異世界の知識

 渋々ファルダン侯爵に付いていく瑞樹達。道中は一言も話さず重苦しい雰囲気なのだが、ファルダン侯爵の顔は穏やかな笑みを浮かべている。それは余裕の現れなのか、何かを隠しているのか二人は判断に困っていた。


 暫く歩いているとそれらしき建物が見えて来る。メウェンの邸宅と比べると若干こじんまりとしているがそれでも大変豪華なお屋敷である。


「さぁさ、どうぞ」


「…行ってみるか」


「あぁ、気を付けろよ瑞樹」


 二人は顔を合わせて今一度気を引き締める。この先は何が起こるか分からない、中に入った途端に態度を変えて拘束されるかもしれない、二人は否が応にも緊張が高まる。が、意外にもそんな事は無く、むしろ建物の規模にしては従者の数が少ないようにも感じ、そもそも奇襲が飛んでくるとは思えない程和やかな雰囲気だった。


「ほっほ、そんなに警戒しなくても大丈夫です。それよりもお二人共夕食はまだでしょう?ご一緒にどうです?」


 瑞樹とビリーは目配せし、瑞樹が代表して答える。


「とてもありがたいですが今回は遠慮させて頂きます。侯爵様とはいえ、まだ貴方の事を信用しきっているわけではないのです」


「成る程、貴方の言うことも尤もだ。ならばわたくしも信用を勝ち取れるように頑張るとしましょう。早速ですが商談と参りましょうか」


 愉悦そうな笑みを浮かべファルダンは二人を引き連れて二階の一室へと連れていく。数ある客間の中でも特に重要な客人を招くための部屋で、装飾品にも大変気を使っているのが一目で理解できる程である。


「さぁお二人共どうぞこちらに」


「は、はい。ありがとうございます」


 促されてソファーに座る二人、ふかふかで身体がどんどん沈んでいきそうな感覚に困惑しながらも、心を落ち着かせようと努めている。その後、従者が紅茶の用意をする為に部屋へ入って来る。お茶にはあまり詳しくない二人だが、なんとも落ち着く香りで少しずつ調子を取り戻して行く。と同時に他の貴族、というよりメウェンの時とは随分と様子が違う事を瑞樹は感じ取っていた。


「勿論毒などは盛っておりませんので、安心してください」


 微笑みながら紅茶を一口飲むファルダン。確かにその懸念もあったがなんでもかんでも疑うのは相手に失礼かもと思い、二人は紅茶を頂く。何のお茶か判別はつかないが、おかわりをしたくなる程美味だった。


「さて、一息ついていただけましたかな?」


 ファルダンは顔に笑みを張り付けたまま二人に問いかけた。瑞樹も持っていたカップを一旦置き、紅茶に向いていた視線をファルダンに向ける。


「えぇなんとか。…それで私の知識、というか異世界の知識を何故欲しているんですか?この世界では異世界人がそこそこ人数がいると教えてもらったんですけど」


「それになんでコイツなんだ?…じゃなくて何ですか。確かに異世界人の所在ってのは掴みにくいけど侯爵の力を以てすればその気になったら一人や二人見つける事が出来た筈だ…です」


 ビリーは慣れない口調に苦労しながら問いかけた。以前メウェンに会った時の苦い経験を何とか克服しようと努力しているのが目に見えて分かる。ファルダンも髭を弄りながら真摯に答える。


「ふむ、まずは貴方の質問に答えましょう。確かに他の異世界人の所在はある程度掴んでおりました。しかし正確な所在は終ぞ掴めませんでした。恐らく他の貴族等に巧妙に隠されているのでしょう。異世界の知識とはまさに値千金の代物なのです。それにいくらこの世界には異世界から人間が来るとはいっても数十年に一度程度の頻度です、当に生存しているのかどうか怪しいところなのですよ」


 嘘をついているかは別として内容自体は二人にも納得出来た。長い歴史の中で普通では有り得ない異世界人が数十年に一度現れるとなれば、確かに頻繁ともとれる。だが人の寿命などせいぜい百年程度、本当に会った事のある人などそれこそ数える程しかいない筈で、それを秘匿されたとなれば見つけるのは困難だ。そうなると瑞樹はこの世界で唯一の異世界人である可能性もあり、独占したがる気持ちも分からないでもない。


「それで貴方の質問ですが、貴方が思っている程異世界人は多くないのです。むしろ大変稀有な存在だ。そして異世界の知識を欲しがる理由は、わたくしは爵位を拝命する前は一介の商人でしかなかったのですが、神々の思し召しによりここまで上り詰める事が出来たのです。少し話しが逸れましたが、新たな商売のネタにはわたくしはとても敏感でして、それが異世界の知識となれば尚更です」


