番外編[ごはん]

 瑞樹がこの世界に来て一か月に経ち、生活にも随分と慣れてきた。だがどうしても慣れないというか、物足りないものがある。それは日常の食事である。別に味が不味いとかそういう訳ではなく、どうにもバリエーションが不足している様に感じてしまう。それも仕方無い事だと思う、現代日本では食というのは選択肢が余りあるほどで、それがあれも無い、これも無いとなれば欲求不満にもなる。


 そんな事情もあり、瑞樹は精神的安寧を図るためにせめてもう少し現代らしい何かを作ってみようという発想に至る。ちなみに瑞樹は自炊は滅多にやらなかった。料理本を読む、というより眺めているのはのは好きだった。自分で作れずとも写真を見るだけでどんな味がするのだろうかと、妄想に耽るだけで心が躍った。その為レシピや知識自体はぼんやり程度にしか覚えていないが、多分簡単な物なら味は別にして形はそこそこの物が出来るだろうと瑞樹は高を括っている。自分の腕に自信が無いからと諦められる程、心に余裕も無かった。


 善は急げの精神で瑞樹はまず食材確保に走る。日常的に食べてもそこまで飽きず、なおかつ懐にも優しい料理にしようと思い、とあるレシピを決めた。この世界は瑞樹の世界の食材と余り大差が無く、頓珍漢でファンタジックな食材は未だに見かけた事が無かったので、瑞樹の中途半端な知識でもそこまで無駄にはならなかった。


 まずは小麦粉、この世界の主食はパンなので簡単に手に入ると思っていたが現実は非常で、小麦は所謂貴重な白パンを使うので高い。瑞樹がお財布の中身と値段を交互に見ていると、もっと安価な粉を見つけた。それがライ麦で、所謂黒パンに使用される庶民の強い味方だ。粉なら何でも良いかと瑞樹はライ麦粉を購入する。


 次は野菜で、八百屋に行くと意外にもそれなりに種類があった。ニンジンの様な物、キャベツやニンニク、それに玉ねぎや様々な豆類だ。この中で瑞樹はキャベツとニンニク、それに玉ねぎを購入。最後にお肉だ、肉屋では基本的に家畜の豚や鳥、それに魔物猪の肉等を扱っている。どれもブロックでしか売っていないようで、仕方なく豚肉のブロックと、ついでに獣脂も購入し、これで準備は出来た。


 買い物を終えた瑞樹はその足でギルドの方に向かう。実は先日オットーに厨房を貸して欲しいと頼んでおいた、快く返事もいただいてある。


「どうもおはようございます」


「あら、瑞樹さん。おはようございます。今日は随分と早いですね、それに一杯荷物も持っています

けど何かされるんですか?」


「はい、実は厨房を借りて少し料理の研究でもしようかなと」


「あら、そうなんですか。美味しいものが出来たら是非私にも食べさせて下さいね?」


「はい、あまり期待しないで待ってて下さい」


 受付のお姉さんに挨拶を済ませ厨房の方へ向かう、中へ入るのは初めてだ。中は釜戸が三つに小さい石窯も二つあった。これほどの設備はこの世界に来て初めて目にするので、瑞樹ははぁと感嘆の声を上げて子供の様に周りをキョロキョロする。そして中で作業している人がこの酒場唯一の料理人のジェイクだ。


「おはようございます。今日はお邪魔にならないように注意しますのでよろしくお願いします」


「あぁ、オットーの言っていた奴か。話しに聞いていた通りの見た目だな?まぁ俺も仕込みで忙しいから邪魔だけはするな、邪魔さえしなければここを好きに使って構わん」


 青い短髪に緑の瞳、顔の随所に深い皺が入っていて、職人気質の様な人物で瑞樹にとっては取っ付きにくい、正直苦手なタイプだった。アハハと瑞樹は愛想笑いをしながら、あまり近づかない様にしようと心の中で呟く


