終・街の裏の顔
「すっかり遅くなっちまったな」
「あぁ、とりあえず風呂に入ろう。あの子を綺麗にしてやらなきゃ」
ギルドに着く頃には夜も更け、酒場も閉店間際になっていた。風呂に向かおうとしていると、そこにギルドマスターが近づいてきた。その顔はどことなく察しているような、少し怖い顔だった。
「おやどうしたんだいその子、随分と汚い格好をしているけど」
「その、色々とありまして保護する事にしたんです」
「保護、ねぇ。まぁあんたなら大丈夫だとは思うけど大事にしてやりなよ」
「はい、分かっています。お風呂これから大丈夫ですか?」
「あぁ問題無いよ、ゆっくり入りな」
「分かりました。ビリー、ノルンと一緒に先に行ってて。俺は着替え取りに行ってくるし」
「分かったけど早くしろよ、俺はあんまりガキの扱いが上手くないんだからよ」
「くれぐれも泣かすなよな?」
「良いから早く行ってこいよ!うっさいな!」
ビリーは悪態はつくが変な事はしないだろう、その点に関しては瑞樹も全幅の信頼を寄せている。それよりも着替えで、勿論小さい女の子の服を持っている筈が無く仕方無いので今日は瑞樹の肌着を着てもらう事にする。明日買いに行かないと、頭の中で明日の予定を考えながら瑞樹は急いで浴場へ向かう。
「へいお待ち、んだよまだ入ってなかったのかよ」
ビリーとノルンは脱衣場で座って待っていた。なんとも暗くて重い雰囲気で、瑞樹は少し顔が引きつる
「そういうのはお前がやれよ。俺は先に入っているぜ」
「なんだお前、一緒に入るのか?…欲情するなよ?」
「するわけ無いだろ!バーカ!」
ぷりぷりと怒りながら浴場へと向かうビリー、その姿を面白そうに瑞樹は見ていたがノルンは何の表情も無く、瑞樹に視線を送っていた。
「あの、私はご主人様と一緒に入るのですか?」
「ん、そうだけど嫌?嫌なら無理にとは言わないけど」
「いえ、ご主人様がそう仰るのであれば従うまでです」
「そっか、じゃあ行くよ。洗ってあげるから脱いでね」
「はい」
瑞樹は間近で女性の裸を見るのはこれが初めてだが問題はそこでは無い、何よりも目を引いてしまったのは身体の所々にあるアザだ。なるべく商品価値を落とさないように見えない場所に折檻していた事実に、少しでも良い人かもと思った自分が馬鹿だったと瑞樹は憤慨する。気を取り直しノルンの手を引いて瑞樹は浴場に向かう。
「さっ、ここに座って。洗ってあげる」
「でも私に石鹸なんて勿体無いです、それにご主人様に手を煩わせる訳には行きません」
「ノルンはそんな事気にしなくても良いの、俺がやりたいからやる、問題ある?」
「いえ…ご主人様がそう仰るのであれば」
自身を卑下するノルンを窘め、瑞樹はまず髪を洗っていく。まともなケアなど一度もした事がないのだろう髪質は最悪で、まともな散髪すらしていない様で切り揃えた感じがまるで無かった。次は背中を優しく洗う、肌は汚れでくすんでおり一回ではしっかりと洗いきれない程だ。前はノルンにやってもらう事にした。流石に子供とはいえ女性の象徴をこの手で洗うのは童貞には重荷だった。
「さ、綺麗になったことだしお風呂に入ろうか」
「はい」
ノルンを引き連れて湯船に浸かると、ほぅっと気持ちよさそうに息を吐いて少しだけ表情が穏やかになる。瑞樹はこの子に色々と聞きたい事はあった。だがこの子の心に踏み入っても良いのか、少し躊躇うが一つだけ確認しておかなければならない事がある。瑞樹は鉛のように重い口を開き、ノルンに問いかける。
「ノルンってさ、親はいるの?もし君が望むなら親の元へ帰してあげたい」
「私は気付いた時にはもうあそこにいたんです。ですので親と呼べる人はいません。…あの、私何か粗相でもしたでしょうか、もし不満がありましたら何でも仰ってください。何でも致しますのでどうか…捨てないでください」
完全に地雷を踏んだが時すでに遅し、その表情は完全に怯えている、この子の闇は思った以上に深く暗い。瑞樹はそっとノルンを抱き締めて頭を優しく撫でる。
「ごめんな変な事言って、大丈夫、ノルンを捨てたりなんかしないよ。…そうだ、親がいないなら今この瞬間から俺がノルンの父であり母であり、兄であり姉になるよ」