 目を煌めかせながらファルダンは熱弁した。貴族である前に根っからの商人なんだなと二人も納得する。


「異世界の知識に価値があるというのは私も理解出来ますが、具体的にどんな知識をお望みなのですか?」


「それ程多くの事は望みません。例えば先程話していた牛乳のように、食材などに新たな価値を見出だすことが出来れば、そこから先は商人の腕の見せ所です」


「つまりは既存の食材に新しい使い道を提示して欲しいと、そういう事ですか?」


 瑞樹の言葉にファルダンも大きく頷く。


「まさしくその通りです。多くの付加価値を付けそれを独占する、そうすれば莫大な売上が期待出来ます」


 食材に新たな価値を付ける、それは瑞樹にとっても悪い話しでは無かった。以前自ら料理を作る程、瑞樹の食事事情は逼迫していた。そこに一石を投じる事が出来れば、日々の食事にさらに彩りが生まれるかもしれないと、気持ちを高ぶらせる瑞樹。


「ですが知識に対しての報酬とはどのようにするのです?売れる保証は無い、ですが評判になれば報酬以上の売上になる。双方が納得する金額にするのはなかなかに難しいと思います」


 瑞樹の問いに笑みを浮かべながらファルダンが答える。


「ほっほ、ようやく商談をしている気分になってきましたな。確かに形の無い知識を買うというのはなかなか難しい。こういうのは最初から値を渋ってはいけません、自らそれ以上の利益になると値踏みし、なおかつ情報提供者が納得する様に…わたくしは貴方の知識一つに金貨十枚を提出しましょう」


 あまりに予想外過ぎる高額な値に、瑞樹とビリーは顔を合わせて目を白黒させる。


「金貨十枚ですか!?随分と思い切りの良い値段ですね」


「いえ、そうでも無いですよ。確かに危険な賭けに思えますが、それを恐れていては高みを目指す事は出来ません。長い目で見れば今後我々に大きな富をもたらす可能性があるのです。そう考えればこの出資など些細な物です」


 そう言って微笑みながら紅茶を一口飲むファルダン、瑞樹の知識に対して絶大な信頼を寄せているようだが、問題はここからだ。


「報酬に関しては私は全く問題ありませんが、売りに出すにはまず設備を整えないと難しいと思います」


「と、言いますと?」


 ファルダンは少しだけ眉を顰めるが、さらに瑞樹は続ける。


「今回の牛乳に関して言えば、まず絞りたての生乳は細菌…あぁ身体に良くない物がいる可能性が高いので、そのまま飲むと食あたりを起こしかねません。そのために煮沸させて消毒する手間が出てきます。さらに牛乳をどうやって冷えた状態で提供するかが問題になってきます」


「ふむ、煮沸に関してはコストがかかりますが無理というわけでは無いですが、冷すのは単に氷を牛乳の中に入れて提供すれば良いのでは?」


 ファルダンの問いに瑞樹はう~んと唸り、顎を撫でながら答える。確かに氷で冷やすのが一番簡単だが、あくまで瑞樹個人の意見として牛乳の中に氷を入れるのは、味が薄まる感じがするので好ましくなかった。勿論それは人によりますとさらに瑞樹は付随するとファルダンも真面目な顔つきで話しを続ける。


「ふぅむ、難しいですな。冷すだけなら魔導士を常駐させれば可能ですが、金銭面の負担が大きい。事前に氷さえ用意すれば常駐の必要は無く、売り子に任せることが出来るのですが」


 料理において冷すというのは温めるよりもはるかに手間のかかる工程で、現代ならいざ知らずこの異世界では熱を与えるよりも、熱を取る方が遥かに面倒だ。


「難しい話しで俺は頭が痛くなってくるぜ。なら火の魔道具みたいに氷を出す物を作れば良いんじゃないか?」


「ほっほ、悪くないですがそれだと大量の魔道具が必要となります。あれは存外早く劣化しますからな」


 こういった話しには門外漢のビリーが知恵を振り絞ったが、あえなく却下となり不貞腐れながらソファーに深くもたれ掛かる。


 魔道具とは、簡単に言うと巻物に術式を組み、組み込まれた魔法を使用する簡易魔法発生装置の様な物だ。代表的な物はそれを利用した簡易竈で、値は張るが冒険者には心強いお供でもある。ただ欠点もあり、使えば使う程術式が劣化し、最終的には使用できなくなる。氷の魔道具を用いて販売などすればすぐに劣化してしまい商売にならないとファルダンが断じた。


