ?この人達は治癒持ちの魔導師に身体の傷は治してもらいましたけど、どうにも意識というか…反応がほとんど無いんですよね。生きてはいるんですけど…」


「そう…ですか。」


 救助された虜囚は合わせて十人、その全ての目が虚ろというか、焦点が合っていない。恐らく度重なる陵辱で心を壊してしまったんだと思われる。その痛々しい状態を見ながら、ふと瑞樹は思案する、あの魔法は心を治す事が出来るのだろうか、と。


「ちょっと俺も魔法を使ってみます」


「えぇ、別に構いませんけど、これ以上はどうにもならないと思いますよ」


 警護にあたっている女性冒険者は既に諦めている、瑞樹も正直ダメ元だったが諦めるのは試してからでも遅くないと、癒しの歌を歌う。立ち直って欲しい、とは軽々しく言えない。それでももう一度、人として生きてほしいと願いを込めて歌を紡ぐ。


「貴方の魔法が何かは分からないですけど、効果は出ていないですね。残念ですけど―」


 女性冒険者が諦めるよう瑞樹に促そうとしたその時、一人の女性の目から涙が滲んでくる。一滴の雫が頬を伝い、地へ落ちる。それを皮切りに次々と伝播し、ついには嗚咽が聞こえてくるようになっていた。


「みんな声をかけても全然反応してくれなかったのに…凄いですね、まさか心の治療まで出来る治癒魔法があるとは思わなかったです」


「いや、俺は全然凄くなんかないですよ。本当に効果があったさえ分からないんだ、凄いのはもう一度歩みだそうとしているこの人達です」


 目を丸くして話しかける女性冒険者をよそに、瑞樹は今の光景を噛みしめるように答える。その涙に含まれた思いを推し量る事は難しい、それでも自分の想いや気持ちを素直に出せるようになれたのは良い傾向だと思う。後は彼女達自身でこれからと向き合ってほしいと、瑞樹は強く願った。


 それから間もなく、残党狩りを行なっていた部隊が戻ってきて戦闘は終結を迎える。それから勝利の余韻に浸る間も無く、各々は早々と帰り支度を整えて帰路についていた。一方瑞樹はというと、ビリーが戻ってくるのを待つ間に、最後の魔法を使おうと集中を始めていた。ゴブリンとの戦闘で冒険者にも犠牲が出ている。無傷、無犠牲で終われるなどとは思ってはいなかったがそれでも何とも言えない気持ちになってしまう。無論そんなものは驕りでしかないが、せめて自分が出来る手向けとして鎮魂歌を歌い始める。


 これに意味があるかは分からないが、犠牲になった者に心安らかに逝ってほしいと、せめて来世ではゴブリンではなく、もう少しだけ平和な場所にいてほしいと、想いを歌に変えて瑞樹は歌い続ける。ゴブリンに同情なぞしない、あっちが攻めてきたのだから当然の報いだ。だからこそ来世があれば戦わなくて良い、平和な場所にいてほしいと思う。それくらい願うのは良いだろう?だれに聞くでも無く、歌い終わった瑞樹は心の中で呟いていると、どこからともなく声が聞こえてくる。それはもう聞き慣れた声で、瑞樹はほっと胸を撫で降ろす。


「へっ、相変わらずだな」


「なんだ無事だったのか、危うく捜索願いを出すところだったぜ」


「良く言うぜ、人に厄介事押し付けた癖に。ほらこいつがボスの頭だ」


 そう言ってビリーは手に持っていた首を瑞樹にうりうりと見せつける。瑞樹にとってはそれは正直グロすぎて直視出来なかったが、大きさからして恐らくボスの首だろうと得心する。


「色々と話したい事はあるけど…とりあえず帰るか。もうみんないなくなっちまったし」


 見渡すと辺りはもう誰もいなくなっており、無人の村に二人と一匹がただそこにいるだけになっていた。


「そうだな、さっさと帰ろうぜ。ったくお前は良いよな俺みたいにボロボロにならなくてよ」


「うっさいな、後で治してやるから文句垂れんなよ」


こうして瑞樹はゆっくりと街の方へ歩き出す。その背中をほっとした様子でビリーは見ていた、あれは多分見間違いだろうと自分に言い聞かせながら。


 ゴブリンはこの日多大な犠牲を出すが、恐らく何匹かは逃げ延びたと思われるが、すぐに復讐しに来るかと問われればそれは無い。何故ならば彼らは知ってしまったのだ、人間の本当の怒りを、そしてその恐怖を、魂に刻み込んでしまった。ゴブリンは馬鹿だが愚かではない、いつかその恐怖が薄れ、再び人間を害する存在となるだろう。しかし当面は人間を危険の対象と見なし襲うことは無いだろう、誰しも死にたくないのだから。

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