 まずはお湯を沸かす、沸騰したらライ麦粉と塩を適量混ぜながら生地を作る。固まり手で触れるくらいになったら少し手で捏ねる。そのあと丁度良い大きさに千切り、生地を少し寝かせる。


 その間に餡作り。まずはブロック肉を適量切り分けミンチにする、買ってきた野菜もみじん切りに。それをみんな木皿の中で混ぜる、この時塩で軽く下味を付けておく。大体混ぜたら完成。


 次はさっき寝かせていた生地を伸ばす工程だが、瑞樹はあれ?と首を傾げる。思った様に生地が伸びない、全く伸びない訳では無いがブチブチと千切れる様な触感だ。瑞樹は不思議に思いながらも、無理矢理伸ばして生地を薄く伸ばす。


 そのあと伸ばした生地に餡を包む、のだが如何せん生地の伸びが悪いので包むのに大変苦労し、最終的に二枚の生地で包むという、最早元の料理のとは程遠い見た目になってしまった。


 取り敢えず評価は完成してからと、瑞樹は焼きの工程に入る、あまり竈の扱いに慣れてないんだけど大丈夫かな?と瑞樹は不安になるが、物は試しと分からないなりに手を動かす。まず獣脂を温めて油に戻し、先程作った物を投入、少し焦げ目が付いた所で水を少量入れて蒸し焼きにする。


 いまいち慣れていない瑞樹にはどのタイミングで蓋を開ければ良いか分からず、意を決して開けたときにはもう完全にタイミングを失していた。


「あっちゃあ、焦げちまったよ」


 生地は完全に焦げ付き真っ黒だが、匂いはちょっと焦げ臭いだけでそこまで酷く無い。勿体無いし一つ味見でもしようと、瑞樹はそれを口に近づける。


「お前さっきから何作ってんだ?」


「うぇっ!?あぁえっと俺の故郷の料理を再現しているんです。少し焦げてしまいましたけど、味見してみますか?」


 瑞樹は思わず驚き、後ずさりする。興味無さそうな態度だったが、実はちらちらと瑞樹の方を不思議そうに観察していた。


「…ふん、まぁお前がそこまで言うなら食ってみるとするか。で、これの名前は?」


「これは餃子と呼ばれています」


「ギョーザ?変な名前だな」


「まぁそうですね、というか俺が作りたかったそれとはまるで違う、全く別の何かになってしまいましたけどね」


「ふぅん?まぁみてくれよりもまずは味だろう」


 何かを言いたそうな目で瑞樹をジロジロと見るジェイクに、視線を逸らし近くに用意していた木製のナイフで突き刺し、口に運ぶ。結論から言うと、それは瑞樹のイメージしていた物とは全く別の何かだった。この際焦げているとか些細な点は目を瞑るにしても、まず歯ざわりが悪い。もっともっちりとした皮になると想像していたのに、ずっしりとした噛み応えのある様な感じになっていた。餃子を食べていると言うより、餃子の餡と薄く伸ばした黒パンを食べている様な一体感の無さである。ジェイクの評価も大体同じで、片方の眉を吊り上げ何とも言えない表情で瑞樹の方を見る。


