第3話
「どういうことだ?」
陰州口のとある民家に踏み込んだ新八は、顔をしかめて呻いた。目の前のちゃぶ台に鎮座する、食べかけの白飯と味噌汁を見下ろす彼は、部屋中を見回す。
新八の横で茶碗を手に取った一も、茶碗に残る温もりに顔をしかめる。
「茶碗に盛ってそう経っていないな。十分といったところか?」
「もう三軒目だぞ? 住人たちはどこに行った?」
「恐らく、人でいる意味が無くなったのだろう」
「何を言っている?」
新八のやや呆けた声が響く。一の言っていることにいまいちピンと来ていない新八が小首を傾げた。
「元々汚染度が高い地域だったからな。裏返るのも時間の問題だった」
「先ほどから何を言っている? わかるように説明しろ」
「この陰州口の人間はずいぶん前から、魚人共との交配が進んでいたらしくてな、連中の血が混じっていたようなのだ。これを見ろ」
一は畳の目に突き刺さった何かを手に取ると、新八に見せた。一の手には緑色の鱗が光を反射していた。親指の爪よりも二回りほど大きな鱗は、魚のものにしてはやや大き過ぎる印象を覚えた。
「件の魚人共の鱗だ。人との交配が進んだ魚人は人の姿と魚人の姿を併せ持つという」
「つまり、ここに住んでいた連中は何食わぬ顔で人の振りをしていたということか?」
新八の問いに一が頷くと、新八はより一層眉間にシワを寄せて憤る。
「質の悪い習性をしておるわ」
「それで永倉よ、私は本州沿岸部に避難指示をしに戻るが、お前は?」
忌々しげに吐き捨てる新八に一が今後について問う。とはいったものの、一は彼がここに来た理由を知っている。この問いはある種の儀式のようなもの。その覚悟を問うものだ。
「残るに決まっている。そもそも、そのために来たのだ」
新八は一度そこで言葉を切ると、彼は民家から飛び出した。凝った泥のような、薄気味悪い霊力を気取った為だ。
桐の下駄で地面蹴る新八が通りに出ると、一人の男が待ち構えていた。帝国軍の軍服を翻す浅黒い肌の男。
「この男が魔人と噂される男、東條英機か」
新八を追いかけて来た一は、東條の放つ霊力に思わず刀の鯉口を切るも、新八に遮られる。
「手出し無用。お前は自分の仕事がある筈だ、斎藤」
「
「抜かせ若造」
鼻で笑う新八は腰に挿した愛刀を抜き放つ。
「良いんだな、永倉?」
「自分の尻は自分で拭く」
「死ぬなよ? 私も見送るのはもう嫌だからな」
一は新八に背を向けて走り出す。遠ざかっていく彼の足音に、新八は軽く嘆息を吐く。
「それはこちらも同じなんだがなあ」
やれやれと苦笑いを浮かべる新八の目は、改めて目の前の魔人へと注がれる。
「此度は逃げぬのだな?」
「逃げる必要がなくなったのですよ。私の勝利条件は達成されましたので。ご覧下さい、あの天空に掲げられた十字架を」
男の指さす先には十字に重なる光帯。一見神聖なものにも見えるが、新八の目にはどうしようもなくおぞましいものに見えてしょうが無かった。
しかし、それを嬉々として語る東條は白い歯を見せた。その様子に辟易とした新八は鼻を鳴らす。
東條英機という男は昔から妙な男だった。
新八が初めて東條と顔を合わせたのは七年前、新八が退役する間際、秘密結社・八咫烏の研究施設を襲撃する直前のこと。
八咫烏が非人道的な研究をしているとの報告を受けていた彼は、
八咫烏と言えばこの国を裏で操ってきた集団。そんな集団を敵に回せば、自分がどうなるかもわからないというのにだ。しかし、東條はそれを笑いながらやってのけた。今思えば、彼はその時からこの国の腐敗に苦心していたのかもしれない。だからこそ、新八は問わねばならなかった。
「国を強くする。以前貴様は私にそう言ったな? 最強の皇軍を作ると」
「ええ、申し上げました」
「腑に落ちんな。お前が蘇らせようとしている化け物は帝都を滅ぼしかねないと聞き及んでいるのだが?」
「でしょうな。あれは、旧時代の地上を支配するもの。今代の支配者たる人類とは、敵対関係にあるでしょうな」
「そんなものを蘇らせて、国を強くする? 馬鹿も休み休み言え。矛盾しておるぞ」
「矛盾。そうですな、矛盾している様に見えるでしょうな。ですが、この国は勝ちますよ」
男は笑って、爛々と緋色の瞳を輝かせて、空を十字に割る星々を再び見上げる。
「何を言っている……?」
「この国は強くなれる。だが人が強くなるには戦いが必要なのです。‟人の歴史とは即ち戦いの歴史である”。数多の戦争を越えて人は力を手にし、文明を進歩させてきた。逆に言えば争いが無ければ人は前に進めない。人は生来、怠惰な生き物ですからな。日清、日露と勝利して、この国は浮かれている。まだまだ、
「鞭も過ぎればただの暴力だ」
「その為の
空気を切る音がやけに大きく響いた。新八の愛刀、
「最早、交わす言の葉はない。黄泉路には貴様一人で行くがよい」
「私は、貴方と事を構えたくないのですがね。御身の強度は喝を入れるまでもないのだから」
「裁定者気取りか? 恥を痴れよ、怪物」
爆発的に上昇していく霊力の密度。それが物理的な圧を持って東條の体を押し潰し始める。
「流石に生身で貴方とぶつかり合うのはまずいか。身体強化術式を重ね掛けしているのにどんどん貫かれる。異能殺し――厄介な
独りでに宙に浮かぶ
「黄泉より舞い戻れ、闇の眷属――」
瞬間、地面の下から無数の人間の腕が、
吸い込むだけでも臓腑が爛れてしまいそうになる強い腐臭が鼻を刺し、新八は眉間にシワを寄せた。
そうしている間に腕はみるみる増え、腐臭は更に濃さを増していく。やがてずるりと、石畳を持ち上げて、男たちが這いずり出る。
現れた男たちは皆一様に痩せこけた青い肌をしており、一目でそれらが生きていないことがわかった。
「死者の国。なるほど、これがお前のやり方か。外道めが!!」
「外道結構。それでこの国が守られるのなら私は進んで天狗道を歩みましょう」
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