人は怒ると怖い

「いやぁ良い天気だねぇ、平和だねぇ」


 お昼にするにはまだ少し早い時間、瑞樹は部屋の窓から外をボンヤリと眺めて独り呟く。外には忙しいそうに働いている人達、そんな忙しさは自分にとってはどこ吹く風で他人事のように眺めている。


「あの、姉さんは兄さんのお手伝いしなくても大丈夫なんですか?」


 ノルンは少し心配そうに瑞樹の顔を見る、それもそのはず瑞樹は用がある時以外はあまり外に出たがらない、所謂出不精だ。一方ビリーはというと、ここ最近はやけにゴブリンが頻出しているらしく、それの依頼をひっきりなしに受けていた。本人も、追従しているシルバも狩りのカンを維持しておくのに丁度良いと快諾しているので別段瑞樹の出る幕ではない、という訳だ。ただどこからともなく瑞樹の方へお小言が飛んできているようだが。


「んぇ?あぁ良いの良いのそういうのはビリーに任せておいた方が良いだろうし、そもそも私ってば強くないしね。それにノルンを独りにしとく訳にもいかないでしょ?」


 最近瑞樹は日中ノルンに読み書きを教えている、自身も他人に教えられる程熟達している訳では無いが、他にあても居らずこうして自ら教鞭を取っている。とても大事な事ではあるがそれをダシに厄介事を避けている感じも否めないが気にしてはいけない。


「それよりもお腹空かない?少し早いかもだけど混んでくる前にお昼食べよっか」


 話題を逸らされたと、じとっとした視線を送りつけるノルンをよそに瑞樹は手を引いて一階の酒場へ向かうと、瑞樹の読み通りまだ人の姿は少ない。ただむさ苦しい冒険者は少なかったが、それに負けず劣らずムキムキの女性、ギルドマスターがそこにいた。


「おや、相変わらず暇そうにしてるね。あんたもゴブリン狩り受けたらどうだい?今は少しでも人手が欲しいんだよねぇ」


 いつも通り瑞樹はお小言を頂戴した訳だが、答えは勿論拒否。瑞樹は事前に依頼なんか受けないと報告していて、そもそもシルバもある意味では貸与している状態になっているんだからとやかく言われたくないのが本音だ。


「いつも言ってるじゃないですかギルドマスター、俺は依頼を受けないって。何回言っても駄目ですよ?」


 いつもならこれで終わりだが今日は違う、やけにギルドマスターがねちねちと付きまとってくる。


「いや分かっているんだけどねぇ、ビリーとシルバにはとても助かっているけどさ、やっぱり少しでも頭数が多い方がそれに越した事はないからねぇ」


「なんかやけに食い下がりますね、もしかして何かありました?」


 途端に目がギラリと光るギルドマスターを見て瑞樹はやばいと思ったが時既に遅し、蛇に睨まれた蛙のようにロックオンされてしまう。


「察しが良いね。実はの話しがあるんだけどさ、あんたらこれから昼飯だろ?終わったらで良いから瑞樹だけあたしの部屋に来てくれるかい?」


 瑞樹は嫌とは言えず、聞くだけならと渋々承諾する。厄介事じゃ無ければ良いんだけど、大抵こういう時って悪い方の予感が当たるものだと、昼食中瑞樹はずっと頭を抱えていた。


 昼食を済ませノルンを部屋に戻した後、ギルドマスターの部屋へと向かう。


「良く来たね、早速本題といこうか。瑞樹も何となく最近ゴブリンの数が多いって思っていなかったかい?」


 ソファに座るや否や、ギルドマスターは急に話しを切り出す。回りくどい話しは瑞樹も好みでは無いがいくらなんでも性急過ぎだと、心の中で叫ぶ。


「えぇまぁ…でも俺はこっちの出じゃないですし、いつもこんな感じなのかなぐらいでしたけど」


「まさか、いつもこんなにゴブリンがいたら邪魔くさくて堪らないよ。ここまで数が多くなっている理由、恐らくだけどここを攻めようとしているね」


 ギルドマスターの目がギラリと光る、血が騒ぐとはこんな感じだろうか。口角は上がっているが目は全く笑っていない。ぞくりと背筋が冷えるような圧力が部屋に充満していた。瑞樹はごくりと固唾を呑み、重く口を開く。