「…ぇ?」
ノルンの感情が揺らぎ、少しだけ瞳に光が宿る。あぁこの子は家族に飢えているんだろうなと、瑞樹は自身に重ねながらさらに続ける。
「今まで何があったかは俺には想像もつかない。けど俺は絶対にノルンに酷い事はしない。約束するよ。だから泣かないで、な?」
「う、うわあぁぁん…」
ノルンの胸中に溜まっていたものがついに溢れ出す。少しでも心が和らいでくれれば御の字であると、瑞樹は抱き締めたまま頭を撫で続ける。その様子をビリーは目を細めながら静観していた。暫く嗚咽が浴場に響いていた。
「どう?落ち着いた?」
「はい、取り乱してしまい申し訳ありませんご主人様」
「う~ん、最初会った時から思っていたけど俺の事をご主人様って言うの禁止な、勿論その堅苦しい敬語も禁止ね」
「えっ、ではどうお呼びしたら宜しいのですか?」
「だからその口調はダメね。家族に敬語使う必要無いだろ?あと呼び方はノルンの好きにしたら良いぞ」
随分とノルンは悩んだようだがようやく答えは出たようで、瑞樹の顔色を伺うように見つめながら自身の答えを口から捻り出す。
「で、では…瑞樹姉さんと呼んでも良いですか?」
「ブフッ、アッハッハ!お前こいつを姉呼ばわりするとは思わなかったぜ」
静観していたビリーが思わず吹き出し、そのまま大笑いする。瑞樹は殴ってやろうかと思ったが自分でもそう思っているのが悲しい、だって誰がどう見ても股間には男の象徴があるのだから。
「こいつの言い方は腹立つけど、その通りだぞ?俺を姉さんはちょっと、なぁ?」
「でも先程姉でありたいといっていたので、それに見た目も女性ですし…」
「あぁ分かったから、そんな泣きそうな顔しないでくれって。じゃあなるべくノルンと一緒にいるときは私はこっちの声にするよ」
瑞樹は途中から女声にして話してみると、ノルンは目を見開いて驚く。まだ感情の出し方が下手だがほんの少しだけ回復の兆しが見えた気がした。
「わ、凄いです。やっぱり女性なのですか?」
「そんな訳ないだろ?練習さえすれば誰でも出来る様になるのさ」
「ではビリー兄さんも出来る様になりますか?」
「ブフッ、ビリー兄さんだって!」
「うるさいわ!バカ!」
「いや悪い、お前が兄だと思うとつい、な。吹き出しちまったよ。はぁいっぱい笑わせてもらったしあがるとするか」
怒りと恥ずかしさが入り混じった表情をしているビリーを放っておいて、瑞樹とノルンは湯船からあがる。その後すぐ無視すんなとビリーが勢い良く湯船から飛び出してきた。その様子を可笑しく眺めながら三人仲良く脱衣場へ向かい着替える。ノルンにはとりあえず俺の肌着を着てもらったが意外にも嫌がらずむしろ喜んでくれた。さてと、脱衣場から出ようかといった時にグウゥと誰かのお腹の音が鳴り響く。
「おいビリー、うるさいぞ」
「人に擦り付けるの止めろや、俺じゃなくてお前だろ」
「俺でもねーよ。…って事は」
どうせビリーだろうと瑞樹はじとっと視線を送りつけるが推理はあえなく外れる。自分でも無いしと、ちらりとノルンの方を見ると顔を赤くして俯いていた。犯人が自供しているのを見て瑞樹達は苦笑する。
「す、すみません…」
「気にしなくて良いよ、むしろ素直に主張してくれた方が嬉しい。でもどうするかな、酒場はもう閉まったし」
「ギルドマスターに言えば何かしら出てくるだろ」
脱衣場から出て酒場の方へ向かうとギルドマスターがこっそり酒盛りをしていて、頬を朱に染めていた。
「ギルドマスターちょっと良いですか?」
「おや、やけに長風呂だったじゃないか。それでどうしたんだい?」
「この子に何か食べさせてあげたいんですけど何か余ってませんか?」
瑞樹の後ろに隠れているノルンをちらり見た後、ギルドマスターは厨房の方へ向かっていく。
「ちょっと待ってな、おい料理長、何か余ってないかい?出来ればすぐ食べられる物が良いねぇ」
厨房には後片付けをしていた料理長がまだ残っていて、今日の残り物で良ければと快く用意してくれる。
「あぁ、スープの余りとパンがあったな。待ってろ今温めてやる」