 だがビリーの提案は瑞樹にとって天啓だった。氷を出す魔道具を作れるのなら、そこにもう一つ付け加えれば良いのではないかと、早速ファルダンに問いかける。


「一つお伺いしたいのですが、風を出す魔道具って可能だと思いますか?」


「可能でしょうな」


「ならば、例えば氷を出す魔道具と風を出す魔道具を箱の様な物に一緒に入れれば良いのでは?これなら氷の冷気を風で満遍なく充満させるので、無駄が無いと思うのですが」


「むむ、他には何か案がありますかな?」


 ファルダンはあからさまに目の色を変える。どうやら食いついたようで、鼻息をフンスフンスと荒げている。先程とはまるで違う様相に、瑞樹は若干引きながらもさらに続ける。


「そう、ですね。例えば銅は熱伝導率が低いので…と熱伝導率ってのは熱の通しやすさの事なんですが、それが低いと保冷に優れているという事なんです。それを空洞の層を設けた二重構造にすればさらに効率が上がると思います」


「二重構造にするのは何か理由があるのですか?」


「はい、一層だとどうしても外気の影響を受けてしまいますので、特にこの暑い地域は影響を受けやすいのです。それを二重構造にすれば極力外気の影響を減らすことが出来る筈です」


 簡単に言えば原理はタンブラーで、その中に冷風扇を入れたような大昔の冷蔵庫と思ってもらえれば良いだろう。原理自体はとても簡素な物だが、この世界ではまだ科学と呼べる物が存在しない。魔導士は基本的に一つの属性しか扱わず、組み合わせるという発想が生まれなかったのが一つの要因だろう。そもそも魔法自体が便利なので科学など必要とされてこなかったのかもしれない。そこに瑞樹の提案は、まさに科学全盛期の時代に生まれた人間ならではの発想で、ファルダンも先程から感心しきりで、まるで水飲み鳥の様にずっと頷いている。


「いやはや瑞樹殿これは大発明になりますよ。貴方の考えたそれは、販売だけでなく物流にも影響を及ぼでしょうな」


 この世界では食材は基本的に干した状態、もしくは塩漬けが主流となっていて生鮮食品は近場で取れた物しか無く、遠方への運搬となるとかなり手間のかかるのが実情だ。そこに颯爽と現れた冷蔵庫の案、もし実現されれば物流に革命をもたらす事は想像に難くない。商人でもあるファルダンがこれ程興奮するのも無理からぬ事である。


「そう仰って頂けるのはありがたいのですが、作成は多分かなり難しいと思います。流石に作り方までは私も良く存じませんので」


「なに、そんな事は些細な事ですよ。これ程の一大事業、簡単に出来るとは思っていません」


「そうですか、そこは職人さんの腕に期待しましょう」


「そうなりますな…さて、今日は大変良い商談となりました。今後の関係と期待も込めて、今回の報酬は金貨五十枚でどうでしょうか?」


 その言葉を聞いた瑞樹は危うく意識を失いそうになる。いくら価値を見出したとはいえ冷蔵庫の構想と牛乳の事を喋っただけでこんな法外な金額になるとは夢にも思わず、一も二も無く瑞樹は即決する。その後ファルダンと瑞樹は契約書を交わす。一つ、瑞樹の知識に応じた報酬をファルダンが支払う事。一つ、新しい知識を提供された場合その都度契約を交わす事。そしてもう一つ、買い取られた知識はファルダンが独占するというもので、ファルダンが損をしない為の自衛として付け加えられた。ただしファルダンもまだ知らない知識に関してはその限りでは無いと、全ての情報の開示を差し止めるものでは無いと付随されている。ちなみに契約を破るとどうなるかと瑞樹は質問すると、ファルダンはただ一言だけ「酷い事になります」と真剣な顔で返す。どんな?とは怖くて聞けなかった瑞樹は、気を紛らわせる様に契約書を良く確認し、血判を押す。ちなみに未だに血判に慣れていない瑞樹はまたもやビリーの手助けを借りる事となる。その姿をファルダンは面白可笑しく眺めていた。紆余曲折あったが、契約は無事完了と相成った。


 後に魔導科学、さらに科学技術へと昇華する「物を組み合わせる」という考えは、今静かに産声をあげたが、それを知る者は誰もいない。


 この日、新たな人物と縁を結んだ瑞樹。

その出会いは確かにこの地に科学を芽吹かせた。

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