「ちょ、ちょっと待って下さいよ、ゴブリンが街を襲うなんてそんな事有り得るんですか?」


「有り得るね、というより実際に一年に何件かそんな事例があがってくるからね。いつか言ったかもしれないけど奴らは馬鹿だけど愚かじゃない、勝ち目の無い事なんかまずやらないし、それにこんな報告が最近あがってきた」


「それは一体?」


「近く、って言っても十キロくらい離れた場所に小さい村があるんだが、そこにゴブリンが出てきたそうだ。別に人里に現れる事自体は珍しい事じゃない、問題は現れた奴らが何もしていかなったってところさ。普通なら家畜を襲うなり村娘を拐うなりするんだけどそれをしなかった。なぜならそいつらは斥候で、そしてそいつらを管理している奴が存在している可能性が高い。ま、あくまで前例と照らし合わせたあたしの推察だけどね」


 ギルドマスターの推察に瑞樹は目を丸くする、まさかあんな魔物にそこまでの知能があるなんてと。まるで魔物の軍のようだと、懐疑的に聞いていた瑞樹は途端に恐怖を感じるようになる。


「奴らは何の目的があってそんな事を?」


「さぁてねぇ、一旗あげようとしているのかそれとも、ただ人間を殺めたいだけなのか」


「迷惑過ぎていっそ清々しいですね、それでどうするんです?黙って奴らの慰み者になるんです?」


 瑞樹の発言を、手をひらひらさせ鼻で一蹴するギルドマスター。その様子は今だけは頼もしく思えた。


「はっ、冗談はよしとくれよ。あんなのにヤられるくらいならいっそ死んだ方がマシさ。勿論対策は立てているし、冒険者にも手当たり次第声をかけている。今回ばかりはあんたもイヤとは言わせないからね?」


 曰く、敵の数は概算で二百とも三百ともなっているらしく、近隣にいる冒険者全てに強制招集がかけられていて無論瑞樹も例外では無い。強制となればどうしようも無いが、自身の力の無さなど自分が一番良く知っている、瑞樹は恐怖と脅えが混ざったような顔をしていると、ギルドマスターは何となく察してくれたようで苦笑しながら瑞樹に視線を向ける。


「あんたの実力は知っているさ、だからあんたのその知識を買ってより万全な対策にしてもらいたい。期限は三日、その次の日に移動と準備、一応見張りは既に配置しているけど奴らがいつ動いても良いように暫くはそこで待機になる。質問はあるかい?」


「あるかい?って…俺がやるの前提なんですね。はぁ…まぁ良いか仕方ない。じゃあ一つ質問なんですけど直接奴らの拠点を叩くのは駄目なんですか?」


「駄目だね。あいつらの拠点は罠だらけで、しかも奴らしか知らない抜け道とかもあるから待ち伏せやら奇襲やら受け放題になっちまう。それならこちらが数で劣っていても野戦に持ち込んだ方がまだマシなのさ。それと多分、奴らは虜囚で肉の盾を仕向けてくる筈だ、助け出せればそれに越した事は無いが難しいと現場で判断されれば…やむ無しさね」


 肉の盾、それは慰み者にするために拐った女性を木の棒なり板なりにくくりつけて、相手からの矢や魔法を打てなくさせる我々人間にとても有効で最悪な戦術だ。瑞樹はそれを腸が煮えくり返る思いで聞いていた。その熱が心なしか身体まで熱くしているような気がする程に。ギルドマスターに落ち着くよう促され、瑞樹は無理矢理怒りを心の奥底に押し込んで頭を冷やす。ともかく虜囚の人達を助けてあげたいが、下手に躊躇うとこちらにも被害が出てしまう。ならばいっそ…?よろしくない考えが瑞樹の頭を過ったその時、ある事を思いついた。