「焦げているのは腕の問題だから置いとくにしても、これがお前の目指した物なのか?やろうとしている事は何となく分かるが…」


「いやぁ俺の想像とは全然違うんですよね、俺はもっとこう…もっちりと言うか、ふわっとした触感になると思っていたんですけど」


 顎を撫でながら思考する瑞樹に、ジェイクは呆れた様に眉間に皺を寄せて溜め息を吐く。


「お前…ライ麦粉を使ってそんな風になる訳無いだろう…もしそんな風になるなら黒パンがあんなに硬い筈無いだろ?」


「あぁ…確かにそうですね」


 瑞樹はポンと手を叩き、今気づいたと言わんばかりに納得してみせるが、それを見たジェイクはより一層呆れた様な顔をして瑞樹を睨む。


「お前の発想自体は悪くないが、圧倒的に知識と腕が足りていない…仕方ない、これを使え。それに俺も手伝ってやる」


 ジェイクが頭を掻きながら、小さな容器を取り出す。瑞樹が中身を問うと、それは貴重な小麦粉だった。


「これって小麦粉ですよね?良いんですか?こんなに高いの使っても。それにジェイクさんだって自分の仕事があるだろうし、手伝ってもらう訳には…」


「馬鹿、誰が全部使って良いって言った。それを生地の混ぜ込めば少しはマシになるだろう。それに…俺もこの料理の完成形が見たくなった、それだけだ。いちいち余計な心配をするな。」


 自分の力だけではあっさりと限界を感じ、瑞樹はジェイクにお手伝いしてもう事にした。もう一度粉から始め、生地を練る。少し待って手触りを確認すると、先程よりも大分マシで、軽やかに伸ばす事が出来た。それを使って生地に餡を仕込んでいく、伸ばしやすくなったのでしっかりと包み、ひだを作ることが出来た。後は焼くだけなのだが—


「じゃあ焼いてみますね」


「待て、俺がやる。そんなに何回も失敗出来ないからな」


 そう言ってジェイクは退けと言わんばかりに瑞樹を押しやり、竈の前に立つ。次第にジュウジュウと良い音と、鼻孔をくすぐる香ばしい香りが周囲を覆う。焼いている様子を繁繁と見つめる瑞樹を尻目に、ジェイクが瑞樹に話しかけてくる。


「なぁお前の故郷ってどこなんだ?こんな料理見た事も聞いた事も無いが」


 うっと瑞樹は冷や汗を掻きながら視線を泳がせる、あまりの挙動不審ぶりにジェイクは訝しそうな目つきをするが、ふぅと一息吐いて言葉を続ける。


「別に言いたく無いならそれでも良い、ここには流れの冒険者なんてそれこそ腐る程いるんだ。出自の分からない奴なんて珍しくない。それにオットーがお前をここで雇うのを認めているんだ。俺がどうこう言える訳じゃないから、そんな心配そうな顔すんな、気が散る。」


 物言いは荒っぽいが思っていたより優しいジェイクに、瑞樹は内心ホッとし、「はい」と返事をして微笑む。それを見たジェイクはボリボリと頭を掻きながら視線を逸らして、竈の方へ集中する。話している間に蒸しの工程も終わり、蓋を開けると、もうもうと白い湯気が立ち閉じ込められていた香りが一気に出てくる。臭いで分かる、これは美味いと。瑞樹は思わず口角が上がり、お腹をきゅうと鳴らす。


「お前なぁ…腹鳴らしてる暇があるならさっさと皿持ってこい」


 ジェイクが苦笑しながら瑞樹に指示すると「はい!」と小気味よい返事をして皿を取りに行く。焼かれた餃子を木皿に移され、瑞樹はじっとそれを覗き込む。丁度良いキツネ色で、まだ少しジウジウと音がしていた。


「こっこれ、食べても良いですか!?」


 目を煌めかせながら瑞樹はジェイクに問いかける。余りの勢いにうぉっと驚きながら「あんまりがっついて火傷するなよ」と返す。


 それを見て瑞樹は目を細める、あぁ漸く巡り合えた自分の知る料理に。それを一気に頬張る、熱い、焼き立ての熱が瑞樹の口内を襲う。ハフハフと息を吐きながら感じるのは、先程よりかなり改善された皮と、ニンニクの利いた肉汁たっぷりの餡、あぁこれは餃子だ。万感の思いで瑞樹は独り言ちる。