少し待っていると温かいスープと、少し炙ったパンが出てきた。
「さぁノルンどうぞ、たくさん食べなさいね」
「でも本当に良いんですか?こんなに豪華な食べ物なんていただいても…」
「良いの良いの、さっきから気にしすぎ。子供はちゃんと食べるのも仕事の内よ」
瑞樹は女声でノルンを諭し、遠慮しないで食べるよう促す。ノルンは少し逡巡した後、漸く食事に手をつける決意をする。
「では、お言葉に甘えさせて頂きます」
まずスープを一口、続いてパンを一口。するとノルンの目からポロポロと涙が溢れてきた。瑞樹達は驚いたが、ノルンが美味しいと小さく呟き食事を続けていたので静観を決める。この子は今までどんな苦労をしてきたのか、それを瑞樹が推し量る事は難しい。見守っていると最後の一滴一欠片も残さず食べ、ノルンは寂しそうに空になった器を眺めていた。
「もしかして、お代わりしたいの?」
「いえ、とんでもないです。こんなに美味しい料理を頂いたのにお代わりだなんて…」
ノルンは手と首をブンブンと振り拒否してみせるが目はそう言っていない。もう少し素直になってくれれば良いのにと瑞樹は肩を竦めながらお説教を始める。
「ノルン、子供が遠慮なんてしなくて良いんだからね?貴方はもう奴隷じゃない、私達の家族なんだから」
「そうだね、家族云々はあたしには口出し出来ないけど、あんたは少し痩せすぎだからもっとしっかりと食べて肉をつけた方が良いさね」
ノルンが瑞樹とギルドマスターの顔を交互に見やる。正直子供が大人の顔色を伺うなんてと瑞樹は良い気分では無かったがそれは後、今は自分の気持ちをちゃんと伝えられるように厳しく続ける。
「それで?ノルンはどうしたいの?誰かに言われるでなく自分で決めなさい」
誰かに命令されるだけではこの先の人生に悪影響が出てしまう。自分の意思を持ち、相手に伝える。今のノルンには難しいかもしれないけどとても大切な事だ。瑞樹は抱きしめて撫でたい気持ちをぐっと堪え、心を鬼にしてノルンと向き合う。
「では…その…お願いします…」
消え入りそうな声でノルンは言った、今は弱々しいけど徐々に慣らしていけば良い。その後色々と吹っ切れたのかさらにこの後お代わりをおねだりされ、産まれて初めてお腹いっぱいという感覚を感じる事が出来たようだ。その微笑ましい様子に瑞樹は目頭が熱くなる。ノルンはギルドマスターと料理長にお礼とお休みの挨拶を交わし、瑞樹達と一緒に寝床へ向かう。
「じゃあまた明日な」
「はいお休みなさい、ビリー兄さん」
自室に戻ってきた瑞樹達、兄さん付けされるのにまだ慣れていないビリーは照れ隠しか、頭をボリボリと掻きながら部屋に入っていく。
「それじゃあ私達も寝ようか」
「はい、姉さん」
率先してドアを開けるノルン、だが中にいたシルバに驚き思わず尻餅をついてしまう。
「あぁごめん、言ってなかったね。こいつの名前はシルバ、魔物だけどおとなしいから安心して」
「は、はい」
シルバはノルンの顔をじっと見ていたが、すぐに敵でないと理解したのか再び眠りにつく。瑞樹とノルンも一つベッドに一緒に入り、横になる。
「ごめんね、狭いかもしれないけど我慢してね。明日にはノルンの部屋も用意出来ると思うから」
「いえ、私はここが良いです。その、落ち着きます…。駄目でしょうか?」
「ううん、ノルンがそう思うならそれで良いよ。…ノルン、貴方には色々聞きたい事はあるけど今日はもう寝ようか」
「はい、お休みなさい」
「…ノルン」
「…はい」
瑞樹はこれまでに無い程の真剣な眼差しをノルンに送り、ノルンだけでなく自身にも言い聞かせるように一言だけ話す。
「貴方は私の家族だからね?」
「はい、これからずっとよろしくお願いします。瑞樹姉さん」
これで良かったのかと本当は今でも思う、あの時見た他の奴隷達の羨望と憎悪が入り交じったあの目を瑞樹は生涯忘れる事は無いだろう。でもそれでもと思い続ける。偽善であっても、それを貫き通すと決めたのだから。
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