「もう一つ聞きたいんですけど、奴らって呼吸しているんですよね?」


「おかしな事聞くねぇ、当たり前じゃないか。生きている以上息をしないでどうするんだい?」


 眉間に皺を寄せながら不思議そうにしているギルドマスターをよそに、ニヤリと瑞樹は笑う。ならばこの案が効くかもしれないと。


 それから準備だの何だのと日はあっという間に過ぎ、今はあの話し合いから五日後の朝である。瑞樹の用意したとある案も早々と準備が完了し、後は敵に動きがあるのを待つばかりとなっている。


「しかしこんな辺鄙な場所に村があるなんてねぇ、って村の人に失礼か」


「あんまり考え無し言うのは止めとけよ瑞樹、ここの人達だって立派に生活してるんだからな」


 ビリーからお小言を頂戴したが、辺りは見渡す限りの草原で奥には森が見え、辺鄙な田舎程度にしか瑞樹が感じないのも無理は無い。当然の事ながらここは最前線、村人は既に避難が完了している。


「はいはいすみませんね、それにしても平和過ぎて暇だな。不謹慎だけど早く来てくれないかなぁ、残してきたノルンが寂しくしてないか不安になっちゃうよ」


「自分の心配よりノルンの心配たぁ随分と余裕があるんだな、人に一番厄介な事を押し付けた癖によ」


「仕方ないだろ、お前とシルバが一番適任なんだからさ」


 と、無駄口を叩きあっていた二人を止めるかのように辺りが騒がしくなる。簡易的に作られた物見櫓にいた見張りがそれを見つけた。


「来たぞ!数は分からんがかなり多い!俺達の三、四倍はいるかもしれない!」


 三、四倍と聞いた冒険者達は思わず耳を疑う。今回召集された冒険者は瑞樹達を含めおよそ百人。瑞樹の策が効かなければ数の暴力で蹂躙されかねない。瑞樹は緊張と震えを押し殺し、自らの目で確かめようと近くの民家の屋根にあがる。そこで目にした物は、黒い何か、それがこちらに向かって来ていた。瑞樹は目を凝らして良く見ると、それは密集しているゴブリンの集団で、先程はこれをまるで一つの塊のように空目していたのだ。


 集団が近づいてくるに連れてそれははっきりと見えてくる。話しに聞いていた肉の盾だ。瑞樹はそれを自分の目で見て言葉を失う、至るところにある傷痕、人間をまるで物の様に扱っているであろうそれを見たとき、感情を止められなかった。


 ビリーが同じ光景を目の当たりにしている時、瑞樹と同じような嫌悪感を自身も抱いていた。ただ瑞樹はこういう事にかなり忌避感を抱く、ビリーはちらりと瑞樹の方へ視線を向けると、案の定顔を俯かせていた。心配になったビリーは瑞樹に話しかける。


「おい瑞樹大丈夫か?あんまり無茶するな…って―」


 ビリーが瑞樹の顔を覗いた途端、背筋が凍る程の恐怖をビリーは感じていた。この状況下で何故笑っているのか、そんな疑問を吹き飛ばす程のおぞましさを感じている時、さらにビリーは自身の目を疑う物を見る。ほんのごく一瞬だけ瑞樹の周りに黒い靄が見えたのだ。目の錯覚かとビリーは目をごしごしと擦っていると、突然思い出したかのように瑞樹が口を開く。


「あぁ、ビリー。大丈夫、少し落ち着こうとしていただけだから。でもそうだね、俺は前線には出ないでみんなを歌で援護する事にしたから」


 口調はいつも通りの筈だが、その目は瑞樹のそれとは思えない程攻撃的で、恐ろしかった。思わずビリーは目を逸らしこう思う、こいつ本気で怒っている、と。

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