「ほう、さっきのと比べるとマシになったな。お前はどう…ってお前何で泣いているんだ」


「…っえ?」


 そう言われて瑞樹は自分の頬を撫でる。そこには確かに涙が流れた後があった。自分の知る郷里の味、もう帰れない寂しさ、それが心を駆け巡るとポロポロと涙が零れ落ちる。


「おいおい泣くなって、どうしたんだ一体!?」


「うぇ…ごめん、なさ…」


 ジェイクが慌てふためいていると、「あーっ!」と驚きと怒りが混じった声が何処かから上がる。


「ちょっとジェイクさん!何瑞樹を泣かしてんのさ!」


「う、うん。事と次第によっては許さないよ…!」


 厨房の扉をバァンと開くと同時に、元気っ娘のハンナとクール娘のシーラが怒鳴り込んでくる。余りの勢いにジェイクのみならず瑞樹もギョッとそちらを見やる。


「ちょ、ちょっと二人とも。俺は大丈夫だからそんなに怒らないでくれよ」


「え~本当か~?いじわるとかされたんじゃないだろうな?」


「う、うん。変な事されたなら言った方が良いよ?」


 瑞樹はあくまで犯人がジェイクであると信じてやまない二人を何とか宥める。ジェイクも心底疲れた様に眉間に深い皺を寄せていた。


「で、俺の疑いが晴れたのは良いが、何で急に泣き始めたんだ」


 それくらい聞く権利があるだろうと、ジェイクの視線が瑞樹を刺す。瑞樹は気恥ずかしそうに笑いながら口を開く。


「アハハ…実は自分の故郷を思い出したら、ついぽろっと」


「ついって何だよ…」


 特大の溜め息を吐きながら腰を落とすジェイクをよそに、ハンナとシーラが目を合わせて何かを思考し、ふっと少し目を閉じる。そして瑞樹に近づき前と後ろからぎゅうっと優しく抱きしめてきた。


「んな!?二人とも何を!?」


「瑞樹の故郷が何処か知らないけどさ、寂しかったり不安だったりしたらちゃんと相談するべきだぜ?」


「う、うん。私達じゃ力不足かもしれないけど、私達はずっと瑞樹の味方だよ?」


 瑞樹は顔を真っ赤にしながら、うぅ…と唸るしか出来なかった。


「で、でも何で俺にここまで良くしてくれるんだ?まだ知り合って間もないのに…」


 余りにも親切過ぎて親身過ぎる二人に、瑞樹は少しだけ不信感を持った。もしかしたら何か良からぬ事を考えているのでは無いかと。


「う~ん、何て言ったら良いやら…シーラ後は頼んだ」


 頭を掻きながら唸るハンナ、遂には答えが纏まらなかったのかシーラに丸投げする。ハァと目を伏せて溜め息を一つ吐きシーラが話す。


「えぇ、私に振らないでよ…コホン、あのね、瑞樹に初めて会うって決まった時は私達も警戒していたの。いくらオットーさんが決めたとはいえ男が入るって、ちょっと…ね。でも初めて瑞樹を見た時、こう思ったの。見た目はどんなに取り繕っていても、その中身はとても怯えていて、繊細で、壊れてしまいそうだって。」


「えっ、そんなに俺ってひ弱に見えた?」


「女は心の機微に敏感だからね」


 エヘヘと笑いながらシーラは答える。瑞樹は目を閉じて「もう大丈夫」と二人に離れてもらった。


「さて!二人もこれ食べる?俺の自信作だぜ!」


「ちょっと待て、お前が作った訳じゃないだろ」


 ジェイクの容赦無いツッコミに瑞樹は苦笑する。人が変わった様に元気になった瑞樹を見て、ハンナとシーラは目をぱちくりと見開いていたが、そのうち「食べる~!」と元気な返事をする。その後三人は餃子に舌鼓を打ち、きゃいきゃいと楽しくお喋りをしていたらあまりに夢中になりすぎて仕事の時間が過ぎ、オットーに拳骨とお説教を頂戴したのは内緒にしておく。


 故郷への想い、それはずっと消える事は無いと思う。こっちでどんなに楽しく過ごしても、心の奥底でそれはずっと在り続ける。瑞樹はそれに蓋をして、押し込んで、これからも耐えて生きる。

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